第八話 マフラーとキス
冬休みの終わりが近づく、一月の冷え込んだ昼下がりのこと。
三番線ホームの自販機横で、僕はいつもより少し重たい紙袋を足元に置いていた。
いつものように階段を下りてきた結衣は、僕の姿を見つけるとパッと顔を輝かせたが、僕の足元にある見慣れない袋に気づいて、不思議そうに首を傾げた。
「何それ、悠介? 買い物帰り?」
「……あ、いや。これ、結衣に」
僕は、思考が追いつかなくなる前に、用意していた言葉を一気に吐き出すようにして袋を差し出した。
結衣は「えっ、私に?」と目を丸くしながら受け取り、中から丁寧な包装に包まれたものを取り出した。現れたのは、深いネイビーの、手触りの良いカシミアのマフラーだった。
「……結衣、いつも赤いのしてるけど。……それ、目立つから」
僕は、自分の不器用な言い訳に耳まで熱くなるのを感じた。
「目立つ」というのは建前で、本当は、学校での彼女が巻いている「完璧な岸本結衣の象徴」である赤いマフラーではなく、僕だけが知っている「結衣」に似合う色を贈りたかったのだ。
「学校では、いつもの赤いのを巻いてればいい。……でも、もし、三番線で寒かったら、これを使って。こっそり鞄に入れておけるくらい、薄いやつを選んだから」
結衣は、ネイビーのマフラーをそっと首に当て、その柔らかさを確かめるように目を閉じた。
「……ありがとう、悠介。すごく嬉しい」
結衣はそう言って、僕の目を見て真っ直ぐに笑った。その瞳には、熱いものが込み上げているように見えた。
彼女はさっそく、赤いマフラーの上から、僕の贈ったネイビーのマフラーを重ねて巻いた。二色の色が混ざり合う。それは、偽物の彼女と本物の彼女が、僕という存在を通じてようやく一つに溶け合っていくような、そんな光景に見えた。
「……似合ってる」
僕が短くそう言うと、結衣はマフラーに顔を深く埋め、照れくさそうに「遅いよ、褒めるの」と呟いた。
二色のマフラーが重なる首元から、結衣がゆっくりと顔を上げた。
自販機の唸り音と、遠くのポイントが切り替わる金属音だけが響く三番線の端。
周囲の喧騒から取り残されたようなその場所で、彼女の瞳がまっすぐに僕を射抜いた。
「……ねえ、悠介」
囁くような声。彼女が、僕のコートの裾を指先でぎゅっと掴んだ。
「お返し。……これ、私の本物の気持ちだから」
不意に、視界が彼女の香りで満たされた。
触れるだけの、短くて静かなキス。
冬の冷たい空気の中で、そこだけが驚くほど熱を持っていた。
僕の遅い思考は完全に停止し、ただ唇に残った柔らかな感触と、目の前で赤くなっている彼女の耳たぶだけを呆然と見つめていた。
結衣は弾かれたように体を離すと、ネイビーのマフラーに顎を埋め、視線を泳がせた。
「……変なの。……今の、忘れてもいいから」
「……忘れるわけ、ないだろ」
ようやく絞り出した僕の声に、結衣は一度だけ強く頷き、僕の手を握りしめた。 三番線に入ってきた電車のライトが、二人の影を長く、深く伸ばしていく。
扉が開く。
これまでは、電車に乗ればまた別の場所へ向かう他人だった。
けれど、並んで乗り込んだ車内の窓に映る二人は、もう隠しようがないほどに、お互いの一部になっていた。




