迎撃の準備
「ちょっ! 貴公!」
黒衣の騎士は、このとき、はじめた慌てた声をだした。
「落馬した者をも襲うとは、卑怯千万!」
黒衣の騎士は、落馬してすぐに体を捻る。
ついさっきまで黒衣の騎士がいた地面にヴァンクレスの大槌が、どごん、と音をたてて突き刺さる。
「卑怯もクソもあるか!
こちとら、盗賊あがりだ!
騎士道なんざ、クソ食らえだ!」
叫びつつ、ヴァンクレスは大槌を二度、三度と矢継ぎ早に地面に振り下ろす。
「騎士道を馬鹿にするなぁーっ!」
どごん、どごん、どごん、という音に追われるようにごろごろ地面を転がって、なんとかその攻撃をかわしている黒衣の騎士。
転がり続けてヴァンクレスと距離を取り、なんとか立ちあがった黒衣の騎士は、今度は腰に差した剣を抜き放つ。
「貴公!
もう容赦はせぬ!」
「そいつはこっちのセリフだぁ!」
ぶん、とヴァンクレスが大槌を振る。
黒衣の騎士は身を逸らしてそれを避ける。
「動きが大振りだぞ、貴公!」
避けながら、黒衣の騎士はヴァンクレスの体に剣を突き立て……ようとした。
「プレートアーマーの板金に剣を叩きつけても、刃が通るわけないだろう!」
叫びながら、ヴァンクレスは大槌を振りかぶって頭上から振り下ろす。
「馬上でならともかく、かちでの戦いには不慣れなのだから仕方がない!」
飛び退きながら、黒衣の騎士が叫ぶ。
黒衣の騎士の剣は、正確にヴァンクレスの心臓の位置を貫こうとした。
しかし、そうした分かりやすい場所は、ヴァンクレスがいうとおり、板金で保護されている。
おそらく、教えられた動きをそのまま再現したのだろうが……と、スセリセスはそう思う……あまりにもなんというか、応用が利いていない。
融通が利かない気質なんだろうな、と、スセリセスは黒衣の騎士の性格について推測する。
「このっ! このっ!」
黒衣の騎士が「基本に忠実」ならば、ヴァンクレスの方は「勢い任せの無手勝流」だ。
とはいえ、ヴァンクレスは、膂力も動きの速さもほとんど野獣並み。常人の域をとうの昔に逸脱している。少なくともスセリセスがこれまでに見聞きした限りにおいては、敵中にあってヴァンクレスの動きに対応できた者は、皆無であった。
そのヴァンクレスの攻撃を、何度となく避け続けるこの黒衣の騎士も、ただ者であるはずもなかった。
少なくともスセリセスは、こんな特徴がある騎士が山岳国にいるという噂を耳にしたことがない。
なんらかの理由で、遠い国から流れてきた者なのだろうか? と、スセリセスは推測する。
ともあれ、ヴァンクレスと黒衣の騎士、タイプの異なる二人の戦いは、まだしばらく続きそうだった。
「……ふーん。
アルマヌニア家のムヒライヒくんが、ねえ」
山岳民捕虜への説得を試みたあとに、ハザマは敵軍への投石機による攻撃とそれに続くボバタタス橋での突撃について耳にした。
「あんだけ被害を出しながらも、みんな頑張るもんだなあ……」
勝敗について興味を示さないハザマは、戦況を聞いてもあまり関心を示さなかった。
「まあ、なにより、例の異能者が出てくる様子がない、っていうのは吉報だな」
結局、この時点でのハザマの興味は、その一点に集中している。
強大な鳥だのを使うとかいう例のやつが出てこない限り、ハザマの出番はないのだった。
「そいつが出てきたら、どう対処するつもりですか?」
傍らにいたイリーナが、小声でハザマの耳元に囁いてくる。
「どうするって……駆けつけて、動きを止める。
あとの処理は、そのときその場にいるやつらに任せる。
あんま、おればかりが手柄を集めても余計な嫉妬を買いそうだしな」
「……連中に、バジルの能力が通用しますかね?」
「そればかりは、実際にやってみなけりゃわからないけど……。
でも、やつら、あの大蜘蛛よりも格下だってはなしだろう?
通用する確率は、それなりに高いんじゃないのか?」
「なるほど。
そういう風に考えますか」
納得したのか、イリーナも小さく頷いた。
「その、もっと差し迫った相手に対応する方法を考えなけりゃあならないってのも、確かなんだけどな。
そんじゃあ……ちょっくら、近場にいる武器商人のところを回ってこようか」
「おお、あんた、洞窟衆のハザマさんだろ?」
野営地の様子に明るいとかいうやつに案内をさせ、近くに来ていた武器商人を訪ねると、こちらがなにかいう前にそう声をかけられた。
「トカゲを頭に乗せて女子どもを引き連れている男なんて、そうそういるもんじゃねえ。
今日はいったい、なんのご用で?」
「なんのご用もなにも、武器屋に来るのは武器が欲しいからに決まっている」
ハザマは、憮然とした表情で答える。
「まずは……そうさな。
扱っている中で、一番強い弓を出してくれ。
イリーナ、弓は扱えるな?」
「ファンタル殿に、一通り扱いを習ってはいますが……」
「不得手なのか?」
「いえ。
得意とまではいいませんが、それなりに」
「なら、問題ない」
「あの……一番強い弓、ですか?」
「そうだ」
「そうなりますと、大の男でも慣れていないと引ききれないような代物ばかりになりますが……」
「いいから、出してくれ。
あとは……そうだな。
遠く離れた敵を攻撃するのにむいている武器とかに、心当たりはないか?」
「弓矢以外で、ですか?
あります、あります。
こちらの、投げ槍などは……」
「……ずいぶんと余っているな。
人気がないのか?」
「正直にもうしまして、戦場では、あまり。
なにしろ、投げる際の挙動が大きくなりすぎまして、隙が出やすい武器ですので……」
「なるほどなあ。
でも、威力はそれなりにあるんだろう?」
「そりゃあ、扱う方の力量や膂力に左右されます」
「それもそうか」
「まずは、強弓ですな。
これが、うちで扱っている中で一番、張りが強いものになります」
「イリーナ。
試しに引いてみてくれ」
「はい。
では……」
イリーナは、あっけなくその弓を引ききった。
武器屋の顔が、軽くひきつる。
「イリーナが引けるのなら、他のやつらも扱えるな。
これと同じ弓を四つ……いや、五つ、貰おう。
あとは……精密射撃ができる、精巧な矢をあるだけ。
それと、投げ槍というのを見せてくれ」
「は、はい」
武器屋の主人は、長さ二メートルほどの細長い槍をハザマに手渡す。
「うん。
思ったよりも、軽いもんだな」
「その分、よく飛びます。
バランスも、ちょうどよい案配のはずでして……」
「そうか。
では、そちらもあるだけ全部貰おう」
「全部……で、ございますか?」
「ああ。
リンザ。
支払いを頼む」
「おそらく、これで足りるはずだと思いますが……」
リンザが、金貨が入った革袋を、どん、と、武器商人の前に置く。
「空を飛ぶ相手に使う武器も用意したし……あとは、警戒網の整備だな」
「……警戒網?」
「敵が出たら、その場所を即座に知らせてくれる仕掛けというか……。
これは、エルシムさんに相談して通信用のタグを用意して貰って、野営地のそこここにいる洞窟衆ゆかりの者に持たせておけば大丈夫だろう」
「それで、その……その通信タグを持った人たちが、敵の出現を察知したら、そのときは……」
「おれたちが走っていって、迎撃すんの。
今のところ、対抗できる手段はそれしか思いつかない。
なにせ、敵に関する情報が少なすぎる」
「王国へ逃げる、って……」
「最終的に王国に落ち着くかどうかはわからないけど、あの戦場から一番近い外国は王国だから、どこへいくにせよ、一度そこは通過することになると思う」
「バツキヤ!
なんで、山岳民連合を抜けるの?」
獣繰りのマニュルが、叫ぶ。
「なんで、っていわれても……そのままあそこに居続けても、わたしは、マニュルのようなわかりやすい特技を持っていないから、あまり重用されないだろうし……。
それに、山岳民連合そのものも、近いうちに大きな構造改革が行われるものと予想される」
「……構造改革?
内乱、ってこと?
最近、有力部族間の関係は良好だと思うけど……」
「段々、それじゃあ済まないことになってきている……と、思う。
うちの若様のいい分じゃないけど、強力な求心力を持たない部族連合の組織は、諸外国に較べると即応性に欠ける。
その差が、これからどんどん明確になっていくんじゃないかと……」
「……ルシアナも没したことだし、部族連合は、これから沈みかけた泥舟と化す、と……」
「そこまでは、いわないけど……でも、これから部族連合の中がしばらく慌ただしくなるのは確かだと思う。
若様のような、中央集権制へ移行せよという論者も出てきているし、それに、外からも干渉があってもおかしくはない。
かなり高い確率で、近いうちに動乱の時代がはじまる」
「外からの干渉?」
「そうだね。
たとえば……特定の部族に経済的な支援を行って、周辺部族との軋轢を煽ったり。
また、部族ごとの意志決定を重視する現在の連合の形では、そうした動きを止める手だてがないんだ。
これは、武力を使わない新しい形の戦争だといってもいい」
「でもさ。
それって、そういう予想がついているんなら、これからどこかに働きかけて、阻止できるんじゃ……」
「可能かも知れないけど、わたしには、部族連合のために、そこまでする義理がないんだ」
軍師のバツキヤは、きっぱりした口調でそういい切った。
「わたしたち、ルシアナの子らは、人体実験の成果物であり、それ以上でもそれ以下でもない。
それなりの待遇を保証されている人たちが部族連合に義理を感じるのは勝手だが、記憶力だけが取り柄のわたしのような半端な能力者の場合は、さて、どこまで大事にされることか……」
「でも、でも……」
マニュルが、声を詰まらせる。
「……大丈夫だよ、きっと!
他のルシアナの子らも、みんな、バツキヤの身を案じて庇ってくれるって!」
「ここでは、希望的観測にすがるべきではないと判断する。
マニュル。
君の、より正確にいうのなら、君が使役する動物たちの戦闘能力は、どんな体制においても重宝されるはずだ。
君は部族連合に残っても、おそらく困った事態には陥らない。
しかし、わたしは違うんだ。
もともと、ルシアナの器として造られたわたしは、その役割自体が消失した現在、単なる邪魔者でしかない。
けじめだから、今度のいくさについては、最後まで結果を見届けるつもりだけど……それ以降は、わたしは、みなの前から姿を消すつもりだ。
おそらく、それが一番いい選択なんだと思う」
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
「お前、しぶといな!」
「貴公こそ!」
あれから、小一時間ほどもこの二人は決着のつかない決闘を続行していた。
途中、外から介入してこようとした者がないわけではなかったが、ヴァンクレスと黒衣の騎士の激しい戦闘に気圧されて、手を出しかねてすぐに去っていった。
これまで成り行きを見守ってきたスセリセスも、正直にいえば、見守るのに飽きてきた。
なんというか……二人とも、動きこそ激しいものの、時間が経つにつれて、殺気というものが抜け落ちてきているような気がするのだ。
「……貴公。
ところで、提案があるのだが……」
「なんだ、やぶから棒に」
「慮外に時を消費したが、そろそろ本隊に復帰したい。
貴公ほどの腕前があれば、無闇に他人の手にかかるとも思えん。
この場は、再戦を期してお互いに手を引くというのはどうであろう?」
「続きはまた今度、ってか?
……お前がどうしても、っていうんなら、そのはなしに乗ってやらないこともない」
「では……これにてきっぱり手を引かせていただこう。
察するに、貴公はうしろから人を襲うタイプには思えぬ」
「頼まれたってしねーよ!
偉そうなやつを正面からぶっ殺すから面白いんじゃねーか!」
ヴァンクレスと黒衣の騎士は、ほぼ同時にあとずさって互いの距離を開ける。
黒衣の騎士はそのまま一角獣まで近づき、軽快な動作でその鞍に乗った。
「まだ聞いていなかったな。
貴公、名はなんという?」
「ヴァンクレスだ」
「ヴァンクレスか。
うん。
力強い響き、いい名だ。
それでは、再戦の日を楽しみに」
そういうと、黒衣の騎士は一角獣を走らせ、その場から去っていく。
「……すかした野郎だな」
「今の……楽しかったですか?」
野郎、ではないと思うけど……とか思いながら、スセリセスは、訊いてみる。
「その、例の旗印の人とやり合ったときみたいに?」
「あ……ああ。
楽しいか楽しくないかでいやあ……どちらかといえば、楽しかったな」
ヴァンクレスは、そういってひとり、頷く。
「最近のいくさは、気分が滅入るばっかりだから、それに較べりゃはるかにましって程度だが……。
だが、ハザマの大将とやりあったときには及ばない」
「ハザマ……っていうんですか、その人。
変わった名ですね」
「変わっているのは、名前だけではないがな。
とにかくこう、すべてにおいて一風変わった、へんな野郎だった」




