ケイシスタル姫の考察
「今は外堀を埋める時期じゃろうな」
ケイシスタル・ワデルスラス姫はそう独語する。
「洞窟衆の動きに乗っかっておればいい。
そうすりゃ、自然とこちらが動きやすくなり、敵対しようとする連中が動きにくくなる」
治安維持軍はもともと、スデスラス王国に攻め込んだ国々の将兵により構成されている。
士官や将校などの役職持ちはともかく、それ以外の、人数的に大半を占める一般兵士たちは戦闘のプロというわけではなかった。
むしろ、これまで、森林貫通街道の整備に従事していた時のように、非戦闘的な、日常的な土木作業などをやらせておいた方が不満が少なく、人材を活用出来ている気がした。
なにより、そうしたインフラ整備事業は、一度作ってしまえば何年も使い続けることが出来る。
定期的な点検や整備は必要となるものの、長期的に見てもその地元に還元するところが多い。
それに。
「流通網が整備され、充実すればするほど」
軍事的な観点から見ても、有利になる。
物資や人員などを速やかに、効率的に移動することが出来るようになるわけであり、軍事的観点から見た場合、こうした点が勝敗に直結しがちでもあった。
そうした流通網に加えて、洞窟衆は結果として、それまでに進出した地域の経済基盤を丸ごと底あげしてもいる。
各種の道具類を製造する工房などを偏在させ、生産地としての特性も付加している。
長期的に見て、日常的に消費される道具などは近場で生産した方がなにかと都合がよく、それ以前に、生産した場所から実際に使用される場所までの距離は近ければ近いほど輸送費用がかからない。
洞窟衆は、この森東地域に限らず、各種の工房を立ちあげる事業については一貫して力を入れている。
少ない場所で同じ物品を大量に作り、その上で遠くまで運ぶより、各地で作り続けて不足した分をお互いに融通し合う、という体制にした方が、なにかと小回りが利くからであった。
森東地域でも、洞窟衆が進出した地域と同じことを繰り返しているわけだが、これは各種の製造技術を広く伝播させていることも意味する。
そうした、各種の技術体系を独占することで利益も独占する、という思想は、洞窟衆内部にはないらしい。
実際、先に洞窟衆が進出した各地、特にスデスラス王国周辺部では、製紙や印刷事業が活性化している。
洞窟衆関連の工房でノウハウを学んだ者たちが独自に出版物を発行して、かなりの活況を呈していた。
それ以外に、缶詰の製造方法が広まった結果、各地で缶詰が一斉に作られはじめ、少し前までは地元住民しか味わえなかった料理や食材がかなり遠く離れた場所にまで届くようになっている。
保存食が一気に多様化した、というだけではなく、料理や食文化にまで影響を与えはじめており、それ以外にも、缶詰が流通している土地では貧民層の栄養状態までもが以前よりも底あげされている、ということだった。
平地諸国の冬はそこまで厳しい寒さに見舞われるものではないのだが、それでも寒い時期になると流民たちの中から一定数の死者が出る。
しかし、今年の冬はその凍死者が極端に少なかった、という。
それは、冒険者ギルドの活動が本格化したことによって大勢の流民たちがなんらかの職を得て衣食住に不自由しない境遇になったことと、それに、缶詰の普及が大きく影響しているのではないか、と、治安維持軍の者たちは分析していた。
流民そのものが大きく数を減らしているということも大きかったが、数を減らした流民たちの中から出ているはずの凍死者がほとんど出ていなかったことに、その原因についてあれこれ調べた結果、どうも缶詰が普及したことによって栄養状態が全般によくなったからではないのか、という結論に達したようだ。
前年までの冬場とは違う、それ以外の原因を見つけられなかった、ということであった。
そうした流民たちの食事は、各自がどこからか調達した残飯や富裕層や各寺院による炊き出しに頼ることになる。
そうした炊き出しの内容は粥など、ごく限られた種類しかなく、当座の飢えを凌ぐことは出来ても長期的な生存に必須となる栄養素には欠けるところが多い。
缶詰の普及により、そうした貧民層向けの炊き出しの内容も一気に種類が増えて、内容的にも充実したものとなったことが、冬場の凍死者や餓死者が大幅に減ったことの原因だと、治安維持軍の人間は結論づけたのだ。
実際、そうした缶詰は各地で作られはじめており、しかしまだ出荷個数の調整などがうまくいっていない部分も多かったから、市場にダブついて大幅に安い価格で取引されている物も出はじめていた。
貧民向けの炊き出しをする側からすれば、より少ない予算で食糧を大量に調達可能ならばそれにこしたことはなく、市場にタブついている缶詰を底値で引き取って使用することが増えている。
その結果、どうも、そうした流民たちの栄養状態が短期間のうちに目にみえてよくなったのではないか。
どうも、そういうことらしい。
缶詰の製造があちこちではじまっただけで、これだけ大きな影響が出て来るわけじゃからの。
と、ケイシスタル姫は考える。
流民たちだけではなく、缶詰の恩恵はあらゆる階級の食生活を豊かにした、といってもいい。
それまで長期保存が不可能だと考えられていた作物を時季外れに食べることが可能となった。
あるいは、遠い場所でしか味わえない食物をいつでも食べられるようになった。
ただそれだけのことが、社会全体に影響を与えてしまう。
ケイシスタル姫が率いる治安維持軍にしても、缶詰の存在の有無で、兵站の有り様が大きく変わっていたはずだ。
洞窟衆がもたらしたものは、一事が万事この調子で、一度広まってしまえばその影響は不可逆的であり、なおかつ甚大でもある。
この森東地域についても。
ケイシスタル姫は、この時点でそう確信するに至っている。
一段落ついた頃には、以前とは決定的に違っておるのだろうな。
スデスラス王国の時も洞窟衆は大きな影響力を与えていたが、今回の森東地域はその時にも増して大きな変化を与えることにも成りかねない。
いや。
きっと、そうなるんじゃろうな。
洞窟衆は国境も、王侯貴族などの権力者の意向にもおもねらない。
表面的に敬意を表すことはあっても、それはあくまでその場の空気を乱さないための儀礼的な仕草でしかなく、本気でかしずいているわけではない。
かといって、自分たちが権力者の座に就こうとする気概もない。
独立不羈というには、強靱な意志がないように見えるが、それは彼らが特定の思想にとって統制された集団ではないことも意味している。
いや。
便宜上、洞窟衆という集団を形作ってはいるのだが、それはあくまで利便性のためであると割り切っていて、集団や組織自体の存続、あるいは拡大は指向していないように見える。
国家であれ他の集団であれ、一定以上の規模に育つとそうした、より大きく力のある集団になろうと、より大きな権力を求めようとする意志が芽生えはじめる傾向があるのだが、洞窟衆という組織はそうした傾向をうまく別の方向性に逸らすような機序が、どこかで働いているようなのだ。
一例をあげると、洞窟衆から派生した冒険者ギルドは、今では洞窟衆の本体を凌ぐほどの規模にまで膨れあがっているわけだが、そのことを洞窟衆は誇ることも利用しようとすることもなく、それどころか反対に、どうも冒険者ギルドの運営を将来的には帝国に託すように動いているという噂だった。
ケイシスタル姫が率いる治安維持軍の発足事情もそれなりに特殊ではあったが、洞窟衆はその創設に大きく寄与していた割には、治安維持軍という存在をあまり積極的に活用、あるいは利用したりするつもりがないようにも見える。
あれは、どういう人間なのかの。
ケイシスタル姫は、洞窟衆の首領であるハザマという個人について、今ひとつ測りかねているところがあった。
余人には到底真似出来ない事跡の数々を、それもごく短期間のうちに打ち立てながら、本人はそのことを誇る気持ちはこれっぽっちも持っていないらしい。
無欲な人間、というのは相応にいるものであったが、そうした人間はそもそも無能であることも多く、ほとんどの場合は世の中に大きく寄与することがないまま、無名のままに一生を終える。
ハザマの場合、実際にやり遂げてしまった数々の事跡があまりにも輝かしく、しかし、その割には本人が恬然としてそのことをまるで気にしていない。
能力や実績と本人の欲望、その方向性とが、あまりにもかけ離れていて、結果、その人物像が評価する人間によってえらく違って見えてしまう。
おそらくは。
と、ケイシスタル姫は思う。
本人は、自分の興味がないことには一切関心を示さず、必要最低限の仕事だけを日々こなしているだけ、なのであろうが。
必要最低限の仕事、といっても、現在のハザマの地位や立場から考えると、それはかなり多岐な内容を含んだ、膨大な量になる。
そうした複雑な判断が要求される仕事を毎日、禁欲的にこなしつつも、そこに本人の意思や嗜好はほとんど反映していない、ように見える。
ケイシスタル姫自身も、ハザマという個人については掴みかねている部分が多いのだが、ケイシスタル姫以上にハザマと接点がない人間から目から見れば、あの存在はさぞかし不気味に、なにを考えているのかわからない存在として映るだろう。
一種の怪人物であることは、否定できなかった。




