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第三講「教職員、初仕事」

 ……

 …………

「ハナミン?」

 私は、赤面していた。


「……なんだよ、指揮をとるって……三流刑事ドラマじゃあるまいし」

「あ、自分で言ったセリフに自分で恥ずかしがってる」

「うっさいわボケ! ったく、いったい誰のせいでこんなことに……」

「へっへーんだ。別にハナミンいなくてもどーにかなったもーん」

「よく言う。さっき死にかけたクセに」

「もうヘーキだもーん。っていうかあの黒バイももう逃げ出しちゃってたりして」


 得意げにふかす雫は、ロクに前も見ないままに不用意に動き出す。

「そう思うならあと一歩、踏み出してみるといい」

「へ?」

 振り向きかけたその瞬間、雫の耳元を、バイクの巨体が通過していった。

 耳にかかる髪が、ふわりと浮き上がる。その様は、見ているこちらがヒュンとくる光景だった。

 羽々音の『霹靂』が狙い澄ますよりも速く、再びバイクの『識』は姿を消していた。


「あ、わばばはば、あわばばばばば」

 カクカクと、腰から下を揺らしてゆっくり尻餅をつく雫を横目に、私は羽々音に近寄った。

「狙撃するのは難しそうだな」

「そうですね。止まってくれれば良いんですが、ガソリンで動いてるとも思えませんし、おそらくは半永久的に動いてますよ、アレ」

「うおーいいぃ!? ちょっとは心配してよーっ!」

 脚を笑わせたままの雫が両手を地につけて声を出す。


 舌打ちし、中腰になる。雫の手を引っ張り上げて、私は言った。

「いいか。私はもう二度お前を救ってやった。だから二回は絶対言うこと聞けよ。あとの指示を受けるかどうかはお前の判断に任せる」

「無茶苦茶だなぁ……。でもまぁいーよ」

「それじゃ、まず一つ目」

「……うん」

「この一回の命令を百回分に増やせ」

「ひねくれた小学生かあんたはぁっ!?」

「冗談だ。一つ目。いい加減お前の『識』を展開させろ。私も羽々音も、いつまでも守ってやれる余裕なんてないぞ」

「……ぬっふふふ。ふっふっふっふっふ!」

 忍ばせていた雫の笑いが、一気に広がる。

「やっと初陣がきたぁーっ! 良っし、わたしの『(やつ)(ふさ)』の初舞台とくと見よ!」

 異様なテンションで白札を取り出した雫は、そのままメンコよろしく地面に叩きつける。


 青白の粒子が大気に散って、一気にまとまり、固まる。

現れたのは、一匹の獣だった。

 鋭く伸びた爪。突き出た黒い鼻。焦げ茶色の分厚い毛皮。

 黒々とした目、とがった耳。

 尻尾の代わりに連なって浮く、透き通った八つの宝珠が、ただの獣でないことを示している。


「これは……」

 そして、

 何より特徴的なのは、


 短足。


「……コーギーじゃねぇかっ!」

 言うのもバカらしいのに、思わずツッコミを入れてしまう。

 胴長短足、この間の抜けた面構え、

 尻尾の珠以外はどこからどう見ても、一般的なコーギー犬の姿をしているのが、雫の『識』だった。

 はっきり言って、愛嬌ある全身のすべてが、この事態の打開どころか、主の護衛に役に立つようには見えなかった。


「どうすんだコレ? とんだハズレ引いたぞ!」

「あんたが! 呼べって言ったから! だ、だいたいこれは法則にとらわれない『識』なんでしょ? 見た目以上の速度でバーッと敵に迫って、見た目以上の攻撃力でバリバリ噛み砕くかもしんないじゃん!」

 ちょうど良いタイミングで、タイヤ音が角から聞こえてくる。

「おっ、今だ! ゴー、『八房』、ゴーゴーゴー!」

 と命ずるまでもなく、犬は駆け出している。

 ……敵に立ち向かうことなく反転し、あらぬ方向へ。


「…………見た目以上の速度で逃げ出したな」

「逃げましたね」

 のんびりと、羽々音が言った。

 言いつつ彼女は、射撃準備を整えている。

 方向を見定め、ぐるりと矢の首はめぐる。


 発射。

 だがヘッドライトにわずかに当たっただけで、無軌道に蛇行する車体に直撃はしない。

 わずかにかすめただけでも、羽々音の腕は相当と言っていい。

「伏せろ!」

 私はそう叫んだ。二人の頭をつかんで押す。

 タイヤのスピンで散らされた砂が、そして間もなく現れた本体の巨体が、頭上を通過していった。

 ――目つぶし?

 偶然か、それともわざとか。


「ふふふ」

「羽々音ちゃん?」

「大悟さんが、やったあたしに触れてくれた」

 軽口を叩く羽々音に返す言葉もなく、黙って手を引き、立ち上がらせる。

 雫は、立ち上がらせる間もなく自力で立ち上がらせる。


「羽々音ちゃん」

「はい?」

「立てて、『呼ぶ』ことは、できるか?」


 ぽかんとした表情、だがすぐに浮かいつもの微笑は、こちらの意図を理解したものだった。

 ――本当に、こっちの教え子は非常に優秀だ。

「やってみます」

 と、白札を一枚取り出した彼女は、角度を確かめるように指で角をなぞる。

 ターンして戻ってくるバイクの手前、そこに新たな白札を投入する。

 顕現した『識』は、確かに縦に立っていた。

 そう、敵の突進を防ぐ、障壁となるぐらいに。

 その速度ゆえに止まれない。大きく傾いた車体に、

「今だ!」

 私のかけ声を合図に、一台目の床弩から、矢が放たれる。

 横から仕掛けられたその弓。本来なら当たるはずのそれが、

「っ!?」

 バイクはどかりと、ひとりでに横転する。私たちの攻撃は、むなしくその上を通過していっただけだった。

 だが起き上がるタイムロスは、逃げる時間は稼げそうだった。


「すみません。外しました」

 雫を引き、距離を保ちながら退く彼女が、私に詫びを入れる。

「いや、いい。十分だ」


「んー、でも起き上がりかけてる」

「だから、今から逃げんだよ!」

「ほっといたら他の人たちが危ないでしょうが!?」

「距離取って対策考えんだよっ、どちらさまかの『識』がとんだ役立たずなおかげでな!」

「何よそれ!? 自分が出せって言ったんでしょう!?」


 逃げながら私と雫は言葉をぶつけ合う。

 その間にいてもなお、羽々音は妙に嬉しそうに、


「ふたりとも、仲いいなぁ。うらやましいなぁ」

 のんびりと、そう言った。


「はぁ!?」

「どこがだよ!?」

 私たち二人の心は、皮肉なことにただその一瞬ばかりは、同じ気持ちだろう。


■■■


 息が弾む。

 今までの堕落しきった生活を、今になって呪う。

 もう私もそんなことを考える歳になったということか。

 二階建ての作業用プレハブの壁にもたれて、呼吸を整える。


「……て」

「ん?」

「はい?」

「なんでお前らついて来てんだよ!?」


 二人はきょとん、とした顔をした。

「なんで、って」

「逃げろって言ったから、ねぇ、バネちゃん」

「バラバラに逃げりゃ良いだろうが! 固まって行動する必要ないんだから! せめてお前が羽々音ちゃんと行動してれば、安全は確保されるだろ!」

「大悟さんはどうするんですか?」

「私は……別にどうでも良いんだよ。向かってきたらお前らがここから離脱するだけの時間は稼いでやるから」


 瞬間、

 珍しく、わずかに、

 羽々音が、顔をしかめた気がした。

 だがそのことを追及するよりも先に、雫が口を挟む。

「でも、連絡どうつけんのよ」

「なんのためのケータイだよ」

「おおっ、そうだ。ハナミンあったまいいー!」

 ――こいつの将来なんて知ったこっちゃないが、このアホさ加減、本当に日光か動物園しか行き場がないんじゃないだろうか?

 だが雫がスマートフォンを開いたその瞬間「およ」と、声を発する。

「どうした?」

「いや、なーんかケータイがヘンなんだよねー」

「はぁ? お前こんな時にケータイ壊したとか」

 言いかけたが、口が止まる。


 突きつけられるように見せられた画面には、確かに妙なアプリが起動していた。

 地名からしてこの周辺のマップ。しかも、この場所を小さな円形のアイコンが八つ囲んでいて、その中を網がけにしていた。そしてその中をポインタが三つ、特定の地点に固まっている。

 二つは青、もう一つは赤。

 赤だけは、乱雑に、無軌道に動いている。

 八の玉、三の青、そして泳ぎ回る一つの赤。


「おい、これってまさか」

「……え? ……あ、なるほど」

 画面を覗き込み、羽々音も気がついたようだ。

「へ、へ? なに?」

 ――まさかここまで数的ヒントがあって、当の本人が気づかないってなんなんだ。

「しーさん、しーさんの『識』、尻尾の珠何個あった?」

「数えてない!」

「偉そうに言うな! じゃあ、敵今何体?」

「たぶん、一匹!」

「あたしたちは?」

「……」

 指で数えて

「三人!」

 嬉しそうに言う。

「で、それがなに?」


「…………」

「…………」


「あの、羽々音ちゃん。この位置から設置した『識』解除できるか」

 羽々音く苦笑を浮かべたままに、両手を持ち上げ、振り下ろす。

 ふっ、と。

 こつぜんと画面から青いポインタは姿を消す。


「おぉっ、消えた。……で、これが何?」


「…………」

「…………」


 私も羽々音も、もはや何を言う気力もなかった。

 そこに、犬が戻ってくる。舌を出した顔はどことなくマヌケで、主人と同じような印象だ。

 ただ違うことは、いつの間にかその尾の珠が全て取り払われて、外見上ただのコーギー犬になってしまっていることだ。

 その犬の『識』と、雫が見つめ合うこと三十秒。

「……おぉ! わたしの『識』の能力かッ!?」

「遅ぇよバカ!」

「しかし探査系かー。もうちょっとパッとしたものが良かったなー」

「まぁまぁまぁ、情報は大事だよ」

「しかし本人以外にも影響するんだな。『識』って」

「本人の『現時点での』情報を頼りに構築されますから。端末変えてもたぶん同じ機能がつきますよ」

 羽々音はそう言って、しげしげと画面を見る。

 ポインタの動きは速い上に細かすぎて、いまいち場所が特定できない。


「これじゃあのオヤジの情報よりマシ程度だな。おい、もうちょっと倍率変えられないか?」

「そんなこと言っても……あ、動いた。見てみて! おっきくなった! おっほ、珠も動いた! あっははは! これ面白ーい!」

「はしゃぐなっつの! そこじゃない! こっちだ、こっち映せ!」


 まだ操作の慣れない雫の代わりに、口出し、手出し、画面をいじる。

 拡大された私たちの現位置。

 その背後に、赤いポインタ。

 途端、三人の間に緊張感が走る。

 慌てて振り向くが、そこには何もない。プレハブがあるだけだ。

 エンジン音もない。

 ――いや、わずかにアイドリング音が聞こえてくる。

 一体どこから。

 プレハブの向こう側か、それとも中か。

 答えはすぐ上から、

 降ってきた。


「なっ!」

 二階の窓と壁とを突き破り、あの二輪車の巨体が押し潰さんと迫ってくる。

 あわてて飛んだ。

 私の脚のあたりをかすめた分厚いタイヤが、その場で回転を始める。

 ジーンズが巻き込まれそうになり、慌てて引いた。側面を蹴って倒すが、完全には倒れず、傾いただけだった。

 完全に立てないままに私はハンドルに飛びついて、そのまま地へと押し戻す。

 が、完全に押し込められずに、一秒と持たずにはじき飛ばされる。

 羽々音が『白札』を取り出す。


「使うな!」


 私が制止する。ビクリと肩を振るわせた彼女に、

「あと何枚残ってる!?」

「……二枚です」

「今、確実に仕留める自信、あるなら使え」

「ない、です」

 悔しげに言う少女に寄り、雫の端末を見せた。

「この位置についてくれ。あとわかる位置に……そうだな、ここ。ここに矢を撃ち込んでおいて欲しい。それだけで、あとはなんとかなる。……ほら、行け」

 地中に顔を埋める雫の手を引き羽々音に押しつける。


 その瞬間だった。

 脇腹に、鈍い衝撃。

 バイクの車体が、私の身体を横から衝いたからだ。

 手の力が抜けて、雫の携帯は地にこぼれ落ちた。

「大悟さんっ!」

 羽々音が私の身を案じてくれるが、応えているヒマはない。

 幸いにして動き出したばかりで加速もままならない状態だったため、それほどのダメージは受けていないように感じる。

 だがこの逃れがたい臓腑の痛みは、どうしようもない。

 タイヤに身体や衣服を巻き取られないように気遣いながらも、抵抗することもできずにそのままプレハブの壁へと突っ込む。

 そこでようやく、私は解放された。

「ごほっ、……さっさと、行けっ……!」

 立ちすくむ羽々音にそう命じ、散乱するガラクタを蹴飛ばして道を作る。

 だが土煙から浮かび上がるヘッドライトが、私を射貫いた。

「う、おぉぉぉっ!」

 思わず叫んだ。悲鳴に近い。

 まだ倒れていなかったロッカーに手をかけて倒し、ヤツの進路を塞ぐ。

 大股で逃げる私を、ロッカーを無理矢理押しのけながら黒い二輪車の『識』が追う。

 直線的な動き。迂回する気はないようだ。

 ――とすれば、好都合。


 問題は、羽々音の待つ場所まで私がたどり着けるかだ。

 策はない。

 体力勝負。

 肉体労働。

 ガチンコ。

 ……考えるだけで腰痛くなってきたな。


■■■


 指示は伝えた。向こうの安全も確保した。

 私を捜してバイクがうろつく音も、確かに聞こえている。

 何より逐一送られてくる『八房』の能力のマップデータが、確実に敵の位置を報せてくれる。

 場所を確認する。

 資材置き場。貨物のコンテナがマス目のように並べられている。

 鼓動、呼吸……今、整えた。

 最後の一仕事が、私を待っていた。

 深呼吸。


「……っ、おい、このポンコツ!」

 音で判断しているかどうかはわからないが、私は物陰から打って出て、バイクの進路上に立った。

 獣にも似た、駆動する音。

 私目がけ、まっしぐらに駆ける。


 私は走った。

 疲労は溜まっている。もはや走っているという感覚すらない。

 それでも、脳で精一杯、脚よ動けと念じた。


 ――見えた。


 搬入口から三番目の角、その奥のコンテナに、矢は立っていた。

 バイクと私との距離、せいぜい五十メートルと言ったところか。

 みるみるうちに距離が詰められていく。

 コンテナに挟まれるような小径へと曲がり、そこへと誘い込む。

 そう、人一人がやっと入れるような距離。

 私は難なく入ることができたが、後に続くソレはというと、

 ガン!

 むなしく金属音を響かせて、立ち往生。

 誰にも握られることのない不必要なハンドルが、皮肉にもその狭さを前につっかえていた。

 私は一息ついて走る速度を緩める。

 だが。

 ギギギ、

 音がする。

 ギギギ、ギギギギギ。

 バイクの両輪は高速で回転している。煙が立つ。土がえぐれ、砂は散る。

 そして、


 突破。


 火花を散らし、コンテナの壁をえぐり続け、なおも猛進。

 スピードは落ちたが、人よりも速い速度で私に迫ってくる。

 私は息を呑んで足を速めた。

 手を伸ばし、前のめりになって、なお……

「……なんてな」

 私は跳んだ。

 目印代わりの矢。それを掴んで鉄棒のように自分の身体を持ち上げる。

 私が消えたバイクの進路。そこにいるのは射場羽々音。

 その前には、あらかじめ設置された彼女の床弩型『識』である『霹靂』。

 黒い敵の動きに、そこでようやく躊躇が見られた。

 だがここには、逃れるスペースはない。

 横転も、退却もない。ただ前進するしか、術はなかった。

 必殺の矢が、発せられる。

 まっすぐに空を裂くそれは、一気にヘッドライトを突き破って割り、ボディを貫き……

 爆発

 ……はない。

 その役目を終えたとばかりに、あの黒い人型と同様に、灰になったその強敵は断末魔もあげることなく消滅する。


■■■


 降り立った私は、遺された馬の絵が描かれた黒い札が地に溶けるありさまを、じっと見つめていた。

「ふぃー、なんとかなったねぇハナミン」

 犬を抱きかかえた雫が、ひょいとコンテナの上から下りてくる。

 続いて羽々音が、目が合うと、嬉しそうに彼女は微笑んだ。

「おい、これで良いのか?」

「はい。お疲れ様でした。……それと、迷惑かけて、ごめんなさい」

「いや、私がしゃしゃり出たことだしな。私なんかいなくても、君ならなんとかしただろうし」

「そんなこと、ないですよ……」

「そーそー。ハナミンが邪魔しなけりゃわたしの『識』が無双していひゃいいひゃい! じょーふぁんはっふぇは!」

 雫の頬をひねりながら、私は「こいつ囮にしときゃよかった」と、心の底から思った。

「……で」

 私はその惨状を改めて見渡した。

 戦いの傷跡。百地だの十神だのと戦っていると、カタギに迷惑かけることはややあったが、ここまで大規模にやらかしたのは、久々だろう。

「どうするんだ、これ。矢とか」

「あぁ、それは」

 羽々音が虚空に手をかざす。

 矢が消える。そして残るはずの矢の痕すらなく、刺さった形跡すらない無傷のコンテナが、そこにあった。

「これが『霹靂』の能力。自分が破壊したものに限っては、いつでも元通りにすることができるんです」

「便利な力だ」

「……自分が破壊したものに限って、ですけど」

「…………」


 生々しい爪痕の大半は、あの敵がつけたものだ。

「まっ、お前のオヤジがなんとかするだろ」

「そうですね。とりあえず現場の人とかが来る前にこの場から離れて」

 言いかけた羽々音の横で、「あれ」と犬を抱えた雫が首を傾げる。

 ばうわう

 と、腕に抱かれた犬が、私に向かって吼えてくる。主人ともども腹の立つ。

「なんだよ」

「いや、まだ『識』の反応があるから」

「あぁ、そりゃ羽々音ちゃんのやつじゃないか」

「いやだって、これ赤いんだよ。しかも、その」

「?」

 煮え切らない羽々音。次の瞬間、

「っ!?」

 私の首が、圧迫された。


 ざらざらとして、かつ湿ったものが、私の首にまとわりついている。

 目には見えない。感触だけが、私の首の骨をへし折らんとうごめいている。

「ハナミンの、後ろに……」

 そういうことは、早く言えと。

 呪う私の目には、背後の敵の姿は見えない。

 どうやらそういう能力持ちの『識』が、私を今締め殺そうとしているらしい。

「……っ! ……っ!?」

 歪む視界。その中で、羽々音が立っているのが見える。

 当然だろう。彼女は目印の矢を撃ち込むのに一枚、あの二輪車を射貫くのに一枚、

 すなわちすべての札を使い尽くしたのだから。

 不意を突かれた。うかつだった。

 最後の最後にヘタを打った。

 だが、

 ふと、首の圧力が一気になくなった。解放された衝撃で、立つ力もなくそのままくずおれる。完全に倒れ込む前に、私を羽々音が抱き留めた。

 苦しいぐらいに力強い抱擁。だが、そんなことに心揺れている場合ではなかった。


 異形が、貫かれている。


 ダークグリーンの四つん這いになったは虫類タイプ。カメレオン。おそらくは特性からしてヤツが私を絞殺しようとした張本人だろう。

 その脳天が、ある武器によって破壊されている。

 矢ではない。羽々音ではない。

 それは大ぶりな日本槍であり、それを握るのは甲冑武者だ。

 黒い具足に金をあつらえた鎧兜の男が、両手に抱えるようにした大槍で、串刺しにしていたのだ。 顔の部分はもやのようなものがかかっていて、よく見えなかった。

 改めてそれと、向き合う。

 表情はうかがえない。ただ引き抜いた槍をこちらへ傾けて、警戒して動かない。


「……『(らい)(きり)』」


 訳知り顔の羽々音が、意味深な言葉を呟いた。

「なんだ、それ?」

「たぶん……キッペー先輩の『識』です」

「キッペー先輩?」

「……元リーダーです。そしてその『識』の能力は」

 すると、怪物の死体に変化が起きる。

 他と同じように霧散したかと思えば、その塵芥が再び寄り集まって、形を作る。

 しかしそれは、過去の姿ではない。

 堅強な二本足。緑に覆われた全身、曲がって前のめりになった背、しかし手には鋭い爪。

 は虫類としての特性を多分に残す獣人は紛れもなく、この鎧武者が破壊した『識』と、まったく同じだった。

「破壊した『識』を取り込む」

 そして二匹の『識』は、ほぼ同時に、超人じみた跳躍力で貨物をつたい、どこかへ消える。

 私はそれを、呆然と見つめていることしかできなかった。


■■■


 しばらく、そのままだった。

「……ま、まぁ良かったジャン。ハナミンカッコ悪かったけど、命だけは助かって」

 ムードメーカー気取りかどうかは知らないが、口を開いたのは雫だった。

 ――誰のせいだと百ぺん問いたい。問い詰めたい。

 しかしそうするには時間が惜しい。今にもサイレンが聞こえてきそうだった。


「……羽々音ちゃん」

「はい。言いたいことはわかってます。帰ったら、二人に説明します」

「頼む」

「で、それでさ」

 そこでようやく『識』を解除したらしい雫が、手をぷらぷらとさせながらゆったりと問う。

「ハナミンは、結局わたし達の顧問ってことで、OK?」

「…………不本意ながら、な」

「そっか! じゃあっ、ほい、手ぇ出して」

 時間がないというのに、差し出されたその手を、私は冷ややかに見つめた。

「なんだこれ」

「なんだこれって、仲直りと、これからよろしくの握手!」

「……えーと、どっかに画鋲は、と」

「本人の目の前で探すなぁー! こーなったら意地でもやったるかんな!」

「うわ、触んな! 見ろよ、鳥肌立っただろ!?」

「あんた女優に手ぇ握られてその反応はねぇ……っ!」

 そんなやりとりを間で聞く羽々音が「あはは」と笑い声と共に腹を抱える。


 こんなちぐはぐなやりとりが、

 だからこそバラバラな私たちらしいのだと、この三人の姿こそ誓いの握手なのだと。

 ガラにもなく私は、そう考えていた。

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