教育実習「執事、横暴」
どうしようもない、つなぎにもならない寒いギャグ回です。
ヤマもねぇ、オチもねぇ、意味もねぇ。
そんなシモネタ満載なうえに進展も特にないので、苦手な方は回れ右。
あー、と。
試しに声を出してみたが、思ったとおりに声量がコントロールできない。
昼休み、旧校舎の生徒会室に、遠慮がちな声が溶けていく。
「疲れた」
「お疲れ様です」
と。
羽々音が差し出すコーヒーと弁当のバケットを、私はありがたく受け取った。
合宿以降、ただでさえ慣れない野外生活に、バイクでの戦い、何より小山田の娘の登場で、どうにも本調子が戻らない。
この間の小テストでは、生徒のミスより、私の採点ミスの方が多いんじゃないかというぐらいに。
「あれでもオヤジよりマシってんだからな」
「え?」
「小山田だよ」
「そう言えばよく知らないんですけど、小山田さんのお父さんってどんな人なんですか? 父さんに聞いても、なんか、あいまいな返事ばかりで」
「あ、それわたしも聞きたい!」
と、ひょっこり机の下から顔を出したのは、村雨雫だった。
私のバケットのパニーニに手を伸ばすと、そのうちの一個を手にした。
「あっ、おまっ! 人の昼飯を!」
「まぁまぁ。あたしのあげますから。……それで、どんな人なんです?」
羽々音はなだめてそう言うが、私は昼飯をすぐさま奪還。バケットを抱きかかえる。
「……そうだな。例えばその日会ったら二度と会いたくヤツいるだろ」
「ん」と、
雫は即座に私を指さした。
「奇遇だな。私も目の前にいるヤツがそうだよクソッタレ。……けど、その三倍、ヤツはヒドイ。何もかもが、ヒドイ……」
語る口は、どこか重い。
「そんなにイヤな人なんですか?」
「イヤとかそういう問題なんてとうに超越してる。ただ疲れる。疲れるんだよ」
見つめる羽々音に、私はゆっくりと、なるべく間違いがないように思い出しながら、話す。
小山田純。年齢は少なくとも四十超えは確実だが、正確な数字は現役時代も、今もわからない。
小山田かすみの父親で、十神戒音の側近でもあり、執事でもあり、秘書でもある。
だが身勝手にして忠実、傲慢にして従順、有能にして無能、機転が利くKY……
――おい、妙な顔するな。
その人となりが言語で片付けられる人間じゃない。そういう認識で今は良い。
――そうだな。それじゃひとつわかりやすいエピソードを拾ってやるよ。
あれは四、五年くらい前だったか、十月十一日だ。……年があいまいで月日がハッキリしてるのは妙だと思うだろうが、まぁ聞けばわかる。
その年十神は多忙だった。親十神派の先々代百地樹治が若くして死んでな。その始末に追われていた。
その日も例に漏れず各地で各員奔走していて、その指揮を戒音はオフィスでとっていた。
そこに、あの男、小山田純が現れ、戒音に問うた。
「旦那様。本日の誕生日パーティーはいかがなさいますか」
……ってな。
そう、十月十一日は十神戒音の誕生日だったんだよ。
当然、戒音は怒った。
「バカが! この状況が見えねーのか! んなもんできるわけねーだろーが!」
近くにいた人間によると、その執事は普段となんら変わらない様子で
「かしこまりました」
そう言ったそうだ。
問題は、その数時間後に起きた。
本拠があったビルが、占拠されたんだ。
他でもない、小山田純にな。
……いや、どうやったかは知らない。私もその時は外部で連絡とってたしな。だがあいつは十神の執事で、顔も利くだろうし、セキュリティの許可証も各所各レベルのものを取りそろえていただろうな。
中にいた全員が追い出されて業務を中止に追い込まれ、かくいう戒音も秋空の下に追いやられた。
その籠城の目的はただ一つ。
「十神戒音は本日中にお誕生日パーティーを開催すること」
――笑っちゃうだろ。
実際、外部で招集を受けた私も笑った。
んなアホな、ってな。
でも戻ってみると、その、野外で開かれてるんだ。
夜の十一時だったかな。
お誕生日パーティー。
何度も突撃をしかけて奪還を目指したらしいが、ことごとくはねのけられたみたいだった。
十時間以上籠城していたらしい。疲弊した同僚が、ゴロゴロと地面に転がっている。
その中に、しれっと小山田が混じっていた。
レイプ目で誕生日ケーキのロウソクを吹き消し、男の声でハッピーバースデーを歌われる戒音は、もはや滑稽を通り越して哀れにさえ思えた。
「……なんか、スゴイ人だね。っていうか、よくクビにならなかったね」
「ヤツのタチの悪いところはな。それによって生じた遅滞を自分ですべてリカバリーできる点だ。いや、小山田でしか解決不可能なレベルのものだからこそ、十神はヤツをクビにできなかった」
私も何度、煮え湯を飲まされてきたか。
――実際本物飲まされたこともあったし。
「そういうメチャクチャなヤツなんだよ。ついたあだ名は『フリーダム小山田』。仮にも仲間だったから生きてて嬉しいといえば嬉しい。しかし言い方はアレだけど、死んでてくれたほうが安心できた」
「まるでカフカの『変身』ですね」
羽々音が中々辛辣なことを言い、頷いた私は、
「ではわたくしはコーヒーをお淹れしましょう」
という小山田純の言葉に「ああ」とあいまいに答えた。
羽々音がギョッと目を見開いて私たちの顔を交互に見ている 。
何がそんなにおかしいのか。
何が唐突に増えたのか。
そのあまりの唐突さに、気がつくのに数十秒の沈思が必要だった。
「…………ぎゃあああああっっ!! 出たぁぁ!?」
「はい。出ました」
私の叫びが、ようやく雫にも突然の侵入者の存在を知覚させる。
「うはぁ!? だだだ誰よこの人!? どっから来たの!? 火星!?」
「先ほど御紹介に預かりました。フリーダム小山田と申します」
「小山田純だろお前は!?」
年恰好は二年前とまったく変わっていない。
ギリシャ彫刻のような彫りの深い髭面。そして娘へと引き継がれた仏頂面。
背は二メートル近く、ダブルのスーツにくるまれたそれが折れ曲がって礼をするのだから、羽々音はともかく、雫にとっては相当の威圧感があるだろう。
笑いが、引きつっている。
「あ、はは! ……ウン。確かにあの小山田さんのパパさんだよ」
「ああ、そのこと」
「なんだよ」
「聞けばうちの娘が皆様にご迷惑をおかけしたとか。そのお詫びを言いに参りました」
「あぁ、何度殴られたか知らねぇよ。一体娘にどんな教育したんだ?」
「まぁ、それはさておき」
「ほんとに謝る気あんのか!?」
「こちら、お詫びの品です」
と、まるでサンタクロースが担いでいるような白い無地の大袋を、机の上に置いた。
どこからとか、そういうことに突っ込む気も失せる。
「まず射場羽々音殿」
「あ、はい」
呼ばれて、羽々音が小山田の前に出る。できることならあいつの空間に呑まれないでい て欲しいが、まぁ祈るだけ無駄だろう。
「娘に聞いたのですが、コーヒーを作るのがお上手とか」
「上手いかどうかはさておき、好きです」
「そうですか。ところで貴方は七十四センチのAカップのようですね。この豊胸ブラを差し上げます」
小山田は、そう言って袋の中からブルーの下着を手渡した。
「…………アリガトウゴザイマース」
「うわっ! バネちゃんが運慶の矜羯羅童子みたいになってる!?」
「なんて深くて哀しい目をするんだ……」
「では、お次は花見殿」
袋をまさぐりながら、この自由人は私を手招きする。
仕方ないので前には進み出る。入り替わるように退く羽々音の頭を、ぽんぽんと撫でる。
「っつーか、順番どうなってんだ」
「五十音順じゃないの?」
探るだけ無駄だから、深入りなんてしない。
「では、花見殿にはこのDVDを差し上げましょう」
市販のCDケースに入ったそれを受け取る。表面にはマジックペンで『秘蔵』とのみ、達筆な感じで書かれていて、それが逆に不安を煽る。
「……見ねぇし後で叩き割るけど、中身なんだ?」
「ドキュメンタリーです」
「……内容は?」
「当時彼女を寝取られたばかりの大学生のD・Hさんが、仕事仲間に連れられ銭湯に行ったら誤って足首にロッカーの鍵をつけてしまい、あわやホモと勘違いされ、ガチムチガテン系の中年に貞操を奪われる寸前まで迫られ、トラウマになるまでの一部始終を克明に描いた作品です」
「きっさまぁァァァァ!」
私はケースごと中身を叩き割り、小山田に掴みかかる。
制止する羽々音と雫にも構わず、ネクタイを引っ張り、前後に揺らす。
「そういう所に拉致ったのも! そういうマナーだって教えたのも! 全部お前じゃねぇかァ!」
「いやぁ、あそこまでひどければ、もはや男に走るしかないかなと。……実際今もおモテになられて」
「黙れぇ……っ!」
「ほか、組織の新人研修で自衛隊のレンジャー訓練を受けた際、一日目で逃走して一週間で終わる行程なのに二週間逃亡を続けた『激動編』。組織の慰安旅行で寝取られた相手の結婚式のPVを見させられて『慰安にならねーよ!』とクダを巻いて半泣きになって、三日間も蒸発した『飛翔編』ほか、わたくしのメイキング映像も含めた……」
「ハナミン、寝取られたんだね。バネちゃん」
「え!? う、うん。タイヘンだねー……」
「?」
妙な同情が、背に突き刺さる。
痛い。
心も、異も、ボロボロと傷ついているのが全身の痛みからわかる。
「では次」
「うわーい、前二人でもう全然期待なんかできないけど、うわーい」
力が抜けて倒れ伏す私をまたいで、雫がノコノコ、小山田の前に出る。
そんな雫に、
ポイ、と。
「はい、消しゴム」
「ブツも言い方も渡し方もぞんざいだなぁ!」
よく見ると角も丸く、黒ずんでいるし、カスもついている。どう見ても使用済みだ。
「……いいや、今日忘れてたし、ヘンなもの渡されるよりもラッキー」
「良いのかよ!」
起き上がった私に「ところで」と、小山田は尋ねる。
「お一人足りないようですが」
「……知らんねぇ」
「あっ、ユキセンパイなら今日は風邪でお休みだって!」
「そうですか」と、表面上はものすごくマジメに、十神の執事は頷く。
――余計なことを、と私は内心舌打ちした。
「そうでした。雪路殿でした。実は彼にもお詫びの品が」
「全然詫びてねぇからな! どうせロクでもないもんだろ?」
「いえ、これはわたくしが用意したものではなく、娘からです」
「かすみの?」
袋から取り出された一品が、私に手渡しされる。
本だった。
タイトルは……『基礎から始まり起訴で終わる! あ・ぶ・な・い・女装術』
「……なんだ? これ」
「娘より伝言です。『そんなに男と乳繰り合うのが好きならいっそ女として生きられたらどうですか、このタマ無し野郎』……とのことです」
――まぁ、応援相手があんな理由でフラれたら、そう言いたくなる気持ちは分からんでもない。
そう思う私は、どこか他人事だ。
他人事にせねば、やってられない。
「あと、その娘のこと」
「なんだよ? まだあんのか?」
「本日は、休ませていただきます。所用がございまして」
「はぁ!? 事前連絡来てないぞ!?」
「えぇ。ですからわたくしがその連絡と……代行を請負に、こちらへまかりこしました」
その言葉が、私に口を閉じることを忘れさせてしまった。
■■■
「というわけで本日より教育実習生としてお邪魔します小山田純と申します」
理事長室。
そこの主は、私にすらしないぐらい険しい表情で、下げられた男の頭を見つめていた。
――結局、昼飯食い損ねた。
付き添いの羽々音の手前、それを言うのは憚られるが。
「……なにが『というわけで』かもわからないし、顔見知りってレベルじゃないけど、ようこそ、我が学院へ。……生きててくれて嬉しい反面、いっそ死んでくれた方が心安まるというのが、偽らざる感想だよ」
射場重藤はまったく私と同じ意見を口にした。
「恐れ入ります。それと、娘がご迷惑をおかけしたようで、この場を借りてお詫びいたします」
「ああ、それねぇ。君は娘にどんな教育を施したのかね」
「まぁ、それはどうでもよろしいかと。髪が毟られようと、遅かれ早かれ結果は同じですので」
「君、謝罪する気ゼロだろう!? 明日は我が身なんだからな!?」
「あとこちらは履歴書です」
「本当に初対面なら受け取る前に追い出してるところだよ!」
とは言え素直に受領する重藤に、さらにもう一枚、用紙が重ねられる。
「なんだいこれは?」
「採用通知書と推薦書です。そちらのお手をわずらわせることもないと思い、こちらで作って参りました」
「文書偽造じゃないか!」
「射場殿の実印とご署名つきです」
「うわっ、手書きなのにあたしでも見分けつかない」
脇から覗き込んだ羽々音が、その無駄に良い出来に感心した。
背もたれに体重をかけ、ズルズルと、重藤は沈んでいく。この数分間のストレスで、ヤツの毛髪はどれほどのダメージを受けただろう。
「もう良い、もう、好きにしてくれ」
「感謝いたします」
頭痛をこらえるように顔をしかめて、重藤はすがるようにこちらを見てくる。
「ちょうどかすみくんの授業は次だったな。あぁ! 花見くんは持ち受けってる授業はなかったね? どうだろう? この『新人くん』が上手く教えられるか、見てもらえないか?」
「よろしくお願いいたします。先輩」
つまり、私に丸投げするという、意思表示だった。
■■■
「そういうわけで娘のかすみに代わり、本日皆様の成長をお手伝いさせていただく、小山田純と申します。まだまだ若輩者ですが、よろしくお願いいたします」
ツッコミ所満載の前口上に、生徒たちの反応は薄い。
変人とは言え美人の女子大生の講義はそれなりに人気なのだ。それが四十超えの、何考えてるのかもよくわからんオヤジに変われば、悲嘆、失望、憤怒、様々な理由でこういう反応になるに決まっている。
それに気付かないはずがないのだが、どこ吹く風で、小山田は授業の準備を始める。
「しかし、娘の担当教科はなんでしたか」
「知らずに受けたの?」
雫がボソリと呟き、
「公民だよ」
と、私がフォローする。
「まぁ良いでしょう。こういう場合は道徳を教えれば間違いない」
「公民だっつってんだろ!」
好意を無にされた私を歯牙にもかけず、この新人は手慣れた様子でプロジェクターとスクリーンを起動させた。
「そんなわけで今から情操教育の映像を再生いたします。本日三本の作品をご用意いたしましたが、さて、どちらにいたしましょうか」
「どんな内容なんでしょう?」
クラスを代表してか、挙手して羽々音が質問する。
「その一、『ヤムチャなメイド様』。かの村雨雫の初主演作品です」
「っかぁーっ! なんだか改めて見るとなると恥ずかしいなぁ! っかぁー!」
と、あからさまに嬉しそうに雫が身をよじるが、その影で男子が二人、息をひそめて囁き合う。
「……なんであいつが恥ずかしがるんだ?」
「……同姓同名のそっくりさんってだけなのにな」
悲しいことに……いや全然悲しくないが、そういう考えがクラスに浸透した共通認識らしい。
とはいえ、珍しくまともな案だ。
「第二、わたくしの自主製作映画、主演はわたくし、小山田純が務めさせていただきました」
「それが何の肥やしになるんだよ!?」
「かつて我が主人の誕生日をお祝いするためにビルで準備していたところ、敵に襲われ、抗戦して勝利をもぎ取り、無事主人に忘れられぬ誕生日パーティーをプレゼントできるまでの一部始終を描いた……」
――『カフェ・シャレード』メンバーを除く生徒全員が、疑問符を浮かべている。
敵っつーか襲ってきたのはお前が祝おうとしている主人だよ。
そりゃ、忘れられない誕生日だっただろ。あのいつも偉そうな十神戒音があれ以降、十月に入るとビクビクしてたしな。
当然それらが何も知らない生徒の前で言えるわけもなく、ジレンマが半端ない。
頬が引きつる。
「それで、三つ目は」
「皆様に日本の伝統文化を学んでもらおうと、銭湯の映像をご用意いたしました」
聞いた瞬間、頬の強張りが収まった。
……血の気が引くのと、一緒に。
「大学生Daigo・Hanamiが彼女を寝取られて傷心中に、あられもない姿で男を誘って男に走るさまをご堪能ください」
「誘ってない! 走ってない! ドントラン! 色々隠す気ねーだろお前ぇッッッ!」
「……ハナミン、担当じゃないとは言え、教師がその英語能力はどうなの……?」
雫が何か呆れたように言っているが、そんなことはもうどうでも良い。耳に入れる余裕もない。
「では」と、小山田は眉ひとつ動かさないまま、教室を隅から隅まで見渡した。
「この中で一番視聴したい内容を、挙手形式で決めていきたいと思います。一人一票、清き手にてどうぞ。では、その一」
「はい」
と、羽々音を中心とした半数が挙手をする。見た感じ、クラスの穏健派といったところだろうか。雫の手が挙がらなかったのが、少しだけ気にかかる。
「その二」
「はい」
と、私を中心とした事なかれ主義者たちが、その一の時とほぼ同数手を突き出した。
というか、発案者本人が手を挙げている。
「ではその三」
「はいっ!」
やはりそうきたか。
村雨雫が、ただ私を追い詰めるという、単一の目標のためだけに手を挙げる。
ほか、ネタ狙いの一部のバカどもが、ニヤニヤしながらそれに従っている。
こいつら、万が一これで採用されたら一時間ホモビまがいの映像を見せられるということをわかっているんだろうか?
後先考えない連中はこれだから始末に負えない。
「では、その二といたしましょう」
数の正当性などこの男にとってはあってないようなものだろうが、この場はすんなりそのルールに従った。
正直ホッとし、今まで会ったこともなければロクに恩恵を受けたこともない神仏に心中で手を合わせる。
クラスの証明が消され、カーテンが閉め切られて暗闇に落ちる。
プロジェクターから伸びた光がスクリーンに映像を映し出す。
コミスタで打ったような安いタイトル、火薬たっぷりの爆発、銃撃シーンに、侵入者たちとの格闘シーン。
「よくできてるなぁ」
とクラスの誰かが呟いたが、まさか本物とは思うまい。言っても信じまい。
それらのアングルから察するに、監視カメラの映像をつなげているのだろう。
そして事が収まった後は、死んだような魚の目をした男が三角帽子をかぶってハッピーバースデーを歌われているところでスタッフロール。
ことごとく実名、かつスタッフはすべて小山田自身。
こんな映像が回収・編集されていたと知ったら、十神戒音も草葉の陰でむせび泣くだろうに。
しかし、スクリーンはスタッフロールの途中で途切れた。
プッツリと、
脈絡なく、
一瞬後、代わりに映し出されたのは、白い湯気。
青いタイル。
足首にロッカーの鍵をつけた、大学生。
その学生を、周囲の屈強な男たちが好奇と好色の目で見ていて……
「小山田ァァァァ!!」
上映中のマナーとか、そんなものはかなぐり捨てて、私は怒号を放つ。しかしそれは懇願、あるいは慟哭に近い。
モザイクで顔は隠されているが、さっきの説明と照らし合わせれば、その哀れでマヌケな青年が、が若かりし私の姿だとわからないはずがない。
「おや、編集ミスのようですね」
茫洋とした面持ちのまま、反省の色なし。本気なのか故意なのかすら、判別できない。
〈や、やめてください! 警察呼びますよっ……〉
〈なんだ、土壇場になってビビっちまったのか、坊や。優しくしてやるから、な?〉
野性むき出しの生々しいアプローチが教室中に響き渡り、この映像を推した奴らですら、目から光が失せていくのが暗闇の中でもわかる。
やや表情を引き締め直し、小山田は教壇に手をついた。
「皆様、お気づきでないかもしれませんが、この映像は、私による盗撮行為です」
「知ってるよ!」
「彼の意外な一面はわたくしの心に秘しておくつもりでしたが」
「さっき候補の一つに挙がってたじゃねーかぁ!」
破壊しようにも、小山田の図体が私を阻む。こちらに見向きもしないまま小山田は鷹揚に言った。
「悪事千里を走るの例えあり。なるほど罪とは、いかに巧妙に秘匿しようと、証拠などなくとも、何処からともなく漏れ出した風評が、己を損なう。悪評に対する白眼視、それこそが何よりの罪、罪を犯すとはそういうこと。皆様もよくよく覚悟されますよう」
「上手い具合にまとめんな! 被害者の私が一番ダメージ受けてんじゃねーか! っていうかいい加減映像止めろォ!」
その願いが叶ったか、何かが激しく壊れる音とともに突如糸が切れたように映像が消えた。
「おや」と首を傾げた小山田が明かりをつけるが、プロジェクターをはじめ、何かが壊れた様子はない。
「あれぇ」と、女子生徒の一人、津島が首を傾げた。
「どうしたの」と、隣の剣持が問う。
「なんか、矢みたいなのが飛んで機械壊したと思ったんだけどぉ」
「あー、私もなんか部品落ちてきた気がした。けどないし、気のせいじゃない?」
飛んできた矢。元通りのなった機械。
それができるのは、
彼女と、目が合う。
疲れているようだが、無理して見せたその作り笑顔が、私には女神のそれに見えた。
■■■
「おっはー! ってあり? なんか死んでる」
放課後、車椅子を押して旧校舎に現れた私服の雪路。
彼を迎えたのは、例えどおりの死に体になった私たちだったのだから、呆気にとられても無理はない。
すなわち、
椅子に力なくもたれかかる私。
机に突っ伏した羽々音。
雫にいたっては床でカエルみたいに潰れていた。
その口が床の上でもがもがと動く。
「ユキセンパイって、風邪じゃなかったっけ?」
「ん? いや小テストあったからサボったのよ」
「教師の目の前でサボリ宣言とは良い度胸だな」
とは言え、怒る気力も残っていない。
「それ、持って行って良いぞ」と、私は、机の上、小山田の置き土産である発禁モノの図書を指差した。
「ナニコレ」
と言いながら、凛々しい少女にも見える美少年は、表紙もロクに見ずに中身を開く。
「うわ、わっ」
さしもの雪路にも過激なのか、顔を赤らめ、ページをたぐって見ては、すぐ読み飛ばしている。
「えーと、ナミさん?」
「なんだよ」
頬と首とを染めたまま、気恥ずかしげにモジモジと、手をすり合わせて雪路は小声で言った。
「さすがのオレでもちょっとヒくけど、ナミさんが望むなら着ても良いよ。オレ、受け入れてあげるから」
「ちっげーよバカタレ! かすみからだよ!」
「でも、今の会話の流れだと大悟さんのだって勘違いしてもおかしくないです」
机に顔を埋めたままの羽々音の正論に、ぐっと喉を詰まらせ鳴らす。
その脇でケラケラと雪路一人が笑っていた。
「わかってるって。ジョーダンだよ。…………冗談」
「意味ありげな間を作んなや!」
「なはは。ナミさんは面白いから大好きだよ」
まったく、ただでさえ頭が痛いのに、こいつと話していると、なおさら悪化する。
ひとしきり笑った後、「あ、そーだった」と少年は手を打った。
「いや、なんかお客さん来てんのよね」
「客だぁ?」
「オレも学校なんて寄りたくなかったんだけど、ゲーセン行く途中で『花見という国原の教師を知らないか』って聞かれてさ。で、放課後だったし居るならここかなって」
「お前なぁ、部外者を学校の敷地内に、それも『カフェ・シャレード』に呼ぶってなぁ」
「でも百地の関係者だって言うしさぁ」
「誰だよ?」
「初めまして。フリーダム小山田と申します」
「お前かいっ!」
やはり突然現れた小山田純を、私は怒りと共に迎え入れる。
私の声を合図に羽々音と雫が、弾かれたように起き上がり、壁際まで後ずさった。
「初対面じゃねーだろっ! 案内される前にここに来てただろ!? つーか、気に入ったのかその名前!?」
「なんだ、知り合いか」
事情も、この男の本性も把握していない雪路が、のんびりとしている。
「ひとつ言い忘れてたことがございまして、再び参上いたしました」
「なんだよ?」
どうせロクでもないことなんだろうと、構えもせずにいたその耳に
「大悟」
脅すような重低音が、不意を突く。
「我が旧主と結んだ約定、ゆめ違えるな」
瞬間、
脳に石を直接ねじ込まれたような、いやな痛みを覚える
「…………お前」
知っていたのかと、目で問うも答えはない。
「それでは皆様、心身ともに健やかにあられますよう」
恭しく上体を曲げて、執事は、華麗にきびすを翻す。
「なんだか、スゴイ人だねー」
苦く笑い、雪路が言う。
「ったく、お前は直接被害かぶってないんだから良いよな」
立ち上がり、身体を左右に振りながら、ゆっくり立ち上がる。
「大悟さん」と、羽々音が私の名を呼んだ。
「ん?」
「十神さんて言う人と、何を約束したんですか?」
黒目がちの双眸が、まっすぐ私の像を投影する。
「……あー、なんだったかな。組織を頼むとか、そんなんだったと思う。まぁ軽い口約束みたいなもんだ。いちいち覚えてられるか」
羽々音はそれ以上詮索しなかった。澄んだ目、平らな声で「そうですか」とだけ言う。
「やぁ、みんな集まっているようだね」
――と。
射場重藤の声が聞こえる。
「あ、父さ」
振り返る羽々音の笑顔が、
ミシッと、
いびつに歪んで硬直した。
「初めまして皆様」
と。
射場重藤の声で、小山田純は何度目ともしれぬあいさつをした。
「わたくしは小山田純と申します。理事長の射場重藤殿の体調がすぐれぬということでしたので、わたくしが代役を務めさせていただきます。かの芥川龍之介は『バカを演じるのは難しい』と言いました。しかし非才の身なれど、無能な働き者である射場殿の三流指揮ぶりに出来る限り近づけるよう、精進いたしますので、よろしくお願いいたします」
「もう帰れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!」
エコーでガラスが割れるくらいの大音声で、私は言った。
喉の力を使い切り、倒れ伏す。薄れ行く意識、私を呼ぶみんなの声に包まれて、私は思った。
――やはりこの世に、神は、いない……。




