破滅のベツメス
王国八大貴族のひとり、ディグスレオルド・ベレンティア公はいくつか個性的な政策を打ち出したことで知られている。
国の内外を区別せず、多くの移民を募り、結果として国庫を潤したこと。それに、前歴や身分を問わずに、能力さえあれば積極的に登用して閣僚に加えたことなど。
これらの政策はまだまだ身分や格式、前例に囚われることが多かったこの時代の為政者としてはかなり柔軟な発想であり、後世には「時代を先取りしすぎた改革者」という評価を受けることになる。
それでも公爵として即位してから三十余年で税収を倍増させ、度重なる山岳民からの侵攻にも耐えきって領地を守りきる、という目に見える結果を出していたので、貴族社会の中では異端視されると同時に一目おかれてもいた。
それ以上に、多くの領民に慕われていた。
戦乱の際などに徴兵の令を出せば、領内から予想していた以上の人数が自発的に駆けつけ、むしろ受け入れる側の負担が増えた、という逸話も多い。
役人として勤めるデオドル・ラグンドは、そのベレンティア公の治世をまさしく代表するような人物であった。
外見をいえば四十代半ばの風采のあがらない中年男なのだが、このデオドルの前歴というのがまずはっきりとしない。
商人であったが破産したとか、どこかの神殿に仕えていたが、なにか失態をして放逐されたとかいう説があるが、どれも風聞の域を出なかった。
ただ、領内から一気に集まった十万以上の将兵たちを管理し、必要な物資や食料をかき集めて適切に分配していたのだから、計数に明るく、いざというときに精力的に活動する人物であったことは確かなようであった。
「……ほい。
川むこうにいって、野営用の天幕をありったけ借りてこい。
ブラズニア公の小娘がごねてきても取り合うな。
その書類を持って行けば文句はいえないはずだ」
そのデオドル・ラグンドは今、バホタタス橋を渡り、多くの王国兵たちがたむろしている場所で配下からの報告を受けて、最近出回り始めたエルフ紙になにやら書きつけをしていた。
「食料は十分に行き渡っているか?
どんどん持ってこい。
調理済みのものでもいいが、できればこちらでも煮炊きできるように手配しておけ。
暖かい食事にありつけるかどうかで、兵の士気も変わってくるからな」
部下たちに細々と指示を与え続けるデオドルは、通りかかった人馬を見て、軽く眉をひそめた。
「おい!
あの、大きくて黒くて、ひときわ薄汚れている騎兵は誰だ?
知っている者はいないか?」
「あれは……決死隊の、ヴァンクレス殿ですね」
即座に、部下の一人が答える。
単騎で敵陣に突撃していくヴァンクレスは、少なくとも前線に立つ兵士の間では有名になっていた。
「……決死隊?
あの、ドン・デラの囚人どもか」
デオドルの顔つきが、さらに厳しいものとなった。
「おい。
さっき、こちらで調理できるように手配しろといったな。
あれは、取り消す。
天幕の手配も、少し待て。
お前らも、一時仕事の手を休めて、むこう岸に帰っておけ」
「なにかあるのですか?」
「……わからん。
根拠はないがな、どうにも厭な予感がする。
ああいう実戦慣れしているのが人の流れに逆らって引き返そうとしているのを見ると、どうにも胸騒ぎがしていけない」
兵士でこそなかったが、何度も従軍した経験のあるデオドル・ラグンドの予感はそれなりに的中率が高かった。
「……全軍に撤退命令を出しますか?」
「馬鹿野郎。
おれみたいな小役人に軍の指揮権があるわけないだろう。
それとも、なにか?
なんか厭な予感がするから全軍撤退を、って進言すんのか?
この、全軍が勝ちいくさの雰囲気に酔ってノリノリになっている最中に。
まともな頭を持ったやつなら、まず相手にされねーよ。
こういうっちゃあなんだが、おれの悪い予感というのはよく当たる。
信じたくなかったら信じなくてもかまわねーが、ちょいとでも自分の生存確率をあげておきたかったらなんか口実つくってむこう岸に退避しておいた方が身のためだぜ。
おれは、さっさとズラかる」
その二名は、最初のうち他の山岳民兵士にすっかり紛れてしまって区別がつかなかった。
破壊のベツメスと瞬火のマイマス。
ベツメスは小柄な、表情の読めない男性で、マイマスの方は長身痩躯の若い女性である。
どちらも山岳民が戦闘時に着用するような動きやすい服装をしており、とりわけて目立つ外観もしていなかった。部族にもよるのだが、山岳民側では女性兵士も王国側ほどには珍しい存在ではない。
そのとき、橋を渡ってきた王国軍と山岳民側とは、距離を取って睨み合いが続いていた。両軍の間を占めるそれなりに広大な空間は、つい先頃まで山岳民軍の野営地であった場所で、今ではすっかり焼け野原になっている。
つまり、アルマヌニア公軍の投石機の射程範囲内にあると立証された地域であり、流石にそんな剣呑な場所に好んで立ち入ろうとする者は、敵味方双方にいやしなかった。
現在、山岳民軍によって敢行されている投石機の破壊工作が成功すれば、またなんらかの推移があるのであろうが、少なくともこの時点では投石機は健在であり、またいつ攻撃が再開されるのか予断を許さないところでもあった。
瞬火のマイマスが周囲の山岳民兵士に愛想良く何事かはなしかけながら、人垣を割って、王国軍との睨みあいが続いている最前列まで移動してくる。
「さあ、ベツメス。
いつものように、破壊をはじめよう」
そして、焼け野原となった元野営地まで来ると、ベツメスの背を押し出した。
マイマスに押し出された形となったベツメスは、表情を変えぬまま、大きく口を開いた。
わん、と周囲の空気が音もなく震え……ずいぶんと先にいる王国軍兵士たちが苦しみだした。
ベツメスは、大きく口を開いたまま、ゆっくりとした足取りで進みはじめる。
マイマスも、その背に続く。
何歩かベツメスが足を進めたところで、王国軍兵士たちが吐血しながら倒れはじめた。
ベツメスが前に進むたびに、倒れる王国軍兵士の数は多くなる。
多くなる……どころの騒ぎではない。
ベツメスに近い者から順番に、例外なく血を吐いて倒れていくのだ。
倒れる兵士とそうでない兵士の境界線は、綺麗に円を描いていた。もちろん、その中心にいるのはベツメスだ。
「おのれ! 奇怪な術を!」
「弓だ! やつを狙撃しろ!」
「離れろ! やつから離れれば被害はない!」
王国軍兵士たちは、口々にそんなことをいい合いながら、即座に行動を起こした。
つまり、大部分はわけも分からずに逃げ出そうとして、退路にいた兵下とぶつかり合いになり……残りの少数の兵士たちは、各自の判断により、手持ちの武器や魔法によってこの二人に対抗しようとした。
一斉に逃げ出そうとした兵士たちがあまりにも多すぎて一種の恐慌状態になっていたため、仲間である王国軍兵士に邪魔をされる格好で、後者の試みもあまり成功はしなかったが。
それでも、ばらばらと疎らに、ベツメスへむかって放たれた矢は、確かに存在した。
しかしそれらも、すぐにマイマスの短剣によって叩き落とされる。
通常、自分の方にむかってくる矢を短剣で叩き落とす、などという芸当は尋常の人間には不可能なはずであったのだが……その不可能なことを、マイマスという女は涼しい顔をしてやってのけた。
生ける広域型殺戮兵器のベツメスと、その護衛であるマイマス。
ルシアナの子らに所属する者の中でも、もっとも効率的に敵軍を制圧する二人組である、といわれている。
この二人が前に進むにつれ、王国軍の内部に恐慌が広がった。
指揮系統は無視され、われ先に橋のむこう岸へ帰ろうとする兵士たち同士が押し合い、もみ合いになり、衝突し、果ては、味方であるはずの兵士に踏み倒されて死傷するものが出はじめる。
緑の街道の一部であるバホタタス橋の幅は約五十メートルほどであったが、その縁には手すりや人員の落下を防止するための設備を欠いていた。平時にはそれなりのものが設えてあるのだが、度重なる攻防を橋の上で行ううちに、そんなものはたやすく壊れ、撤去されてしまっている。
そんななかで一度に多くの人が急いで橋を戻ろうとしたら、いったいどういう事態が起こるのか?
その日、ベツメスの奇妙な能力によって命を失った王国軍兵士よりも、仲間に踏みつぶされたり橋の上から転落して川に流されたりして絶命した兵士の方がよほど人数が多かった、と噂される事態となった。
「ほらみろ。
おれの予感は、よく当たる」
デオドル・ラグンドはバボタタス橋からかなり距離を空けてから背後を振り返り、傍らにいた部下にそう伝えたという。
「橋のむこう側でなにがあったのか知らないが……兵たちがあんだけ押し合いへし合いで逃げようとしているんだ。
むこうには、とんでもない化物が現れたんだろうな」
王国軍側の慌てぶりなどはどこ吹く風、ベツメスとマイマスはゆっくりと歩み続ける。
実質、この二人だけで、何万という王国軍兵士を押し返しているのだ。
奇跡といおうか、奇妙といおうか。
その二人は、まるでこの世の者ではないかのような禍々しい存在感を放っていた。
『ええ、弓矢も……すべて、腕で防がれてしまって。
どんな構造になっているんだか……やつの体には……矢が、刺さりません!』
『阿呆か』
その頃、相変わらず軍事衝突が続いている山道では……。
『そんな人外ども、まともに相手にしようと思うな。
山岳民の中にな、ときおりそんな常識が通用しないのが出てくるんだ。
そういうやつらが出てきたら、慌てず騒がず……焼け』
豪腕のオデオツ……という名前こそ知らなかったものの、ブシャラヒム・アルマヌニアを甲冑ごと軽々と投げ飛ばしたというその敵に対する対応策を、ファンタルが仲間の洞窟衆に指示しているところだった。
『投石機で投げるはずだった、革袋に詰めた油があったろ。そいつに切れ目を入れて投げつけて、同時に火矢を射かけろ。
どんな異能を持っていたところで相手は生身の人間だ。
それなりのことをしたら、確実に命を奪える。
いいか。
間違っても、相手の土俵で勝負をしようとするな』
この奇妙な敵の場合、至近距離に近づくな、ということである。
どんな怪力を持っていようが、その腕が届く範囲内にいなければどうということもない。
「現在の戦況は、こんなところだが……」
千里眼のバクビェルは、軍資のバツキヤの脳裏に遠く離れた戦況の様子を直接伝えている。
「どうだ?
これまでのところを見て、軍師としての意見は?」
「今のところ、うまくいきすぎていますね」
バツキヤは、慎重な態度を取った。
「このまま油断をしないようにと、全軍に指示をしてください。
あのトカゲ男はまだ動いていませんか?」
「トカゲ男……は、まだ、自分の天幕の中に入ったまんまだな」
バクビェルはそちらの様子を確認してから、バツキヤに伝えた。
「意外とのんびりしてんなあ……」
「あるいは、まだ彼のところまで、味方の窮状が伝わっていないだけなのかも知れません」
ファンタルの指示はすぐに森の中にいる洞窟衆関係者全員に伝えられた。
『その怪人の相手は、投石機の周囲にいる連中に任せよう』
『そうだな。
人数ばかりがいても仕方がない』
『それより、残りの者はこちらへ集合しろ。
おりをみて、山道の中を長く延びきった山岳民どもを分断しにいくぞ。
やつら、投石機近くの最前線ばかりに注目して、それ以外の後方ではだらけきっている』
『両側からの挟撃か?』
『ああ。
この通信とやらがあれば、タイミングは取れるからな。
ようやく、近接戦を得意とする犬頭人や傭兵たちの出番ってわけだ』
『敵の数が多すぎる。
あまり長期戦にするなよ』
『わかっている。
一撃離脱を繰り返して、敵の神経を逆なでする。
こっちは森の中に入っちまえば、どうにでも逃げようがあるからな』
『森の中に入ってきたら来たで、いい餌だしな』
『班編成を急げ。
準備が整ったやつらから突撃するぞ』




