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月下恋歌  作者: 梨千子
第一章「月、落つ」
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第三話「竹流」

「まあ。 咲夜様は天女なのですか?」


 咲夜は正式に、時親の屋敷に迎え入れられた。


 部屋が与えられ、専用の侍女がついた。紗乃(さの)という名の侍女だ。咲夜を湯で世話をした人でもある。白髪が少し見え始めている中年の女性だが、柔らかな雰囲気の中に、どこか迫力がある。咲夜はちょっと……、否、かなり苦手な相手かもしれない。しかし、この屋敷には紗乃以外に、咲夜のような身分ある女性を世話できる侍女がいないらしい。


 今日から仕える女主人が天女であると知って、紗乃は驚いた声を上げたが、それがフリであることはすぐにわかった。あの時親に仕えているのだ。腹芸は得意だろう。驚いた顔にあって、目だけが平然としている。


「それはなんとも名誉なことでございます。いつどんな高貴な姫君を迎えても問題ないよう、整えてきた甲斐がございました」


 驚いてはいないが、喜んではいるようだ。


 咲夜に与えられた部屋は、この屋敷の奥の棟にある一室だった。母屋と少し離れた位置にあり、渡り廊下で繋がる。小さな池を構えた中庭があり、面する横開きの扉を開けっ放しにすれば、日の光が差し込んでかなり明るく広いと感じる。

 この棟には咲夜のための部屋のほか、台所や湯、厠なども収まっており、侍女や下級使用人の部屋もある。実質、一棟まるごと咲夜のものだ。家を与えられたと言っても過言ではない。

 月の国の部屋のように、金と白で統一された調度や天蓋付きの寝台はない。建物の造りも庭の風情も異なる。咲夜にはこの部屋の「格」を判断することはできなかったが、領主の屋敷である以上、十分に位の高い部屋なのだろう。


 咲夜は部屋を見回しながら、侍女の紗乃を試すように問いかけた。


「天女じゃないわ。天女を(かた)るのよ」


 返ってきたのは、無言の笑顔だった。ああ、この優秀な侍女は「聞こえないふり」もできるらしい。


 ――これよりそなたは、この地を救いにやってきた『天女』だ。


 天女とは、天からやってきた女、と書くらしい。このあたりの国々に伝わる伝説で、天空を自在に舞い、この世の者とは思えぬ輝かんばかりの容貌を持つ女人。ああ、それは確かに咲夜そのものだろう。

 神力を封じられる前の咲夜なら、空を駆けることもできたはずだ。やろうと思えば、天変地異を起こすこともできただろう。


 時親は言った。天女伝説が広く知られていることが重要なのだと。たとえ咲夜が月の住民ではなく、ただの異質な娘であっても構わないと。


 時親のやりたいことが、咲夜は理解できた。天女伝説はこの大和国だけではなく、隣国の久馬羅にも知られている。時親は咲夜を天女に仕立て上げ、隣国の抑止力にしたいのだ。

 天の女がこの国境にいる。この国は天女に守られているのだと敵に知らせ、その侵略行為を事前にくじこうとしている。

 そういう意味で、咲夜は適任だろう。この辺の民とは違う明らかに異質な容貌と空気は、天女といわれれば納得せざるを得ない。


 そこまでわかれば、あとは簡単だった。時親は、心の底から咲夜が月の王女であると、信じたわけではないのだ。だが、突然やってきた不思議な娘に、利用価値を見出した。だから保護を願い出た娘に、これ幸いと『天女契約』を持ちかけたのだ。


 理解した途端、腸が煮えくり返りそうになったが、帰るために何でもすると言ったのは咲夜だ。吐いた唾を飲み込むことは、自分の負けを認めるようで、絶対に嫌だった。

 ならばせいぜい、誰が見ても天女であると納得する演技をしてみせるしかない。


 咲夜は顎を上げ、堂々とした姿勢を保った。


 中庭に造られた池の水面が夕日を反射して輝いている。時折ひらめくのは池に住む魚かもしれない。光がちかちかと点滅するたび、咲夜の髪と瞳に反射して、きらめき散った。


 それは美しい光景だったのだろう。侍女の紗乃が、ほうと感嘆の息を漏らした。


「さすがは御屋形様。まさかこんなとんでもないお方をお迎えになるとは……今までどの姫君もお迎えにならなかった理由が、今ならよくわかりますわ」

「……どういう意味かしら」


 紗乃の言い方は妙だった。

 戦争の抑止力として天女を迎えただけではなく、なんだか、別の意味が含まれているような気がした。


 あらあら、と紗乃は口元を袖で隠す。しかし目は笑っている。


「この部屋を与えられたということは、そういうことでございましょう?」

「はっきり言ってちょうだい」

「御屋形様が咲夜様を、奥の方――妻に迎え入れられたと。領民は皆、そう認識しております」


 衝撃の極みである。


「はあ!?」


 咲夜は思わず、天女の顔を剥がして大声を上げた。


 妻というのは――伴侶のことである。


 そんな当然のことを、咲夜は心の中で反芻した。それだけ驚いたのである。


 時親からは、咲夜を天女にするという話しか聞いていない。妻というのは、青天の霹靂の話だ。一言も話題に出ていないし、無論、時親とそういう仲になったわけでもない。


 当然である。誰が地上の男と結婚しようと思うだろうか。咲夜は月の王女なのだ。時親はただの凡庸な男ではないが、到底、咲夜の伴侶にはなりえない存在である。一体なぜそんな勘違いをされているのか。


 すぐにその疑問は解消された。


「御屋形様が領内外に向けて広く発信したのですわ。天女様を奥に迎えたと」


 あまりの事実に、咲夜はしばらく声が出なかった。


 ふつふつと胸の奥に熱いものがこみ上げる。腕が震え、口元がひきつった。


「あの男――」


 殺す。


 怒りが咲夜の中でとぐろを巻いて、噴き出しそうだった。身体が熱くなり。息が荒くなる。


 だまし討ちを受けた気分だ。否、事実、だまされたのだ。


 極めて好意的に解釈するのであれば、彼は純粋に咲夜を守るために、妻という身分を与えたのかもしれない。異邦人である咲夜には、この地で生きていくための盤石な地盤がない。天女だと崇められても、本当に久馬羅が攻めてこないという保証はないし、もし時親が戦で倒れれば、咲夜はまた行く当てのない女になる。だからこそ、時親は親切心から咲夜を妻に迎えたと解釈できる。


 しかし咲夜はもう知っている。あの男は、月の女王と同じ為政者の顔を持っている。邪悪ではないが、純粋な善意の塊でもない。冷徹に何が一番有効かを計算できる男だ。

 そんな男が咲夜を――天女を妻として迎えたと公言したということは、政治的な演出に他ならない。ただ天女が国境にいると知らせるより、天女が領主の妻になったとしたほうが、より効果的なのだ!

 理屈は理解できた。


 ――問題は、なぜ時親が咲夜にそれを説明しなかったかということだ。


 咲夜は膝に置いた両手に力を込めた。衣服越しに爪が食い込む。その痛みが、怒りをさらに搔き立てる。


 なんでもすると言ったのは咲夜である。自身の矜持にかけて、その言葉を違えるつもりはない。もし時親から説明を受け、妻になるように要請されれば、咲夜はそれを受け入れただろう。


 ――つまりは、なめられていたのだ。


 咲夜の覚悟は、時親に全く伝わっていなかったのだ。


 あの男にとって咲夜は、天女として利用すべき相手である前に、庇護すべき、か弱い存在にすぎなかった。対等に渡り合えたと思っていたのは咲夜だけで、時親は最初から、咲夜を未熟な子供として扱っていたのだ。

 だから何も言わず、政治的に最適な判断をした。子供と思っている咲夜に相談すれば、色んな問題が起こる可能性がある。しかし妻にしてしまえば、了承など取らずともよい。天女を縛ってしまえるのだ。


 王女として、これほどの屈辱を受けたのは初めてだ。


 風が吹いた。ひそやかに、笑い声が聞こえる。視線を上げれば、空から白い小鳥が羽ばたきながら中庭の木の枝に降り立つところだった。


 今までどこにいたのか。タケルだ。


「やられたなあ、サクヤ」


 どこかで水浴びでもしてきたのか。白い綿毛のような羽毛を震わせ、タケルは楽し気に笑った。


「タケル。どこにいたの」


 咲夜はタケルを睨めつけたが、タケルはその質問に答えず、


「ああ、なんということだろう!」


 と片翼を広げ滔々(とうとう)と語り始める。


「まさかまさか、月の王女様が地上の男の妻にされようとは! 果たして、このようなことが許されるのだろうか! これは純愛か、それとも悲恋になるのか。この後どういう展開が待つのか。乞うご期待!」


 まるで演劇の語り手のような口調だ。


 しかし、その声は笑いをこらえられていない。今もし彼が人の姿なら、きっと手を叩いて笑い転げていることだろう。


「タケル……あんたねぇ……!」


 人の姿ならとっくに殴っているところだ。もっとも今は、鳥になって木の上にいるから、咲夜に殴られる心配がない。タケルはそれをわかった上で咲夜をからかっている。


 月では、彼が咲夜に軽口を叩くのが日常茶飯事だった。ほとんどの侍女や使用人が咲夜のことを王太女として丁重に扱う一方で、タケルだけは咲夜と目線が一緒だった。共にいたずらをして、共に授業を抜け出した。咲夜が叱られるときは、たいていタケルも一緒だった。

 年が一歳しか違わないせいもあるのだろう。王宮には咲夜とタケル以外に子供がいなかった。遊び相手がお互いしかいなかったのだ。


 だからだろうか。その飄々とした態度を見ていらつく気持ちとは別に、少し落ち着きを取り戻した自分がいる。


「まあ、面白い鳥ですこと。あれは咲夜様の?」

「……そうね。一応私の近衛よ。名前はタケル」


 紗乃が興味津々そうに、庭に少し身を乗り出して、タケルを観察した。紗乃の視線を受けて、タケルは鳥の姿のまま決めポーズをとって見せる。お調子者め。


「たける様。いいお名前ですわね。字はどのように?」

「タケルは、タケルよ?」


 同じようなやり取りを時親ともした。あの時もそうだったが、一体何を聞かれているのか咲夜にはわからなかった。


「残念! 地上と月とは、言葉が違うんだ。今はフシギな力で通じてるだけさ。地上の漢字ってやつは、月にはないよ。オレの名前はただのタケル」


 咲夜は驚いた。そんなこと、初めて知った。

 試練の儀で向かう地のことだ。王太女の授業で習っていたはずである。サボっていたので、覚えていないだけかもしれない。しかし、タケルが知っていて咲夜が知らないというのは、なんだか悔しい。


「ああ、そういえば――」


 紗乃が小さくつぶやいた。

 ――()()()()()()()


 その言葉は、小さすぎて聞き取れなかった。

 紗乃は笑顔を見せると、


「咲夜様のお名前は、御屋形様がつけられたのでしょう? なら、たける様のお名前はぜひこの紗乃につけさせてくださいませ」

「おっ、いいの? やったあ、かっこいい字を頼むぜ!」

「やはりヤマトタケルノミコトから『武』という文字がいいかしら。ああでも、『建』の字も捨てがたいですわね」

「へえ。よくわかんないけど、かっこよさそうだな!」


 一人と一羽は、すっかり命名に夢中になっている。咲夜はついていけずに、はあ、とため息をついた。

 そろそろ夕暮れだ。中庭の翳りが大きい。高かった気温が少しずつ落ち着いて、過ごしやすくなってきていた。

 月は出るだろうか。咲夜は空を見上げた。


「――ああ、そうですわ。『竹』にしましょう」


 紗乃が思いついたように言った。


「竹は、どんなに強い風が吹いてもしなるだけで折れないのです。まっすぐ天を向いて伸びてゆく。地上と月をつなぐ橋。あなたの名前は竹流。いかがでしょう?」


 彼女の提案を聞いて、タケルは一瞬、言葉に詰まったように見えた。


 感動に打ち震えているのかと思ったが、むしろ冷や水を浴びせられたかのようだ。その目には、ふと真剣な光が戻っていた。


「……竹流か。――うん、いいな」


 少しだけ寂しそうに笑ったかもしれない。けれど彼はすぐに元のお調子者の顔に戻った。


「地上と月をつなぐ橋だなんて、すっげえかっこいいよ! サイコー!」


 そして、タケルは「竹流」になった。


 サクヤが「咲夜」になったように。

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