第四話 本音と建前
十二月の半ば。街が浮き足立つクリスマスソングを吐き出し始める頃、僕たちの三番線には、それとは無縁の静かな時間が流れていた。
悠介、と呼ぶ彼女の声も。それに頷く僕の沈黙も。
自販機の横という狭いスペースは、いつの間にか僕たちにとって、外の世界のルールが適用されない「治外法権」のような場所になっていた。
けれど、世界は僕たちが思うほど優しくはない。
その日の放課後、いつも通り自販機の横で英単語帳を盾にしていた僕の耳に、聞き覚えのある高い笑い声が飛び込んできた。
「あはは、まじで!? それウケるんだけど!」
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。岸本結衣が、クラスの女子グループ数人と一緒に階段を下りてきたのだ。偶然にも、彼女たちの乗る電車と僕の待つ電車が重なってしまったらしい。
彼女は僕の姿を視界に捉えた瞬間、首に巻いた赤いマフラーに顔を埋めるようにして、一瞬だけ足を止めた。
けれど、次の瞬間には、彼女の顔にあの完璧な岸本結衣の仮面が張り付いていた。
「あ、藤井くんだ! やだ、こんな端っこで何してんの? 相変わらず勉強熱心だねー」
彼女は、取り巻きの女子たちに合わせるように、僕を「少し変わったクラスメイト」として扱うトーンで声をかけてきた。
昨日まで「悠介」と僕を呼んでいたその唇が、今は僕との間に深い溝を作るような呼び名を紡いでいる。
「何、結衣の知り合い?」
「うん、まあ同じクラスだし。ほら、見てよこの英単語帳。ボロボロだよ、凄くない?」
結衣は僕の単語帳を指さして笑った。彼女の瞳は笑っていないのに、口調だけが場を盛り上げようと、どんどん軽くなっていく。
友達たちは「結衣ってば、そんな地味な子にも構ってあげるとか、優しすぎー」と笑い、彼女の腕を引いてホームの中央へと移動していった。
結衣は、一度も振り返らなかった。
取り残された僕は、ポケットの中で単語帳を握りしめた。
彼女が自分を守るために、あの場でああ振る舞うしかなかったことは、思考の遅い僕でもすぐに理解できた。
けれど、分かっていることと、傷つかないことは別だった。
三番線に入ってきた電車が、耳をつんざくようなブレーキ音を立てて止まる。彼女たちが乗り込み、扉が閉まる。僕も乗る予定だった電車だったが、乗らなかった。
走り去る電車の窓越しに、一瞬だけ、マフラーに顔を埋めてうなだれる彼女の背中が見えた気がした。
ホームに残されたのは、自販機の唸り声と、刃物のように鋭い冬の風だけだった。




