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第7話「距離を取る義母」



 結婚して一年。

 私は、いまだに義母のことがよくわからない。


 同じ市内に住んでいるのに、連絡は少ない。

 会えばちゃんと挨拶もしてくれるし、失礼なことを言われたこともない。


 でも――いつも、きっちり一歩、距離がある感じがする。


「まぁまぁ、美咲さん、お忙しいでしょう? 無理なさらないで」


 孫の顔を見せに行くと言っても、


「いえいえ、こっちから伺いますから」


 と丁寧に断られることも多い。


 誕生日プレゼントを渡しても、


「わざわざ、悪いですねぇ」


 と言いながら、すぐに話題を変えられる。


(絶対、心では嬉しく思ってないやつだ……)


 義母の口調は柔らかい。

 けれど、私の中ではいつも、「この人に嫌われてる」という確信めいた不安が消えなかった。



 ある日曜日。

 夫・翔太と、義実家に顔を出したときのこと。


「これね、こないだ少し多めに作ったから。よかったら持って帰って」


 義母は、きんぴらごぼうと肉じゃがをタッパーに詰めて渡してくれた。


「わぁ、ありがとうございます!」


「口に合えばいいんですけど」


 私は、「お義母さんの料理が大好きなんです」と笑顔で言おうとした。


 でも、義母は私の言葉を待たずに、さっとキッチンに戻ってしまう。


(……え、今の流れで話終わり?)


 お茶を飲みながら、私は小さくため息をついた。


 帰り道、車の中で夫にぼやく。


「ねぇ、うちの母、なにかした?」


「え?」


「最近さ、なんか美咲に気を遣ってる風はあるのに、距離取ってない?」


「前からこんな感じじゃない?」


「前から、こんな感じだけど……」


 言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなる。


「私さ、お義母さんに嫌われてる?」


 勇気を振りしぼって聞くと、翔太は慌ててハンドルを握り直した。


「え、なんでそうなるの?」


「だって、“遊びに来てくださいね”とか言ってくれるけど、

 実際予定合わせようとすると“お仕事お忙しいでしょうし”って遠慮されるし。

 プレゼント渡しても、すぐ片づけちゃうし……」


 翔太は少し考えてから、ぽつりと言った。


「たぶん、逆だと思うけど」


「逆?」


「嫌いだから距離取ってるんじゃなくて、好きだから距離取ってるんだと思う」


「……どういう理論?」


 全然つながらない。


「説明、ちょっと長くなるからさ。今度の土曜、ゆっくり話そう」


 そう言われて、余計にモヤモヤが増した。


(あんたの心も、お義母さんの心も、わかったらどんだけ楽か)



 週末。

 私はリビングで洗濯物を畳みながら、翔太の話を聞いた。


「うちの家、さ。俺が小さい頃、ばあちゃんと母さんがずっと戦争してたんだよ」


「戦争?」


「同居してたんだけど、まぁ、見事に仲が悪くて」


 翔太は、テレビを消してから続ける。


「ばあちゃんが、母さんの料理にいちいち口出ししてさ。

 “味が濃い”“子どもにこんなの食べさせて”って。

 逆に母さんも、“だったら自分でやってください”って言い返して」


 なんとなく、想像がついてしまう。


「子ども心に、“ここは人が住んじゃいけない戦場なのか?”って思ってた」


「そんなに……?」


「母さん、よく俺に言ってたよ。

 『お嫁さんには絶対、同じ思いさせたくない』って」


 私は思わず手を止めた。


「……それ、初耳なんだけど」


「まぁ、俺もわざわざ言ってなかったしな」


 翔太は少し笑ってから、続ける。


「母さんにとって、“姑”って言葉は、ほぼ“悪役”なんだよ。

 口出しして、干渉して、嫁を追い詰める存在ってイメージが、強すぎるんだと思う」


 義母の、あの微妙な距離感。

 思い返してみると、「踏み込みすぎないように」と線を引いているようにも見えてくる。


「この前もさ」


 翔太が思い出したように言った。


「俺と母さんで話してて。

 “もっと美咲を頼っていいよ”って言ったら、

 “いやよ、怖いもの。『やっぱり同居なんてするんじゃなかった』って思われたら死にたくなる”って」


「……そんなこと、思わないけど」


「母さん、“思われるかもしれない想像”だけでビビってる」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か。

 でも実際は、義母も義母で、「嫁の心がわからなくて怖い」のだ。



 翌週。

 私は意を決して、義母をランチに誘った。


『今度の土曜日、お義母さんと二人でご飯どうですか?』


 LINEを送る手が震える。


 既読がつくまでの数秒が、やけに長く感じられた。


『まあ! いいんですか?』

『ご迷惑じゃなければ、ぜひ』


 思っていたより、ずっと嬉しそうなスタンプが返ってきた。



 当日。

 駅前の小さなイタリアンで向かい合って座ると、私は何から話していいのかわからなくなった。


「パスタ、お好きでしたよね?」


「ええ、好きです。あの、こんなところに誘っていただいて……」


 義母は相変わらず、丁寧すぎるほど丁寧な口調だ。


(やっぱり緊張してる…よね、これ)


 沈黙が怖くて、私は思い切って切り出した。


「あの……お義母さんに、ずっと聞きたいことがあって」


「はい?」


「私……嫌われてますか?」


 義母のフォークが、カチャリと音を立てて皿に落ちた。


「そ、そんな……!」


 顔を真っ赤にして、両手をぶんぶん振る。


「とんでもないです! なんでそんなことを――!」


「だって、いつもすごく気を遣ってくださるけど、

 あまり踏み込んでこられないから……。

 私、距離を置かれてるのかなって」


 義母は、しばらく口をぱくぱくさせてから、ぎゅっとナプキンを握りしめた。


「……やっぱり、そう見えますよね」


 小さな声だった。


「翔太から、ちょっと聞きました。

 お義母さんが、おばあさまと大変だったって」


 義母の表情が、はっと固まる。


「そう……ですか」


 しばらく、テーブルの上のレモン水を見つめていた義母は、

 やがて観念したように話し始めた。


「私、あの人に、ずっと“ダメ出し”されてて」


 「味が濃い」

 「あなたの片づけは中途半端」

「母親失格」


 ひとつひとつの言葉は、大したことのない指摘かもしれない。

 でも、それが何年も毎日続けば、心に蓄積されていく。


「最初は頑張って反論していたんですけど、

 そのうち、何をしても怒られる気がしてきて」


 義母は、少しだけ笑った。


「あるとき、ふと思ったんです。

 “人の家のやり方に口を出す姑には、絶対なりたくない”って」


 あぁ――。


 その瞬間、私の中でばらばらに浮かんでいたピースが、

 一気に組み上がっていく感じがした。


「だから、美咲さんには、“何も言わないように”って決めてて。

 『もっとこうしたらいいのに』って思っても、絶対口に出さないって」


「“もっとこうしたらいいのに”って思ってたんですね……」


 そこにちょっとだけショックを受けている私を見て、義母が慌てる。


「あ、いえ、それは……」


「冗談です。

 それって、考えててくれてるってことですもんね」


 自分でも驚くくらい素直に、そう言えた。


 義母は、ほっとしたような、困ったような顔をした。


「でも、その代わり……怖くなっちゃって」


「怖い?」


「“お嫁さんから見たら、私はどこまでが“セーフ”なんだろう”って。

 どこからが“うざい姑”なんだろう、って」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か。

 義母も、まったく同じことを考えていたのだ。


「だから、“遊びに来てくださいね”って言いながら、本当に来られると緊張してしまって。

 掃除は行き届いているだろうか、失礼なこと言わないだろうかって。

 “距離を取っている”というより、“線を引きすぎてる”んですね、きっと」


 義母は自嘲気味に笑った。


「……私もです」


「え?」


「お義母さんのこと、怒ってるんじゃないかって思ってました。

 “急に行ったら迷惑だろうな”“変な嫁だと思われたくないな”って。

 だから、“また遊びに来てくださいね”って言われても、“本心じゃないだろうな”って決めつけてました」


 言葉にしてみて初めて、自分の中の思い込みの強さに気づく。


「本当は、“もっと遊びに来てほしい”って思ってます」


 義母のその一言で、胸の奥のモヤモヤが、一気にほどけていく。


「ただ……」


 義母は少し照れたように続けた。


「“毎週来られたら、さすがに疲れるな”とも思ってます」


「それは、私もです」


 二人で笑った。



「じゃあ、決めませんか」


 パスタを半分ほど食べ終えた頃、私は提案した。


「“遠慮しなくていいライン”」


「遠慮しなくていいライン?」


「例えば、月に一回は絶対会う。

 “それ以上”は、そのときの気分で決めるとか」


「あぁ……」


「“何も決めてないから”お互い不安になるんだと思うんです。

 だったら、“ここまではしてもいい”って、先に共有できたら、少し気が楽かなって」


 義母は目を丸くしていたが、やがて小さく頷いた。


「……私、それ、すごく助かります」


「じゃあ、“月一お茶会”から始めましょうか」


「ええ。

 私、美咲さんと二人でランチなんて、今日が初めてですけど……」


 そこで少し言いよどみ、恥ずかしそうに続ける。


「楽しいです」


 その一言に、泣きそうになるのをこらえる。


「私もです」



 それから数ヶ月。

 私と義母は、月に一度のお茶会を続けている。


 相変わらず義母は、プレゼントを渡すと「悪いですねぇ」と言うし、

 タッパーに詰めてくれるおかずにも、「口に合えばいいんですけど」と添える。


 でも今は、その一言の裏にある「本当は気に入ってほしい」という気持ちが、

 ちゃんと見えるようになった。


『今度の土曜、もしお時間あったらお茶でもいかがですか? 無理ならまた来月でも』


 そんなLINEを義母からもらうたびに、

 あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と思っていた頃の自分を思い出す。


 本当はきっと、「全部わかる」必要なんてない。


 ただ少しだけ、

 「なぜそうしてしまうのか」を聞いてみる勇気があれば――。


 “距離を取る義母”は、

 “距離の取り方に怯えていた人”に変わってくれた。


 それに気づけただけで、

 私の中の「家族」の輪郭も、少しだけ優しくなった気がした。

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