第三話 悠介と結衣
十二月に入ると、ホームを吹き抜ける風はいよいよ刃物のような鋭さを増してきた。
三番線での五分間、あるいは十分間。それは僕たちにとって、誰にも邪魔されない「聖域」のような時間になっていた。
その日の放課後、ホームに現れた彼女は、いつもより少しだけ疲れた顔をしていた。
自販機の横に来るなり、彼女は何も言わずに僕のすぐ隣に背中を預けた。
肩と肩が触れそうで触れない、そのわずかな距離から、彼女の体温が伝わってくるような気がした。
「……今日は、無理に喋らなくていいよ」
僕がぼそりと呟くと、結衣は小さく頷いて、目を閉じた。
ホームには、遠くを走る車の音と、時折響くアナウンスだけが流れている。これまでの彼女なら、この沈黙に耐えかねて何かを喋り出していたはずだ。
でも今の彼女は、僕の隣で、ただ静かに「岸本結衣」という仮面を置いて休んでいた。
ふと、結衣がマフラーに顔を埋めたまま、独り言のように言った。
「今日、教室でね。友達に『結衣、最近なんか静かになった?』って言われちゃった。……私、変かな」
僕は、自分の思考の遅さを呪った。彼女を安心させる言葉が、すぐには出てこない。 それでも、数秒の空白を置いて、僕は自分の内側から湧いてきた言葉を口にした。
「……変じゃないよ。きっと、結衣が、自分の声を聴こうとしてるだけだと思う」
結衣は目を開け、不思議そうに僕を見た。
「自分の声?」
「……誰かに届けるための言葉じゃなくて。結衣の中に、本当にある音。……それを、ここで休ませてるだけだから」
結衣はしばらく僕の言葉を咀嚼するように黙り込んでいた。
それから、ふっと、冬の空気に溶けるような柔らかい笑みを浮かべた。
「藤井くんって、本当に私の知らない私を見つけるのが上手だね」
彼女は自販機のココアのボタンを押した。ガタン、という鈍い音が響き、温かい缶が二つ、取り出し口に転がり落ちる。彼女は一つを僕に差し出した。
「これ。いつも私の声を聴いてくれるお礼。……今日は、私が藤井くんの声を聴く番にしてもいい?」
差し出された缶の温もりが、冷え切った指先から僕の心臓へと伝わってくる。言葉の遅い僕のペースを、彼女が初めて「待とう」としてくれている。三番線の掲示板に『まもなく電車が参ります』の文字が躍った。
「……僕の話は、長くなるよ」
「いいよ。藤井君のためなら次の電車、一本遅らせてもいいくらい。あ、間違えた、悠介のためなら」
そう言って笑う結衣の瞳は、冬の夕暮れの中で、どの街灯よりも明るく澄んで見えた。




