第九話 新学期と告白
学期の始業式。
教室は、冬休みの空白を埋めようとする言葉の弾丸が飛び交っていた。その騒音の中心に、いつものように彼女はいた。
首元に巻かれた、鮮やかな赤いマフラー。
それは彼女にとっての勝負服であり、完璧な「岸本結衣」を演じるための武装だ。
友達の輪の中で、絶え間なく相槌を打ち、器用に笑う彼女の姿は、昨日の三番線で僕の胸に額を預けていた少女とは、どうしても結びつかない。
僕は自分の席で、ただ英単語帳を広げていた。
視線を上げれば、彼女と目が合うかもしれない。けれど僕は、彼女を「岸本さん」として放っておくことに決めていた。それが、僕たちなりの誠実さだと思っていたから。
ふと、結衣が自分の鞄から教科書を取り出そうとした時、中から一瞬だけ、深いネイビーの生地が覗いた。
僕が贈ったマフラーだ。彼女はそれを、学校指定の鞄の奥に、誰にも見つからないように大切に忍ばせていた。
その事実を、この教室の誰も知らない。世界中で僕一人だけが、彼女の鞄の中に隠された「本当の自分」の居場所を知っている。その事実に、僕の心臓は静かに、けれど速く鼓動を打った。
放課後。ホームを吹き抜ける風は相変わらず冷たかったけれど、いつもの自販機の前には、もう赤いマフラーを外した彼女が立っていた。
鞄から取り出したばかりの、ネイビーのマフラーを丁寧に巻き直した彼女。その顔は、一日の「役目」を終えた安堵感に満ちていた。
「……お疲れ様、悠介」
彼女の声は、教室での高いトーンとは違う、僕だけが知っている温度をまとっていた。
「……お疲れ様。……マフラー、ずっと鞄に?」
「……うん。授業中、ずっと足元でこれに触ってた。そうしないと、教室のうるささ
に負けちゃいそうだったから。……悠介、あのね」
結衣は自販機のココアを二つ買った。ガタン、という鈍い音が響き、彼女は一つを僕に差し出す。その手は、冬の空気の中で微かに震えていた。
「私、冬休みに悠介に会ってから、ずっと考えてたの。……三番線だけが特別なんじゃなくて、悠介がいる場所が、全部私の特別なんだって」
結衣はマフラーに顔を深く埋め、上目遣いで僕を見つめた。
「……ねえ、悠介。……私と、付き合ってほしいな。三番線の外でも、悠介の隣にいたい」
思考の遅い僕の頭の中で、その言葉が何度も反響した。
付き合う。それは、この駅のホームという聖域を抜け出し、現実の世界でもお互いを繋ぎ止めるということだ。僕は、差し出されたココアを受け取る代わりに、彼女の震える手を、その温もりごと握りしめた。
「……僕で、いいなら。……僕も、結衣の隣がいい」
僕の答えに、結衣はパッと顔を輝かせ、握った手に力を込めた。
「……うん。……もう、『藤井くん』って呼ぶの、学校でも辛くなりそう」
「……少しずつ、変えていこう。……僕も、頑張るから」
三番線の掲示板に『まもなく電車が参ります』の文字が踊る。入ってきた電車の突風が、二人のマフラーを激しく揺らした。
けれど、繋いだ手のひらは、どんな冬の嵐にも負けないほど、確かに熱を帯びていた。




