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仮面舞踏会 午後の部「女優、克己(後編)」

 番組は始まった。

 もう後戻りはできない。

 梅雨の気配をまだ見せない晴天の下。

 周囲を囲むギャラリーには、この国原の生徒や教師の姿もちらほら見える。

 私たちのクイズの席は、三つ。

 赤・青・そして緑。

 それぞれに油性マジックとクリップボードが予備分含めて数枚、備えられていた。


〈さぁ始まりました! 第三回『業界対抗! 学校対抗! スクールウォーズッ!』。実況はワタクシ尾形(おがた)ヒカル! そして解説は……〉

〈小山田かすみと申します。本日はお日柄も良く、実にクイズ日和。このような晴天に恵まれたこと、お祝い申し上げます〉

 その女の名前と声、顔が出ただけで、自然頬がズキズキと痛みを発する。

 急ごしらえの放送席に、アナウンサーの男と二人で座っている。

 何故こいつが、と思う矢先に、その尾形とかいうアナウンサーが説明してくれた。

〈えー、小山田さんはモデルとして各雑誌で活躍中ですが、まだ大学生で、それでこの蛾学校の教育実習生、なんですよね?〉

〈……〉

〈あのー、小山田さん?〉

〈……それは、自分から話すべきことなのでしょうか?〉

〈そうですよっ! 解説なんですから、しゃべるのが仕事ですっ!〉

〈ではお答えいたします。……左様です。以上〉

〈左様って……〉


 と、相変わらずコミュニケーションを取る気もない。

 ――というか、あいつもモデルだったのか。

 どうにも周囲には、そういう芸能関係者が多いようだ。

 ――奇人変態はその倍は多いが。


〈えーっと、それに加えて今回クイズの内容を考えたのもこの小山田さんとのことですが……いったいどのような問題をお作りに?〉

〈はい。この番組のディレクターに協力を要請いただきましたので。また、今回は父にも問題作りを手伝ってもらいました。各学年、各学校のレベルに左右されない学力の問題。現在における流行・時事問題、あとは互いの絆を確かめる問題と、三ジャンル用意させていただきました。各問題正解するごとに一人10ポイント。全問題終了時に総合得点が高かったチームが優勝となります〉

〈なるほど、お父さんに……それでは、かなり高レベルの問題が出る可能性もあるというわけですか?〉

〈いえ、父の作った問題は九割九部くらい削らせていただきました。そのままだと深夜にやるしかなくなってしまうので〉

〈それはお父さんの参加した意味がないのでは!?〉

〈いえ、自分の心の中で生きていますから、決して無駄ではないのです〉


 ――相変わらず、無茶苦茶な親子だ。

 だが小山田純の介入を避けたのであれば、それは素直にグッジョブと言わざるをえない。

「ですって! 良かったですね。花見先生」

 そう言って顔をほころばせる雫。喜びは本物だろうが、笑みは明らかに作り物だ。

 本当ならこの解答席のテーブルにのぼって、小躍りするぐらいのリアクションをとるだろう。

 そこにジレンマを覚えるが、カメラの手前、何も言えない。


〈それでは、それぞれのチームの意気込みを紹介とともに語ってもらいましょう!〉

 なんかもうお約束の流れで、放送席から尾形アナが立ち上がる。

 私たちがいる左端とは逆の、右端の席から先に、彼はマイクを突きつけた。

〈まずは、スポーツ代表! 陸上、日本が誇る将来の金メダル候補、アスリート大隅(おおすみ)隼人(はやと)さんと、その監督でもある板東(ばんどう)太助(たすけ)先生です!〉

 角刈りの青年よりも、教師の持ち上げた太い二の腕の方が目立つ気がする。

 それとスポーツマンらしいさわやかな前口上が、二人の野太い声から出てきて、話は終わる。

 内容は……どうでも良すぎて半分以上記憶に残っていない。

 何より、その場にいた人間に強烈な印象を残したのは、かすみの発したコメントだっただろう。

 

〈将来を属目される人間とその監督がろくにトレーニングもせず、また休息できるわけでもないのにこんな番組で油を売ってて良いものか、はなはだ疑問でございます〉


〈……あの、すみませんが小山田さん、ちょっと口を閉じてもらえると助かるのですが〉

〈何故でございますか? 喋るのが解説役とのことでしたが〉

〈そこは解説しなくて良いです!〉

 ――普通ならば、完全に干される発言だろうに。

 それをためらいもなく言える辺り、小山田の血筋か。


〈え、えー……次! 今人気のアイドルと言えばこの人ッ! アイドルの香流成海さんですッ!〉

 瞬間、黄色い声が各方向で気炎のように巻き起こる。

 さえずる鳥のようでもあり、示現流の猿叫のようでもある。

 なんにせよ、耳が痛い。

 本人はさも当然のように受け入れて、異国の皇太子のように涼しい顔で手を挙げ、いなしている。

 この声があと何年、いや何ヶ月続くのやら。

 意地は悪いが、少しばかり楽しみだ。


〈教師は歴史担当の皆鳥(みなどり)ケイ……あれ?〉

 まだ若いそのアナウンサーは、自分が手にした資料と、その教師の顔を見比べて首を傾げている。

 確かに座る男はジャージ姿で、隣の体育教師と同じ系統の野暮ったさで気持ち居心地悪そうに、ボウボウと伸びた髪を自分の手で梳いている。ビジュアル的には香流の引き立て役だろう。

 確かに、歴史教師にしては小野妹子がまだ女だと勘違いしてそうな、インテリジェンスの欠片も感じさせない男だ。

「あー、その……本人が出演を嫌……いやいや、ちょっと急な仕事が入ったもんでして。代わりに俺、西浄(さいじょう)明彦(あきひこ)が副担として代役に選ばれまして」

「は、はぁ……そうですか……」

〈……あっ、でもバカにはせんでくださいよっ!? 俺だって、小野妹子が男だってことぐらい分かりますよ! 何せ見返り美人になるぐらいに有名っすから!〉


 ――バカが背伸びして賢いマネすると、痛い目を見る。

 その実例を、私は今まさに隣で実感していた。

〈……はい、一チーム最下位決定でございます。世の中顔だけではないのですが、中身がアレだとなお救いがない。今日は勉強させていただきました〉

〈勝手にまとめないでください! 始まってもいないですからッ!〉

 出題者、企画者、そして解答者。

 誰一人としてマトモな人間がいない中、アナウンサーの胃腸が心配だ。

 私がこの胸に忍ばせた丸薬を、彼にそっくりそのままあげたいくらいに。


〈最後は、この学校の生徒さんでもある、期待の俳優! 昭和の名優ならぬ平成の名優となるか!? 村雨雫さんですッ!〉

 歓声があがる。

 雫は爽やかな笑顔を、その無責任な応援者たちに振りまいていた。

 私はかすみに目を向けた。

 視線と視線がぶつかり合う。

 頼むから余計なことは言ってくれるなと、

 私はヤツの鉄面皮に念じ続けるしかない。

〈さて、村雨さん。こういう番組に出るのは初めてですよね? 意気込みの方、どうでしょうか?〉

「はいッ、皆さんとても頭が良さそうですけど、それに負けないくらいにがんばりたいと思いますッ!」

 ――良かった。まだ無難な返答を選んでくれている。

〈勉強はしてきました?〉

「えへへ、ちょっとだけ……ですけど」

〈ほう? では、この花見大悟先生の教科は国語ということですが、和歌とかも大丈夫ですか? 近頃、国語の点数悪い子、増えてるみたいですけど?」

「はい! それはもう! 和歌で言えばさっきも言ってた小野いも」

「ゲホッゲホッ! ゲーヘッ!」

 私はそれを、咳でかき消した。

 ――だからそれは小野小町だっつーの!

 あの男の珍回答で凍った場の空気が、こいつには読めなかったのか!?

 ダメだこいつ。

 仮面の出来は良くても、中身がバカのままだっ!

 しかもタチが悪いことに自分が間違ってるっていう自覚がない!

〈は、花見先生? 大丈夫ですか?〉

「し、失礼……ちょっと発作が」

〈は、はぁ。……では気を取り直して花見先生にも聞いてみましょう。自信のほどは」

「ないです!」

 私はキッパリと言った。

 そうだ。もうこの時点で喪失した。

 この歴史的バカの面倒を、最後まで見切れる自信が。

〈…………で、でも小山田さんのクイズの中には、本人たちのプライベートに関する問題も出てくるみたいですから大丈夫ですよ! ふだんの雫さんはどういう子なんでしょうか?〉

 ――来ると思った、この質問。

 今度は雫が、私を凝視している。笑みの底で、黒い圧力が渦巻いている。

 外野にいる村雨理美も、険しい目つきでこちらを睨む。

 雫がどんなキャラで来るのか分からなかった私には、確たる答えが用意できたはずがない。

 だけど大体のイメージでは掴んでいる。

 自分が考える優等生の姿を、その理想像を思い浮かべ、口を開く。

「…………そうですね。いつも笑顔の絶えないステキな子ですよ。成績も良くて、運動神経も良い。忙しい中、よくやってくれてますし、何よりコ」

 ――しまった。

 言いかけて、そう思った。

 余計な情報を言ってしまうところだった。

〈コ……なんでしょう?〉

 放っておけばいいのに、尾形はその言葉のピースをキャッチしている。

 今更ごまかすのもアレだし、何より私が誰を思い浮かべたか、雫に分からせるのも今後の展開を考えれば悪くないのかもしれない。

 ――ただし、番組の終わった後が、ちょっとだけ怖い。


「コ……コーヒーの好きな……子、です」


 雫の眉がちょっとだけつり上がる。

 怒りじゃない。仮面の下で露骨に呆れている。非難している。

「バカかアンタは」

 と。

 演技には疎いが、腐れ縁だから分かってしまう。

〈コーヒー? ははぁ、それは興味深い! やっぱり我々のイメージどおりの、相当大人びた優等生のようです。では逆に欠点は?〉

「……そうですね。カンペキすぎて、私なんてもう必要ないんじゃないか、って思うことがしばしば」

 瞬間、ギャラリーも含めてどっと笑いが起こる。

 笑っていないのは私と、仮面の下の村雨雫と……射場羽々音本人。

 そして、小山田かすみ。

 放送席で指を組み、高い音程を保った声で言う。

〈あとは笑顔の割に、余裕がないところがありますね。あの女は〉


〈……あの女?〉

「……確かに、今の世の中若者の国語力は低下してますね。こんな簡単な『ニュアンス』も間違える人間が放送席でふんぞり返ってるんだから」

 訝しむアナウンサーは、その背越しに私を見据える小山田かすみの視線に気づいていない。感情の色はないが、怒りは伝わってくる。だが拳と腕は、ここまで届くまい。

 だが不穏な空気は感じ取ったのかわざとらしい咳払い。

〈そッそれでは! 本番に入りまSHOWッ!〉

 無理矢理テンションとモチベーションを高め、哀れな尾形アナは、高らかに開始を宣言した。


■■■


 第一ジャンル、学力問題。

 いたって普通の、高校一年レベルの学力問題だ。

 というかこれ、雫が解いていた学力テストのそのまま流用……

 ――私は、小山田かすみを睨む。

 無表情な美貌がそのまま私を見返しただけで、そこに後悔も悪びれもない。

 しかしまぁ、これならよほどのことがない限り、しくじることはないだろう。

 これが偶然か意図的か、善意か悪意かはともかく、過去やって、なおかつ採点結果を返した問題である以上、よほどのことがない限りはしくじらないだろう。

 雫が復習をしていないならともかく。

 だが、雫はバカでも、自分の失敗を反省しないバカじゃない。

 トンデモなヤツではあるものの、それぐらいは、わかる。

 

 一問目は歴史。

「えっ、遣唐使? グラディエーターのことじゃないんスか!? 引っかけでしたか!?」


 二問目は数学。

「えっ!? サイコロふるんだから答えは全部六分の一スよ!?」


 時間切れになって、答えをオープンする度に、ミスはあるものの、無難な雫の答えにホッとする。

 ――というか想像を超える規格外のマヌケがいたせいで、雫の間違いが些細に見えてしまう。


 問題は……三問目、国語。

 今までの流れで油断しているところに

〈評論で使う単語の中で、次の言葉にあたる意味を答えてください!〉

 この問題が来て、固まる。


〈1:風刺〉

 出していない。

〈2:アフォリズム〉

 こんな問題は、出していないはずだ。

〈3:ジレンマ〉

 完全新規の問題だ。


 ――しかも高難度ときたもんだ。

 あの女、こんな変化球を入れてくるとは……。

 私の分野なので当然全問、確信を持って解ける。

 だが、雫はどうか?

 チラリ、隣を見る。

 するとなんと意外なことに、スラスラと、苦難に顔を歪ませるみことなく、ペンを走らせていた。

 ――だが。

 ふと、その筆の速さが、逆に不安を覚えさせる。

 書き終えたクリップボードに頬杖をつきながら、ふと、隣を見る。

 バレないようにやっている。

 というより国語の問題で国語の教師が生徒の解答をカンニングするなんて想像をするヤツがいるわけがない。

 そして私は、雫が書き終えた三つの答えを見る。


『1:ウィンドニードル!』

『2:ノリの良いアホ』

『3:んんー! ジレンマ! ジレンマですぞー!』


「ドフゥ!?」

 私はためらわず、そして誰にも悟らせずに雫の足を踏みつけた。

 漏れ出る息をため込んで、雫は痛みをこらえている。

「この瀬戸際に小学生がウケ狙いで書くような答え、ためらいもなく真顔で書くんじゃねぇ……! っていうか三問目諦めてんだったら妙なモン書くな……!」

 小声でそう言い、白紙のボードをそのまま上にかぶせる。

 一秒たりとも気が抜けない。


 第二ジャンル。時事問題および流行。

 私が政治的な時事問題、仮面をかぶった俳優村雨雫は流行の問題をほぼ正解し、そしてその真逆はできなかった。

 ――まぁ、学生なんだしその程度は許される範疇だろう。


 事態は、またも三問目に起こる。

〈では第三問目! ……え、何コレ? 本当に聞くんですか、小山田さん?〉

 尾形の言葉は、突如アナウンサーらしからぬ歯切れの悪さを見る。

 雫は背を伸ばし、指を組んだまま深々と頷いた。

〈え、えーでは改めて第三問……セミの味は?〉

「…………は?」

〈で、ですから、セミの味は……その、ある海産物に似ていますが……何に、似ていますか、と〉

「……小山田ァ!」

 私はもはや誰にはばかることなく、声を張り上げた。

 小山田かすみは、父によく似た目元を、わずかに細めた。

「こんな政治も流行も関係ない問題が許されるんですか!?」

〈それはそうなんですけども! ハイもう答えてください! それじゃ!〉

 ――アナが壊れ始めた。

 まぁ気持ちはわからんでもない。

 というか私も、こんな変人どもに囲まれて、今までよく正気を失わなかったものだと、素直に感心する。

「わかってるよな? 雫……」

「はい。花見先生」

 確認のために声を出す私に対し、彼女は素直に頷いた。

 だがその普段のバカ正直さとはまた違う素直さが、私をますます不安にさせる。

 また何かしでかす前に制止しようとすると、

〈あっ、花見先生! ダメですよカンニングしちゃ!〉

「こんな問題誰がカンニングすると思った!?」

〈……どうだか〉

 ――なんかこのアナ、私に対して不当な扱いをしてきている気がする。

 まぁこのやり場のない怒りをぶつけられる対象は、この場にいる私ぐらいなものなんだろう。

〈ハイ、ではオープン!〉

 当然の如く、全員が無解答。

 ……いや、アイドルの横でその担任、いや副担任が『ホタテの貝柱』とかよくわからないものを書いているが、その他は、おおむね。

〈えー、ではこの問題は全員不正解というこ〉

 そう決めつけようとしていた尾形アナが、こちらを向いて固まる。

 いや、村雨雫の方を見て固まっている。

 まるで、神が降臨したのを目撃でもしたように。地中から怪獣でも出てきたように。

 ――おそるおそる、私も隣から、見るのも恐ろしい村雨雫の方を、あえて向く。


『エビ』


 ――実際食ったことも調べたこともないんだから、私に答えなんてわかるわけがない。

 だが間違いない。

 正解だ。

 この女、間違いなく正解を書いている。

 自分だけが答えを知っているもんだから、仮面の上からでもわかるほどすごいドヤ顔してる。

鬼の首でとったような、誇らしげで、恍惚とした顔の動き。

 この場に誰もいなければ、そのまま頭のひとつでも引っぱたいているところだ。

〈え、えー。正解者が出ました。村雨雫さんにポイント入り、ます〉

 私は遠くの羽々音を見た。

 撃て、

 今すぐこいつを撃て、と。

 羽々音は、諦めたように何度も首を左右に振る。何も持たないままに両手を軽く掲げるだけだった。

 また自分で解決するしか、なさそうだった。

「て、テレビのクイズ番組でやってたんだよな!? な!?」

〈で、ですよねー。まさか村雨さんがセミを食べるなんてそんなヨゴレの芸人みたいなこと……〉

 そこで、甲高い電子音が場に響く。

〈っと、ここでどうやら一度休憩のようです! 皆さんお疲れ様でした! 一度疲れた心と頭をリフレッシュしてください! 次のクイズで決着がつきます!〉

 助かった、と思った。

 ――いや。

 よく見ると外周の辺りで見覚えのあるメンツが細々と動いているのがわかる。

 あれは村雨興業の人間。それと、中心にいるのは村雨理美だ。

 どうやら助け船を出されたらしい。

 身体中から、力が一気に放出されていくのがわかった。

 その抜け出たエネルギーがまるで煙になった空へとのぼっていくようで、私はその後しばらく、雫が呼ぶまで、ぽっかり開けたその空間を、何も考えずに見つめていた。


■■■


「お前、バッカじゃねーの!?」

 その罵声を、私は何度浴びせただろうか。

 何度、撮影中に言おうと思ったか。

 数えだしたら、キリがない。

「だってハナミンが『わかってるな』なんてまぎらわしいこと言うからァ!」

「場の空気わかってるか、ってことだよ! ちゃんと考えて動けや!」

 カツラはつけたまんまだが、醸し出すこのダメな雰囲気は、間違いなく私の知る村雨雫そのものだ。

 控え室代わりの教室。

隣り合ってロケ弁を貪りながら、私たちは互いにいがみ合っている。

「……危なっかしいところはあったけれども、どうにか乗り切れましたわ。感謝します。花見先生」

「ギャラは弾んでくださいよ」

「なに言ってるんだい。教師が副業なんて。当然ボランティア、ノーギャラだよ」

「……ちっ」

 しゃしゃり出てくる重藤に、私は隠さず舌打ちした。

「そーだよ。っちゅーか、ハナミンが変なこと言うもんだから、後半ちょっと演技乗り切れなかったんだから」

「それはあなたの演技力不足」

 ずばりと、歯に衣着せない母の指摘に「うぐぐ」と雫は声と米とを喉に詰まらせる。

 ペットボトルに入った緑茶を雫に差し出しながら、羽々音は私の方を不安げに見つめた。

「あの、普段のしーさん聞かれた時のあれって、もしかして……」

「あぁ、君の印象で語った。コーヒーのくだりは余計だったかもしれないけどな」

「でもどうして、あたしだったんですか?」

「……イロモノ集団の中でマトモなモデルが君しかいなかった」

 隠してもしかたないので、ありのままを答える。

「だ……花見先生」

「ん?」

「花見先生は、必要な人ですよ」

「そう言ってくれると、教師冥利に尽きるってもんだ」

 まだ何か言い募ろうとする羽々音をのらりとかわし、私は割り箸を手にしたままで雫の母に顔を向ける。

「で、第三ジャンルのルール、よくわかんないんですけど何やるんですか?」

「第三ジャンルのテーマは『生徒と教師の絆』……すなわちどれだけお互いのことを知っているかを問う問題に……先生?」

 私と雫は、背中を向き合わせて座っている。

「キズナ、ねぇ……」

「傷ならできてるんだけど。心に」

 えへん

 重藤の咳払いが聞こえてきたので、顔だけ理美の方へと向けた。

「そこでお互いに関する問題が共通して出題されます。例えば『先生の好きなもの』とか」

「……生徒イジメ?」

「誰が好きこのんでお前の相手なんかするか」

「……それで、その問いに対してお互い書いたものが合っていれば一気に20ポイント。もしスレ違っていたら、ゼロ」

 ――聞くだけで、苦笑がこみ上げる。

 私が? この女と? 息を合わせる?

「……ハハッ、無理無理。第一、もう学力は問題なく通過できたんだ。今更もう何が来ても評判は落ちないと思うんですがね」

「そうとも限りませんわ。貴方が喧伝した『優等生』がその実教師と仲が悪かった、なんて知れたら問題です」

「といっても、実際仲は悪いし」

「ねー」

「……どうなんだろう、この場合」

 首を傾げる羽々音。その無防備な姿を、私は特に何を考えるでもなく見つめていたが、

「!」

 ふと、思いついたことがある。

 失敗する可能性の方が心持ち高い気もするが、座して待つよりははるかにマシだ。


「おい」と私は雫を呼ぶ。

「あによ」

「私はお前の趣味嗜好なんぞ知ったこっちゃないが」

「そりゃそーでしょーとともよ」

「だが、お互いわかるものもあるんじゃないか?」

 と、私が指さしたのは、射場羽々音。

「なるほど」と手を打つ雫の隣、羽々音はキョトンとして、自分の顔を指で示しているだけだった。


■■■


 そして昼を挟んで、最終コーナーに差し掛かる。

 理美の前情報どおりの形式を尾形アナより聞く。

「良いか。打ち合わせどおりやるぞ」

 声を忍ばせささやく私に、再び形ばかりの優等生となった雫は深く首を上下させる。

 打ち合わせと言っても、雫や羽々音に最低限の確認をとっただけで、詳細な取り決めがあるわけじゃない。

 前回はコミュニケーションがとれず食い違いが生じたが、今回は多分問題ない。

〈えー、それでは第一問! 生徒さんの一番好きな食べ物は? っとおおっ!?〉

 尾形アナが驚く間に、私たちはマジックペンを机に置いていた。


『チーズケーキ』

『ベイクドチーズケーキ』


〈おおっとこれは……まぁ正解と言って良いでしょう! 俳優チーム! さすがのコンビネーションです!〉

 まぁコンビネーションなんてものじゃなく、普通に羽々音という共通の『優等生』を仮想した結果だ。


〈では第二問! 生徒さんが今まで買った仲で一番高い買い物は、なんだったでしょう?〉

『エスプレッソマシン』

『エスプレッソを作る機械。送料込み五十万』

〈正解! またも即答、速答! いったいどうしてしまったのか俳優チーム!? ここにきて突如の覚醒か!?〉


 私たちの変化に対し、尾形のアナウンスにも脂がのる。

 かすみは……寝てる。腕組みして、うつむいている。

 いろんな意味で、よく寝られるものだ。


〈第三問! では最近の悩みは?〉

『父親のハゲ』

『パパの髪か後退してきた』

 ピシリと、

 この距離からでも、一番向こうにいる射場重藤の顔が強ばるのが見て取れた。

 セットの裏を振り返ると、状況を察していない古河善氏が、

「? ?」

 髪をしきりに触っていた。


〈第四問! では帰ってからすることは?〉

『家事』

『家の手伝い』

〈第五問! 先生の出身都道府県は?〉

『京都』

『京都』

 ――まぁこれぐらいは予想してたから、事前打ち合わせ済みだ。


〈第六問! 得意料理は?〉

『チョコチップクッキー』

『チョコチップクッキー』


 ――ただこれはもはや『クイズ! 射場羽々音と花見大悟の一○○のこと』になってしまっている気がする。


〈今のところ三チームとも均衡にポイントを稼いでいますが、いよいよ泣いても笑ってもこれが最後!〉

ここまで全問正解。

番組側の配慮かしれないが、教師の踏み入った問題が少ないのが幸いした。

これが配慮なら最初から答えとか問題とか教えろ、という話だが。

〈ではっ最終問題っ!〉

もうすぐこの苦痛の時間が終わる。

そう思うだけで、心踊り、アナウンサーのもったいぶった一挙一動がもどかしく感じる。

授業の終わりに頻繁に時計を確認する生徒の気持ちが今よくわかる。


■■■


〈ではっ! 最終問題!〉

 一言も聞き漏らすまいと、耳を澄ませる。


〈生徒さんの問題! 恋と友情、選ぶならどっち!?〉


 また、踏み込んだ問題を。

 雫の顔も、素を出さない範囲で顔を険しくさせている。


 正解は五割。だが、下手に勘ぐれば、逆にすれ違う可能性が高い。

 ペンの動きが、それぞれ鈍る。


 私は思案したうえで、二つのうち、一つをボードに書き出した。


■■■


『友情』

 ややブレた字でそう書かれたボードを、私は裏口の階段に腰掛けながら、夕焼けにかざした。

 脇を見れば、雫が置いたボードが置かれていて、

『両方』

 と書かれている。

 なるほどな、と。

 そこに目が行かなかった自分を腹を立てるより、その第三の選択を選んだ雫の大胆さに感心する。


 一位はとることができなかったが、二位だった。

 決め手は最終問題。

 やっぱり色恋に見向きもしない脳筋どもは、あの手の問題に強かったようだ。


「おつかりハナミーン。なにぼーっとしてんの?」

 そこに当の雫が顔を出す。すでにウィッグは外しているし、上っ面だけの知性は剥がれ落ちている。

 そして私の足元に置かれた二枚のボードを認め「あー」と納得の声を出す。


「まだ気にしてたの? もー、あれは無理がないって。ハナミン歳なんだし、思考がコーチョクしててもしかたないよ。ママも『良い間違え方だったわ』なんて褒めてたんだから!」

「お前も母親も、それで慰めのつもりか? 大体、そんなもん気にしてないっつの。元々乗り気じゃなかったし」

「じゃあ、なに考えてんの?」

「いや、ただおかしなもんだと思ってな」

「なにが?」

 私は目を伏せる。その先に、答えの違う二つのボードがある。

「これだけじゃない。前の問題もいくつか微妙にニュアンスが違っていた。同じもの、同じ人を、同じ時に見ても、こうも言葉や考えることは違うものかと、な」

「うん。たしかに面白いかもっ」

「……そして同じものを見ていると、行きつく先、向かう過程、それぞれ人によって異なるということも、つい忘れそうになる。……いや、忘れていた」

 ――十神の人間であった頃も、そして今も。

 もはや私の呟きは、雫に向けられたものじゃない。

 そんな私を、雫はぼーっと、見つめている。

「……? どうした?」

「……ハッ! ハナミンがカッコよく見えちゃった。何コレ夕日効果? やだ、眼科って今日やってるのかな」

「……そのまま両目ともくり抜いてもらえ」

 私は嘆息と共に立ち上がり、スーツのシワを直す。


「お前は」

「うん?」

「演技がイヤになったことはないのか?」

「イヤになる? どうして?」

 まるでそいつは、今まで考えもつかなかったというぐらいに間の抜けた顔を、うらやましいぐらいに私の前にさらしている。

「だって、あんなもんお前のキャラと違うだろ。自分の意思じゃない、親の仕事の都合で演技をさせられてるんじゃないのか?」

「んーん」と彼女はにこやかに首を振る。

 ――正直、踏み込んだ問題だから、ビンタのひとつぐらいは覚悟してたが。

「親は関係ないよ。本当はもっと後の段階で、マルチに活躍させたかったみたいだけど、わたしがすぐになりたいってダダこねたから、ママやパパは力を貸してくれた。それにイヤな仕事だからって、わたしは手を抜くつもりなんて毛頭ないよ」

「なんで?」

 私は雫の前に立った。

 彼女は、たしかに優等生ではないものの、活力に満ちたその少女は、白い歯を見せきっぱりと言う。

「だって、そこから逃げ続けちゃ、ずっとつまんないままじゃん! ちゃんと本気で向き合わないと、面白くなんてならないよ」

 私は、自分の浅慮を呪った。

 ――まさか、こいつに説教される日がくるなんて、思わなかった。

「ハナミン」と、雫が私を低く呼ぶ。


「バネちゃんと、向き合ってあげなよ」


「……ちゃんと見てるよ」

 と言いつつ、私はうつむいてめをそらした。投げ出した視線の先に、うち捨てられたボードがあった。

「バネちゃんは、ちゃんとハナミンのことも見てくれてる。わたしだって、今日みたいにバネちゃんをフィルターにすれば、ちゃんとあんたのことを分かってあげられる。だから、もう少し信じてあげたら?」


 そんなことは、言われなくてもわかっている。

 だが言われなくてもわかっているそのことを、実現させるのは、とても難しい。

 だが、いつかは向き合わなくちゃならない。

 ――姉のこと。その結婚のこと。彼女自身のこと。

 だが、向き直るためには……

 

「……悪い。用事思い出した」

「えっ、ちょっ、ボードどうすんのよコレ!?」

「お前にやるよ。あと、羽々音ちゃんにも遅くなるって言っておいてくれ」

 手を振り振り、私は校舎の影から這い出た。


 スタッフたちが後片付けしている中をすり抜けて、校門を出て曲がる。

 今は情報屋をやっている先輩に、情報収集の進捗状況をため携帯端末に手をかけた、次の瞬間だった。


 物陰から、黒い腕が伸びていた。


 伸びた先に私のこめかみがあり、そして銃が握られている。

 八ミリの銃口の冷たさが、私の肌を痺れさせ、無抵抗のまま両手を挙げさせた。

「……花見、大悟さんですね」

「これで違ったら、三流のコントだな」

 軽口を叩くと、頬に銃口がめり込んだ。

 荒々しさとは裏腹に、声は静かで、ゆったりとしている。

「お話を聞かせてもらいたいのですが、ご同道してもらえないでしょうか?」

 そこには有無も選択肢もない。拒否や逃避をする術もない。


 ――これは、今日一日じゃ戻れそうにないな。

 私は両手を掲げオレンジ色の天を仰ぎながら、物憂く吐息を漏らした。


思わせぶりなラストで終わってしまいましたが、この話飛ばしても話自体は繋がると思います。

次回から、本編クライマックスに入ります。

ほどほどにご期待ください。

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