ホリデイ「男子高校生、模索」
花見大悟という人は、不思議な人だ。
妙な人。
変人。
イバちゃんも、雫ちゃんも相当アレだけど、この人もたいがいだろう。
まず、この人ほど自分が嫌いな人間もいない。
正論を言っても、まず自分がそれを履行しないことが多い。
たとえば、オレ、雪路橘平とこの人が初めて出会った時、「仲間と協力することが大切だ」みたいなことを言っていた。
でも、この人自身は一匹狼の性分で、何より命を惜しまない。
どうにも、その正論と自分とを分けて考えているフシがある。
うまく説明できないけれど、自分の言ったことは正しい。でもそれを言う自分が正しいとは、限らない。……みたいな。
――表面的になぞるととても好きになれる人じゃないのに、オレにとっては、おそらく旧校舎に集まる誰にとっても、どうしても構いたくなる、面白な人だ。
それに、世話にもなっている。
たとえば、今日という土曜の朝。
とくもと総合病院。
案内板には、そうある。
学校から車で一時間。県庁近くの大型病院だ。
花見さんの説明によると、百地家ゆかりの病院で、表向きにも繁盛しているが、裏では霊的被害や現状公表されている医療技術では治療困難な人のケアも行っているそうだ。
しかしその恩恵に預かれるのは百地家の人間のみ。
今回は付添人、花見大悟の紹介で、特別に診てくれるらしかった。
面倒な手続きも、受付もない。
ほとんど花見さんの顔パスで、待ち時間もなく診察に回される。
病院内最奥の診察室にいたのは、顔の丸いオジサンだった。
オジサンと言っても、歳は花見さんより二、三歳ほど年上程度だろう。
白衣に挟んだネームプレートには『徳本』とある。名前からしてこの病院の関係者だろうか。
どちらかといえば骨細な花見さんと違い、骨格もがっしりとした、頼もしい人だ。
――もっとも『見た目だけ頼もしい人』……にはもうウンザリしてるんだけど。
「よぉ、久しぶりだなぁ! 大悟!」
「……どうも」
親しげに話しかけたのは、その先生の方で、花見さんは、なんというか、気まずそうに目をそらしただけだった。
「義……重藤さんから聞いてんぞ? お前、最近大暴れだそうだなぁ」
「なりゆき上、そうなりました」
「てっきりどっかでのたれ死んだと思ってたんだが、いや! 無事で良かった!」
医者らしからぬ不穏当な発言に、花見さんは眉をひとめつつ、口元をほころばせる。
「死んだ方が周囲には都合が良かったのかもしれませんがね」
「バカ言うな! 三十超えたばかりの若者が、人生を悲観するにはまだ早いだろ?」
「……いや、言い出したのアンタだし、それに私はまだ三十路じゃないです」
まぁいい、と徳本先生はわずかに歯を見せて笑った。
「それで、傷はどんな具合だ。見せてみろ」
「私じゃないですよ。面倒を見てもらいたいのは、こいつ」
「なんだ? また自分だけ無謀な特攻してケガ負ったんじゃねぇのか」
前に出かけたオレは、花見さんの性格をよくわかったその言葉に、思わず噴き出してしまう。
「そんな重傷なら大人しく救急車に運ばれてきますよ。ほら、さっさと診てください」
「ほう」
車椅子の高さに縛り付けられるオレを、まじまじとその両目が見つめた。
徳本先生は膝をついてオレの足を触れた。
「痛かったら手を挙げてなー」
「歯医者かよ!」
「あっ、ちなみに今の時点でちょっと痛いっス」
「手を挙げろと言ったが、やめるとは言っとらんよ」
「悪魔かよ!」
花見さんのツッコミが止まらない。
オレも、痛いのが止まらないけど、笑いも止められなかった。
■■■
診察は、十分弱で終わった。
消毒液を手にひたしながら、先生はその結果のありのまま、オレ達に伝える。
「やっぱり、毒がまだ身体の中に残ってたな。それが人間の持つ代謝能力を阻害している」
「毒?」
オレは首を傾げた。
前に自分で行った病院で診てもらったが、レントゲンやMRIには何も映っていなかった。ただ原因不明とされていたのに。
「そりゃあ、一般の病院ならな。世の中には、科学的に証明されている毒と立証不可能な毒とがある。俺は出自こそ一般の人間だが、昔からその見えない毒……まぁいわゆる呪詛の類が知覚できた。そのおかげでこんな病院まで任されることになったし、気立て良いカミさんももらえた」
「……任された?」
「あぁ、すまん。自己紹介がまだだった。とくもと総合病院の院長、徳本永助だ。まっ気楽に永さんと、そう呼んでくれて構わんよ」
ニヒルにそう言うその人に、思わず
「院長先生!?」
驚きの声をあげてしまう。
一方の、もう一人の大人を脇見する。
……歳はさほど違わないのに、片方はデカイ病院の院長。今はしがない国語教師で、その前二年間ニートやっていたこの人……
――その差はいったい?
オレの視線に、花見さんが気がついて、
「憐れむような目で人を見んな!」
振り下ろされた手刀を脳天に食らい、まるでそれが反射のように、オレは舌を出した。
■■■
徳山院長こと永さんの治療は、切開とかではなかったけれど、針を打たれた。不思議と痛くはないけれど、異物が自分の体内に侵入して、意識していないのに股の筋肉がきゅっとする。
その針を抜いた後は血すら出なかったけど、対特定呪術式とやらを編み込んだ、トライバル風の奇妙な刻印を持つ湿布も貼ってくれた。
痛くて動かせないのは、右脚の股から爪先。かつてはこの足で、ストライカーとしていくつもゴールを決めてきた。ハットトリックの経験だって一度ならず、ある。チームの勝利に貢献し、仲間の信頼を勝ち取ってきた。もうそれは、全部ないけど。
――と、いけない。せっかく状況は好転してきたのに、また暗くなりそうになる。
今日の治療で、痛いのは変わらないし、それは分かってた。
けど、痛みは少しだけ和らいだ気がする。まともな処置をやっとしてくれたという、安心感からかもしれない。
今まで冷えしか感じなかった爪先の指に、血の暖かさが通うのが、久々に感じられた。
先生は、わざわざ病院前のロータリーまで出迎えてくれた。
車椅子まで手押ししてくれたのだから、いたせりつくせりだ。
「あとは飲み薬と予備の湿布を出しておくぞ。この処方箋に書いてあるもの以外は薬局からは出してもらえんから、そいつらはこっちで射場家宛てに手配しておこう」
「頼みます」
オレよりも先に、花見さんが頭を下げる。
この「頼みます」を、たぶんこの人は何十回も、教師になった後も、十神にいた頃も続けていたのだろう。
イバちゃんのオヤジさんや雫ちゃんはよく「頼りない」と言うけれど、この何十、何百と繰り返された詫びと交渉、そして約束の積み重ねが、今の人脈を築いている。そして、築いた人脈を維持し続けられる、奇妙な人望がある。
経験や努力があってこその力だけど、それだけでも得られないもの。
花見大悟という人がこの二十数年の時間の中で得た、一つの生き方の解答。
「院長先生! B棟の小山田さんがまた病院から抜け出しました!」
ナースのお姉さんが、バタバタとスリッパを鳴らす。玄関先で止まり、叫ぶようにして言った。
「なに!? またか!? それで、今はどこに!?」
「あの、いえ患者さんの目撃によると、ナンバープレートのないバイクに乗って逃走したとか!」
「くっそ……」
タマゴのような頬をつるりと撫でて、忌々しげに永さんが吐き捨てた。
「……小山田?」
花見さんは、名前に反応を示した。
「あ? あぁ、最近原因不明の昏睡状態で運ばれてきた娘なんだが、一週間前に突然意識を取り戻してな。検査したかったんだが、どうにも聞き分けがなくていかん」
まるで彼女の逃走自体に慣れたような口ぶりで、大病院の院長先生はため息をつく。
それをよそに、花見さんはアゴに手を当て、なにやら思案を始めている。
「ん、ナミさんどーした?」
「いや」と彼は首を振る。
「どうも、心当たりがあることはあるんだが、小山田なんてどこにもある名前だしな。ってか、なんだナミさんて」
「いや、せっかく仲良くなったんだし、こう、親しげな呼び名が欲しいんだよ」
「あのクソ猿も羽々音ちゃんもだが……私を教師ってこと、忘れてないか」
と、渋面を作るも怖くもないし、本気で怒っているわけでもなさそうだ。第一本題は、そこじゃない。
「でも、バイクってのは気になるよねェ。ほら、ナミさんが初めて戦った時の」
「イヤなこと思い出させんなよ」
「いやいや、そのイヤなことを調べるのが、ナミさんの仕事っしょ」
「だよなぁ」
他人事のように、腕組みして頷く。
そのヘンなマジメさに、オレと永さんは声をあげて笑って、花見さん、改めナミさんだけが、そんなオレたちを見つめながら、子どものようにブスッとふくれている。
■■■
昼は、永さんイチオシ、博多系のラーメン屋でとった。
こういう美味しい店はなんだかんだで都会でしか食べられないから、移動が限られるオレにとってはとてもありがたい。
店員も丁寧で、車椅子のオレのために、わざわざ調理場から出てイスをどけてくれた。
そのの気遣いは、心苦しい反面、素直に嬉しくもある。
「オレ、麺ふつうネギ多め、辛さ4! トッピング煮卵!」
「麺ハリガネ。辛さ1。キクラゲ抜き。トッピング万能ネギ。あと追加で替え玉」
「食べるね~」
「羽々音ちゃんがいると、大抵の食事にはコーヒーがつく。……こんな時ぐらいしか、ラーメンなんて食えなくてな」
しみじみとついたため息には、彼の労苦の九割方が詰まっている。
「そういえば、今日は見ないね。イバちゃん。ついてくるかと思ったんだけど」
「法要があるらしくて、家には私一人だ。だからこっそり抜けてきたし、お前のことも言ってない」
「おっ、それじゃお忍びデートってやつ? オレら」
「食事前に気色の悪いこと言うんじゃねぇよ!」
余裕がなくなると、余計に口が悪くなる。
これも、本格的にナミさんとつきあい始めて気づいたことだ。
ラーメンは、すぐに出された。
茹でる時間は短いから、普通でもそそれなりに歯ごたえがある。
だとすれば、ハリガネはどれぐらいだろう? もぐもぐと、それを噛む大悟さんのアゴが動く度に、音が聞こえてきそうだった。
「でも、カワイソウだにゃー、イバちゃん」
「何が?」
「ナミさんに信用されてなくてさ。オレの情報も、彼女から得たもんでしょうに」
「それとこれとは……話が別」
麺を啜り、スープを啜る。ペースを整えているのが、その減り具合からうかがえた。
「だいたい、私はお前らとつるむ気なんて微塵もないんだよ」
「……なんで」
オレの問いに、呆れが混じっていることに、横目で見たこの人は気づいているんだろうか。
「情が移る」
――まだ、移ってないつもりだったんだ……。
それに現在進行形で、自分の得にならないことをしている。
「オレ、ナミさんのそういう自分に鈍感なところ、大好きよ」
「だっから、きっしょく悪いっつーの!」
キショいと気色悪い。
キモいと気持ち悪い。
あと、バカと、頭が悪い。
丁寧に言われた時の方が、人間傷つくものだと、実際に体感して思った。
「でもさ、ナミさん」
空になった器の前、手を合わせながらオレは確認した。
「イバちゃん、そんなに強い子じゃないよ」
「……つい最近お前の『雷切』相手にターミネーター並の活躍してた気がするが」
「いやまぁそれは半分八百長だったし……って、そういう意味じゃないの、わかってて言ってるっしょ」
まぁな、と事もなげにナミさんは言った。
彼の前のドンブリは、すでに二杯目の麺が投入されている。
前よりスープの水位は低くなっているけど、その麺を食べきる頃にはちょうどいい案配に消化できるんじゃないだろうか。
北条親子とか、可児才蔵とか、よく戦国武将には汁かけ飯のエピソードがあるけれど、あながちそれがウソとも思えないような、絶妙なバランス感覚の良さだった。
「気をつけなよ」
と釘を刺す。
「普段は冷静で温和なんだけど、彼女、色々と苦労してるんだから」
「知ってる」
と彼は微苦笑する。
「私の教え子だからな」
――いやなところが似たもんだ。
口の中で、そうぼやく。
今は良い。
だけどナミさんの行動は、あからさまにイバちゃんのオヤジさんを挑発している。
その軋轢が表に出た時、彼女は十中八九、ナミさんの側につく。
肉親、家庭教師だった男。彼らを慕う気持ち。
そういった感情を差し引いても、少なくともナミさんはオレたちのことを考えて行動し、その正しさは常に結果として証明されてきたのだから、チームのことを考えれば、オレだって彼をとる。
――だけど、ナミさんはそれを良しとするか?
この人には厭世的な部分がある。責任や約束で今はオレたちと共に行動してくれているけど、その盟約が誰かさんの都合で一方的に解消された時、彼がオレたちの下を去る可能性は十分にある。
その時は、どうするのか。
イバちゃんは、信じた人間に裏切られた時の痛みを、まだ知らない。
――照準を失った矢の、向かう先。
引き留める。反抗する。嘆く。黙して涙する。受け入れる。混乱する。反逆する。暴走する。
どれもありえなさそうで、ありえそうなのが、恐ろしい。
この人はそこまで、把握しているんだろうか。
自分に価値などないのだと、かたくなに信じて疑わない、この人は。
前を見る。
臭いのついた蒸気が濃く渦巻いて、ほんの先も見えない。
けど、同じモヤの中に、まだ花見大悟の顔は見えている。




