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第8話「内申で脅す先生」



 うちの担任・長谷川先生は、すぐ「内申に響くぞ」と言う。


「忘れ物ばっかしてると、内申に響くぞ」

「遅刻が続くと、内申に響くぞ」

「授業中うるさいと、内申に――」


 クラスメイトの中には、先生のモノマネがやたら上手い奴もいて、


「おいお前ら、内申、内申、内申ィ〜!」


 なんてふざけて笑いを取っているけれど、

 俺にとっては、笑えないくらいイラっとくる口癖だった。


(もっとさ、“将来のためだぞ”とか、“お前のためだ”とか、

 そういう言い方あるだろ)


 中3の今、進路の話が出るたびに、先生はほぼ反射でこの言葉を出してくる。


「お前、部活のことばっかり考えてると、内申が――」


 はいはい、またそれ。

 心の中でため息をつく。



 秋の三者面談の日。


 進路希望調査に、「第一志望・県立A高校(偏差値ちょい高め)」と書いた俺は、

 教室の隅で母さんと並んで座っていた。


「じゃあ、小野……じゃなくて高橋だな。高橋の進路の件だけど」


 長谷川先生が、俺の成績表と調査票を見比べながら言う。


「成績自体は悪くない。ただ、A高校は内申が――」


「また内申ですか」


 思わず、口からこぼれた。


 先生がぴくりと眉を動かす。


「……どういう意味だ?」


「なんか、先生って、全部それで片づけますよね。

 “内申に響くぞ”って。

 ちゃんと頑張ってるときだってあるのに、

 遅刻一個とか、忘れ物一回とか、そういうのばっか見てる気がする」


 母さんが「ちょっと」と小声で止めようとするけれど、もう遅い。


「内申、内申って……

 そんなに紙切れの数字ばっか大事ですか?」


 教室の空気が、少しだけ冷たくなった気がした。


 長谷川先生は、しばらく黙って俺の顔を見ていたけれど、

 やがてため息をひとつついて、椅子の背にもたれた。


「……そうか。そう聞こえてたか」


 低い声だった。


「いや、別に。聞こえてた、とかじゃなくて――」


「すまん」


 予想していなかった言葉だった。


「俺の言い方が下手なんだと思う。

 ただ、“紙切れ”だと思ったことは、一度もない」


 長谷川先生は、机の上のボールペンを指で転がしながら続けた。


「高橋。お前、二年のときの、田島ってやつ覚えてるか」


「田島……?」


「俺が担任する前の、3組のやつだ。

 背高くて、バスケ部で、いつもクラスの真ん中にいるタイプの」


「あー、なんかいた気がします」


 廊下でよくボール回して注意されてた、人懐っこい先輩。

 顔だけうっすら浮かぶ。


「あいつ、A高校のさらに上のB高校を目指しててな。

 実力テストの点も良かったし、塾の模試でも“合格圏”って出てた」


 先生は、少し遠くを見るような目になった。


「ある日、進路相談で、“このままいけば大丈夫だろう”って言っちまったんだよ、俺が」


「……先生が?」


「あぁ。

 “内申も足りてるし、あとは本番だな。部活も悔いのないようにやれ”って」


 そこで一拍、間があいた。


「でも実際には、内申、足りてなかった」


「え?」


「B高校の過去の合格者の内申の平均より、微妙に1つ、2つ低かった。

 点数でカバーできなくはないけど、“ギリギリ”ってやつだ」


 先生の声に、自分への怒りみたいなものが混じる。


「俺は、“どうせギリギリでも受かるだろう”って、まともにそこ見なかった。

 “内申なんて紙切れだ”って、どこかで思ってたんだろうな」


 その結果――と先生は続ける。


「本番、田島はちょっとだけこけた。

 当日、熱があったとか、メンタルやられたとか、いろいろ言い訳はあったが……

 結局B高校は不合格。

 判定理由に、“内申点不足”って書かれてた」


 俺は、言葉を失った。


「合格発表の日、校門のとこであいつと会ってさ。

 “悪い。俺、いけるって言われてたから、油断した”って笑ってたけど」


 先生はそこで口をつぐみ、拳をぎゅっと握った。


「あとから、あいつの母親に言われた。

 “先生が大丈夫って言うから、うちの子、部活と受験、両方頑張れるって信じてました。

 “本当は厳しい”って、ちゃんと言ってほしかった”って」


 教室の時計のカチカチという音だけが響く。


「それからだ」


 先生は、机の上の成績表を指先で軽くたたいた。


「俺が“内申に響くぞ”って、うるさく言うようになったのは」



「たしかに、お前の言う通り、内申の数字だけで人間は測れない。

 部活の頑張りとか、人柄とか、そういうもんは全部、紙には入りきらない」


 先生は、俺と母さんを交互に見た。


「でも、高校の入試のシステム上、“紙切れ”が扉を開ける鍵になることはある。

 どれだけ実力があっても、鍵が足りないと扉は開かない」


 たとえ話はちょっとダサい。

 でも、言っている意味はわかった。


「だから、部活も遊びも恋愛も、全部やってほしいと思ってる。

 その上で、“今やってることが鍵を増やす方向か、減らす方向か”は、

 俺の方からちゃんと言っておきたい」


 “うるさい”って言われてもな、と先生は付け足した。


「……それ、最初から説明してくれればよくないですか」


 思わず本音がこぼれる。


「“内申”って言われると、“数字でしか見てない”って感じに聞こえるし」


「だろうな」


 先生は、苦笑した。


「でも、毎時間そこまでの話してたら、授業終わらん」


「それはそうですけど」


 俺もちょっと笑ってしまう。


「だからせめて、“お前にとって大事な鍵なんだぞ”って意味で、

 しつこく“内申、内申”って言ってる。

 言葉が雑なのは、認める」


 その言い方が、逆にちょっとズルいと思った。


 怒りの矛先が、うまく定まらなくなる。



「高橋。お前、A高校に行きたい理由は?」


 急に話を戻される。


「……野球、強いからです」


「それだけか?」


「それだけ……じゃないですけど」


 俺は、少しだけ迷ってから続けた。


「父さんが、昔A高校で野球やってて。

 “お前が同じグラウンドに立ったら、泣くかもしれん”とか言うから」


「ほう」


「……あと、グラウンド、見に行ったときに。

 “ここで試合したいな”って、普通に思ったからです」


 言っていて、顔が熱くなる。


 先生は、なぜかちょっとだけ嬉しそうに笑った。


「わかった。

 その気持ちがあるなら、俺は応援する」


 そう言って、机上の成績表をトントンと指で叩く。


「ただし、現時点だと、内申、ちょっと足りん」


「……ですよね」


「だから、“ギリギリいけるかも”とは言わない。

 はっきり言う。

 “このままだと厳しい。でも、まだ間に合う”」


 その言い方は、不思議と腹が立たなかった。


「具体的に言うぞ。

 まず、提出物。理科と社会、出し忘れ多すぎ。

 これ、全部出してれば、2は3になってた。

 3が4になるところも、いくつかある」


「……はい」


「それから生活面。遅刻。ここ数か月で計何回だ」


「……五回くらいです」


「三回までなら、まぁ“うっかり”で済む。

 五回は、“自分でコントロールしてない”って評価になる」


 先生は、ペン先で“生活態度”の欄を指す。


「俺がうるさく“内申に響くぞ”って言ってたのは、こういうところだ。

 テストの点は、もうお前の努力次第で伸ばすしかない。

 でも、提出物と遅刻は、“やれば確実に上がる内申”なんだよ」


「……そう言われると、なんか、やるしかない感じですね」


「そうだ。

 俺は、“やっても変わらない努力”をさせる気はない。

 “やれば変わるとわかってるところ”を、ちゃんと伝えたい」



 三者面談が終わって教室を出るとき、

 長谷川先生が俺だけを呼び止めた。


「高橋」


「はい」


「さっき、“紙切れ”って言われて、結構グサッときた」


「……すみません」


「でもまぁ、言わせるような言い方してたのは俺だ。

 だから、お互い様だな」


 先生は少し笑ってから、短く言った。


「A高校、行きたきゃ、やることはシンプルだ。

 “紙切れの数字”を、ちゃんと自分の味方にしろ」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――そう思っていたけれど。


 長谷川先生の「内申」は、

 ただの脅し文句じゃなくて、

 “昔の自分の後悔”とセットになった、

 不器用な警告だったのかもしれない。



 冬。

 提出物を出し忘れないようにカレンダーに書き込み、

 遅刻しないように目覚ましを二個セットし、

 テスト勉強も、前より少しだけ計画的にやるようになった。


 この前、成績表を返されたとき、

 生活態度の欄に、小さく上向きの矢印が書かれていた。


「……なんすか、これ」


 廊下で聞くと、先生はそっけなく言った。


「教員のメモだ。

 “ここ数か月、提出物と遅刻が改善傾向”って意味」


「おお……」


「内申、少しだけマシになった。

 “お前がやった分だけ、紙切れがついてきた”ってことだ」


 なぜか、それが妙に誇らしかった。



 本番の合格発表の日。

 A高校の掲示板の前で、自分の番号を見つけたとき。


 スマホを取り出した俺は、

 親より先に、長谷川先生にメッセージを送った。


『鍵、足りました』


 数分後、返事がきた。


『お前が増やした鍵だ。胸張ってこい』


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か。

 全部はわからないし、きっとこれからも言い方は雑なんだろうけど。


 “内申で脅す先生”の正体が、

 “あえて嫌われ役を引き受けてる人”だと知れたことは――


 俺のこれからの「大人」の見え方を、

 少しだけマシにしてくれた気がした。

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