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第八講「教職員、合宿(後編)」

 半包囲というのか。

 マフラーの色だけ異なる、同じような背格好の正体不明の一団が、小高い丘から見下ろすように見ている。

 体格からして全員男。

 各右手には、黒い札と、その射出器具。

「おい、彼女を離せ」

 私は言った。

 飛び道具どころか、近接武器すら持ち合わせていない私の言うことなど、聞く耳を持つはずもなかったが、焦りが思わず口走らせた。

 だが、その襲撃者たちは逡巡するように、そのヘルメットを突き合わせた。

 そして最後に、皆一様に赤マフラーを見る。


 ぽん


 と、まるで紙風船か何かのように、少女の身体をこちらに投げつける。

 だが赤マフラーの手の動きに気づいた瞬間、すべてを悟った。

「ちっくしょうが!」

 思わず、駆け出す。

 今度はせざるをえない。


 奴の打った手は、最初と同じ。

 ただ違う点は、その餌が生きた人間であるということ。それゆえに、罠と知りつつ、飛び込むしかないということ。

 一斉に発射されるのは、黒い札じゃない。

 実弾。

 いつの間にか、それぞれが自動式の拳銃に持ち替えている。

「くそっ!」

 丸腰相手に、ここまでやるか。

 身は伏せた。確かめるが、彼女に傷はない。

 自分の上着を見ると、赤く染まっているのが闇の中でわかった。

 撃たれたらしい。弾は、直撃していない。皮膚と肉を少しえぐられただけだ。

 なら、どうでも良い。

 問題は、坂巻穂波だ。

 全身の力が抜け切っているのが手を通じてわかる。

 支える力もなく、全体重が私の両腕にかかっているはずなのに、その見た目以上に、軽い。

 半開きの両目は、何も映さない。

 ただの無だった。


 男たちを、見る。

 リーダーらしき赤マフラーの指には『切札』。

 青白く浮かび上がる、鳥獣戯画のような兎の絵姿が、すでに彼女の精神を吸収したことを、証明していた。

 その札が、いともたやすく、私たちの目の前に投げられる。

 回転。手投げされたにも関わらず、異様な飛距離と対空時間。

 それは光に肉付けられて、やがて、二メートル超の、ぶ厚い毛皮の塊へと変貌した。

 黒いウサギの『識』。

 その速度を引き継ぐように突進し、前足から爪が三本、鋭く飛び出る。自分の抜け殻目掛けて振り下ろされた一撃を、私は彼女を抱いて、身をよじって避ける。

 袖口が、音とともに裂かれる。

 だが、その袖口から、不自然な熱を感じる。

 目をそこに落とせば、暗がりの中、ほんのりとオレンジ色に発光し、点滅している。

 熱はどんどんその温度を上げ、光は明滅する間隔が狭まっていく。

 瞬間、危機を覚えた。

 慌てて震えるその手で、彼女の上着を剥ぐ。

 白い体操着に隠された女体特有の曲線に、心奪われている余裕などない。

 完全に脱がせたジャージの上をできるだけ高く放り投げた。


 浮き上がったジャージの傷が、今までで一番強く発光し、私はその光を浴びた。

 次いで、音を、熱を。

 反射的に顔を背けた私の首筋に、熱い火花が降りかかる。

 飛び火が、私の手の甲の皮膚を焼いた。

 黒兎が跳ねる。

 その足跡が、オレンジ色に発光する。

「……まさかっ!?」

 ――爆発。

 いくつもの起点から爆風が巻き起こり、煽られながら、私たちは吹き飛んだ。

 めくれ上がってデコボコになった土の上を、坂巻の抜け殻を抱いて転がる。

 つまりこいつが触れたもの、前足であろうと後ろ足であろうと、爪の先であろうと肉球であろうと、時限付きの地雷へと変わる。そういうわけか。

 もしさっき、あの爪が彼女の腕にわずかにでも達していたら。そう考えるだけでも、ぞくりとする。

 耳鳴りがする。寒くもないのに全身がブルリ、大きく震えた。


「ほう」


 と。

 男の一人が、声をあげた。

 感嘆だった。私は、純粋に怒りを覚える。

「これはまた変り種だが、わずかに触れただけであの火力。『霹靂』に勝るとも劣らないのでは?」

 赤マフラーは無言だった。無言で、大仰に頷いた。

 跳ねたウサギは、奴の下へと戻って行く。

 革グローブ越しに男がその『識』を撫でると、低く一声鳴いて、光の泡になって溶けていく。一瞬後、黒い『識札』は主の手の中に戻っていた。

 ――『切札』を、コントロールしている?

 つまり今まで私たちが戦ってきた『識』は、暴走しているのではなく、意図的に暴れていたというのか?

 問いを向ける前に、それを手にしたままマフラーをひるがえし、男は闇の中へと消える。

 もう、試し撃ちが済んだのだと、遠のく背中が言っていた。

 それを合図に、再び連中が拳銃を構える。

 立ち上がる余裕は、時間的にも肉体的にも、なかった。

 これまでかと腹をくくる、次の瞬間。

 着弾するその直前。

 何かが私の視界をふさいだ。

 金属音が、塞がれた視界の外部から響いてくる。

 誰かが、弾避けになっている。


 ――いや、それは『何か』……だった。


 分厚く、四角い鉄の盾を持って私を守っていたのは、人ではなく、プレートメイルの『識』。

「おまたせ!」

 顔のないメイドに担がれて、私のそばに雪路橘平が立っている。

 包囲の一角が、突然崩れる。

 轟音と共に巨大な矢が飛び、敵のヘルメットを撃ち抜いた。

 『緑札』を使ったのだろう。外傷はない。ただ、もんどりうって絶叫している。

「大悟さん!」

 盾の外で、射場羽々音が私を呼ぶ。

 敵の側面に陣取った『霹靂』の上に、彼女は音もなく降り立った。

「なんで」

 ここまで早く着いた? と、私は疑問符を浮かべる。

「ったく、わたしらも職業病だよね」

 しみじみ言った村雨雫が手にした『赤札』に、黒く兎の絵が浮かんでいた。

「ちょうど良い。このまま盾構えたまま前進してくれ」

「あいあいさー」

「それと」

「?」

「坂巻を……その、頼む」

「? そんな念押ししなくても、きちんと守るよー?」


 私と、雪路と、雫とを守る盾たちは、じりじりと前へと進んでいく。

 弾丸を弾く音が、耳につく。

 その外部で、羽々音が駆け出している。

「貴様ァ!」

 羽々音の胸元に銃口が突きつけられる。

 まじないでも超能力でもない。

 掛け値なしの現代兵器。

 だが、羽々音は止まらない。

 突っ込んで行きながら、身体を

 くん

 と曲げた。

 羽々音の長身に隠されていた二の矢が、銃撃手の頭にぶち当たる。

「……このっ!」

 その背後にいた別の男が、薄い刃のナイフで彼女に突いてかかる。

 その片腕を羽々音はたやすく掴んで引いた。

 伸び切った姿勢のままのそいつの無防備な顔面に、羽々音の肘が叩き込まれた。

 メットが割れた。悲鳴があがった。

 哀れな男を投げ捨てて、羽々音は次の標的に向かう。

 こちらも、残敵をジリジリと追い詰める。

 馬鹿正直に無駄撃ちを繰り返していた敵の銃が、パチパチと、まるでオモチャのように情けない音を発する。

 弾丸は、切れた。


 私たちを守護していた『雷切』の背を踏み越えて、私は外に打って出た。

 飛んだまま足を突き出し、空の銃を捨てずにまごつく敵の胸を靴底で打つ。

 突き飛ばされ、木の幹に激突した奴の懐に飛び込んで、一撃を腹に見舞う。

 確かな手応え。防具を着込んだ感触もなく、最初に戦ったあの赤マフラーほどの手強さもない。

「大悟さん! 伏せて!」

 羽々音が私を呼んだ。反射的に身を屈めると、頭の上を、矢が通過した。

 風を切って向かった先には緑のマフラーの敵がいて、鎖骨のあたりを鏃が突く。

 断末魔とともに、私に向けられていた拳銃が、丘の上から転げ落ちた。


■■■


 あらかた片付いた。

 全滅させることはできず、赤マフラーを始め、何人かには逃げられた。

 それでも自分の迂闊さが招いた絶望的な状況を思い返せば、十分な戦果と言える。

 だが、満足してはいけない。

 坂巻の精神はまだ奴らの手中にある。

「大悟さん、傷の手当が先です」

 羽々音の固い声で、私は自分の負傷を思い出す。痛みがぶり返してきた。

「いや、これはどうでもいい。治療のしようもないしな」

「でも、オレの『雷切』の一体に治癒能力を持つヤツがいるから、そいつを使えばチョチョイチョイよー?」

「だから、効かないんだよ。私には。そういうの」

「……便利なんだか不便なんだか。ユキセンパイ、自分には使わないの?」

「いやー、オレの脚のはなんか『識』の毒らしいから、回復が邪魔されてるんだってさ」

 私はあらゆる異能を受け付けない体質だ。

 だがその反面、あらゆる異能の恩恵も受けられないという欠点でもある。

「だから別に良いだろ。それより今は追撃が先だ」

「……あの」


 何かを言いかけた羽々音の横を、巨大なものが横切る。

 敵かと身構える私たちの間に割って入る形で、そいつは動きを止めた。

 小山田かすみ。真紅の二輪車にまたがっている。

 彼女が降り立った後、バイクは光の泡となって消えた。

 身体をブラさず無言で歩き、気絶している男の一人に近づき、腰を下ろす。

 ――そうだった。

 坂巻も大事だが、こいつらの正体を探ることもまた、肝心だ。

 かすみがヘルメットを剥がし、露わになった男の顔を、私たちも見る。

 鼻が大きく、人相も悪いが、まだ若い。二十代前半だろう。

 だが。


「こいつは……っ」

 思わず、声が漏れる。

「? ハナミン、お知り合い?」

「知り合いってわけじゃないが……こいつ、十神の人間だ」

「!?」

 さしもの羽々音も、顔色が変わる。

 慌てて、他の奴らの面体も調べて回る。

「やっぱり。……書類整理の時に写真を見たことがある」

 もっとも、こいつらは直系じゃない。二次、三次団体の、下っ端。

 百地との戦い以降、あぶれて路頭に迷った人間も少なくないが……

「で、でもさっ! バネちゃんのパパさんも十神? のヒトなんでしょ!? そのヒトの近くでなんで、こんなことするの!?」

「さぁな」と私は答えた。

 私自身、明確な答えなど、あるはずもない。

 あるのは、予感と、推測。

 その裏で、小山田かすみが動いている。

 新たに取り出した『白札』で、『識』を新たに構築し、再びまたがった。


「おい、待て!」

 スタンドを蹴ろうとするその足を、私は軽く踏んだ。

「……お前、私を囮に使ったな?」

 ほか三人の、顔色が変わる。

「さっきまでこの坂巻と一緒にいたのはお前だ。もしお前が彼女への攻撃を目撃していて、真っ先に追ってくることを見越していたというのなら、こいつらが最初に銃じゃなく、『黒札』持って待ち構えていた理由も納得できる。なんのつもりだ?」

 すかさず飛んでくる拳。

 さすがに読めていた。

 まっすぐ受け止め、小山田かすみを正視する。

「お察しのとおり。自分は花見大悟を囮にさせていただきました。それだけでなく、坂巻穂波も見殺す腹でございました。敵の正体をその目的を掴むために。……それ以外に語る言葉などありましょうか」

「あぁそうだな。正直なところ、ムカッ腹立ってる」

「ならば」

「だからこそ」

 と、私は彼女の言葉を遮った。

「その行動の裏にあるお前の真意が知りたい。『言わなければわからない』。さっきそう言ったじゃないか」

 しばしの沈黙の後、かすみはバイクから降りた。

 直立で私と向き合い、睨み合う。

「彼女が襲われたのは、自分の落ち度でございます。例えそれにより事が成ったとして、それが義を見てせざる結果であれば、小山田の家名を汚す。そう父より教わっております。ゆえに、自分は坂巻穂波を救わねばなりません」

「そうか」

 と私は言った。

「だったら、私たちに力を貸せ。お前の目的はまだ分からんが、当面の目的は同じだろ」

「自分を、信じると?」

 ほんの少し、ごくわずかに、かすみの表情に戸惑いが浮かぶ。

「あぁ」

「なぜ? 言葉もない。顔に出ない。あげく理不尽に暴力を使う。そんな人間を信じるとおっしゃるのですか? 目を見ればわかるとでも?」

「目じゃない。手を見ればわかる」

 私は自らの言葉の通りに、手のひらに打ちつけられた彼女の手に目を向ける。

 グローブ越しに震える拳。固く岩のように握り締められて、バイクを降りてから一度もほぐれることがない。


「自分を許せない奴の手だ」

 ――梓が死んだ時の私と、同じ手。


 すっと、音もなく拳が退く。

 そして握力は緩み、花のように開いた。

 手品の類か、忽然とその指先から『白札』が現れる。

 それをぞんざいに投げると、札から光が溢れた。薄れてゆく光の中から、彼女と同型機の『識』がある。

「乗れってことか……」

 光が完全に収まる。苦笑する私の前には、もう彼女はいなかった。

 闇に溶けていく駆動音に顔を向け、私はためらいなくそのプレゼントにまたがった。

「ちょっ、ハナミン運転できんの!?」

「大型は解除されてないが、免許は持ってる」

 雫をあしらい、スロットルをひねり、軽く左右に身体を揺らして軽重を確かめる。

 確かに、金属的な材質に対し不自然なほどに、軽い。

「追うのは私がやる。だからお前らは」

「よいしょ」

 かけ声に振り返る。羽々音が荷台らしき部分に後部座席として座っている。

「ん?」

 実に無邪気な顔で、首を傾げる。その腕がギュッ、と、私の腹に回されている。

 顔が自分の意思とは無関係にヒクつく。だが対『識』の相手を運転の片手間にやるのは確かに厳しい。打算が働き、突っぱねることができなかった。

「……追うのは、私と……羽々音がやる。雪路は倒れてる連中の監視。あと『八房』の範囲外に出るだろうから、お前はカタギの奴ら相手に適当にごまかしといてくれ。役者だろ」

「もーう、役者って言ってもさ……まぁそれぐらいしかできることないなら、やるけど」

 雫と雪路に指示を伝える。雫はブーたれて、雪路は子どもっぽく口をとがらせた。

「えーえー? オレもナミさんとタンデムしたーい!」

「気持ち悪いこと言うんじゃねぇ!」

「ジョーダンだよ。なんか、坂巻ちゃんのこと任されちゃったし、ね」

 ――こいつ、本当に気づいていないんだろうか。

 渦巻く疑問をそのままに、私は闇の奥へとヘッドライトをかざした。


■■■


 丘を越えるのにスピードがいらない。

 ラフな獣道に反動がまったくと言っていいほどない。

 スロットルへの指示も従順すぎるほどに、というか逆にこちらがついてこれなくて危ういぐらいにすぐに伝わる。

 エンジン……といっていいのか分からないが、こちらの思うとおりのスピードを、十割完全に地面に伝え切れているのが、全身を通してわかった。

 何より、自分自身が風圧を感じず、透明なヘルメットをかぶっているようで、暗闇という以外は視界にも支障はない。

 ――なんなんだ、この機体。


 戸惑う私に、

「大悟さん! あれっ」

 羽々音が指を差した先に、もう一筋、伸びていく光が見えた。

 その先に、徒歩で走る赤マフラーの姿も見える。人の身にかかわらず、軽々とした身のこなしで突っ張り出た木の根や、背の高い草花を飛び越えていく。

 私はヘッドを少し動かし、光の出所を照らす。

 赤いフレームと小山田かすみの姿が、陰濃く現れる。

 タコメーターはこの機体にはない。だが、悪路をものともしないこのバイクが、人に追いつけない道理はない。

 特別無茶な走行をしたわけではないが、私たちと、敵の頭目らしきそいつとの距離は縮まっていく。

 特に、先行するかすみの車体は、まさに、触れるか触れないかというところまで来ていた。

 轢殺する勢いで迫るかすみに対し、逃走していた敵は、とうとうその足を止め、かすみに向き直る。

 観念したかと思った。

 だが、そいつは、あろうことか。

 かすみのバイクを踏み台にした。さらに反対の足が、かすみを襲う。

 とっさに片腕で己の身をかばったかすみだったが、さらにその腕を踏み台にして、男は、近くの木の若枝へと飛び移る。

 しなるその枝に掴まり、五体を駆使し、そこからさらに上へ、上へ……。

 猿のような身体センスで樹のてっぺん辺りまで上り詰めた敵は、そのまま木々を飛び移り、逃走を再び開始する。

 かすみの舌打ちが、聞こえてきそうだ。

「あいつ、本当に人間か……?」

 思わず呟く。


 かすみの車を見る。

 車の上、彼女は『識札』を一枚、引き抜いていた。

 白ではなく、緑を。

「……なんだ? あいつ、乗り換えでもする気か?」

 だが浮かび上がった『識紋』は、馬じゃない。

 先の尖った根菜。底から生えた葉。

 大きさがわからないから大根かと思いたくなるが、馬だからニンジン、だろうか……?

 ――別の『識』?

 だが、その『識札』をかすみは虚空に放り投げない。

 自らを乗せて疾走する車体。そこへ、投げた。


 ――呑んだ。

 そうとした言えない。

 泥のように、いや、それこそニンジンを食う馬のように、かすみの『識』は、『緑札』に触れた瞬間、己の内に取り込んでいく。


 刹那、

 展開した。


 バイクの両側面に、同色の機関銃が。

「なにっ!?」

 回転しながら一斉に火を噴く二つの重火器が、枝を折り、葉を散らして焼いて、木々をなぎ倒す。

 あいつの『識』は、別の『札』、それも『緑札』をサポートアイテムとして使用することが可能らしい。


 だがヤツには直撃を与えられない。

 足場の枝を崩そうとも、機転を利かせて近くにある枝に身を移し、逃走を開始する。

 その時、

「ん?」

 しがみついていた羽々音の腕が、スルリと抜ける。

 バックミラーを覗き込むと、すらりと伸びた細い両脚。

 羽々音は、後で立ち上がろうとしていた。

「おいっ!」

「そのまま」

 張り詰めた声で、少女は言う。

「安全運転で、お願いします」

 手には『白札』。先ほどは『緑札』で呼び出しただろうが、今回は違うようだ。

 手加減ができないというのか、それとも……彼自身が標的ではないか。

 彼女の足下に、弩砲が展開する。

 ……毎度思うが床に設置されていないコレは、果たして床弩、なのか?

 重さに変化は感じない。『識』に重量という概念があるのかは知らない。この軽さがどっちの『識』の特典かも知らない。

 ただ質量はあるだろうから、自然、開けた道を選ぶようにし、私はスピードを減速させる。

 普段とは違い、大きさを抑え、矢も一回り小さく、短い。

 そういえば、最初に会った時も小型の矢で翻弄された覚えがある。

 矢の向く角度はまっすぐから鋭角に、鋭角から鈍角へと、次第に角度が上がり、樹上を狙う。

 その上に足をかけている。ギリギリと、弦が引き絞る音が生々しく聞こえる。


 射。


 機銃の弾の合間を縫うようにして、矢は高度を上げて男を目がけて進んでいく。

 紙一重の間合いで、羽々音の攻撃はかわされる。

 ――いや。

 これは、『攻撃』なのか?

 かわした先に、男が掴もうとしていた枝がある。

 叩き折られ、地に落ちていく。

 だが意図してやっているかはともかく、それではかすみと同じ方法だ。

 そして同じ手段で対処される。別の枝や幹を、ヤツは利用するだけだ。


 しかし、


「やった」

 羽々音は短い呟きで、自らの事の成就を祝った。

 変化と結果とその意図は、すぐに理解できた。

 折られた枝から、超のつくほどの高速で、枝が生え直る。

 いや、修復される。

 ヘルメット越しに別の枝に目を向けていたであろう男のあばらを、したたかに、太いその枝が殴りつける。

 圧倒的な破壊力。その陰に隠れた、羽々音の『霹靂』の真の力。

 自らの破壊したものの、完全修復。

 破壊するだけなら読めていただろう。それでも、急速に生えてくるという超常の現象など、読み切れるはずもない。

 思わず私ですら、ガッツポーズするほどの、鮮やかな手並み。


 が、

 男はためらうことなく自らの腹を打ったその枝を抱え、下半身を持ち上げてよじ登る。

「……っ!?」

 羽々音の困惑が、息を呑む音となって私の耳に届いた。

 私だって、同じ思いだ。

 あの時もそうだった。私も、羽々音も、攻撃は直撃させていた。確かに手応えはあった。だが、痛みもそこそこにあのメット男は復活し、かつこちらの攻撃にすぐに対応できていた。


 ――どうして?

 問いかける私の目に、男の姿が映る。

 手に何かを持っている。

 おそらくは『切札』。

 上からそれを落とすと、坂巻の魂を虜として孕んだ獣が、再び現れ、野太く一声あげる。

 だが『識』は私たちを襲撃することなく、身を大きく旋回させて、逃亡した。

 まったく真逆の方向に、木を伝って主も逃げる。

 逃げるウサギの足跡が、時間差をつけて爆発し、土煙を巻き起こす。


「足止め、ってワケか……」

「大悟さんっ、小山田さんが!」

 床弩の上に座り、羽々音が甲高く叫ぶ。

 見れば小山田かすみは、土煙の火炎を抜けて、一直線に赤マフラーを追っていた。

 坂巻穂波が囚われている『識』へは、見向きもしない。

 羽々音が私の肩を掴む。不自然に込められた力が、「大丈夫ですか?」と不安を切実に訴える。

 私にかける言葉もない。確たる答えも返してやれない。

「信じろ」とは、軽々しくは言えなかった。

 だから、その手を握ってやる。

 せめて彼女の不安が和らぐように。私たちだけになってもできることをしようと、そういう想いを込めて、その手を優しく叩いて撫でて、落ち着かせる。

 その間、言葉は交わさなかった。

 それでも、わずかな指先の力が、私の心に応えてくれた。


■■■


 爆発と火花を突っ切り、その先へ。

 木々が見えなくなった。丘を下りて、車道に出る。

 谷間を縫うようにして設計されたコースに沿って、私たちも、逃亡する『識』も進む。

「うわっ!」

 コンクリートすらめくれ上がるほどの爆風に、身を焼くほどの熱が迫る。

 思わず顔をそむけてしまう。が、

「大悟さん、前っ!」

 前、というかけ声で、何が迫っているかが分かる。

 敵。

 自らの生み出した業火に紛れて反転し、前肢の一撃が、バイクのフレームを傷つけた。

 斜めがけの三筋の損傷が、オレンジに発光する。その間隔は、初め見たものよりもはるかに速い。


「だが、好都合だ」

 私は羽々音の腰へと手を伸ばして抱き寄せる。

「大悟さん!?」

 驚く羽々音に構っているヒマは、あいにくとない。

 私自身も腰を浮かせ、シートに靴を載せる。

「……そんなにこのポンコツが欲しいなら、くれてやる」

 その姿勢で可能な限りの力を足に込めて、間もなく爆発するであろう愛車を、

「テメーでつけた手垢ごと、まとめてあの世に持っていけぇっ!」

 一気にウサギの鼻先へと押しつける。その反動で私は羽々音を小脇に抱えて後へと下がる。

 今度は閃光が、視界を覆った。

 蛇の舌が長く伸びるように、火と熱が私をねぶる。

 だが羽々音だけは守らねばならない。傷ひとつつけちゃならない。

 背を向け彼女をかばい、回したその手で、彼女の背が道路で摩擦することを防ぐ。


 ――地を、五、六は転がったか。

 黒煙が、星のない黒天へとのぼる。

「大悟さん、その……ありがとう、ございます」

「礼を言うのは、まだ後だ」

 私は羽々音を自分から押し戻して言った。

 ――そう、まだ生きている。

 炎が少しずつ小さくなり、陽炎が薄れゆく中で確信する。

 毛皮は火あぶりにされ焼き縮れ、右腕はちぎれて異臭が漂う。

 それでもこの黒兎は、まだ己の核となっている『黒札』を吐き出していなかった。

 殺意と憎悪に歪む、赤い両目。

 気づけば互いに鉄橋の上。羽々音は『白札』を手に構えているが、構築はしていない。

 逃げるか、逆襲するか。どちらにせよ『識』を展開させ、狙いを定めて撃つ。

 ――それが可能か?

 諦めるつもりはないが、確たる手がないのも確かだ。

 ウサギの後ろ足の筋肉が、力を溜めて膨れあがっていくのが目に見えるほどにわかる。

 とうとう仕掛ける気らしい。身構える。

 だが。

 無数の銃声。

 青白い火の花が再び、ウサギのその背で開く。

 前のめりに倒れ、左の前足が転倒を避けた。

 ウサギの丸々と太った身の向こう側に、そいつはいた。


 小山田かすみ。


 己の真紅の愛馬にまたがり、備え付けられた機銃は白いモヤを吐いている。

 彼女は赤マフラーを追っていたわけではなく、迂回し、先回りをすることが目的だったようだ。

 確実に、仕留めるために。

 確実に、被害者を救うために。

 その気のない仏頂面が、今この時ばかりは妙に頼もしく思えた。

「ったく、ヒヤヒヤさせやがって」

 思わず毒づく私の傍らで、クスリ、羽々音が小さく笑い声を立てる。

 いつの間にか、敵と私の気をあの弾丸の炸裂が引いていた間にか、すでに『霹靂』は私たちの前にセットされている。

 機銃が、ウサギの背後を狙っている。

 完全に、挟み撃ちだった。

 三者三様の、息の弾む音が聞こえる。


 ――次の手で、決まる。


 一瞬後、獣は三本の足で駆けた。

 私たちにじゃなく、背後に控える小山田かすみに。

 二つの機銃が、雷を思わせる轟音と共に弾丸を吐き出す。

 だが、蛇行するように迫る『識』の動きに、追いつけないでいた。

 見かねて私は羽々音を手招きした。

「羽々音ちゃん。…………を、狙えるか?」

 音の洪水に紛れ、肝心の部分が己でも聞き取れない。

 だが、羽々音はにっこり笑った。こちらに信頼のすべてを委ねる。そんな魅力的な表情。こんなところでもなければ、頭のひとつでも撫でてやりたいくらいだ。

「狙えますけど、全部は無理です」

「十分だ。『識』の足を止めるにはな。あとはあいつが考えるさ」

 羽々音は強く頷いた。

 彼女はあいまいなままにしたまま、いい加減な返事はしない。完全に聞こえたわけではないだろうが、私が考えていること、狙い、全てを承諾したうえでの、首肯。

 『霹靂』が、まっすぐ矢を発射する。

 横一連に、数本同時。

 キン……キン……

 と、かすかに鏃が、敵の身体に当たらずすり抜けた弾をいくつか弾く音が聞こえてくる。

 しかし矢は、振り返ったウサギの前足に払いのけられ、川へと落ちていく。

 それでも私は、今度こそ確信する。


 私たちの、勝ちなのだ、と。


 矢が破壊した弾丸が、地面に二つに砕けて転がっている。

 その弾が、まるで磁気にでも引き寄せられたかのように、互いを引き合い、くっつ合う。

ぴったりと、それぞれの相方を見つけた弾は、元の一個の凶器となって、一斉に、ウサギの身を狙う。

 面積の広い背に、一斉に叩きつけられる金属の雨。

 苦痛に顔を歪め、足を止める。

 その隙を、当然のようにかすみは見逃さない。

 バイクが、空を飛ぶ。

 翼がついているかのように軽々と、それでいてウサギの跳躍よりも高く。

 空転するホイールが、空へと逃れようとする敵の腹に叩きつけられた。

 枯れ草のように焦げた毛皮をむしり、腹の肉を、えぐる。

 野太い野獣の断末魔。

 血と臓腑の代わりに、まばゆいばかりの光がこぼれ出る。

 その中に、灰となって溶けていく黒い札があったのを、私は見逃さなかった。


■■■


 事は済んだ。

 一斉に力が抜けて、中腰になっていた身体をそのまま車道へとへたり込ませる。

 気を張っていたのは羽々音も同じ。私に身をもたれかけて、表情を緩ませる。

 そんな私たちの横を、一瞥もせずにバイクでかすみが横切っていく。

 ただし私たちに見せた右手には、サムズアップ。

 声なき賞賛の記号。

 羽々音と視線を交わし、肩をすくめて苦笑する。


 その時、私の携帯がバイブで着信を告げる。

 ――よく壊れなかったものだと、我ながら感心した。

「もしもし」

〈あっ、ハッナミーン?〉

 この遠慮も品性もない調子っぱずれの声に、思わず顔をしかめる。

〈もー大丈夫! 穂波ちゃん、目ぇ覚ましたよっ! ユキセンパイに介抱されて〉

「もうか! ずいぶん早いな!」

 あるいは『切札』に閉じ込められていた時間が、そのまま彼女たちのような被害者の精神の消耗に繋がり、眠る時間を増やしているんじゃなかろうか。

 そういう仮説を立てたものの、サンプルも少ないし、何よりまずは帰るのが先だ。


 雫との通話を切り、そこでようやく気がついた。

「……置いてかれたな」

「いかれましたね」

 ――せめてもう一枚、札を残しておいてくれれば良かったのに。

「はぁーあ。しゃあない。徒歩で帰るか」

「帰ったら、まずはお風呂ですね」

 立ち上がりながら、羽々音が言った。

「……だな」

 傷のほうも、まずは洗わなければ消毒できない。

「大悟さん。一緒に入りましょうよ」

「!? ……!?」

 立ち上がりかけたままで、身体が固まる。

「ふふ……冗談ですよ」

 と言って羽々音は苦笑する。

「だ、だよなぁ!」

 と私の声はうわずる。

 どうにもこの娘の、このテのジョークが、雫のように流せない。

 というのも、妙に真実味があるというか……。

「冗談ですよ」という言葉がどこか空々しく、まるで逆に念押しするように、聞こえてしまう。

 真意は闇の中。

 私たちも、闇の中だ。


■■■


 朝日が高くのぼる。

 小川のせせらぎが聞こえる。

 雪路橘平を除く『カフェ・シャレード』のメンバーと、ついでに私と重藤は、小山田かすみを囲んでいた。

「お話したいことがございます」

 明け方にはしれっと戻っていた彼女と、しれっとそう言われた。

 行ってみると、

『カフェ・シャレードご一行様』

 と、手書きの手旗を振りながら、彼女は無表情で直立していた。

 先に来ていたのは、重藤だった。

 私と目が合うなり、

「やぁ」

 と手を挙げる。

「昨晩はご活躍だったそうですね」

 と言ったのは、逆に私だった。

 無論、イヤミだ。

 私が戻ってきた時には、雪路が捕らえていた敵の一味はいなかった。

 問い詰めれば、すでに重藤にやってきて、断る間もなく確保されたという。

「君があいつらを得たとしてなんになる? 口を割る奴らだと思うか? それとも、生徒の前で拷問でもするかい?」

「……ちっ」

「とにかく今は、彼女の話が先だ。そうだろう? 小山田の娘さん」

「おっしゃるとおりです」

 美しい一礼を見せて、彼女は答えた。

「では、まず自分の目的についてご説明いたします。皆様もお察ししているかとは思いますが、自分は父、小山田純によってここに派遣されました」

 ――あいつ、やっぱり生きてたのか。

 複雑な気分の私を雫が要らざる口を挟み込む。、

「じゃ! やっぱりあなたがこの事件の黒幕!?」

 ――私は、いや私たちは、一様に、同様の視線を向けた。

「なんか残念な子みたいに見られてる!?」

 実際、残念な子だ。

「自分は黒幕ではありませんが」

「何事もなく続けるんですね、小山田さん……」

「自分は『メッセンジャー』です」

「『メッセンジャー』?」

 聞き慣れぬ言葉に訝しむ重藤に向き直り、神託を受けた巫女のような厳かさで、彼に伝えた。


「射場重藤。百地の『内部監査官』が射場家取りつぶしを画策しています。ご油断なきよう」


「……監査官。そんなものがいるのか」

 ――重藤すら、初耳だったらしい。

 小山田かすみの話は、以下のように、途切れることなく続く。


 ――あの戦いの後、父、小山田純は十神の復興に尽力してまいりました。

 すなわち、百地への十神復権の働きかけ。被害を受けた施設・技術等への復興投資。

あぶれた人材の回収、結束の強化……もろもろ。

 ところが、その動きを邪魔する存在が判明いたしました。

 それが百地内部監査官。

 百地家が十神との戦いの後、設置した役職のようで、現在一名。

 その者は未だ強い影響力や技術を持つ十神派の分家や関連団体に目をつけ人知れず調査を行い、不正や本家への叛意ありと見なせば告発して彼らを取りつぶしていく、いわばお目付役。

 家を追われた彼らを保護し、確認しているようですが、正体どころか性別すら判明しないご様子。

「気づいたら、内情すべてが明るみに出ていた」

 とは、彼らの弁。

 ……まったく、雲を掴むようなお話。

 しかし最近になって判明したこともございます。

 一つ。射場家が狙いということ。この町に来たという情報が確かならば、それ以外にないのですから。

 一つ……いくらなんでも情報を集めて告発するスピードが早すぎる。

 おそらく敵はある程度十神内部の事情に通じた……元十神派の人間です。


「もっとも自分は現地に乗り込むなり『切札』に捕らえられ、まだ何も情報を掴めてはいなかったのですが」

「決まり、だね」

 と、重藤は言った。

「そいつが今回の事件の黒幕だよ。あぶれた十神派の人間を扇動して騒ぎを起こさせ、それで難癖をつけて射場家を取り潰す。そもそも百地がそんなものを設置したのは、潰した家の財産や利権が目当てだろう。十神との戦いで、百地もまた消耗しているはずだしね」

「どうかな」

 と私は腕組みして言った。

「ヘマした奴らはみんな後ろ暗いところがあったんだろ? 射場家にはそんなものはないし、さっさとこの事態収めれば良いだけの話だ。そしたら、そいつも目をつぶってくれるかもしれないな。……余計なことしなけりゃな」

「君、カンタンに言うがね。かつての味方を売るような卑劣漢が相手だよ? 早々に見つけなければ射場家どころか十神全体が危うい」

 私は重藤に睨まれ、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「それと小山田の娘さん……そういうことは、もう少し早めに、わかりやすく伝えてくれないかな」

「申し訳ありません。あの時点で話すべきかわからなかったもので」

「いや、だからって殴ったり髪の毛むしったりする必要はないよね!?」


 うー、と。

 雫が小刻みに震え、うなり声を発する。

「トイレなら、駐車場にあっただろ」

「古典的なボケしないでよっ! 武者震いよ、武者震い!」

「武者震い、ねぇ」

「やっと真実に近づいてきた、って感じじゃない!?」

 鼻息荒くそう言う雫に、「そうだね」と、羽々音が相槌を打つ。その笑顔を、彼女は父へと向けた。

「それじゃ、父さん。後処理とか、お願いね」

「うん。確保した奴らもお前たちの成果だ。出来る限りの情報は得られるようにしよう」

 ――いくら父と娘とは言え、私相手とはずいぶん扱いが違う。

 遠のく理事長の見送りもそこそこ、私たちは川を見た。

 丸い石が散乱する川原。

 そこに雪路橘平と、坂巻穂波がいる。

 下世話と分かりつつ、妙なことを二人に喋られても困る。

 ――他一人と一匹は、どうにもその下世話なことが本目的らしいが。

 ともかく私たちは岩や樹に身を隠し、耳をそばだてた。


「……ってことは、なんにも知らないんだ」

「突然、目隠しされてて……力になれなくて、ごめんなさい」

「良いよ良いよ。それより、辛かったね」

「……先輩こそ」

「ん?」

「こんな理由でケガしてたなんて、思いませんでした。すみません」

 坂巻に、雪路はある程度の事情を説明したようだ。

 雪路は平坦な道に車椅子を置いたままにし、自らは川原に尻を落ち着かせていた。

 その右隣に、坂巻穂波は立っていた。

「まっ、覚悟はしてた……って言い続けてきたけど、最近はどうかな、って思い始めてさ。本気で抵抗しようと思えば、オレはケガする前に逃れられたかもしれないんだ。軽く見てたのは、オレも同じなのかも」

 雪路はそう、自嘲するように言った。

「……あのっ」

「ん?」

「アタシも、使えるなら『識札』使いますっ! それで、先輩のお手伝いをっ」

 おおっ、と隣で雫が唸る。

 あの火力がそのまま戦力になってくれるなら、確かに心強い。

 ――しかし、

「ダメ」

「えっ」

 坂巻や雫は驚いている様子だったが、私はなんとなくその答えを予期し、かつ、期待していた。

「そんな軽はずみに言っちゃダメだよ。それは。オレにはもうコレしか残ってない。イバちゃんはお家の使命ってヤツだし、ナミさんは全部ひっくりめて引き受けてくれてる。雫ちゃんも、あぁ見えて覚悟はしてるだろうし、無茶ができるようなタイプの『識』じゃない。でも君には」

「……けないんですか?」

「うん?」

「すす、好きな人を……守りたいっていうのは、いけないこと、なんですか?」

 あからさまな告白だった。

 今まで破れなかった最後の扉。危機にさらされ成長したか、彼女は思い切りその扉を蹴破ったようだ。

 一瞬、雪路の表情が驚愕でいっぱいになる。ここまで言えば、わかるだろう。


「おおっ!」

「言った……」

 騒ぐ外野はさておき、雪路。

 ゆるゆると、まるで分解点検した機械の部品をひとつひとつ元に直していくように、表情を戻していく。目を細めた。


「……そういうコト、か」

 一言、誰にともなく呟く。

「ありがとう。好きになってくれて。……でも、ごめんね。『識』も告白、どっちも受けらんないよ」

 何かを期待し、かつ何かを恐れて輝く瞳の光が、しぼんでいくのが遠目でもわかった。

 諦めたような笑みが、部外者である私の心に妙に突き刺さった。

「理由、聞いても良いですか?」

「君の力を必要としている場所は、他にもある」

「え?」

「練習試合、近いでしょ」

「知ってたんですか!? アタシが、サッカー部だってこと」

「……未練なのかなァー。なんか、まだ気になるんだよね。女々しくてごめんね」

「いいえ」と少女は、ほんの少し嬉しそうにかぶりを振った。

「それと、オレ、今気になってる人がいるから、付き合うとかそーゆーの、できないんだ」

「そう、なんですか」

 ――そうか。そうなのか。

 ちらちらと、何故か羽々音と雫は私の方へ時折視線を送ってきているのが気になった。


「ガキっぽくて、すぐ怒るし、たまにヒドイ。でも責任感強いし、まじめで、カワイイとこもある。でもだからこそ、こっちの背負わなきゃいけない責任を、自分の責任だって考えて勝手に背負い込んじゃう。そーゆー人だからさ。気になって気になって、つい気がつくと、目で追っちゃって、構いたくなっちゃうんだよねー」


 感慨深く、遠くに視線をやりながら、それでいて官能的に、

 雪路は、そんなことを告白した。

 ――いや、どちらかと言えばカミングアウトか……?


 羽々音が、

 雫が、

 後に控える小山田かすみが、

 ゆっくりと、私の方に顔を向ける。

「な、なんだよ? 言っておくがな! 私に罪はゴブフエェッ!」

 弁解の余地無しとばかりに、小山田かすみの拳が、私の頬を殴り抜いた。


■■■


 ――数日して、

 あの合宿から特に問題は起こらず、かつなんの進展もない。

 私が羽々音だけ旧校舎に呼びつけたのは、そんな時期の、ある放課後だった。

「大悟さん、なにか用事です、か……?」

 部屋に入るなり、息でも吹きかけられたような、妙な顔をする。

 まぁ、当然だろう。

 彼女自身が用意した器具を使って、私がコーヒーを淹れていたら、そんな顔もする。

「悪いな。勝手に使わせてもらってる」

「い、いえ……」

「サイフォンなんて久々に使ったから具合が分からなくてな。時間かかるから掛けててくれ」

 珍しく、羽々音が動揺を隠せないでいる。

 飼われたばかりの子犬のように、緊張で身を縮こまらせて、イスに座る。

 聞こえるのは、湯が沸く音くらいなもの。

 パウダーから絞って抽出する様は、ちょっとしたショーのようだった。

 彼女がいつも使っている白磁のカップに淹れて、強ばる手で、彼女に突き出した。

「ん」

「……はい?」

「……ん」

「ひょっとして、淹れてくれたんですか? その、あたしのために」

「……ん」

 いつまで経っても取ってくれないから、傷が少しチクリと痛む。

 約百五十ミリリットルの液体と、それを受け止めたカップが重いとは感じないが、いつまで経っても進まなければ困る。

 彼女のその手にしっかり握らせる。

 それが幻か毒であるみたいに、おそるおそる、口に含む彼女の隣、自分の分を淹れた私がイスを引いて腰掛ける。


 最初、人類は石や絵で、その意思を、気持ちを、伝達し合っていた。

 そして、今はメール、手紙、食事……

 あるいは、一杯のコーヒー。

 伝える気持ちは一つだろうが、方法は、無数にある。

 果たして伝わるか。

 これが、「かつて私が感謝の言葉を口にした場面の再現」なのだと、彼女に伝わるか。


 緊張しながら、彼女の横顔をうかがい、自分も一口。

「……にっがっ!」

 砂糖を入れ忘れていた。

「大丈夫ですか? はい」

 手元にあったシュガースティックを、彼女は私に手渡した。

 それに私が手を伸ばした瞬間、

「…………あっ」

 虚を突かれたような顔をする。

 それから、顔を紅潮させて眠るように目を細め、この上なく、幸福そうな顔をした。

 感極まって、泣き出しそうにも見えた。

「……なんだよ」

「いえ……ううん。なんでも、ありません」

「そうか」

「そうですよ」

 耳にかかる黒髪と、柔らかな頬とが、ほんの少し、私の肩に触れた。

 特に言うべきこともなく、私はその体温を受け止め、何もない空間を、彼女と同じ場所を、ただぼんやりと見つめていた。

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