第7話「距離を取る義母」
結婚して一年。
私は、いまだに義母のことがよくわからない。
同じ市内に住んでいるのに、連絡は少ない。
会えばちゃんと挨拶もしてくれるし、失礼なことを言われたこともない。
でも――いつも、きっちり一歩、距離がある感じがする。
「まぁまぁ、美咲さん、お忙しいでしょう? 無理なさらないで」
孫の顔を見せに行くと言っても、
「いえいえ、こっちから伺いますから」
と丁寧に断られることも多い。
誕生日プレゼントを渡しても、
「わざわざ、悪いですねぇ」
と言いながら、すぐに話題を変えられる。
(絶対、心では嬉しく思ってないやつだ……)
義母の口調は柔らかい。
けれど、私の中ではいつも、「この人に嫌われてる」という確信めいた不安が消えなかった。
◇
ある日曜日。
夫・翔太と、義実家に顔を出したときのこと。
「これね、こないだ少し多めに作ったから。よかったら持って帰って」
義母は、きんぴらごぼうと肉じゃがをタッパーに詰めて渡してくれた。
「わぁ、ありがとうございます!」
「口に合えばいいんですけど」
私は、「お義母さんの料理が大好きなんです」と笑顔で言おうとした。
でも、義母は私の言葉を待たずに、さっとキッチンに戻ってしまう。
(……え、今の流れで話終わり?)
お茶を飲みながら、私は小さくため息をついた。
帰り道、車の中で夫にぼやく。
「ねぇ、うちの母、なにかした?」
「え?」
「最近さ、なんか美咲に気を遣ってる風はあるのに、距離取ってない?」
「前からこんな感じじゃない?」
「前から、こんな感じだけど……」
言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなる。
「私さ、お義母さんに嫌われてる?」
勇気を振りしぼって聞くと、翔太は慌ててハンドルを握り直した。
「え、なんでそうなるの?」
「だって、“遊びに来てくださいね”とか言ってくれるけど、
実際予定合わせようとすると“お仕事お忙しいでしょうし”って遠慮されるし。
プレゼント渡しても、すぐ片づけちゃうし……」
翔太は少し考えてから、ぽつりと言った。
「たぶん、逆だと思うけど」
「逆?」
「嫌いだから距離取ってるんじゃなくて、好きだから距離取ってるんだと思う」
「……どういう理論?」
全然つながらない。
「説明、ちょっと長くなるからさ。今度の土曜、ゆっくり話そう」
そう言われて、余計にモヤモヤが増した。
(あんたの心も、お義母さんの心も、わかったらどんだけ楽か)
◇
週末。
私はリビングで洗濯物を畳みながら、翔太の話を聞いた。
「うちの家、さ。俺が小さい頃、ばあちゃんと母さんがずっと戦争してたんだよ」
「戦争?」
「同居してたんだけど、まぁ、見事に仲が悪くて」
翔太は、テレビを消してから続ける。
「ばあちゃんが、母さんの料理にいちいち口出ししてさ。
“味が濃い”“子どもにこんなの食べさせて”って。
逆に母さんも、“だったら自分でやってください”って言い返して」
なんとなく、想像がついてしまう。
「子ども心に、“ここは人が住んじゃいけない戦場なのか?”って思ってた」
「そんなに……?」
「母さん、よく俺に言ってたよ。
『お嫁さんには絶対、同じ思いさせたくない』って」
私は思わず手を止めた。
「……それ、初耳なんだけど」
「まぁ、俺もわざわざ言ってなかったしな」
翔太は少し笑ってから、続ける。
「母さんにとって、“姑”って言葉は、ほぼ“悪役”なんだよ。
口出しして、干渉して、嫁を追い詰める存在ってイメージが、強すぎるんだと思う」
義母の、あの微妙な距離感。
思い返してみると、「踏み込みすぎないように」と線を引いているようにも見えてくる。
「この前もさ」
翔太が思い出したように言った。
「俺と母さんで話してて。
“もっと美咲を頼っていいよ”って言ったら、
“いやよ、怖いもの。『やっぱり同居なんてするんじゃなかった』って思われたら死にたくなる”って」
「……そんなこと、思わないけど」
「母さん、“思われるかもしれない想像”だけでビビってる」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
でも実際は、義母も義母で、「嫁の心がわからなくて怖い」のだ。
◇
翌週。
私は意を決して、義母をランチに誘った。
『今度の土曜日、お義母さんと二人でご飯どうですか?』
LINEを送る手が震える。
既読がつくまでの数秒が、やけに長く感じられた。
『まあ! いいんですか?』
『ご迷惑じゃなければ、ぜひ』
思っていたより、ずっと嬉しそうなスタンプが返ってきた。
◇
当日。
駅前の小さなイタリアンで向かい合って座ると、私は何から話していいのかわからなくなった。
「パスタ、お好きでしたよね?」
「ええ、好きです。あの、こんなところに誘っていただいて……」
義母は相変わらず、丁寧すぎるほど丁寧な口調だ。
(やっぱり緊張してる…よね、これ)
沈黙が怖くて、私は思い切って切り出した。
「あの……お義母さんに、ずっと聞きたいことがあって」
「はい?」
「私……嫌われてますか?」
義母のフォークが、カチャリと音を立てて皿に落ちた。
「そ、そんな……!」
顔を真っ赤にして、両手をぶんぶん振る。
「とんでもないです! なんでそんなことを――!」
「だって、いつもすごく気を遣ってくださるけど、
あまり踏み込んでこられないから……。
私、距離を置かれてるのかなって」
義母は、しばらく口をぱくぱくさせてから、ぎゅっとナプキンを握りしめた。
「……やっぱり、そう見えますよね」
小さな声だった。
「翔太から、ちょっと聞きました。
お義母さんが、おばあさまと大変だったって」
義母の表情が、はっと固まる。
「そう……ですか」
しばらく、テーブルの上のレモン水を見つめていた義母は、
やがて観念したように話し始めた。
「私、あの人に、ずっと“ダメ出し”されてて」
「味が濃い」
「あなたの片づけは中途半端」
「母親失格」
ひとつひとつの言葉は、大したことのない指摘かもしれない。
でも、それが何年も毎日続けば、心に蓄積されていく。
「最初は頑張って反論していたんですけど、
そのうち、何をしても怒られる気がしてきて」
義母は、少しだけ笑った。
「あるとき、ふと思ったんです。
“人の家のやり方に口を出す姑には、絶対なりたくない”って」
あぁ――。
その瞬間、私の中でばらばらに浮かんでいたピースが、
一気に組み上がっていく感じがした。
「だから、美咲さんには、“何も言わないように”って決めてて。
『もっとこうしたらいいのに』って思っても、絶対口に出さないって」
「“もっとこうしたらいいのに”って思ってたんですね……」
そこにちょっとだけショックを受けている私を見て、義母が慌てる。
「あ、いえ、それは……」
「冗談です。
それって、考えててくれてるってことですもんね」
自分でも驚くくらい素直に、そう言えた。
義母は、ほっとしたような、困ったような顔をした。
「でも、その代わり……怖くなっちゃって」
「怖い?」
「“お嫁さんから見たら、私はどこまでが“セーフ”なんだろう”って。
どこからが“うざい姑”なんだろう、って」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
義母も、まったく同じことを考えていたのだ。
「だから、“遊びに来てくださいね”って言いながら、本当に来られると緊張してしまって。
掃除は行き届いているだろうか、失礼なこと言わないだろうかって。
“距離を取っている”というより、“線を引きすぎてる”んですね、きっと」
義母は自嘲気味に笑った。
「……私もです」
「え?」
「お義母さんのこと、怒ってるんじゃないかって思ってました。
“急に行ったら迷惑だろうな”“変な嫁だと思われたくないな”って。
だから、“また遊びに来てくださいね”って言われても、“本心じゃないだろうな”って決めつけてました」
言葉にしてみて初めて、自分の中の思い込みの強さに気づく。
「本当は、“もっと遊びに来てほしい”って思ってます」
義母のその一言で、胸の奥のモヤモヤが、一気にほどけていく。
「ただ……」
義母は少し照れたように続けた。
「“毎週来られたら、さすがに疲れるな”とも思ってます」
「それは、私もです」
二人で笑った。
◇
「じゃあ、決めませんか」
パスタを半分ほど食べ終えた頃、私は提案した。
「“遠慮しなくていいライン”」
「遠慮しなくていいライン?」
「例えば、月に一回は絶対会う。
“それ以上”は、そのときの気分で決めるとか」
「あぁ……」
「“何も決めてないから”お互い不安になるんだと思うんです。
だったら、“ここまではしてもいい”って、先に共有できたら、少し気が楽かなって」
義母は目を丸くしていたが、やがて小さく頷いた。
「……私、それ、すごく助かります」
「じゃあ、“月一お茶会”から始めましょうか」
「ええ。
私、美咲さんと二人でランチなんて、今日が初めてですけど……」
そこで少し言いよどみ、恥ずかしそうに続ける。
「楽しいです」
その一言に、泣きそうになるのをこらえる。
「私もです」
◇
それから数ヶ月。
私と義母は、月に一度のお茶会を続けている。
相変わらず義母は、プレゼントを渡すと「悪いですねぇ」と言うし、
タッパーに詰めてくれるおかずにも、「口に合えばいいんですけど」と添える。
でも今は、その一言の裏にある「本当は気に入ってほしい」という気持ちが、
ちゃんと見えるようになった。
『今度の土曜、もしお時間あったらお茶でもいかがですか? 無理ならまた来月でも』
そんなLINEを義母からもらうたびに、
あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と思っていた頃の自分を思い出す。
本当はきっと、「全部わかる」必要なんてない。
ただ少しだけ、
「なぜそうしてしまうのか」を聞いてみる勇気があれば――。
“距離を取る義母”は、
“距離の取り方に怯えていた人”に変わってくれた。
それに気づけただけで、
私の中の「家族」の輪郭も、少しだけ優しくなった気がした。




