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第五講「教職員、説得(後編)」

 一駅分越えた先にある、隣町。

 重藤から借りたレクサスでガキどもを運び、周辺地域を運転する。

「おっほー!」

「しーさん?」

「『八房』が『識』を見つけたか!?」

「いや、他人の車ってなんかテンション上がるよね」

「死ね!」

 車も人も、通常運転だ。


 文化市民会館。

 展覧会、演歌歌手のコンサート、学園祭の演奏会……。

 様々な用途で利用されるこの多目的施設が、斜陽によって、くっきりと、濃い影を落としていた。 そこに私は、刻まれた四十年の歴史を見出した気がする。


「本当にいるんだろうな? また『テンション上がって適当こいちゃった!』なんてことないよな?」

「ハナミンだってわたしのケータイ見たし、『赤札』も反応してるでしょ! 本人がいるかどうかはわかんないけど、ここにいっぱい『識』がいるんだってば」

 実際見ても信じられないから、言っている。


 信じられないというか、信じたくない。

 ここに、端末の反応通りの三十体近い『識』が、密集しているなど。

 だが『八房』の珠はこの施設の内外に確かにバラまかれているし、本体たる犬部分も、飼い主の腕の中、内部に向かってしきりに吼えている。

 まして、この場所は老朽化に伴う大改修のために今年の夏までは封鎖されているはずだし、大通りゆえに人通りも少なくない。

 こんなところに、なにか用事があるはずがないのだが。


「大悟さん!」

 少し離れた場所で探りを入れていた羽々音が、駆け戻ってくる。

 こちらです、と案内されて、裏口に回る。

 そこにはおそらく工事の警護にあたっていたであろう警備員が四、五人、まるでクレープか、売れない料理本のように平積みにされていた。

 一番下のヤツに至っては、手ぐらいしか見えない。

「ひょっとしてコレ、雪路センパイが『黒札』で……?」

「いや、外傷もないし、混濁してるだけで意識はあるみたいだな」

 一番上にある肉体の頬を叩き、うめき声が漏れるのを確認し、雫の杞憂を払う。

 だが仕掛けたのは、雪路橘平のような気がする。他の人間が犯人なら、ためらいなく殺しているだろう。


 とすると、ますます、雪路の目的が、わからなくなる。

 『赤札』を見る。

 凸型の、シンプルな紋がくっきりと映されている。

 羽々音に確認をとったが、間違いなく、雪路が『識』を構築する際発生する刻印。

指紋、耳紋と同じく、二つとして同型のもののない、いわゆる『識紋(しきもん)』が、ここに件の男子生徒が関与していることを証明していた。


「あぁ! ったく、面倒たらありゃしない」

 愚痴をこぼし、面に向かって回り込み、ガラス張りの壁を叩く。

 その反射に、写り込んだ建物に、

 影。

 人。

 瞬間、私は無意識のうちに、後からノコノコついてきた雫の手を、引いていた。

「えっ?」

 雫のいた空間を、私の手の甲を、黒くて薄いものが通り過ぎて、切り裂いた。

「大悟さんっ、しーさん!?」

 羽々音が『白札』を手にして私たちの前に出たが、

「よせ!」

 私の怒号が、彼女を押し留める。

「君らがこれに触れるとヤバイ」

 私は屈み、地面に突き立ったその札を引き抜いた。

 『黒札』。『切札』。

 まったくの無地のそれは、所有者の精神を吸い取るという機能そのものを体現したように、どこまでも深い闇を秘めている。

 私の手の中で、と言うよりは空気の中で、まるで人の体内でしか生きられない細菌のように、霧散する。

 舌打ちし、羽々音と雫を私の後ろに押しやる。


「お前ら、裏に戻って中に入れ」

「ハナミンは!?」

「安心しろ。しんがりぐらいやってやる」

 言うより先に、二発、三発と、呪いの札は飛んでくる。

スーツの上着にぶつかり、あるいは袖をかすめ、掴めはしないが、喉や手首、首筋など、致命的な一撃は回避しつつ、彼女たちをかばう。

 裏口から内部に侵入したのを見届けて、私はその狙撃手を見る。

 隣接する別館屋上。

 遠目でもわかる、異様な風体。

 フルフェイスのヘルメット。黒いライダースーツ。そしてたなびく真紅のマフラー。その右手には、ボウガンらしき射撃武器が握られて、こちらを狙っている。

 ふと、そのメットの奥の目と目が合った気がする。

 だが、すぐにソレは身を翻し、屋上から姿を消した。


■■■


 続いて中に入った

 だが先に行ったと思われた羽々音たちは、すぐ手前で立ちすくんでいた。

「おい! こんなところで突っ立ってると」

「はハハハハナ、ハナ、ミン?」

「あ?」

 震えて強ばる見苦しい横顔を、雫は私に向けた。

 訝しみ、その肩越しに様子を窺う。

 彼女たちの向こう側、そこには槍を携えた甲冑武者と、毛槍を携えたプレートメイルの騎士がいる。

 それぞれ刃を私たちに突きつけたまま距離を保つ。

「……なるほど」

 いずれも総身の色が黒いが、姿格好の無秩序さ。言われるまでもなく雪路橘平の『識』。

 とすれば先ほどのボウガン男も、『雷切』で取り込んだ能力のひとつ、なのだろうか?

 考えている場合ではない。


 するとそこまで、沈黙を守っていた羽々音が、ずいと、前に出る。

「羽々音ちゃん?」

「もう守られるお姫様、やらなくて良いですよね?」

 緊張か、それとも怒りか、彼女の顔からは、珍しく笑みが消えている。

 すかさず、進み出た彼女の頭に目がけ、刀が振り下ろされる。

 私の制止の声が、館内によく響いた。


 だがその言葉を出し終える前に、彼女は動いていた。

 難なく刃の下をくぐり抜けて、次いで襲い来る槍の柄を掴む。

 二の太刀が白熱灯の下、振りかざされる。

 が、彼女の手には、札があった。

 横から私のすぐ脇、弩砲が展開され、羽々音の操作に従い矢が飛ぶ。騎士の側頭部を貫き、壁に打ち付けた。


 だが私は、彼女の動きから目を逸らせない。残った両者の間に、割ってはいる隙もない。

 備品らしき長机を挟んで対峙した羽々音は、敵に槍を奪い返されていた。

 机の上で、下で、

 槍の応酬がくり返される。

 そのたびに羽々音は足を上げ、あるいは屈んで机上に上体を密着させて、

 涼しげな表情で、傷ひとつなく避け続けていた。

 やがて、やや速度を失った穂先が彼女のくるぶし目がけ、飛んできたところ、


「ふっ!」


 その一撃を、右足で潰す。左足で、机を蹴りつけた。

 当然ダメージが通るはずもないが、姿勢は崩れた。引く力の抜けた槍を自分の側へと引き寄せた羽々音は、そのまま無表情に、くるりと片手で穂先を逆にする。

 逆さにした穂先を、胸部を向けて、貫通する。

 我に返った時には、すべて、終わっていた。

 破壊によって散った『識札』の破片を、をぱたぱたと振り払いながら、 


「お待たせしました」

 と、声を弾ませて言った。

 それまでの間、私と雫はといえば

「…………」

「…………」

 床弩の傍で、口を閉ざすことができないでいた。

「? どうかしたんですか?」

「いや、なんというか君……その、結構手荒だな」

「そうですか? もう慣れましたので、自分では気づかないんですが」

「ふぅむ」と、私は唸りながら、思う。

 あるものすべてを戦力に組み込む、実戦的な戦い方。

 すなわち、荒っぽい動きや心の配りができるほどに、彼女は実戦に慣れているのだ、と。

 そう思わざるを得ない、流れるような動きだった。


「そんなことより、なんでハナミンには『切札』が通じなかったの?」

 思い出したかのような問い。ぼんやりと頷いて、私は答えた。

「そういう体質なんだよ。超人的な能力も、それが芽生える可能性も皆無。一般的な人間にもある程度備わっている、霊感の類も完全に欠落。だがその代わり、体内や精神に作用する能力にも、耐性がある。いや、そういう系統はほとんど無効だ。……もっとも、物理的な攻撃には弱いが」

 裂かれた手の皮膚に視線を落とし、自嘲する。

 あわてて手を取ろうとする羽々音の腕をかわし、自分のハンカチを傷口に当てて巻く。

「……別に心配してないけど、ムチャはしないでよね」

 と雫は言うが、この程度は百地家にとってムチャでもなんでもない。

 私は、構わず雫の腕のコーギー犬に目を移す。

「な、なによ」

 吼えていない。

 マヌケな面をさらして舌を出しているだけだ。

 だが向こうから足音が聞こえてきたとき、にわかにその目元にりりしさがにじみ、険しいものとなった。

「……いる! すぐ角に二体、ホール真ん中に一体」

「さすがに通り道を塞がれちゃ戦うしかないが、『札』の無駄遣いは極力避ける。素早く雪路を見つけるぞ。もっとも、『八房』に人間は反応しないから、肉眼で確認するしかないが」

 羽々音が壁から抜いた矢を、私に無言で差し出してくる。

「あ、あぁ……ありがとう」

 たしかにこれを手槍として扱えば、私でも『識』を撃破することが可能だ。

「……心臓止まるかと思いました」

「んな大げさな」

 それを言われると私は君に物理的に心臓を止められそうになったことがあるよな。

 ……と言いかけて、やめる。これ以上突っ込むと不機嫌になりそうだ。

 なんだか日に追うにつれ、羽々音は取り澄ましているように見えて、案外余裕のない子のような気がしてきた。


■■■


 ホールの中に入ると、素焼きの陶器のような質感の壁が出迎える。

 次いで、怪人ども。

 こちらが察知していると気付かず、息を凝らして身を潜めている。

 私と、羽々音、

 互いにうなずきあって、それぞれ左右の壁に沿って歩く。

 来た。

 左手のトイレから黒いカエル、右側の展示場から、鹿頭のバケモノが、両側からの挟み撃ち。

 もっとも、バレているから問題はない。

 互いにそれをいなし、私は巨大な矢で、羽々音は壁に貼り付けた連弩で、各個に破壊する。

 そして、私は『八房』本体を見る。

 その鳴き声は、まだ止まない。

 何もいない場所に向かって吠えている。

「同じ手、二度食うか!」

 私は、その無人の空間に目がけ、矢を投槍に要領で投げた。

 矢の穂先は、虚空で止まってしなる。

 いや、そこが虚空だと、我々の視覚を欺いていた、カメレオンの『識』に刺さっている。

 体色を戻して姿を現したそいつが、両目の間に矢を生やしたまま、もんどりうって爆発した。

 三体とも、核となっていた『黒札』の破壊を、確認した。


「ここの階はもう大丈夫だけど、これって、やっぱり雪路センパイが『切札』を集めていた、からなのかな?」

「さぁ、どうだろうな。知るのは本人ばかりだが、ひょっとしたら、奴は被害者なのかもしれない」

「えっ」

 ――だがそれは、推測に過ぎない。

 今はとにかく、雪路の保護を優先しなければならない。


 階段の吹き抜け、抽象的なレリーフのある休憩スペースに集まる。

「羽々音ちゃんは三階に行ってくれ。私と雫は、二階を捜す」

「えー、なんであたしがハナミンなんかと!?」

「羽々音ちゃんはなんとかなるが、お前は格闘も素人、『識』も攻撃手段がないだろうが! だったら犬ブン回して戦うか!?」

「しーさん、お願い」

「……うー! バネちゃんがそう言うなら」

「……なんで私の意見は丸無視なんだよ」

「ごめんね。その代わり、また大悟さんがムチャしたら、噛み付いて良いから」

 にっこり笑う羽々音の、物騒な提案。対して私は、乾いた笑いを出すしかできなかった。


■■■


 二階と三階のつくりにそれほど大きな差があるようには見えない。

吹き抜けから時折、羽々音の動く姿が見えるが、別段問題もなさそうだ。

「あーあー、こちら雫、会議室前。異常なーし、どーぞ?」

 と、携帯で連絡を取り合うも、

〈こちら羽々音。うん。特に問題は〉

 爆発音。

〈ないよ。どーぞー〉

 ……無事、なんだろう。お互いに。

〈そっちは平気? 大悟さん、大丈夫?〉

「だいじょーぶだいじょーぶ! 今のとこ、噛む必要ないみたい」

〈ふふっ、なら良かった。それじゃ、引き続きよろしく〉

 爆発音。


 通信は切れたが、その後ゆったり歩く足音が聞こえたので、おそらくまったくの無事なのだろう。

「バネちゃん無双だね」

 雫の言葉に、私は頷いた。

「機嫌悪いからねぇ、今日は」

「なんでだろうな?」

 途端、 今までにないくらい冷たい視線を浴びせられて、

「それ、本気で言ってる?」

「……私が原因だということは薄々分かっちゃいるけどな」

「……まぁ、そこまでわかってるなら良いや。バネちゃんはね、ハナミンのことが心配なの。だから、色んなところ、多分わたしらの知らないとこでもあんたのために頑張ってる」

「なんでだよ? なんで私なんかのために」

「ほらそれ!」

 自嘲めいた私の呟きを雫が拾う。

 ワンワンとうるさい犬を左腕に抱え、もう一方の手の指を、私に突きつける。

「ハナミンがそんなことばっか言うから、ますますバネちゃん心配しちゃうんだから」

「だから、なんでそんな。私に構ったところで、そんなメリットないだろ」

「だからぁ! バネちゃんは! んあー、言えないっ! わたしの口からは言えないってばこのニブチンが! んんー! ジレンマ! こいつはとんだジレンマですぞー!」

 もがく犬を抱えたまま、地面をゴロゴロ転がる雫を見て「こいつに着られる服は可哀想だな」と、心の底から同情した。

 こんなのに言われるまでもなく、私だって、羽々音がこちらを本心で心配して行動していることぐらいわかっている。

 もし私を意図的に操ろうとしたり、あるいはく危害を加えようとするなら、諾々と私に従うか、逆にことあるごとに口出しするだろう。

 だが、彼女は意見も言う。

 怒りもするが、基本の方針には好意的だ。

「お前みたいになれば、少しは楽なのかもな」

「そーだよー? わたしを見習いなよ、ハナミン」

「やだよ。そこまで人間としての品性を失いたくない」

「人を野生化してるみたいにゆーな! とにかく! バネちゃんの言いつけ破ったら、このヤッツー君が喉笛に食らいつくかんね!?」

 そっちのほうがムチャだろうに。


 そのヤッツー君、さっきから吠えどおしだ。

 携帯画面にも赤いポインタの反応はびっしりとある。

 しかし実際にその場所を通過しても襲ってくるどころか姿も見えない。

 おそらく大暴れの羽々音の『識』に対する反応、それに伴う敵の動きもないのだから、三階のものが誤って表示されているのとも違う。

 犬は、天に向かって吼えている。


■■■


 警戒しているうちにレストランに着く。

 バルコニーから覗く景色はもう夕方だ。

 自動ドアが、空いている。

 改装工事の影響か、それとも誰かが開けたのか。

 だがここだけ、不自然に『識』の反応はない。

「罠、かどうかはともかく、調べなきゃならんか」

「あ、夕飯ハヤシライスが良いなぁ」

「緊張感もクソもないな」

 だが、マイペースでいてくれた方がパニックを起こされるよりマシだ。

 絨毯を敷き詰めたその場所に踏み込むと、違和感に気付く。

 第六感のようなものは私にはない。が、今までの経験が、

 テーブルや椅子の配置が、

 それらのわずかな乱れが、

 この部屋が妙だと訴えかける。

「あ、ハナミンあれ!」

 え、と視線を雫に戻す。

 見れば、中央のテーブル、その長く垂れたクロス真上に札が無造作に置かれている。


 その札はボロボロで、現在進行形で崩れていく最中だった。

何者かが、恐らく雪路橘平の『雷切』と戦い、そして勝利した。

 その戦闘の痕跡を隠蔽しながら、わざわざ目立つ位置に目立つ物体を放置している。

 とすれば、その意図は……


 ――以上の思考を、私は一秒足らずで行った。

 舌打ち。

 雫より速く駆けてその進路を塞ぎ、そのテーブルの裏を蹴り上げた。

 浮き上がるテーブル、その布の下をくぐり、巨大な人影が現れる。

 手には、ボウガンのようなもの。先には『切札』。

 返す足で蹴り飛ばす。

 感触からして、ジェラミルン材のような、合金類。

 それが地を滑る。が、見向きもせず、そいつ、ホール侵入直前に狙撃してきた、ライダースーツは私を靴底で突き飛ばした。

 胴を蹴られ、一瞬呼吸の仕方を忘れる。気を失ったかもしれない。

 とにかく正気を取り戻した時には、その襲撃者は、ほとんど剣と言っていいような、巨大なコンバットナイフを構えていた。

 私の矢は……ヤツの武器と同じく、地に転がっている。

 拾っている余裕なんて、あるはずもない。

 二度目の舌打ち。


「ば、バネちゃん呼ぶね!」

「良い! ……お前はどいてろ」


 携帯を使おうとする雫を留め、自分はそれと対峙する。

 ヤツが左に動けば私も左へ移り、右に動けば右に移る。

 とにかくそのリーチを警戒しつつ、武器を拾える隙を探る。

 だが、そんなものは見つからない。


 敵の突き。かろうじてかわす。間合いを削がれた。

 刃による突き、拳による突き。

 前者はなんとか防いでいるが、後者は何発か入る。

 私は退くのではなく、さらに距離を詰めることを選択した。

 その脇腹に拳を叩き込み、弱ったところを押し返す。

 だが押し切る前に、回し蹴りが顔の横に迫る。

 伏せた私のすぐ上の空間を、鋭いその蹴りは裂いて音を立てた。

 すぐさま反撃に移る。拳を振り上げた私の腹に、カウンターでヒザが叩き込まれる。

 自分のうかつさを呪ったが、もう遅い。

 回し蹴りをなんとかかわし、椅子を持ち上げ叩きつける。だがたやすくかわされ、刃が迫る。


 避けたタイミングは紙一重。肩口が裂かれ、血が滲む。

「……ったく、おろしたてだってのに」

 その軽口がよほど気にくわなかったのか、攻撃は激しさを増す。

 斬撃、正拳突き、ハイキック、上段回しの直後に水面蹴り。

 こちらがテーブルの上に飛び乗れば、相乗りするか、あるいはテーブルを蹴倒すか。

 だが互いに距離を保ち、牽制し合って武器を拾わせない。

 ありとあらゆる殺傷手段をもって、こちらの疲れを誘ってくる。

 地に足ついた、どっしりとした構え。

 ――だがこの構え、どこかで見たような……


 だがその答えにたどり着く前に、思考の隙を突かれた。

 喉をつかまれ、押し倒される。


「ハナミン!」


 ぎらりと光る大ぶりの刃物が、私に突きつけられる。

 だが、その時だった。

 ヤツの動きが止まる。見れば、『八房』がその足首にかじりついていた。

 それを見逃す手はない。

 拳を、ありったけの力でその脇腹に叩き込む。

 上手く力が入った。

 背骨まで達するぐらいの、深い一撃。メットの下、低い男のくぐもった声が、確かに聞こえてきた。


 束縛から解放され、胸を蹴って互いの距離を開ける。

 お互いに、呼吸が荒い。

 お互いに、足下に互いの武器。

 一呼吸の後、まるで示し合わせたように、それを拾う。

 『切札』が射出される。やはり狙いは、村雨雫。

 その前に立ち、鏃でそれを弾いた。

 が、その一振りの後、ガラスの割れる音を聞いた。

「しまっ……」

 逃した。バルコニーから外を覗くが、もう人影すら見えない。

 ――ここで捕らえれば一気にケリがついたのに。


 悔しさのあまり、窓枠を叩く。

「だだだ、大丈夫!? ハナミン」

「いや、私のことはどうでもいい」

 呼吸、衣服を整え、私はきびすを返す。その後をよちよちと、ヒヨコか赤子のように、雫が慕う。

「……なんなんだろ、あの『識』。さっきまで反応がなかったのに。壊れてんのかなぁ? ほりゃ! ほりゃ!」

 携帯や、戻ってきたヤッツーの頭を叩き首を傾げる雫。

 壊れてんのはお前のオツムだと、そんな冗談を言う余裕もない。

「お前の『八房』が反応しないってことは、それが『識』じゃないって証拠だろ」

「……てことはつまり?」

「あぁ」

 殴った感触。殴られた痛み。そしてあのうめき声と、機械のような正確さに徹しながらも、どことなく理知的で、保守的な所作。

 間違えようがない。


「あいつは、人間だ」


 犬の頭をふわふわ撫でつけると、ワンと嬉しそうに鳴く。主人を鑑みれば、ありえないほどの従順さだ。

 何者で、いつ、どこから現れて、何が目的で、どういう理由で、私たちを、どうするつもりだったのか?

 5W1Hすべてを明らかにせず、また明らかに出来ないままに、ヤツは去った。

 復路こそ飛び降りだったが、おそらく往路は、フロア突き当たりにあるエレベーター。

 あそこなら、地下駐車場から別館に繋がっている。

 とすれば、この建物の構造をある程度把握している、地元の人間か。


 もう長居は無用だった。

「とっとと別の部屋に行くぞ」

「あの、ハナミン?」

「なんだよ」

「あのぅ、その。助けてくれたことは、ありがとう、なんだけどさ。んで、あんまり格闘とか、よく見ないしわかんないんだけどさ」

「だからなんだ?」

 珍しく歯切れ悪く、しおらしい雫の声に、調子が狂わされる。

 だが、次にこの女から出た言葉は、私ぬにとっては予想の外にあるものだった。


「ハナミン、死にたがってない?」


 瞬間、答えに詰まる。

 笑い飛ばすべきだったのだろう。

 鼻で嗤うものだったのだろう。

 だが、どちらもできなかった。

 雫の大きな瞳に浮かぶ私の顔は笑ってはいたものの、目だけは笑っておらず、それがつっかえているかのように、顔全体のバランスがひどく歪んでいるようだった。

「だって、何かあるとすぐ突っ込んでいくし、自分のケガもどうでも良さそうだし」

「そんなこともないだろ」と私は言った。

 だがその「そんなこともないだろ」という自己弁護もまた、どこか他人事だった。

「まぁ心配すんな。お前の目の前でおっちぬなんて屈辱以外の何物でもない。死んでもゴメンだ」

「なんかバカにされてる気もするけど、まぁそれでいいや」

「いや、バカにしてるんだ」

「折角流そーって思ってやってんのに、なんでいちいちふっかけてくんのあんたはー!?」

 でも、そんなバカに、この重く湿った空気が救われてるのも、確かだった。

 言うと調子に乗るから、絶対に言わないが。

 ――そうだ。

 私は死にたくても死ねない。

 ……あの『約束』を、果たすまでは。


■■■


 本当に、襲撃があったのはあの一回ぐらいなもので、『雷切』による攻撃は、この最後の一室に至るまで行われなかった。

 そもそも姿すら見せない。反応はあるのに、奇襲を仕掛けることも伏兵を設けることもない。

 それがかえってブキミだ。


 二階の部屋の中で、残すのはただこの一室。

 貸会議室2-B。

 階段の手前、廊下の中心にあるそこを、最後の最後まで後回しにしていた理由は、赤のポインタの、多さ。

 部屋の間取りが九割方把握できないぐらいに、敵の反応で埋まっているからだ。

 カーボンらしき引き戸が、見た目に反して鉄よりも重く見えてしまう。

 耳を澄ませ、中の様子を目に頼らず探る。

 物音はしない。

 雫の端末の画面に、動きはない。

 お互い、にこやかに頷き合う。

 互いの肩を、それぞれつかみ合う。

 そして……


「よしお前が先に行け!」

「なんでよ! ハナミンが先に行けば良いでしょ!?」

「ムチャするなっつったのはお前だろうが!」

「だからって生徒を犠牲にすることが教師のやることかー!?」

「だったらそこで腹丸出しで寝てるクソ犬にやらせりゃ良いだろうが!」

「やだよ! あんたよりもヤッツー君のほうが大事だもん!」

「私の命はアレと違って一個しかないんだよ!」


 ……という不毛な応酬をすること、数分。

 お互い息を切らしたところで、爆発音が聞こえる。

 吹き抜けから、黒い人型の『識』が落下していき、私たち二人の横を過ぎていった。

「……ねぇ、そろそろバネちゃん、体力的にも『識札』の枚数的にも限界だと思う」

「……かもな」

「仕方ない」と雫が言った。

「仕方ないしな」と私は倣う。

 そして二人で、引き戸を一気に開けた。


 限界まで開けたが、やはりいきなり襲っては来ない。

 予想はしていたが、実際のところ拍子抜けでもある。

 部屋の中央に、誰かいる。

 電源の入っていないプロジェクタの隣、薄暗い室内で、車イスにもたれる、その男。

「お前が雪路か?」

 無造作にずかずかと踏み込み、私は彼に問う。

 返事はない。

 背もたれと、短く刈り上げた後頭部をこちらに向けたまま、動こうともしない。

「おい、だんまりか? いい加減このバカげた騒動の説明を……っ!」

 肩を掴んで、回り込んで、ようやくそこで私は初めて気がついた。

 そもそも、

 ことの最初から、

 私たちは、雪路橘平という少年に騙されていたのだと。

「ハナミン……」

「別人だ。っていうか」

 トランクス一丁のだらしない姿をさらしたそいつは、車いす手足をくくりつけられたまま気絶している。

「退路、ふさがれた」

 届かぬ天井。そこからいきなり姿を現したのは、十体近くの黒い兵士達。

 迷彩柄のヘルメットをかぶった骸骨頭の軍服を筆頭に、徐々にその異彩きわまる軍勢の姿が明らかとなる。


 己を、嗤う。

 同じ手はたしかに二度食わなかったが、三度目は食らった。

 恐らくあのカメレオンと違い、この骸骨は広範囲にわたる透明化能力を所有しているのだろう。

 呼吸も必要とせず、身じろぎもしない兵士が手も届かない天井に張り付いて潜伏に専念すれば、確かに二次元でしか『識』の位置を表示できない『八房』では見つかりようもない。

 だが、可能性として頭を過ぎった。だがそのうえでこの包囲を招いたのだから、言い訳のしようもない。

 強いて言うなら、こちらに危害を加える以外に、何か目的があったのではと、ふとそう思ったからだ。

 その、総勢十体。

 独特の意匠の鎧だけが宙に浮かんでいたり、面当てや兜に頭部が覆われていたり、あるいは完全につるりとしたのっぺらぼうだったり。

 要するに、顔のない連中に囲まれている。

 ブキミだ。

 そのうちの一体、黒い裸身を持つ屈強なヤツが、まるでブロックのような四角い拳を振りかざし、飛んでくる。

 回し蹴りでそいつを撃墜したのと、雫が羽々音に連絡を入れたのは、ほぼ同時だった。


〈もしもし〉

「あ、バネちゃん!? 大変なの、ハナミンが!」

「後が怖いから私の名前出すな!」

 だがことのほか、羽々音は冷静だった。

〈落ち着いてしーさん。今、2Bの会議室だよね?〉

「う? う、うん」

〈『識』の動きが活発になったから分かる〉

「そんなことより、君、今どこにいる!?」

 携帯を捧げるように私の耳に当てる雫。それと車椅子の男を守りつつ、私は羽々音に怒鳴った。

〈大悟さん。無事そうで何よりです。今ですか? 今、3Bです。ちょうど良かった〉

「ちょうど良い!? ……とにかくなるべく急いで来てくれ! 私だけじゃ、保ちそうにない!」

〈わかりました。五秒で向かいます〉

「五秒って、君……」

〈ちょっと壁のあたりに立っててください〉

 言われたとおり、車椅子を押しながら、壁へと移動する。

 部屋を出て、敵が待ち構えている、あるいは既に妨害に遭っている中を突破して、廊下を抜け、階段を下り、この集団をさらに突っ切るというのか。


 ――ありえないだろ。

 そう言おうとした顔面の筋肉が、一瞬で硬直する。


 天井の大部分が、爆発とともに落下する様を見たら、誰だってそうなる。


 2Bの天井は当然3Bの床でもある。

 それをブチ抜いた張本人は、涼やかな笑顔のまま、声も発さず瓦礫と、それらに押し潰された『識』の上に降り立って、

「お待たせしました」

 愛嬌良く言った。

 五秒とかからなかった。

 おもむろにバックルから取り出した『識札』。それを虚空に投げて、『霹靂』を構築。

 三基。二基が敵に向かって攻撃を乱射し、壁に向かって、剛弓は放たれる。

 見事に空いた穴を早足でくぐり、

「さっ、脱出しましょう」

 軽やかに、そう言った。

「で、でも良いの!? 車イスの人とか。雪路センパイとか!?」

「キッペー先輩なら、きっと素人をそこまで巻き込まない」

 強く断言する羽々音に、私たち二人で、のこのことついていく。

 だが私も、その彼女の意見には、同意だった。

「あぁ、処分するなら『切札』なり殺すなりしてるはずだしな。結局この館内にはあいつはいなかったけどな」

「そうですね。でも、そんなに遠くには行っていないはずです。あたしたちの動きをある程度把握できる場所のはず」

 私たち三人の後を、砲撃をすり抜けた何体かが追いすがる。

 羽々音は、おねむろに手を振りかざした。

 瞬時に復元されて埋められる、壁の穴。

 そこに閉じ込められ、挟まれ、あるいはそれで胴体が上下に分かれる追撃者達。


 忘れかけていた。

 『霹靂』の特性。

 おのれの破壊したもの限定で、復元可能。

 ――進路も退路も、彼女の思うがままか。

 もし私と彼女の立場が逆だったら、あの時の十神はああまで惨敗はしなかっただろうに。

 とはいえ、彼女に教えを乞いたいとも、思えないが。

 ――物思いにふけるのは、私も歳をとった証拠か。


 雑念を振り払い、私は顔を上げる。

「……まぁ、ヤツの居場所に心当たりがないわけじゃない」

「ホント? ハナミン」

「あぁ、試してみる価値はある」

 そしてにこやかな笑みを浮かべる羽々音の前に回り込み、私は尋ねた。

「羽々音ちゃん。『緑札』、あと何枚残ってる?」

 羽々音は、にっこり微笑んだ。


■■■


「ゼロ枚って……白緑ともにゼロ枚で、あの余裕の笑顔て……」

 移動させられない『識』ゆえに消耗は激しいとは考えていたが、本人の使い方が豪快すぎる。使い方こそ無駄ではないものの、もう少しやり方があるんじゃないだろうか?

「まぁまぁ」と、雫が私をたしなめ、一足先に外に出る。

「わたし全然使ってなかったから、余ってたし」

 確かに、『八房』が筋骨隆々のドーベルマンみたいな体型だったならまだしも、かわいらしい愛玩動物で、非戦闘員だ。何度も破壊される恐れはないのだから、消耗は少ないだろう。

 その辺りの細かい枚数調整の必要を感じられたのは、今回の収穫かもしれない。


「さて」と。

 改めて周囲を確認する。

 元に入った裏口。状況に変化はまったく変わりがない。

 ため息を露骨に吐く。

 こうも静まりかえった状況のおかげで、今まで見えてこなかった雪路の動きにも見当がついた。

「こんなバカげたことした理由を聞こうか? 雪路橘平」

「え!?」

 まだ理解していないのか、雫は目と首とをせわしなく左右に動かす。

 思えば簡単なことだった。

 施設はほとんど確認した。

 だがどこにも見つからない。彼はある事情から、隠れ場所が限定されている。パッと見てわからないような場所に隠れられるとは考えにくい。

 こちらの侵入や『八房』の能力をある程度把握していて、かつ、試すような攻撃を最初に行ってきた。ならば、それらの情報を見聞きしたのはどの地点か。

 この外、広場周辺だ。

 あの時はそれどころじゃなくて、ついつい見過ごしていた。

「おい、起きろよ。もう、死体ごっこはおしまいだ」

 私が語りかけた空間には、誰もいない。

 もっと言えば、正気の人間は、一人もいない。

 はずだった。

 私は、気絶させられたはずの警備員。

 そのうちの一人に、話しかけていた。

 ようやく、雫が得心いったように目を見開く。周囲にうえられたケヤキが、ざわざわと揺れる。

 やがて、その人の山の、一番底で動きがあった。

 唯一見えるその手がずれると、隠れていた『緑札』が露わになった。

 『識紋』は凸型。

 『雷切』。

 まるで地の底から上がってくるように、顔の見えない紳士服のジェントルマンが、伏せられたカードから現れて、意外な怪力を発揮して、主、雪路橘平の上に積まれた数人を持ち上げた。

「んー!」

 少年は上体を起こし、まずは伸びをする。

 首を鳴らし、肩を回し、眠そうな顔を持ち上げて、

「やっぱずっとおんなじ姿勢っちゅーのも、キツイもんだニャー」

 まるでイタズラっ子が自分の悪事を吐くように、照れるように笑みを見せる。

「気づくのおっそいなー。もう少しで、煎餅になるとこだった」

「ほざけ」と私は言った。

 雪路橘平は意外なほど華奢で、背も小さかった。羽々音どころか、雫と同程度なんじゃないだろうか?

 中性的で、童顔で、流し気味の両目には、多少の愛嬌とイタズラっけもある。

 警備員の服装も、まずサイズうんぬんよりも、雰囲気からしてミスマッチだった。


「それより、ワケを聞かせてもらおうか」

「ワケ? オレが、あんたらを襲った理由?」

「もっと言えば、各所で組み込んだ『切札』をあえて破壊させるようなマネをした理由だ」

 え!? と雫が驚きを顔全面で表現する。

「……あぁ、それは気付いてたんだ」

 と、雪路はニヤニヤしながら答えた。

「一つは、腕試し。今イバちゃんを助けてあげてるのがどんな教師か、どんな友達か、興味があってね。何度か『識』越しに会ってるけどね。もうひとつは、オレの能力じゃ、取り込んだ『黒札』は破壊できない。破壊すれば、また組み込まれるだけだしさ」

「破壊?」

 私はあえて、オウム返しにその言葉に乗ってみた。

「き、『切札』をバラまいてたの、センパイじゃないんですかっ」

 私の後ろに隠れてうなる、村雨雫。

 さらにその影で、主人にならって犬がうなる。

「オレが? なんで? 構築者は、『切札』倒して囚われた人ら解放するために集められてるんだろ?」


 ――さもそれが、当然の責務のような、学生が学校に通うのと同じような感じで、少年は語る。

 そこにイヤミや虚飾の響きはない。

 こいつはやっぱり、シロだった。


「その『切札』がここに集められてるって匿名のメールで送られてきてね。行ってはみたけど、それらしい動きは何もない。やっぱこりゃワナかなって、警戒して身を隠してたら、案の定あのバイクのヘルメットかぶったマフラー男が来てね。で、なんかイバちゃんが変な人たち連れてきたし、自分が抱え込んだ『切札』をさばくのにちょうどいい機会かなって」

「じゃ、じゃあ! なんでそう言ってくれなかったんですか!? そしたら、こんな苦労せずとも人質も解放できたし、協力してあの人捕まえられたかもしんないし!」

「そりゃあ、言ったらテストになんないっしょ」

「その足」

「!?」

 ようやく、雪路の顔からふざけた様子が消えた。

「その足に残った後遺症が、お前に私たちへの不信感を与えているか、雪路橘平」

「……後遺症?」

「あぁ。雪路橘平が射場と袂を分かった理由はな、戦闘で脚の腱を切られるという負傷をしたからだ」


 折悪く、サッカーの県大会を賭けた試合の矢先に。

 結果として試合には出られず、そんな大切な時期にケガをしたということで部員や顧問との仲も悪化。

 成績上位だったにも関わらず、その辺りから調子を崩したし、ケガをした理由も言えない息子に対し、元々仲の良くなかった両親はさらに距離をとった。

 治癒する見込みのない脚を抱えたまま、現在は一人暮らし。

 経緯はともあれ、典型的なドロップアウトボーイ。

 しかも最悪なことに、その事実を射場家は本家にも隠匿していたし、表の社会ではなんのフォローも施さなかった。


「……という説明で合ってるな?」

「……良いねェ。そういうズケズケ物言ってくれる人、オレ大好き。どうにもこういう足になるとさ、言いたいこと言わないことが思いやりだって、勘違いしてるヒト多くてね」

 じわじわと、無理矢理どこかから引っ張ってきたかのように、雪路の顔に笑みが戻ってくる。だがそれは、引きつった、痛みを無理矢理隠すような、やせ我慢の笑顔だった。

 いつの間にか姿を消していた紳士の『識』が、車椅子を引いてどこからともなく戻ってくる。

 助け起こされそれに座り、雪路は、頬杖を突いた。

「村雨ちゃん」

「は、はい!?」

 彼は部外者のような気分でいただろう、雫の名を親しげに呼んだ。

 跳ね上がって緊張するこの新入りに、少し引き締まった声と顔とで、最古参の構築者は言った。

「この世ならざる異端と戦うということは、こういうことだよ。キミのドラマね、毎週楽しみに見てる。でも、商売道具のその顔を潰された時のことを想像してみたことはある? どう弁解する気? どれほど周囲が迷惑をこうむる? その覚悟が、キミにはあった?」

「……そんなの考えてたら、きっと動けなくなります」

 雫らしい答えだった。

 だが、それでも良いと思った。

「オレにはあった、はずだったんだけどなぁ」

 腕組みして、しみじみ言って、雪路は、遠く目を細めて嘆息する。

「こんな道を選んだ以上、覚悟はしてた。それでも、極力そんなことにはならない努力はしてきたつもりなのよね。……花見さん、だったっけ? (あし)()(なお)()って名前、知ってる?」

「知ってる」

 十神派の一人。まだ私より若いが勇敢で、切り込み隊長だったはずだ。

「そのヒトが、イバちゃんのオヤジさんに呼ばれてやってきた、あんたの前任者」

 間違えた。

 向こう見ずの蛮勇で、現実に伴わない、後に続かない奇想天外な発想が正道に勝ると信じて疑わない、クソ生意気な英雄気取りのクソガキだった。


「本家から斡旋されて送られてきたんだが、使いどころがねぇから、捨て駒やらせてんだ。間違ってもあの『無能な働き者』には、俺が死んでも現場指揮官なんてやらせんなよ」


 とは戒音の言葉。百地との仲が悪化する前の、ぼやきに近いものだったから、射場重藤はそんな細かなことは、覚えてないだろうが。

「そのヒトが数学教師兼サッカー部顧問としてやってきて、オレを構築者としてスカウトした。……まっ、その時の自信が頼もしく見えたわけなんだけどね」

「……あいつ、バナナの本数以外に計算ができたのか」


 前任者の存在と、その後のことは知っていたが、まさかその前任者とやらがアレだとは……。

 名前まで聞くまでもないと思っていた私が、愚かだった。

 大まじめにそう言ったはずなのに、雪路が思わず噴き出した。腹を抱えて声を震わせながらも、あらましの説明は続いていた。

「その先生が、ある晩オレだけを連れて、『識』の討伐に向かった。今でも覚えてる。夢に見る。小高い山。ふもとの工事現場に陣取る奴らの数は少ない。明らかに正攻法で、安全に行ったほうが良かった。けど、あの人は、奇襲を仕掛けた。『そうすれば俺はヒーローになれる』ってね」


「…………反対はしたのか?」

「したよー? でも、聞き入れるお方じゃないでしょ。自分が正しいと思ってる人間には、何言ってもムダだったよ。オマケに『覚悟が足らない』とかで、『識札』は五枚程度しか支給されなかった。……敵は、暗視能力を持った『識』だった。結果としてオレは負傷して、寸でのところで、イバちゃんに助けられた」

「芦田は?」

「軽傷。今はピンピンして本家とやらに戻ってるんじゃないかな」

 調査報告からだいたいは知った気になっていた。だが本人の、その震える肉声で聞くと、改めて胸くそ悪い話だと思う。


「……だから、お前は一人で戦うと決めたのか」

「そ。気楽なもんだよ。もう自分の考えや行動が誰かに邪魔されることもない。オレの『雷切』なら大抵のことは処理できるし、もし今回みたいに自分に足りない何かがあっても、こうして利用しておけば問題は少ない」

「そうか」と私は言った。

 すっかり暗くなった天を仰ぐ。

 右手をかざし、屋上に控えた羽々音に合図を送る。

 屋上に設置された『霹靂』の矢が、発射される。

 まっすぐ飛んだその矢は、私たちの頭上を通過していき、別館へと飛ぶ。

 そして、射貫いた。


 私たちの上、別館屋上にて『切札』による狙撃の機を窺っていた、そのメット男を。


「っ!」

 札を取り出す雪路の手首を、私が上から押さえつける。

 『緑札』で撃った。傷はないが、同等の苦痛を受けている。動けないはずだった。

 だが、その男は立ち上がると、おぼつかないながらも健常な人間とほぼ代わらない速度で、屋上から駈け降りた。それを追う二の矢は、かわされる。

 ――まぁ、雪路が助かっただけでも、よしとしよう。

 私は自らの携帯を取り出すと、アドレス帳を引き出して、知り合いにかける。

「私です。今、別館から逃げた男の追跡をお願いします」

 という私の依頼を受けて、どこかで停まっていた車の発進音が聞こえてきた。


「で、『自分で何でもできる』って?」

「……今のはマグレだって。それにこんなしゃべってたら狙われてたことに気づいてたよ。たぶん」

「だがそのマグレで、お前は危うく札に魂を奪われるところだった」

 唇を噛みしめ、肩をすくめ、うつむく少年の肩に、私は跪いて手を置いた。

「自分一人で生きることは簡単で、自分の見たいように、思いたいように考えられるし、実行に移せる。だがな、全部自分一人のものでしかないんだよ。雪路。自分の考え、自分の視界、自分の音、自分の世界。けど、そこから先に広がりはない。どんなツールを使ってもな」

「……」

「人によって生まれた欠落を補えるのは、人にしかできないんだ」

「……ハナミンが、それ言うんだ……」

 呆れたような雫の言葉。「うっさい」と返し、咳払いし、緊張を取り戻す。


「私たちのような無神経な大人たちがお前のような無関係の人間を、ここまで追い詰めてしまった。百地の人間を代表として謝罪する。だがそれによって生まれた欠落は、どうか私たちに埋めさせて欲しい。だからお前も、痛みと苦しみを知るお前にこそ、どうか私たちに欠けているものを補って欲しい。すべてをお前の思うがままにすることはできない。だがお前が納得する形で、お前の望み以上の答えを、私たちで出してみせる。それは約束する」


「花見さん」

 雪路が私の名を口にする。ただ頭を垂れて、それを受け止めた。

「頼む雪路。私たちには、お前が必要だ」

「あたしからも、お願いします」

 と、避難用の階段を下りてきた羽々音が、私の隣に座って頭を下げる。

「おっ、イバちゃん、久しぶり」

「あなたのケガは、そもそもあたし達に原因がありますから」

「あ? わ、わたしからもお願い、シマス!」

 私たち二人に引きずられるような形で、雫もぺこりと頭を下げる。

「ちょ、ちょっちょ……」

 今まで不遜な態度をとっていたその少年が、明らかに狼狽したのを、私は初めて見た。

 その雪路が、その後しばらく黙考を続けた。

 諦めたかのように、吐息が、私たちの頭の上に落ちてくる。


「……仕方ないな」


 私たちは、同時に顔を上げる。

「ほら、顔上げて。そんなに頭下げられたら、オレとおんなじものしか見らんないっしょ?」

「キッペー先輩! ……ありがとうございます!」

 羽々音が、一度は上げかけた頭を、もう一度、深々と下げる。

 そもそもの発端は、彼女のクソ親が、無能の自称ヒーロー様のクソを呼んだのが原因なのだから、その娘である羽々音が強い責任を感じるのは、無理らしからぬ話だ。

 そんな羽々音と、また慌てる雪路。そんな二人から少しだけ距離をとった私の脇腹を、雫がヒジで小突く。


「で、で」

「なんだよ」

「あのセリフ。絶対にハナミンのじゃないでしょ。どなたの受け売り?」

「私の……教師だよ。昔の」

「えー? でもけっこー感じ入ってたよーに聞こえたけどナー?」

 にやにやと、ゲスの勘ぐりそのものといった雫の表情が、私の前に回り込む。

 腹の立つことに、そのゲスの勘ぐりは今回合っているのだから、始末に負えない。

「ところで」

 と、振り返ったのは、羽々音の笑顔。

「大悟さん、また無理しませんでした?」

「……してないヨ」

「ちゃんと目を見て言ってください」

「あっ、あの黒い人とタイマン張ってたよね」

「……ふーん?」

 羽々音の、表情が、

 時が止まったかのように、口以外動かなくなる。

「もー、わたしのヤッツー君がフォローに入らなきゃ、危うく殺されそうになったんだから!」

 ――このド畜生!

 私は心の中で雫を罵った。

 助けてやった恩を、日も経たないうちに忘れるとは。野山のキツネでも最低限の義理くらいは感じるだろうに。こいつにはそれすらないようだ。

「あっ、それオレも『識』で見たよ。いやー、血も出してたし、大健闘! って感じ?」

「……そういえば、腕にケガしてますもんねぇ」

「いやなに、やっぱ人間見えなかったところは、ちゃあんと補わないとね、花見さん?」

 少女と見まごう雪路の、イタズラっぽい笑顔に、私は悪魔を見た。


「……それで、噛みつく罰は」

「あっ! いっけない忘れてた! じゃ、今から」

「おまっ」

 いそいそと、よりにもよって『白札』のバックルをあさる雫の前に、ゆらりと歩いて羽々音は立った。

「いいや。あたしがやるから」

「ちょっ!?」

 『やる』というのは、羽々音が『霹靂』を私に叩き込むと、そういうことか!?

 シャレになっていない。

 身構える私の腕を、がっしり羽々音が拘束する。

 腕に感じる不自然な力、制止の声も、断末魔もあげる間もなく、私に顔を近づけた羽々音が、

 かぷり

 噛む。

 ――噛む?

 歯を立てず、形のよい唇だけで、私の首筋を挟み込んでいる。

 鼻先にちらつく髪の先から薫るものは、香水か、シャンプーか、それとも彼女自身のものか。

 私たちの目前で、一人と一匹、無言で口を開けっ放しにしている。

 羽々音に首を甘噛みされているということを自覚した瞬間、

「……おぉう」

 甘いような、こそばゆうような奇妙な感触が、首を伝わって全身を駆け巡る。

 それが終わらないうちに、羽々音は私から身を離した。

「えへへっ、大悟さん噛んじゃった」

 今日初めての上機嫌だった。顔が朱に染まっているが、それでも嬉しそうに目を細めていた。くるりときびすを返し、後ろで腕を組み、弾むような足取りで帰路に就く。

 私たちは細いシルエットを、春一番にあおられながら、呆然と見つめることしかできなかった。

「…………やっぱあいつが一番よくわからん」

 思わずぼやく私の背後で、


「……ねぇセンパイ。あの鈍感さは埋められないのかな?」

「ほっといても本人達がそのうち埋めるんじゃね?」


 よくわからない、わかりたくないことを、言っている。


 思わず天に答えを求める。

 当然、期待するものが返ってくるはずもない。

 桜は散り、緑が茂る。

 それでも、ようやく春が訪れたのだと、ふしぎにそう思えた。

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