第6話「茶化す兄貴」
うちの兄・悠真は、とにかくなんでも茶化す。
「今日、クラスでスピーチしたんだよね」
そう言えば、
「お、珍しく真面目なことしたじゃん。教室静まり返ったろ?」
と笑う。
「就職、東京に出ようかなって思っててさ」
少し真剣に相談してみても、
「おー、意識高い系? どうせ三日で“地元帰りてぇ”って言うやつ」
はいはい、と肩をすくめるだけ。
真面目なことを話そうとするたび、
ぜんぶ冗談に変えられてしまう。
(なんで、ちゃんと聞いてくれないんだろ)
大学四年生になって、進路のことで不安だらけなのに。
同じように就活を経験して、今は会社員として働いている兄に、
本当は、一番相談に乗ってほしかった。
けれど、からかわれるだけなら、話したくなくなる。
「……あんたの心がわかったらどんだけ楽か」
思わず、台所でこぼれた独り言は、換気扇の音に消えていった。
◇
ある日曜日。
リビングでESと格闘していた私は、ふと息をついた。
「自己PRとか、マジで無理……」
すると、ソファで寝転んでいた兄が、アイスを食べながら言った。
「“趣味:寝ること、特技:寝坊”って書いてやれよ。ウケるぞ」
「ふざけないで。こっちは人生かかってるの」
「いやいや、人生そんな簡単にかからないから大丈夫だって」
軽い調子。
その軽さが、今はただ腹立たしい。
「……もういい。お兄ちゃんには頼まない」
「おー、頼まれなくて助かったわ」
テレビの音がやけにうるさくて、
私はノートPCを抱えて自分の部屋に戻った。
(なにが“助かった”だよ)
ドアを閉めながら、胸の中で毒づく。
◇
数日後。
大学で就活支援セミナーを受けた帰り、同じゼミの麻衣とカフェに入った。
「里奈ってさ、いいよね。近くに就活の先輩がいてさ」
「え、どこが」
「お兄ちゃん、社会人でしょ? いろいろ聞けるじゃん」
「いや、あの人、なんでも茶化すだけだよ。“ESに寝坊って書け”とか意味わかんないこと言うし」
「あー……」
麻衣が意味ありげに笑う。
「なに、その“あー”は」
「里奈んちさ、高三のときも同じこと言ってたよね」
「高三のとき?」
「受験の前。
“ちゃんと応援してくれない”“模試の結果見ても笑ってばっかり”って」
言われて、記憶がよみがえる。
あのときも、兄はからかってばかりだった。
「“センターこけたら、俺のせいってことにしろよ”とかさ。
“浪人したら一緒にゲームしようぜ”とか」
私は焦っているのに、兄だけはお気楽に見えた。
「でさ」
麻衣がストローをかき混ぜながら続ける。
「あの頃、私、悠真くんに直接聞いたんだよ。“なんであんなに茶化すんですか”って」
「え、いつ」
「ほら、里奈が自習室から帰るとき、私、コンビニでお兄さんと会ってさ。
『妹、最近ピリピリしててさー』って愚痴ってきたから、その流れで」
初耳だった。
「そしたらさ。
“真面目に励ますと、あいつ泣くから。泣くと集中切れんだよ”って」
「……は?」
意味が、すぐには飲み込めなかった。
「“頑張れ”とか“期待してる”とか言うと、余計プレッシャーかけることになるから、
わざと軽く流してるって。
“俺が能天気なバカ役やってる方が、里奈が真面目でいられる”ってさ」
胸の奥で、何かがカチッと鳴った。
あのとき兄が言った言葉たちが、別の形に聞こえ始める。
「“センターこけたら俺のせいでいい”って言ったのも」
麻衣が続ける。
「“全部自分の責任だって追い込みすぎるから、
ちょっとでも肩の荷軽くしたいんだろうなーって、私思ってたよ」
——そんなこと、一言も聞いてない。
「なんで、今まで教えてくれなかったの」
「だって、本人から聞けよ、それは」
「……」
「“あんたの心がわかったらどんだけ楽か”って思ってるときってさ」
麻衣は笑いながら言う。
「だいたい、自分から聞くのをサボってるときでもあるよ」
図星すぎて、何も言えなかった。
◇
その夜。
私はわざとリビングのテーブルでESを書いた。
テレビを見ていた兄が、ちらっとこっちを見てくる。
「お、また自己PRタイム?」
「……うん」
「“特技:お菓子の早食い”って書いとけ。インパクト大」
「お菓子早食いとか一行も書かないから」
いつも通りの適当なやり取り。
でも、今日はそこで一歩踏み込んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「なんで、そんなに軽く扱うの」
「んー? 何を」
「私の大事なやつ。
受験のときもそうだったし、就活もそうだし。
ちゃんと真面目に考えてほしいのに」
言いながら、自分でも少しドキドキしていた。
兄はリモコンでテレビの音を小さくして、ソファに座り直した。
「……真面目に考えてないように見える?」
「見える」
即答すると、兄は「そっか」と呟いて、少し黙った。
「じゃあ、正直に言うと」
ちらっと、こちらを見る。
「真面目に考えすぎてる」
「は?」
「お前が、な」
思っていた方向と違う答えだった。
「高三んときからそうだけどさ。
“これダメだったら人生終わる”みたいな顔して勉強するじゃん」
「そんなこと……」
「してたよ。
模試で一個成績落ちるたびに、帰ってきて机に突っ伏してたろ」
たしかに、何度かそんな夜はあった。
「でさ、“大丈夫だよ”とか“頑張れ”とか言うと、
お前、ちょっと安心して泣くじゃん」
ぐっ……と変なところを突かれた。
「泣いたあと、“よしやるぞ!”ってなるタイプならいいんだけどさ。
お前、一回泣くと、その日はもう終了コースなんだよ」
それも、図星だった。
緊張が切れると、そのまま布団に潜って現実逃避してしまう。
「だから、受験んときは、あえて何も真面目なこと言わないって決めてた。
“兄貴が適当にしてる分、自分はちゃんとしなきゃ”って思ってる方が、
お前、ちゃんと机座るからさ」
そんな打算めいたこと、考えてたの?
口には出さなかったけれど、顔に出ていたのかもしれない。
兄は少しだけ照れたように笑った。
「別に、そんな大層なもんじゃないけど。
“母ちゃんと一緒に全力で励ます係”やると、お前、潰れそうだったからな」
「……そんな風に思ってたの」
「思ってたよ。
だから今回も、わざと軽く言ってた。
“就活で死ぬとかないから。どこも拾わなきゃ、俺んちでしばらくニートしてろ”って、
本気半分で考えてたし」
「ニートは嫌なんだけど」
「俺も嫌だけど」
二人で、少しだけ笑った。
◇
「でもさ」
笑いが落ち着いたあと、私は聞いてみた。
「私が、“真面目に相談したい”って言ったら、ちゃんと聞いてくれる?」
「それは……まぁ、聞くけど」
兄は頭をかきながら言った。
「ただ、“泣きそうになったらいったん茶化す”のは、たぶん直らない」
「なんで」
「俺が耐えられないから。
里奈が目の前で“人生どうしよう”って本気で落ち込んでるの見るの、多分、母ちゃんよりしんどい」
その言葉が、変なところに刺さった。
「……そんな風に思ってたんだ」
「思ってたよ。
自分のことならともかく、妹の“人生終わるかも”顔なんて、見たくねぇよ」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か——。
そう思っていたけれど。
兄の心の中には、
「ふざけた態度」とセットで、「面倒くさいくらいの心配」がちゃんとあった。
◇
「じゃあさ」
私は、ノートPCをくるっと兄の方に向けた。
「茶化していいから、ES一緒に見て」
「茶化していいの?」
「泣きそうになったら、ちょっとだけね。
その代わり、ちゃんと“ここはいい”とか“ここは変”とか言って」
兄は画面をのぞき込むと、すぐに笑った。
「“人の気持ちに寄り添うことが得意です”ねぇ……」
「なに、その“ねぇ”は」
「寄り添うのが得意なやつは、“寄り添うことが得意です”って言わねぇんだよ」
「じゃあなんて書けばいいの」
「具体例。
ほら、麻衣がレポートで泣いてたとき、一緒に徹夜した話とかあるだろ」
「なんでそれ知ってるの」
「廊下で電話してたじゃん。丸聞こえ」
恥ずかしさと同時に、
兄が思ったよりもずっと、こっちのことを見ていたんだと気づかされる。
「その話を、“寄り添うことが得意です”って言葉の代わりに書け。
その方がまだ信用される」
「……それ、ちょっとカッコいいかも」
「だろ。俺、実は有能なんだよ」
「自分で言わないで」
そんなふうにツッコミを入れながら、
二人でESを直していく時間は、思っていたよりもずっと楽しかった。
◇
夜、部屋に戻ってから、私はノートに一行メモを書いた。
『お兄ちゃんは、なんでも茶化すけど、ちゃんと見てる』
あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
でも、本当は——。
「わからない」で終わらせずに、「なんで?」と聞いてみることで、
見えてくるものもある。
茶化す兄貴の正体は、
思っていたよりずっと、姉バカ……じゃなくて、妹バカだった。
そう気づけただけで、
明日のES修正も、少しだけ頑張れそうな気がした。




