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第十三講「夢の後、夢の先」

 三人や徳本が駆けてくる気配はない。

 今薄闇の中には、私と重藤の二人だけだった。

「君が、『内部監査官』? ……我らの裏切り者?」

 笑うに笑えないという思いが、重藤の顔をひどく歪ませている。

「全部なすりつけようとしたところ悪いがな。もうその時点で目論見は破綻してたんだよ」

 コツ、と

 踏み出す一歩の音が、やたらと大きく聞こえる。

「探偵ごっこの続きをしようか?」

「……続けてみたまえ」


「まずあんたは、百地家への復讐のために、あるいは偶発的にかもしれないが、まだ本家にも認識されていない未知の技術『識札』を開発した。各地にバラまき、戦力を増やすために。テストとして、自領で不審な動きをしていた小山田かすみを捕らえた。そして、その実戦データを集めるため、より高性能の『識』を生み出すために、娘の羽々音や雪路に『白札』を使わせ『識』構築させた。雪路を負傷させたのは、本当に芦田の無能さゆえか? じゃ無能と知りつつヤツを起用したのはなんでだ? 『雷切』の汎用性の高さに目をつけ、『切札』に取り込もうと考えたんじゃないのか?」

 あるいは娘を『切札』に取り込むことに、躊躇していたか。

 ――その時点、では。


「だが、あんたの意図に反して羽々音ちゃんがあいつを救出したせいで、それは失敗に終わった。彼女は後任に私を推し、あんたはそれに従った。表面上私は無役で干された状態で、あんたにとっちゃ隠れ蓑にできる都合の良い存在だった」

 まぁ、もっと都合が良かったのは百地の連中だっただろう。

 まさか獅子が自ら身中に虫を入れてくれるなんて、と。


「だがあんたの予想に反して私は仕事をした。手前味噌だが、けっこうがんばったしな。小山田かすみを解放し、再度の雪路や小山田への奇襲を防ぎ、あげくあんたを追い詰めた。自分のコントロールを離れて、何度も妨害されたあげく、それどころか自分に迫る勢いで躍進する私たちに、あんたは内心焦ったに違いない。『内部監査官』という不確定要素が、さらにそれを倍加させた。 だからあんたは匿名で内部資料を百地に送ることで私を更迭するよう誘導し、あたかもそれがその見えざる敵の密告であるように振る舞った」

「だが、百地は君を更迭した」

「……あぁ」

 と、

 私は素直にそれを肯定する。

「だが、実際ハメられたのは私じゃなく、あんただったんだよ。百地はあえてあんたの策に乗って、あんたが動くのを待ち構えてたんだ」

「それじゃ『シャレード』のメンバーが動くのも、予想どおりだった、と?」

 揶揄するような、皮肉な笑み。

 苦い思いで、私は首を横に振った。

「百地からの命令は、単独行動。これ以上関わるなと言われてた。ところがどっかの人が口封じと監視を部下に命じたおかげで身動きとれなくてな。そこに雪路たちが来てくれて助かった。後は、半ば単独行動だ。おかげで、羽々音ちゃんも、雫も、『切札』に取り込まれる前に、なんとか助けられた」


 そこで、私の携帯が鳴った。

 今まで誰にも見せなかった、百地相手専用の、黒いスマートフォン。

 もしもしとも言わず、重藤を見据えたまま、私は受話器のボタンをタップする。

 機会的な報告を受ける。

「了解」と短く言うと、向こうから通話が切られた。

「百地に引き渡した芦田が口を割ったぞ。あんたの名前も出た。どうする重藤? ……もうあんたの手に、捨てられる札はない」

 男は、闇の中でうつむいていた。

 弁明はない。

 悔後の言葉もない。

 柔らかさの消された表情で、

「なぜだ」

 尋ねた。


「君のことは現役の時から気に食わなかった。だが、誰よりも十神のため、戒音先生のために尽くしていたことは、知っている。それなのにどうして、百地なんかに?」

「約束だからな」

 私はため息に混じりに、しかしためらいなく、そう答えた。

「百地に何を約束された? カネか? 権力か?」

「違う」

「じゃあ何だ?」


「これはな、その十神戒音との約束なんだ」


 グラリ、と

 重藤の身は大きく傾いた。

「バカな…………バカな!?」

 クリーム色の壁にもたれ、拳を打ちつけ、重藤は「バカな」と繰り返す。

 憤怒と戸惑いの入り混じる表情で、射場重藤は私に振り返る。

「そんなことがあるはずがないッ! そんなことはありえない! あっていいはずがない! いったいどこに、国の滅亡を望む王がいる!?」

 重藤は、悪夢を見ているような顔つきだった。


 私だって、聞いた時は何かの冗談か、幻聴か、偽物かと疑った。

 それでもその現実とは信じられない口約束のためだけに、

 私の、この虚のような二年があったと言っていい。


■■■


 真偽を問うべく、私は戒音の背を追った。

 男は角を曲がった先、体育館から各所に通じる総合玄関で、待っていた。

 ズボンのポケットに乱暴に手を突っ込んで、高さ二メートル近い、天井からワイヤーで吊り下げられた巨大な帆船のモニュメントを見上げていた。

 筆島という太平洋沿いの小さな島からの友好の証だと、壁の案内に書かれている。


「今の話、なんなんですか!?」

「何がだ?」

「とぼけないでください! 私に、十神を潰せ!?」

「思い違いするな。俺が言ったのは、この戦いに十神が負けた場合だ。その時は、二度と立ち直れないよう、潰せ」

「っ、だからっ! そうしなきゃいけない理由を聞いてるんですよ!」

 壮年にさしかかった同胞の顔は相変わらず船に向けられたままで、募る焦燥感は、この男に手をかける。

 その、矢先だった。

「かつて源実朝は」

 妙なことを、語り始める。

「宋入りを果たすために、大船を建造したそうだな」

「由比ヶ浜、ですか」

 毒気と熱を抜かれた私の返しに、顔の向きはそのままに、戒音は、満足げに頷いた。

「結局、その船は相模の大海に浮かぶことなく朽ちただけだが、思えば俺の半生も、船を造ったというだけだった」

「……船?」

「若い頃はそれを作ることに熱中した。どれだけ大きくできるか、どれだけ強固にできるか、どこまで遠くに行けるか、ただそれだけ考えて生きてきた」

 そこまで語られて、私はようやく船が何なのかを悟った。

「だがふとその船を顧みて思った。……こんな大きな船で、いったいどこに行こうというんだろうな、と」


 そこでようやく、十神戒音は私に向き直った。

「……俺はな、大悟。作って眺めるだけで満足してたが、実際動かすことなんてまるで考えちゃいなかったんだ。気がついたら自分でもコントロールできなくなって、陸に押しとどめるだけが精一杯になっちまった」

「だから……だから、その船を壊すと……仲間を巻き込んで?」

「いや、仲間を守るために」

「守る? ……皆、あなたのために命を賭けてる! 自分の職務をまっとうしている! あなたの勝利と正当性を信じて! なのに、あなたがそこから下りてどうするんですか!?」

「巨船があるから人は途方もない海へ行きたがる。どこまで行けるか、実際試みようとする。けどな……この船には、行き着く港なんてない。もう誰にも操ることはできない。今は停まっているから良い。だが、俺という留め具がなくなった時、残された船乗りたちは……組織の膨大な叡智と技術を、いったいどう使うんだろうな?」

「……っ、それは……正義のために」

 そう口にする自分が、うすら寒かった。


「正義か。明確な答えを出した人間がいないその帆を、お前ならどう掲げ、どこに向ける?」

「でも……でもあなたは迷わなかったじゃないですか! いつも果断し、即決し、私たちを導いてきたはずだ!」

「俺か? 俺は自分の役目をロールしていたに過ぎねぇよ。十神の当主として家を大きくする。百地一族の一人として、統御しうる戦力をもって異端を討つ。その二点にだけ、力と意欲を注いできた」

「でもそれで救われた人間もいる!」

「殺した人間もな」

 私は息を吸い、彼は息を吐く。


「つまるところ俺は保健所の人間だ。狂犬も、忠犬も、目についたものが犬ならばすべからくガス室に放り込んできた。感謝されもした、敬遠もされた。そして今、犬になった主家すらも、敵とした。それが仕事だったからだ。それが正しいかなんて、考えたこともねぇよ」


 もはや、言葉は尽くした。

 力なくうなだれる私は、今の重藤のように


「なんで」


 と問う。

「でもなんで、幕を下ろすのが私なんですかッ! 私はあなたに尽くしたっ! あなたのために、大勢の人間を犠牲にしてきた! なのに、私にそれをやれと……っ?」

「お前は立場のせいで軽視されちゃいるが、それゆえ警戒心は薄いだろう。十神内部の事情にも精通している。異能がないからそれに対する欲も少ない。何よりその体質ゆえに、催眠や読心術によって考えが露見することもない。……何より、お前は他人を犠牲にする痛みを知った。これ以上の適任がいるか?」

「……どこまでがあなたの計画だったんですか」

「計画というほどのことじゃねぇよ。あくまで、俺が死んだ時の可能性の一つを考えるうえで、適役が近くにいた。それだけのことだ」

 その割には言葉の一つ一つが断言じみて歯切れが良く、重みがあった。


 ――あぁ思えば。

 この時すでに、戦況はあまり良くなくて、十神戒音は、自分の死期を悟っていたのかもしれない。


「……お前が動けば、その残骸の使い道を考えるのは、次の世代になるだろうな。……できれば、無難な使い方をしてもらいたいもんだ」

 視線を外したのは、私の方だった。

「……勝手すぎますよ……」

「あぁ、だから『約束』なんだよ」

 恨みとともにそう吐き捨てる私に、重々しく、しかし微苦笑しながら頷いた。

「これを命令とするなら他の部下に対する背信行為だ。これがお願いとすると図々しすぎる。だからこれは俺個人がお前と交わす約束だ。その時が来なければ守る必要なんてない。その時が来たら……その約束は履行する価値があるのだと、判断したら守れば良い。ムリをして守らなくとも、俺は恨まないし、呪わない。すべては俺の言動が招いたことだからな。第一、お前呪い効かないし」

 そう言う主人を、私はなおのこと勝手だと思う。

 だとしたら、もう私にはYESというほか道はないということになる。


 瞑目し、考える。

 いや、考えるフリだけする。


 答えはもう、私の中でも、この男の頭の中でも、決まっているのだから。

「分かりました。時が来たらあなたの考えるとおりに行動する。恨まれ役、憎まれ役、蔑まれ役、甘んじてすべて買って出ます」

「…………すまんな」

「ただ、これが約束というのなら、私に一つ、見返りをください」

「なんだ?」

「一発で良い……一発で良いですから…………あんたを殴らせろ……!」


 十神が死んだのは、それから三日後だった。


■■■


 そしてこの二年間、私は百地の犬として正体を隠し、本心を隠し、働き続けた。

 あんな約束、守る価値などない。

 そのはずだったが……十神戒音の懸念は当たった。

「結局私の探った十神残党はことごとく、百地に対するテロ活動、あるいはまったく無関係な凶悪犯罪、あるいは金儲け。政治活動。……そんなもののためばかりに、十神の遺産を食い潰していていった。……けど射場家は、彼女の家だけはどうしても疑いたくなかった。だから酒だけ飲んで、そんな兆候などない。そう報告しようとしていたのに……あんたが現れた。……それでも、信じていたかったんだけどな」


 射場重藤は、今回の騒動の首謀者は、うなだれたまま私に一言もない。

 旧主に裏切られていたことが、それほどまでにショックだったのか。

 自分があの男のためにしていたことの全てが、その意に沿わないものだとわかり脱力したか。


 十神との約束は、もうこれで果たされる。

 射場が潰れれば、今後百年、十神は全盛の力を取り戻すことはないだろう。

「諦めろ」

 今までで、誰よりも、一番優しい声で、私はそう言った。

「射場家自体の存続は難しいが、あんたと、あんたの娘は私と小山田が守ってみせる。……だからもう、これで手打ちにしろ」


「……か」


 重藤は、壁に拳をつけたままに、聞こえないほどに小さく、低い声で何かを口ごもらせた。

 次の瞬間、

 不用意に一歩寄った私に射場重藤は襲いかかる。

 老いとはほど遠い素早さで、獣じみた反応速度で。

 肩に叩き込まれた岩のような拳が、私を壁に激突させた。


「今さら後に退けるかぁッ!!」


 スーツの上着から取り出された小刀。その鞘を取り払い、私の首に押し当て、へし切ろうとする。

 片腕一本でその進行を留めながら私は、激しい怒りの色を見せる重藤の両の瞳を見た。

「僕は誓った! あの体育館で! あの無数の屍たちに! その倍は、三倍は! いや百倍はっ! 奴らの屍を築いてみせると!」

「それを……主が望んでいないとしてもか?」

「君が倒した彼らがどんなみじめな境遇だったか知っているか!? 冷遇され、犬同然に捨てられていた! 僕がかくまってやらなきゃ、皆野垂れ死んでた! そんな惨状を知って、十神先生はそんな約束をしたというのか!?」

 無防備な腹を、私は靴を浮かせて蹴り飛ばす。

 打ち身で生じる痛みに乗じて、私は危機から離脱する。

 視界がはっきりしていると、重藤が『白札』を取り出しているのが見えた。

 L字型の拳銃の『識紋』。

 光とともにそこから生まれ出たものを、重藤は右手にとって構えた。

 白銀に金の獅子の装飾が施された、円形の盾。

 そこから伸びた五つの銃口は、注射器のように先端がとがっている。

 中国史に出る迅雷銃が、それを知る羽々音の手前、正体を隠している時には見せることができなかっただろう、彼の『識』だった。


「僕は……彼らと誓った! あの時の全盛を、十神の時代のあの夢を、再び見るのだと!」

 反射的に、待合室のソファの下に飛び込んだ。

 が、飛び込んだソファが浮き上がり、修復されたばかりの自動ドアに浮き上がる。

 どこにも煙は立っていない。火薬の臭いは、当然ない。

 わずかに感じた風。

 おそらくは空気を圧縮し、あの銃口から弾丸のように放っているのだろう。

 発射のタイミングもわからない。軌道は当然見えず、着弾点もわかりづらい。

 唯一勝機を感じるとすれば、ヤツが常の冷静さを欠いているというところか。

 ――いずれにせよ、既に異変に気づいただろう羽々音に、父と教師が相争う姿など見せられない。

 短期決戦が望ましい。

 彼はカッターシャツからネクタイをゆるめて外す。

 胸のポケットから、芦田がつけていたはずの赤マフラーが伸びて、それを巻いた。


「君だって、あの頃に戻れるならば戻りたいだろう! やり直したいはずだ! 違うか!?」

「もう私たちの夢は終わったんだよ! 醒めた夢は、もう一度見ることはできない。同じ夢を見ようと望めば、それはただの妄想だ!」


 言うが早いか、私はソファの裏に己の身を隠す。

 だが、完全に隠れきる前に、きしむ音がした。

 まずいと判断し、反転する。

 黒いビニールの外皮が破れ、緩衝材が散り、露わになった骨が、たやすくひしゃげる。

 だが五発。

 それは認識できた。

 風向きも、まるで向こうに吸い寄せられているようになっている。

 ――装填中。

 そう判断し、即座に飛びかかる。

 片腕から突き出されたナイフを、顔の横、柄を掴んで受け止める。

 突きつけられる迅雷銃の口の一本を握って反らし、自分から狙いを外す。

 お互い、両腕を捕らえたままに、肉薄し、額を突き合わせ、眼光をかわす。


「今度は私たちが、あの子たちに好きな夢を見させてやる番だろうが! あんたらの妄執に、その夢を破壊してまで成就させる価値なんてない!」

「夢を見させてやる? 君がか!? ……笑わせるな!」

 腕力で押し負け、私は身体を浮かせて壁に背をぶつけられた。

 何度も打ち付けられるたびに、痛みで身体から力が奪われていく。

 腕から力が抜け、ナイフが飛んでくる。

 私の身はかわしたが、上着の袖口が壁に縫い付けられた。

 左手から男の左手が逃れ出て、銃口の先が、私の喉に突きつけられた。


「君は望んで教師になったわけじゃない! そんな崇高な志を持っていたはずがない! 失敗を繰り返し、彼らすら欺き、また同じ過ちを犯し……そんな君に彼らを教え導く資格があるのか!?」

「……っ確かに……っ、さっきまで、そう思っていた……っ。他にも……答えのでないこと、あいつらに答えてやれないこと……たくさん、ある」

 あえぎあえぎ、虎口を逃れる術を探る。

「それでも……っ、あいつらは私に居て良いと言ってくれた……失敗しても……カバーしてくれると……他にも、いっぱい……助けてくれた……教えてくれた、学ばせてくれた……思い出させてくれた……っ」

「そうしてまた誰かの好意に甘えるか!? 花見大悟!」

「違う……っ! 私は……私は!」

 意を決し、喉仏に当てられた『識』を空いた片腕で掴む。

 音のない弾丸が、天井を貫いた。


 渾身の力で、地を踏みしめる。

 苦しいのも、辛いのも、すべてないまぜにして、己が立つための原油として燃やす。

 わずかに揺れる重藤の瞳をまっすぐ正視した。


「私は教えるためにいるわけじゃない! 彼らにすがるためにいるわけじゃない! ……私がいるのは、彼らとともに考えるためだ! 一緒に答えを探し先へと進みたいから、花見大悟は、ここにいるッ!」


 ――第二射。

 わずかな空気の揺らぎが目に見えて、私はナイフを引き抜きそこへと当てる。

 柄も、刃も破砕した。

 だが弾も消えたのが、風の流れから感じ取れた。

 私は、不思議とそんなことまでわかるほどに、集中できていた。

 その間隙をくぐり抜け、振りかざした右拳が、重藤の頬を射貫く。

 すかさず向けられた迅雷銃が、私の腹を狙っている。

 逃れようとしたその足が、重藤の水面蹴りによって払われて、体勢が崩れる。

 ――間に合わない。

 だか彼の『識』が、発射を待たずして破壊された。


 私の背後から飛んだ、その矢によって。

「……ッ!」

 鬼の形相が向けられた先、廊下の奥に、彼女はいた。


 射場羽々音。


 髪を下ろし、シャツを乱し、壁に手をつき、肩を大きく上下させながら、

 それでも彼女の前には、父を止める意思の表れとして、父が生み出した存在である『識』の『霹靂』が、在る。


 そして私の前に回り込むようにして『雷切』が囲う。

 羽々音の身体を、携帯端末を手にし、『八房』を伴った雫が支える。

 遅れて、徳本に引かれて雪路橘平が現れた。

 一同、私と、そして重藤の巻いた赤いマフラーを見、事態を悟り、瞠目する。


「……父さん」

 哀しげな羽々音の声が、私の胸をチクリと刺した。

「……羽々音か。父さんはな、彼と大事な話をしているんだ。下がっていなさい」

 闖入者たちの登場は、重藤の怒りに水を浴びせ、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

 それでも、その顔からは憑きものが取れた気配はない。

「いや、だよ」

「……そうしてお前も父親を裏切り、この男に媚びるというわけか。梓といい、お前といい!」

「それは違う」

 これ以上ない父からの侮蔑を受けたにも関わらず、羽々音は憔悴以上のものを、表には出さなかった。

 静かに首を振り、手を挙げる。

「姉さんもあたしも、愛しているからこの人の味方になるんじゃない。自分が正しいと信じているから、行動するの。もう誰も傷つけたくない。それと媚びるんじゃなく、寄り添うために、私は彼の隣にいる」


 沈黙の海の中にいた。

 父と娘の、そして私の息づかいだけが聞こえている。

「……くく」

 息づかいを縫うようにして、重藤の、歪んだ哄笑が漏れ聞こえた。

「まったく……まったく! つくづく思い通りにならない娘たちだなぁ!」

 それを合図に、『雷切』が四、五体、重藤を取り囲む。

「動かないでください」と、雪路。

「話、大体見えてきました。色々恨み辛みはあるけれど、イバちゃんの手前、手荒なことしたくないんスよ」

 だかがそんな雪路の警句に、重藤は、どこか哀しい響きの笑いで答えた。

「まだだ」

 笑声を打ち消すと同時に、険しい声が耳を突く。

「僕には、まだこれがある」


 取り出したのは、黒い札。

 何も描かれていない、無地のもの。


 私たちの誰かへ向けて投げ込むかと思ったそれを、あろうことか、彼は、

「っ!」


 己に使用した。


 ――生命の危機に関わると、

 自身でそう説明した呪いの力を、いともたやすく行使した。

 黒い札の縁で、己の首筋をなぞる。

 なぞった軌道に沿って、吹き出たのは、朱色の霧。

 血のようで、血ではない。首筋に傷はついていない。

 だが、命に等しい、何か。

 みるみるうちに霧が札に吸い込まれ、白く変色して拳銃の『識紋』を形作る。

 それと時を同じくして、重藤の全身が大きく左右にぶれた。

 立つ力を失い、上半身から崩れ落ちる。

 彼の手から離れた札からは、独りでに『識』が構築された。


 銃そのものではない。

 銃撃手。

 黒いフルフェイスのヘルメットのような、つるりとした、凹凸のない頭部。

 鎧に覆われたような人型の全身。シルエットは、そのまま重藤の姿を写し取ったかのようだ。

 はらりと抜け落ちた主のマフラーを、空中でキャッチすると、まるでそれが自分の私物であるかのように、慣れた手つきで首に巻いた。

 巻き終えた手に、重藤が使用したものと同型の迅雷銃が、何の前触れもなく現れる。


 制止する一瞬すらなかった。

 『雷切』の兵達の合間、私に槍の穂先にも似たそれが向けられる。。

「っ危ないっ!」

 次の瞬間、私は羽々音に庇われ、突き飛ばされていた。

 弾丸が五発、横凪ぎに発射され、壁をえぐりとる。


 土煙にまぎれ、影が一つ、壁の裂け目から消えていくのが、うっすらと分かった。

 その一方で私は、羽々音の下にいた。

 真上で両手を床につけた彼女は、ほんの少し辛そうだった。

「わ、悪い……」

 そう言うと、彼女は困ったように眉を下げ、それでも笑う。

「この前と立場は逆なのに、言うことは同じなんですね……」

 父親が自分たちを脅かしていた集団の首領で、私と争い、そしてその精神は怪物となって逃避した。

 それらの事実に打ち負かされることなく、羽々音は、いつもの射場羽々音だった。


■■■


 ブーたれる雫と雪路は「後で説明する」と無理矢理帰し、あるいは寝かせ

 私は羽々音と、一対一で向かい合っていた。

 何よりも、誰よりも先に、彼女に私のすべてを話すべきだと思ったからだ。

「……そうですか。大悟さんが、百地の人間だったんですか……」

「……君の父親のことは、すまなかった……」

 射場重藤の肉体は、ちょうど病院だったということもあり、別室に入院、いや保管させられている。

 徳本は、その肉体を維持するための処置にあたっている最中だ。

 ――まぁ、私と羽々音にこういう場を設けるための口実かもしれないが。


「……君にだけは、事が終わった後で説明するはずだった。許してくれなんて言わない。だから」

 ベッドの縁に腰を下ろす羽々音の指が、きっちり揃えられて、私をチョイチョイと招く。

 ――これは、また殴られるかな。

 ある程度の痛みは覚悟して、私は顔を彼女に差し出した。

 が、飛んでくるはずの一撃はなかった。


 伸びた両手が私の背に回される。引き締まってはいるが女の子らしさの残る小さな掌。

 顔は私の肩に置き、全身の力を私に委ねている。

 とても危うい、ヘタをすれば私たちの関係のすべてを崩しかねない姿勢。

 身じろぎするたびに、衣擦れの音が大きく聞こえる。

 それでも私は、彼女の抱擁を振り払うことは、できなかった。


 するり、

 羽々音の手の一つが背から離れ、私の頬を滑る。

「ずっと」

 見上げた顔は、目尻に涙を溜めている。

 それでも、嬉しそうに目を細めていた。

「あなたの痛みに触れたかった。初めて見たあの日から、その目に浮かぶ涙をぬぐいたかった。そこに届く手が欲しかった。……でも、違うよね、大悟さん。最初からそこには、手を伸ばせば届いたんだから。でも、やっと届いた……ごめんなさい、遅くなって」

 幻肢痛。

 かつて失った何かが、胸の奥で激しく訴えて、私に涙を流させる。

 気づかないうちに私は羽々音を抱きしめて、その服に、涙を吸わせていた。

 せめて精一杯、感謝の思いを伝えるために。

「羽々音……」

「はい」


「……ありがとう……っ」


 ようやくすべての思いが、自分の中で精算できたと思う。

 羽々音の、

 雫の、

 雪路の、

 小山田親子の、

 ……そして、最初に私を招いた重藤の


 ――羽々音だけじゃない。

 彼らすべてに対する感謝の気持ちを込めた、感謝の一言だった。

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