第8話「内申で脅す先生」
うちの担任・長谷川先生は、すぐ「内申に響くぞ」と言う。
「忘れ物ばっかしてると、内申に響くぞ」
「遅刻が続くと、内申に響くぞ」
「授業中うるさいと、内申に――」
クラスメイトの中には、先生のモノマネがやたら上手い奴もいて、
「おいお前ら、内申、内申、内申ィ〜!」
なんてふざけて笑いを取っているけれど、
俺にとっては、笑えないくらいイラっとくる口癖だった。
(もっとさ、“将来のためだぞ”とか、“お前のためだ”とか、
そういう言い方あるだろ)
中3の今、進路の話が出るたびに、先生はほぼ反射でこの言葉を出してくる。
「お前、部活のことばっかり考えてると、内申が――」
はいはい、またそれ。
心の中でため息をつく。
◇
秋の三者面談の日。
進路希望調査に、「第一志望・県立A高校(偏差値ちょい高め)」と書いた俺は、
教室の隅で母さんと並んで座っていた。
「じゃあ、小野……じゃなくて高橋だな。高橋の進路の件だけど」
長谷川先生が、俺の成績表と調査票を見比べながら言う。
「成績自体は悪くない。ただ、A高校は内申が――」
「また内申ですか」
思わず、口からこぼれた。
先生がぴくりと眉を動かす。
「……どういう意味だ?」
「なんか、先生って、全部それで片づけますよね。
“内申に響くぞ”って。
ちゃんと頑張ってるときだってあるのに、
遅刻一個とか、忘れ物一回とか、そういうのばっか見てる気がする」
母さんが「ちょっと」と小声で止めようとするけれど、もう遅い。
「内申、内申って……
そんなに紙切れの数字ばっか大事ですか?」
教室の空気が、少しだけ冷たくなった気がした。
長谷川先生は、しばらく黙って俺の顔を見ていたけれど、
やがてため息をひとつついて、椅子の背にもたれた。
「……そうか。そう聞こえてたか」
低い声だった。
「いや、別に。聞こえてた、とかじゃなくて――」
「すまん」
予想していなかった言葉だった。
「俺の言い方が下手なんだと思う。
ただ、“紙切れ”だと思ったことは、一度もない」
長谷川先生は、机の上のボールペンを指で転がしながら続けた。
「高橋。お前、二年のときの、田島ってやつ覚えてるか」
「田島……?」
「俺が担任する前の、3組のやつだ。
背高くて、バスケ部で、いつもクラスの真ん中にいるタイプの」
「あー、なんかいた気がします」
廊下でよくボール回して注意されてた、人懐っこい先輩。
顔だけうっすら浮かぶ。
「あいつ、A高校のさらに上のB高校を目指しててな。
実力テストの点も良かったし、塾の模試でも“合格圏”って出てた」
先生は、少し遠くを見るような目になった。
「ある日、進路相談で、“このままいけば大丈夫だろう”って言っちまったんだよ、俺が」
「……先生が?」
「あぁ。
“内申も足りてるし、あとは本番だな。部活も悔いのないようにやれ”って」
そこで一拍、間があいた。
「でも実際には、内申、足りてなかった」
「え?」
「B高校の過去の合格者の内申の平均より、微妙に1つ、2つ低かった。
点数でカバーできなくはないけど、“ギリギリ”ってやつだ」
先生の声に、自分への怒りみたいなものが混じる。
「俺は、“どうせギリギリでも受かるだろう”って、まともにそこ見なかった。
“内申なんて紙切れだ”って、どこかで思ってたんだろうな」
その結果――と先生は続ける。
「本番、田島はちょっとだけこけた。
当日、熱があったとか、メンタルやられたとか、いろいろ言い訳はあったが……
結局B高校は不合格。
判定理由に、“内申点不足”って書かれてた」
俺は、言葉を失った。
「合格発表の日、校門のとこであいつと会ってさ。
“悪い。俺、いけるって言われてたから、油断した”って笑ってたけど」
先生はそこで口をつぐみ、拳をぎゅっと握った。
「あとから、あいつの母親に言われた。
“先生が大丈夫って言うから、うちの子、部活と受験、両方頑張れるって信じてました。
“本当は厳しい”って、ちゃんと言ってほしかった”って」
教室の時計のカチカチという音だけが響く。
「それからだ」
先生は、机の上の成績表を指先で軽くたたいた。
「俺が“内申に響くぞ”って、うるさく言うようになったのは」
◇
「たしかに、お前の言う通り、内申の数字だけで人間は測れない。
部活の頑張りとか、人柄とか、そういうもんは全部、紙には入りきらない」
先生は、俺と母さんを交互に見た。
「でも、高校の入試のシステム上、“紙切れ”が扉を開ける鍵になることはある。
どれだけ実力があっても、鍵が足りないと扉は開かない」
たとえ話はちょっとダサい。
でも、言っている意味はわかった。
「だから、部活も遊びも恋愛も、全部やってほしいと思ってる。
その上で、“今やってることが鍵を増やす方向か、減らす方向か”は、
俺の方からちゃんと言っておきたい」
“うるさい”って言われてもな、と先生は付け足した。
「……それ、最初から説明してくれればよくないですか」
思わず本音がこぼれる。
「“内申”って言われると、“数字でしか見てない”って感じに聞こえるし」
「だろうな」
先生は、苦笑した。
「でも、毎時間そこまでの話してたら、授業終わらん」
「それはそうですけど」
俺もちょっと笑ってしまう。
「だからせめて、“お前にとって大事な鍵なんだぞ”って意味で、
しつこく“内申、内申”って言ってる。
言葉が雑なのは、認める」
その言い方が、逆にちょっとズルいと思った。
怒りの矛先が、うまく定まらなくなる。
◇
「高橋。お前、A高校に行きたい理由は?」
急に話を戻される。
「……野球、強いからです」
「それだけか?」
「それだけ……じゃないですけど」
俺は、少しだけ迷ってから続けた。
「父さんが、昔A高校で野球やってて。
“お前が同じグラウンドに立ったら、泣くかもしれん”とか言うから」
「ほう」
「……あと、グラウンド、見に行ったときに。
“ここで試合したいな”って、普通に思ったからです」
言っていて、顔が熱くなる。
先生は、なぜかちょっとだけ嬉しそうに笑った。
「わかった。
その気持ちがあるなら、俺は応援する」
そう言って、机上の成績表をトントンと指で叩く。
「ただし、現時点だと、内申、ちょっと足りん」
「……ですよね」
「だから、“ギリギリいけるかも”とは言わない。
はっきり言う。
“このままだと厳しい。でも、まだ間に合う”」
その言い方は、不思議と腹が立たなかった。
「具体的に言うぞ。
まず、提出物。理科と社会、出し忘れ多すぎ。
これ、全部出してれば、2は3になってた。
3が4になるところも、いくつかある」
「……はい」
「それから生活面。遅刻。ここ数か月で計何回だ」
「……五回くらいです」
「三回までなら、まぁ“うっかり”で済む。
五回は、“自分でコントロールしてない”って評価になる」
先生は、ペン先で“生活態度”の欄を指す。
「俺がうるさく“内申に響くぞ”って言ってたのは、こういうところだ。
テストの点は、もうお前の努力次第で伸ばすしかない。
でも、提出物と遅刻は、“やれば確実に上がる内申”なんだよ」
「……そう言われると、なんか、やるしかない感じですね」
「そうだ。
俺は、“やっても変わらない努力”をさせる気はない。
“やれば変わるとわかってるところ”を、ちゃんと伝えたい」
◇
三者面談が終わって教室を出るとき、
長谷川先生が俺だけを呼び止めた。
「高橋」
「はい」
「さっき、“紙切れ”って言われて、結構グサッときた」
「……すみません」
「でもまぁ、言わせるような言い方してたのは俺だ。
だから、お互い様だな」
先生は少し笑ってから、短く言った。
「A高校、行きたきゃ、やることはシンプルだ。
“紙切れの数字”を、ちゃんと自分の味方にしろ」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――そう思っていたけれど。
長谷川先生の「内申」は、
ただの脅し文句じゃなくて、
“昔の自分の後悔”とセットになった、
不器用な警告だったのかもしれない。
◇
冬。
提出物を出し忘れないようにカレンダーに書き込み、
遅刻しないように目覚ましを二個セットし、
テスト勉強も、前より少しだけ計画的にやるようになった。
この前、成績表を返されたとき、
生活態度の欄に、小さく上向きの矢印が書かれていた。
「……なんすか、これ」
廊下で聞くと、先生はそっけなく言った。
「教員のメモだ。
“ここ数か月、提出物と遅刻が改善傾向”って意味」
「おお……」
「内申、少しだけマシになった。
“お前がやった分だけ、紙切れがついてきた”ってことだ」
なぜか、それが妙に誇らしかった。
◇
本番の合格発表の日。
A高校の掲示板の前で、自分の番号を見つけたとき。
スマホを取り出した俺は、
親より先に、長谷川先生にメッセージを送った。
『鍵、足りました』
数分後、返事がきた。
『お前が増やした鍵だ。胸張ってこい』
あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
全部はわからないし、きっとこれからも言い方は雑なんだろうけど。
“内申で脅す先生”の正体が、
“あえて嫌われ役を引き受けてる人”だと知れたことは――
俺のこれからの「大人」の見え方を、
少しだけマシにしてくれた気がした。




