白装束の使者
王国軍は、例によって、密集隊列と長槍をもって山岳民領側への侵攻を企んでいた。
四メートルを超える長槍と木製の大きな盾で武装した歩兵たちが、決まった間隔を置いて整然と列を作って前進する。兵数が揃えば一定の実績をあげることができ、個々の兵士の技量があまり問われず、代わりに自身の危機に対するある種の鈍感さが要求される戦法であった。
なにがあろうが、どんな犠牲を払おうが、とにかく前へ前へと進む覚悟さえあれば、どんな敵であっても「いずれは」倒すことができる。
兵数的な優位にある場合には必勝といってもいい用兵であり、それゆえに多用されてきた経緯がある。
一時は破滅のベツメスという異分子により後退を余儀なくされたが、あれはベツメスの能力の異常性を目の当たりにした兵士たちの間に動揺が走った結果であった。つまり心理的な要因さえなければ非常に負けにくい戦法なのであり、王国軍首脳部にしてもこの戦法をこの場で否定すべき根拠がなかった。
それ以上に、このときに主力を担っていたベレンティア領各地から集まってきた者たちは経験も技能もまちまちであり、そうした烏合の衆をうまく生かす戦法は他にはなかった。
頑丈な盾を構え、長い槍を突き出してとにかく前進してくる肉の壁に対して、山岳兵側は以前と同じような弓矢や投擲爆弾で、それに、投石や金属製の円盤なども投じて対応した。
頑丈な盾を前にした場合、弓矢はその盾の表面に刺さるだけだったが、そのほかの重量物と併用すると盾を持った者が衝撃を受け止めそこね、盾と盾の間に隙間ができる。そうした隙間に弓矢を集中させて防御の穴をさらに拡大させ、死傷者を増やし爆弾を投じた。
少し前ならば強獣を突撃させたあと、悠々と残兵狩りをすればよかった事例だったが、その強獣が去った今は、人間の力だけで対処しなければならない。
自分から長い槍の間合いに入りにいくわけにはいかなかったし、遠距離からの攻撃が中心となるのはやむを得なかった。
それでも山岳民側もすぐに新しい事態に対応し、いくらかの模索の末、確実に相手に対して打撃を与え、自分たちの損害を可能な限り軽減する戦法を開発、実行していった。
怯まずに密集陣形で全進を続ける王国軍と、押され気味になりながらも、その先頭から順番に、確実に敵軍を消耗させていく山岳民側との激突が、バボタタス橋の周辺ではもう長いこと続いている。
形勢としては王国民側がじわじわと山岳民側を押している形ではあったが、兵の損耗率は王国軍側が圧倒的に多い。戦果と犠牲者数とが、反比例している形となっていた。
そんな戦場に、場違いな、優美な楽曲が響き渡る。
十名にも満たない白装束の集団が、笛や太鼓などで曲を奏でながら練り歩いていた。
その集団は山岳民軍の後方から前方へと、すなわち、王国軍が攻め込んでくる方向へと進み続ける。
山岳民の軍が二手に別れ、白装束の集団に道を譲る。
彼らの白装束は伝令を務める際に着用する儀礼的な衣装であり、敵側の機嫌を損ねればその場で討ち果たされることもあると知っているからだった。
決死の覚悟で出立する伝令の立場は、このような戦場では厚く尊重される。
そうした事情は王国軍側でも同様であり、その楽曲が聞こえてくる方向を見定め、その方角へは攻撃を仕掛けないように留意する者がほとんどであった。
また、実際に白装束が視界の中に入ってきたら、即座に彼らの前の道を開け、通過しやすいようにする。
戦っている最中の敵味方が一緒になって白装束の道を開けている様子は、事情を知らない者が見かけたらさぞかし奇妙なものと映ったことであろうが、この大陸の習わしではむしろそうするのが当たり前のことであった。
それからいくらもしないうちに、白装束の集団は王国軍総司令部に到着した。
敵軍の使者と知って案内をする者が少なからずいたので、移動はかなり円滑に行われたのだった。
山岳民軍総司令官の書状は、使者により、王国軍総司令官であるベレンティア公に直接手渡された。
白装束の使者たちには、香草茶が振る舞われ、王国軍側の意向が固まるまでしばらく待機をして貰う。
「来たか」
「来ましたな」
「ついに」
ベレンティア公、ブラズニア公、アルマヌニア公の三人はまだ開封していない書状を前にして頷き合う。
開封しなくても、それが昼餐会を催すよう即する内容であることは容易に推測がつく。
問題なのは……。
「現在の状況であれば、降伏……ということは、まずありえぬな」
ベレンティア公が、呟く。
「敵味方、双方とも少なからず犠牲を出しているものの、まだまだ戦えます」
ブラズニア公は、おのれの推測を述べた。
「おそらくは、なんらかの条件を提示した上で、停戦を求めるものかと」
「例の、洞窟衆のハザマが独断で行ったルシアナ討伐が、早速効いてきたな」
アルマヌニア公も、頷く。
「やつら、山岳民どもも、こんな国境に構いつけている余裕がなくなってきたのだろう」
ブラズニア公、アルマヌニア公の視線は、ベレンティア公の手元にある書状に固定されていた。
「では……開くか」
ベレンティア公は蝋封を指先で壊して丸められた羊皮紙を延ばした。
「……むむ」
そのてそのまま、渋い顔をして黙り込んでしまう。
「ど……どうしましたか?」
沈黙に耐えきれなくなったブラズニア公が、ベレンティア公に先を即した。
「予想通り、昼餐会の催促であったが……それ以上のことは、なにも書かれていない」
「なにも……ですか?」
ブラズニア公も、虚を突かれた表情になって目を見開く。
「それはまた、ずいぶんと型破りな……」
通例であれば、降伏の勧告か、その逆に、しかじかの賠償金を支払うからこの辺で手打ちにしようという提案などの具体的な意思表示が記述されているべき書状であるのだが……。
「確かに戦況をみる限り、両軍ともにまだまだいくさを続行できる状態ではあるのですが……」
ブラズニア公は、首を捻った。
昼餐会を所望しながら、両軍が会議すべき議題が書かれていない……というのは、かなり異例なことであった。
議題はないけど、とにかく、会議をしよう。
今回、山岳民軍側から提案されたことをあえて平易な言葉に置き換えてみれば、そのような内容となる。
「ブラズニア公よ。
内容よりも、この署名をみよ」
そういってベレンティア公が、山岳民側からの書状を無造作にブラズニア公の手元にむけ、放り投げる。
慌てて受け取り、その羊皮紙を開いたベレンティア公は、両目を見開いた。
「……これは!」
そこには、山岳民軍総司令のザメラシュ・ホマレシュの名とともに、山岳民中央委員会目付役、アリョーシャ・ホマレシュの名も併記されていた。
「中央委員会から人を出してきたのであれば、こちらも急ぎ、王都からしかるべき地位の者を召集してこなければ釣り合いが取れんな」
ベレンティア公は、思案顔でそういった。
「……急ぎ、転移魔法の使い手を手配して、王都に繋ぎを取ることにしましょう」
額に汗を滲ませながら、ブラズニア公はそういった。
国境紛争の停戦会議程度のことなら現場の司令官同士の裁量で決することができる。
だが、敵が中央委員会という、最高意志決定機関の名前を出してきたとすると、それ以上に入り組んだ外交上の駆け引きが行われる可能性が大きかった。
そんな重要事をこの場にいる三公爵だけで決してしまったら、王都から謀叛の意志ありと疑われてしまっても不思議はない。
彼ら三公爵には、それぞれ自領軍の軍権はあっても、王国の意志を代表する資格はないとされている。
この場にいる者だけで勝手に交渉をはじめてしまうのは、完全に職権を越えてしまうのであった。
「使者たちへ渡す返書には、どのようにしたためましょう?」
渋い顔になったアルマヌニア公が、ベレンティア公に確認してくる。
「昼餐会の開催自体には、賛意を表す。
しかし、当方の準備は、すぐには整わず。
準備が整い次第、こちらから具体的な日時を伝える……とでも、いっておくしかなかろう」
ベレンティア公も、不機嫌そうな顔つきになりながら、そう答えた。
昼餐会での会談の趨勢がどのようになろうとも……これで、このいくさでの決定権が、彼ら三公爵の手から放れてしまったことは確実であるらしかった。
ここまで犠牲を払ってきて、一番おいしいところを王都の連中にかっさらわれる形であり……いわば、苦労に見合った報酬が得られそうにないとわかれば、不機嫌になるのもしかたがなかった。
一方、洞窟衆の天幕の中では……。
「……それじゃあ、今まで聞いたことをすべて書き写して、司令部の方に届けてくれ」
政治的駆け引きなどには無縁なハザマは、トエスに手配を頼んでいるところだった。
「襲われそうなのは、王国軍野営地全部。
いくらおれたちが厳重な警戒をしたとしても、実際に駆けつけるまでには時間がかかる。
その前に、敵の性質を全軍に伝えて警告して貰えば、王国軍のやつらも多少は自力で対処できるようになるだろう」
ハザマがそういったのは、警戒すべき敵が数人では済まなさそうだったからだ。
「……しかし、そのマニュルってやつは、まだまだ数百から千以上の獣を好きな場所に出現させることができる、って……。
テイマーというよりは、サモナーだな」
げんなりした口調で、ハザマがいった。
この数の問題ばかりは、ハザマたちだけではどうしようもない。
マニュルが手持ちの使役可能な獣を一斉に投入してきたら、どうしたって他の王国軍にも自衛して貰わなければならない場面はでてくる。
そのためには、事前にこちらが持っている情報を手渡して、軍の上層部から注意を呼びかけて貰うのが一番だろう。
「いっそのこと、ルアの身柄も司令部に預けましょうか?」
トエスは、気軽な口ぶりでそんな提案をしてきた。
「司令部の方が欲しいといってきたら、渡してやれ」
ハザマは、素っ気ない口調でそう答える。
「こっちからは提案をするまでの必要はない」
「……了解ー」
トエスは頷いて、しかるべき手配を行うために退室した。
『……エルシムさん。
今、いいっすか?』
ハザマは、今度は思念で呼びかける。
『例の警戒網、できればもう少し密度を濃くして貰いたいんですけど……』
『人手が足りぬな』
エルシムからの返答は、すぐに来た。
『今、新領地は敵軍と交戦中だ。
なにかとゴタツいているし、そちら方面の雑事でも人手を取られている。
これ以上、仕事を増やしたいのであれば……』
『はいはい。
ちょっと手配してみます』
心話通信を一時打ち切って、ハザマは傍らにいたクリフに声をかけた。
「おい、クリフ。
奴隷とかの管理をしているやつをここに呼んでくれ」
さて、今すぐエルシムさんのところで働けるやつが何人いるか……と、ハザマは思う。
「……ハザマさん」
退室したクリフと入れ替わりに、今度はリンザがハザマに声をかけてくる。
「ハザマさんに面会を求めたいという人たちが……」
「……用件は?」
反射的に、ハザマはそう聞き返している。
「他のやつらでは、対応できないの?」
「彼らの用件は、陣借りですね。
前例がないことなので、まずはハザマさんが対応した方が間違いがないと思います」
「……陣借り……」
ハザマは、低く呟いた。
「聞いたことがないな。
結局、なんなの、それ?」
「ようするに、洞窟衆と一緒に戦いたいという人たちですね」
「傭兵ではないんだ?」
さらに、ハザマは質問を重ねる。
傭兵ならば、川むこうのファンタルのところにでも押しつけるつもりだった。
「傭兵とは、少し違いますね。
賃金はいらないし、食料や装備なども自前で用意しています」
リンザが、丁寧に説明してくれる。
「彼らは、少し裕福な貴族の子弟たちで、でも世継ぎではないからこうしたいくさの際に手柄を立て、爵位なり領地なり禄なりを貰おうと画策しているわけです。
ハザマさん、今日はかなりご活躍でしたから、そのそばで控えていれば、戦功をたてる機会にも恵まれるだろうと考えているようです」
「……あー……なるほど。
それで、陣借り、ね……」
ハザマは、呟く。
いわれてみれば、今日はロック鳥とかハーピーとか、衆目に晒されながらかなり目立つことをやっていたような気もする。
さらに、ルシアナ討伐の噂もそろそろ周囲に知れ渡っている頃合いだろう。
そんなハザマなり洞窟衆なりにひっついて余録を貰おうと思う者がではじめることには、納得ができた。
「こちらから支払うものがないんだったら、好きにやらせておいておけばいい思うけど……」
「せめて、一度くらいは彼らの前に姿をあらわして、激賞でもしてやったらどうですか?」
露骨に面倒くさがるハザマに対して、リンザは、そういってきた。
「粗略に扱われたと思われるよりは、たとえ口から出任せの激賞であっても、好意的に扱った方が心証がよくなると思います」




