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第四講「教職員、説得(前編)」

お久しぶりです。

書き溜めていない+書き慣れていないため、どうにも更新が遅くてすみません。

字が読みにくい、改行ミス等々、なにかあればご一報いただければ幸いでございますです。

 久々に、射場梓の夢を見た。

 夢の中で私は高校生に戻っていて、振り返れば、制服の裾を引く、梓の姿があった。

 それで梓はどちらかと言えば小柄であったことを思い出した。

 そして、父子ともに、自分の教師であっことも。

「もうっ、花見くんは、自分でなんでも背負い込み過ぎよ!」

「そうっスかね」

「誰も助けてくれないなら、助けを呼べば良いんだよ?」

 いやです、と私は言った。

 頭下げるのもいイヤだったし、作業中の付き合いも面倒だ。時間はかかるけど、一人の方が気楽でいい。

「……花見くんは」

「はい?」

「優しいのね」

「はいぃ?」

「誰かに迷惑かけるのはイヤなんでしょ?」

 ――この女、どこをどう穿てばそんな解釈が生まれるのか。

 苛立つ私に、彼女は、

「   」

 あることを、言った。

 そこだけが、夢の中から抜け落ちている。

「それじゃ……まずは先生に頼みますよ」

 わかるのは私がため込んでいた荷物を半分ぐらい彼女に押しつけたこと。

 ……あぁそうだ。これは高校二年の文化祭。

 あの困り顔の教育実習生こそが、私と彼女の、本当の出会いだったように思える。


■■■


「はい、それじゃ今日はこれで終わり」

 起立、礼。

 私が学生時代の頃変わらないこの儀礼。

 そしてそれが終わった後にホッとしたのは、学生ども以上に、私自身だろう。

 羽々音の姿はすでに2ー1の教室から消えている。

 私の「目立つな」という意図を汲んだのか、彼女は皆のいるところでは「花見先生」とちゃんと呼ぶし、クラス委員にはなったものの、必要以上に私に接しない。


 それに引き替え

「おつかりぃハナミン!」

 ――こいつは……。


 村雨雫。


 いつものストッパー役である羽々音がいないことが、災いしている。

 いきなり正担任に抜擢された私の担当クラス。それが二年一組だ。

 そこには、意図されたかはともかく射場羽々音と、……余計なことに村雨雫までが所属していた。


 紺色のスーツ、黒いワイシャツ、青いネクタイ。

 そして目には疲労の証のクマを隠す、色の薄いサングラス。

 そんな私の有り様をジロジロ見て、

「……相変わらずヤクザってかチンピラみたい。態度の悪さも相まって」

「ほっとけ」

 

「で、どうよ? こっちのお仕事は。まだ緊張してる?」

「初めての教師生活じゃないんだから、緊張もクソもあるか」

 ほー、と、感心したのか呆れられているのかよくわからない感じで、雫は声を出す。

「でもハナミンの授業、人気だよ」

「ふーん」

「『ガッツリ寝てても怒らない』って」

 私は教材やら覚え立ての名簿やらを片付ける、その手を止めた。

「いやー、意外だなー! ハナミンなら金属バットで後頭部殴りつけるくらいしそうなのに」

「お前相手なら喜んでやるけど、そこまでヒマじゃない。他も同じ。モーニングコールは業務内容に含まれてねぇっつの」

 第一、と私は区切って言った。


「ここは生徒の自主性を重んじる学校なんだろ? じゃあ尊重しようじゃないか。『勉強してテストや備えるよりも、その場の睡眠のほうが有益』って、そう判断したんだろ?」


 ぎしり、

 中途半端な雫の笑顔が、音を立ててきしむ。

 それほど大きな声で言ったわけではないのだが、教室にいた生徒の半数ほどが、わずかに反応を示した。

「手紙回すのもよし、寝るのもよし、ゴソゴソ喋るのは……まっ、授業を妨害する程度なら言うがな。けど基本的には放置するよ。話聞いてなくて痛い目見ても、自分で責任持てよな。……『ガキじゃねぇ』って言うならな」

「バ、バ……バネちゃんにノート映させてもらうもん!」

「それもひとつの手だな。けど、重要なことは黒板書いてないからな。彼女が一言一句覚えててメモしてるならまだしも……その場で聞いた人間にしかわからないニュアンスや他との関連性まで、お前文字の羅列から読み取れるのか? すごいなぁ。……けど『寝てたほうがマシ』なんて話がわからなかったら、お前『ら』、相当マヌケだぞ」


 波が引くように、教室から雑音が消えていく。

 ブルブルと、両肩を振るわせるダメ生徒の見本である雫が、今私の目の前にいる。

「わ」

「わ?」

「わたち大人じゃないんでー☆ 責任とかよっくわかんないんでまたおちえてほちぃなー★」

 白紙のノートを突き出して、舌を出して、奇妙なポージングで雫は言った。

「……そうだな。その人をナメきった態度をやめて一発ブン殴らせてくれたら、考えてやるよ」


■■■


「結局、余計な時間食っちまった」

「でも、聞きにきたみんなの相手するんだから、ハナミンも面倒見いいよね」

「一度きりだ。何度もやると結局話聞かなくなるし、私が面倒だ」

 しかしあの調子、余計なプライドが邪魔して聞けなかった奴らも、後からコッソリ聞きに来そうだ。そのことを考えると、憂鬱だ。


 私たち一人と一匹が歩く度、木張りの床が音を出す。

 旧校舎跡。

 玄武門沿いに遺されているそこが、私たちの拠点として手配されたものだ。

 電気は通っているとはいえ、極端に日当たりの悪いこの場所は、何も用事がなければ昼でも行きたくないところだ。

 用事があるのだから仕方が無い。


 三階奥の元生徒会室。

 踏み込むなりコーヒー豆の香ばしく、豊かなアロマが濃厚に薫る。

 掃き清められつつも所詮はボロであるはずのそこが、目に見えない要素によって、しゃれた喫茶店に見えてくるから不思議なものだ。

「いらっしゃい! 大悟さん、しーさん」

 まるでその部屋の主のように、射場羽々音がにこやかに私たちを出迎えた。

 ちょうど人数分、分けて注がれたコーヒー。それだけのために足早に教室を去ったのだと思うと、少し複雑だ。

 だが、コーヒーはうまい。この甘さ苦さ、何もかもが濃い味が、好みだ。

 雫のそれは、もはやコーヒー牛乳に近い。

「それで、君のオヤジは?」

 身近な席に座り、コーヒーをすすりながら、問う。

「今、連絡しました。じきに来るかと」

 まるで当然のようなスムーズさで隣に座り、羽々音が答えた。

さらに彼女の隣に、雫が座る。

 ただ気遣うように羽々音を見て、牽制するように私を睨む。

 こいつは本当に役者なのかと、疑いたくなる。


「へっへっへ」

 その役者モドキが、突如としてニヤつき始めて、スポーツバッグをまさぐる。

「なんだよ」

「どじゃーん!」

 取り出したのは、せんべいの袋。

 しょうゆ、ザラメ、ノリ巻き、黒豆……さまざまな種類のものが、袋いっぱいに詰められている。

「この前のロケのおみやげに買ってきたの!」

「コーヒーにせんべいかよ」

「意外と合いますよ。コーヒーとおせんべ」

 袋をあける。

「そんなこと言うなら、ハナミンにはあげないよ」

「……人の恩その日のうちに忘れやがって」

「へっへーん。もしもの時はバネちゃんに頼むもーん」

「なんの話ですか?」

「バネちゃーん! バネちゃんならこいつの授業のノート、とってるよね?」

「……? とってないよ。黒板に書かれた最低限のことしか」

「あれ?」と雫が首をひねる。

 たしかに、優等生の射場羽々音らしからぬ答えではある。


「だって、大悟さんの話なら一言一句、ノートなんかとらなくてもちゃんと覚えてるし」


 せんべいを取ろうとするその手が、本能的に止まった。

 雫は口の端に菓子の欠片を挟んだまま、虫でも飲んだような顔をしている。

「? なにかあたし、変なこと言いました?」

 問う羽々音は、天真爛漫そのものだ。

「い、いや」

「良いんじゃないスかね……」

 私は、憐れむような目で雫に見られた。

 ……なんだか、重いものが背にのしかかってくるような心地だった。


 辛いくらいのタレを味わって、コーヒーでそれを腹のうちに沈めて、

 そうして無心で飲み食いするたびに、自分が何者か、今ここで、何をしているのか、なんだかよくわからなくなってくる。

 のんびりとした気分で天井を仰いでいると、

「いいご身分だねぇ、花見くん」

 その目の前に、禿頭。

 射場重藤が、私を覗き込んでいた。


■■■


 私たちのコーヒーがカップからなくなる頃、改めて『識』の説明が始まった。

 まず『識札』には四種類ある。

 まずは『識』を呼び出す『(しろ)(ふだ)』。

 それに対し、非殺傷のセーフティーをつけたうえで呼び出す『(みどり)(ふだ)』。これが『面接』に行った私に対し、羽々音が呼び出したものらしい。

 射場父娘の言っていた「大丈夫だった」とは、このことか。


「もっとも、『白札』に相当する苦痛を与えます」


 ……やっぱり当たってたらヤバかったんじゃないだろうか。


 次いで、『(あか)(ふだ)』。これが『識』の発生を探知するものだ。『八房』ならより詳細な範囲を開くことが出来るが、『八房』の活動限界は半径五キロ圏内。こちらは探知するだけならその十倍は広いので、大まかなところは『赤札』で、周辺に着いたら『八房』の能力へシフトしていくのがベストだろうか。


「そして、僕らが追っている出処不明のオリジナルが『(きり)(ふだ)』。その色から『(くろ)(ふだ)』とも言われている。こいつが他の札と違うところは、構築者を食うことにある」

「構築者を、食べる」

 ただごとじゃない表現に、雫はぶるりと大きく身を揺する。

 重藤は視線をコーヒーメーカーに向けた。

「札を家電で例えるなら、構築者は電源。我らの開発した『白札』は、構築者の魂や才能とコンセントで繋がっている状態。必要とされた時にそのエネルギーを引き出すことができる。だが、『切札』はその動力源を内蔵することで力を発揮する。つまり、触れた人間の精神を札の中へと閉じ込め、その特質を持った怪物が生まれる」


 影のようなヒトガタ、

 無人のバイク、

 姿を消すカメレオン男。

 まるで特撮のような異形どもが、私の脳裏に浮かんで消える。


 あの、とかすれた声がすぐ近くで聞こえた。雫だった。今までにないしおらしさだったものだから、最初誰の声だかわからなかった。

「それで、取り込まれちゃった人間って、どうなるんですか?」

「まず自力で解除することは難しい。その『識』を誰かが破壊するしかない」

「……それで、その、もしも、助けられなかった場合はどうなります?」

「思うがままに暴れる『識』の糧になるだろう。そして暴走は続く。抜け殻の肉体が弱り果てて死ぬか、それともその精神と才能を吸い尽くすまで」

 雫は息を呑んで目を見開く。

 自分が轢殺されるかという修羅場が初陣だったくせに、妙なところで、弱い。


 そんな雫に、ふっと、娘によく似た優しい微笑を、重藤は見せた。

「だが、君や君に親しい人々をそんなモノたちから守るために、『白札』がある。射場があり、十神がある。現に、『切札』に迫る有益な情報を、我々はつかんだ。君らの活躍によってね」

 手元にその有益な情報とやらが数十枚単位のプリントで渡されたので、私はせんべいの袋から手を離した。


 さわりだけみると、そこには『重要参考人』の情報が示されているらしい。

 (ゆき)(みち)(きっ)(ぺい)

 国原中央学院三年の男子生徒だ。

 サッカー部員。

 そして……『白札』による『識』の最初の構築者にして、羽々音にとってはリーダーだった男だ。

 だが突如として射場たちの元から離脱。以後の行方は不明。

 構築する『識』は兵隊タイプの『雷切』。

 その特質は、破壊した『識』を自分の部隊に組み込む。

 そして、『切札』が現れるあの現場に、その『雷切』が現れ、その『識』を破壊していった。


「……以上のことから、雪路くんは何かしら『切札』との関わりを持っているものと思われる。……そう、たとえば『切札』によって『識』を増やした後、破壊して自分の傘下に組み込む、とかね」

「へぇ! そりゃすごい! そこまでわかってるんですか!」

「君がぐーたら寝ている間にね」

 私がわざとらしくはやし立てると、ひどくイヤミな言葉がはね返ってくる。

 肩をすくめてズルズル腰を下げる私を、羽々音は、複雑そうな目で見ていた。

「……ついでに、彼の居場所もある程度見当がついている。そこでみんなには、今日、雪路桔平を見つけ、捕獲。いくら傷つけても責任はこちらで持つ。尋問のうえ真相を暴いてもらいたい」

 鼻で嗤う私を睨み、羽々音の父は咳払いする。

「『識』を倒すには『識』がもっとも有効な手段だ。まして敵は多数の『識』を所持している。我々では手に負えない。花見くん、現場の指揮ぐらいは、君に任せても良いんだろうね?」

「そんなに口出しするなら、あんたが行きゃ良い」

「……」

「いや、やっぱ良い。今でさえこんなにバカを露呈させてんだ。私がやった方がマシってもんですから」

「……なら、さっさとこれを持って行きたまえ」

 と、山のように渡された書類の上に、さらにかぶせられたのは、山のような札。

 三種三色、きっちり分けられて、私たちの前に置かれている。

「まだこれでも不足かと思うが、数は多ければ多いほど良い。それじゃ諸君、よろしく頼む!」


■■■


 仕切るだけ仕切って、そして堂々たる振る舞いで、射場重藤は去っていく。

「どうする? ハナミン」

「どうするって、決まってるだろ。スポンサー殿の指示に従う」

「でも……羽々音ちゃんのセンパイ、なんでしょ?」

「知るか。そんなこと関係あるか」

 私がそう言うと、やや非難めいた、キツイ視線がすぐに飛んでくる。雫のものだ。

 羽々音を挑発したつもりなのだが、彼女は無言で微笑を浮かべるだけだった。

 何もかも信じ切ったかのような、その笑顔が、苦手でならない。

 咳払いして、私は、ヤツからの指令を反芻した。


「『雪路橘平に接触し保護、再びこちらに戻ってきてくれるよう、詫びに詫びて説得を試みる』」


 しん、と。

 場が静まりかえる。

 再び時を動かしたのは、羽々音の忍び笑いだった。

「大悟さん。それ、父さんの言いつけと真逆ですよ?」

「そうか? いやー、くどくどと長広舌ふるわれちゃ、まぁ指令のひとつやふたつ、間違えることもあるだろ」

 そう言うと、羽々音の笑いはさらに大きくなる。どうやら、父ではなく、私の指示に従ってくれるらしい。

 雫の方は……嬉しい反面、羽々音を気遣うように、視線を送っている。

「でも協力ってさ、その人が『切札』だかを使ってるかもしれないんでしょ?」

「いや、初めて私たちが『雷切』に出くわした時からこっち三度、ヤツの『識』らしきものが目撃されている。それでもその被害を受けた負傷者や昏睡患者が病院に運ばれた形跡はない。何より、多岐にわたる可能性を持つ雪路ならもっとシンプルで、効率の良い方法はいくらでもあるはずだ」

「……ハナミン、まさかずっと調べてたの? そのセンパイのこと」

「あぁ、昔の知り合いに頼んでな」

 私は手札をどかし、資料を儀礼的にめくる。

 ちゃんと目は通したつもりだがやはり、知っていてしかるべき情報の記載が、どこにもない。

「雪路橘平はなんで離脱したのか、もな」

「え? でも、理由は突如としてとかなんか、バネちゃんパパが言ってた気が」

「……突如として? その直前に起きた『事故』を考えれば、まっとうな理由でヤツは抜けた。裏切られたのは、あいつの方だろうさ」

「事故って……」

「それは当事者から直接聞いたから間違いはない。だろ、羽々音ちゃん」

「はい」

 濁りのない笑みで、少女はまっすぐに返した。

「バネちゃん……良いの?」

 ――おそらくその「良いの?」は、「その情報は正しいのか」という意味があるわけじゃない。


「父を裏切って、花見大悟に協力して良いのか」


 と、雫の目は隠さずそう言っている。

「うん。あたしも、隠しておくのは不自然と思うし」 

 その意図をごまかさずに受け取って、射場羽々音は素直に頷く。

「決まりだな。なんならお前ひとりでやるか? 同じ学校の生徒の、拷問」

「そんなことは言ってないでしょ! 言ってない……けど」

 思わず、ため息が出る。

 しかたがないと、私はあらかじめ用意していた荷物を空いたスペースに置いた。

「その前に、準備がある」

「なによ」

「ほらっ」

 と私が雫に投げ渡したものは、カードケースだ。


 特殊合金製のものが赤・緑・白の順で三つ。付属の革ベルトで、並べて腰に巻く。

 銃でいうホルスターのようなものだと、自己解釈している。

 ちなみに雫に渡したものには、『識札』に浮かび上がった犬の絵を、出来るだけ再現して描いてある。


「おぉっ! これは……っ」

 あれだけ不満顔だったのに、にわかに興奮し始めたサルに、ある種満足感と優越感を覚えないこともない。

「『識札』を入れるために、わざわざ作ってもらった。ベルトの両端が磁石になってて、すぐに適当にやっても吸い付いて巻けるようになってる」

「おぉお! ほんとだ! 特撮の変身ベルトみたい!」

「これだけ好き放題やって重さ三十グラムの優れものだ。高かったんだから、大事にしろよな」

「うん! ありがと、ハナミン! さっきまでの不快な言動チャラにしてあげるー!」

「……バッチリ覚えてんじゃねーか」


 次いで弓矢の絵のものを取り出して、ニコニコしている羽々音に見せた。

「うまいですね」

「けっこう精巧だろ? 発注は十神時代の知り合いにしたがベルトはヨーロッパに、本体は岐阜の関にある工場に」

「いやそうじゃなくて。大悟さんの、人の扱い方がですよ。モチベーションの下げ方、そこからの持ち上げ方、もろもろの手配。体制の確立。本当に組織の末端の人間だったのかと、疑いたくなります」

「……あれは人じゃないし、頭がスッカラカンの単純だからってだけだろ。私と重藤の意識の差なんて、大したものじゃない」

「そうでしょうか?」

「あぁ、せいぜい現場に復帰したばっかのド三流と、現場を離れた経営者程度の差しか、な。私如きに率いられる君らはかわいそうだと想うが、他に適任はいない。こらえて欲しい」


 ――まただ。

 また射場羽々音は、何かを言いたげな顔をしている。

 その表情が、私には時々、怖い。


「……ほら、受け取れよ!」

 そう言った押しつけたホルスターを、

 がっしりと

 彼女は、両手で握りしめる。

 私の手ごと。

 にこにこ。

 笑っている。

 すべすべした感触も、ふわふわとした感じも、女の子の手を堪能している余裕がないほどに、私たちの間には緊張がある。

「……ところで、先ほど『高かった』って言いましたけど……大悟さんの自腹ですか? いくらぐらい?」

「いや、あぁ言ったけど別に大した額じゃ」

 手に、力が入る。

 引き抜こうにも、抜け出せない。

「いくらぐらい?」

「……」

 にこにこにこにこ。

 笑っているが、細められたその目の奥、揺らぐ怒りを私は見た気がした。

「い・く・ら?」

「……」

 私は空いたその手で、おそるおそる、指を三本、突き出した。

「三万とは、オーダーメイドにしてはずいぶんお安いですねぇ」

 納得などするか。

 万力の如きその握力が、モロに訴えている。

「その一個上のケタです……」

「三十万? ……二つで?」

「一個です……あだだだだだっ!」

 ぎゅううううう、と。

 今までで最大限の力が、私の手に対して発せられる。

 数秒、そうされた後でようやく私の赤く腫れ上がった手が解放され、無事カードケースの受け渡しも成立した。

 ため息が、彼女の口から漏れる。


「わかりました。それでは射場の名前で立て替えておきます」

「別に良い。……射場に貸しを作りたくない」

「貸しって、これはあたしたちの使命なのに、大悟さんはそれを手伝ってくれてるだけじゃないですか」

「それでもだ。どうせ私の金なんだから、別にどうなろうと良いだろ」

「わかりました。射場から取り立てるのがイヤなら、あたし自身が立て替えます」

 意外な申し出に、私は思わず噴き出した。

「君が? ははっ、いやいや。いかに良家のお嬢様といえ、ポケットマネーで八十万って」

「……はちじゅう?」

「い、いや六十だった。ウン。ろくじゅうろくじゅう」


 そうですか、と。

 羽々音の乾いた声が、うつむいた顔の下で聞こえてくる。

 彼女は、つかつかと私の元から離れるや、使われていない黒板の前に立った。

 縁には、黒板消しの代わりに、リモコンがひとつ、ぽつりと置かれている。

 そのリモコンを、羽々音はためらいなく押した。


 黒板が、大きく横にスライドした。


「うぇ、なに、なに!?」

 事情を把握していない雫の取り乱す。

 っていうか、私だって何が起こっているのか、理解しきれていない。

 黒板の奥、もうひとつ小部屋があった。


 さながらイタリアのバールのような、カウンター。よく磨かれたガラス戸にしまわれているのは、大型の、ルビーのような紅い光沢を放つ、新品同然のエスプレッソマシン。

「グラインダー付きのダブルボイラー。お年玉からバイト代まで、小学校からコツコツ貯めたお金でようやく今年買えたヨーロッパの名機。今後活動の拠点がここになることを見越してお引っ越ししました。相場の値段は五十万ちょっと。送料込み。……使用してるから値が落ちるかもしれないですが、どのみちあと『三十万』足りません。あとは……あとはこの身を泡に落とすしか……っ!」

 声を震わせ、肩を震わせ、震えるその手で口元を押さえ、

 自慢の品の前でアヒルの座る姿のようにくずおれる羽々音。

 それを見て、冷静でいられるはずもない。


「ちょちょちょ、待て! 落ち着け! 学生として言っちゃならんことを言ってるぞ君!?」

「ちょっとハナミン!? なにあんたここまで彼女が追い詰められるようなことしたのよ!?」

「うっさい! お前が入るとややこしくなるんだ!」

 しばらく、羽々音のむせび泣く声だけが聞こえる。

 ――ここまで来た以上、私のとれる選択肢はひとつしかない。

 そしてそれを言った場合、目の前の彼女がどういう態度をとるかも、おおまかに予測はつく。

 それでも、

 ブタを見るような雫の視線。

 この気まずい空気。

 それに耐えきれるほど、私はどうにも冷血を気取れないらしかった。

「…………わかったよ。立て替えてもらう。その代わり、あのハゲオヤジのイヤミに付き合ってくれるよな?」

「はいっ!」

 ……振り返った満面の笑顔が、まぶしくて、とても遠い。

 うん。

 分かってたよ。

 分かってけども。


「父から車のキーを預かってます。さぁ行きましょう。入学してからの、初仕事です!」

 浮かれて飛び出る羽々音。気まずい空気の一人と一匹が、五十万円の塊の前で、取り残されていた。

「……ハナミンさぁ」

 と雫が語りかける。

「なんだよ」

「ちゃんと結婚式はあげてよね」

「なんでそこで結婚の話が……?」

 珍しくこの女にしては好意的、いや同情的な視線が向けられている気がする。

 なーんでも、と軽やかに言った雫は、羽々音に続いて生徒会室を飛び出る。

 結局私が最後まで残っていて、彼女たちを見守るような形で、後に続くことしかできなかった。

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