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第6話「茶化す兄貴」



 うちの兄・悠真は、とにかくなんでも茶化す。


「今日、クラスでスピーチしたんだよね」


 そう言えば、


「お、珍しく真面目なことしたじゃん。教室静まり返ったろ?」


 と笑う。


「就職、東京に出ようかなって思っててさ」


 少し真剣に相談してみても、


「おー、意識高い系? どうせ三日で“地元帰りてぇ”って言うやつ」


 はいはい、と肩をすくめるだけ。


 真面目なことを話そうとするたび、

 ぜんぶ冗談に変えられてしまう。


(なんで、ちゃんと聞いてくれないんだろ)


 大学四年生になって、進路のことで不安だらけなのに。

 同じように就活を経験して、今は会社員として働いている兄に、

 本当は、一番相談に乗ってほしかった。


 けれど、からかわれるだけなら、話したくなくなる。


「……あんたの心がわかったらどんだけ楽か」


 思わず、台所でこぼれた独り言は、換気扇の音に消えていった。



 ある日曜日。

 リビングでESエントリーシートと格闘していた私は、ふと息をついた。


「自己PRとか、マジで無理……」


 すると、ソファで寝転んでいた兄が、アイスを食べながら言った。


「“趣味:寝ること、特技:寝坊”って書いてやれよ。ウケるぞ」


「ふざけないで。こっちは人生かかってるの」


「いやいや、人生そんな簡単にかからないから大丈夫だって」


 軽い調子。

 その軽さが、今はただ腹立たしい。


「……もういい。お兄ちゃんには頼まない」


「おー、頼まれなくて助かったわ」


 テレビの音がやけにうるさくて、

 私はノートPCを抱えて自分の部屋に戻った。


(なにが“助かった”だよ)


 ドアを閉めながら、胸の中で毒づく。



 数日後。

 大学で就活支援セミナーを受けた帰り、同じゼミの麻衣とカフェに入った。


「里奈ってさ、いいよね。近くに就活の先輩がいてさ」


「え、どこが」


「お兄ちゃん、社会人でしょ? いろいろ聞けるじゃん」


「いや、あの人、なんでも茶化すだけだよ。“ESに寝坊って書け”とか意味わかんないこと言うし」


「あー……」


 麻衣が意味ありげに笑う。


「なに、その“あー”は」


「里奈んちさ、高三のときも同じこと言ってたよね」


「高三のとき?」


「受験の前。

 “ちゃんと応援してくれない”“模試の結果見ても笑ってばっかり”って」


 言われて、記憶がよみがえる。


 あのときも、兄はからかってばかりだった。


「“センターこけたら、俺のせいってことにしろよ”とかさ。

 “浪人したら一緒にゲームしようぜ”とか」


 私は焦っているのに、兄だけはお気楽に見えた。


「でさ」


 麻衣がストローをかき混ぜながら続ける。


「あの頃、私、悠真くんに直接聞いたんだよ。“なんであんなに茶化すんですか”って」


「え、いつ」


「ほら、里奈が自習室から帰るとき、私、コンビニでお兄さんと会ってさ。

 『妹、最近ピリピリしててさー』って愚痴ってきたから、その流れで」


 初耳だった。


「そしたらさ。

 “真面目に励ますと、あいつ泣くから。泣くと集中切れんだよ”って」


「……は?」


 意味が、すぐには飲み込めなかった。


「“頑張れ”とか“期待してる”とか言うと、余計プレッシャーかけることになるから、

 わざと軽く流してるって。

 “俺が能天気なバカ役やってる方が、里奈が真面目でいられる”ってさ」


 胸の奥で、何かがカチッと鳴った。


 あのとき兄が言った言葉たちが、別の形に聞こえ始める。


「“センターこけたら俺のせいでいい”って言ったのも」


 麻衣が続ける。


「“全部自分の責任だって追い込みすぎるから、

 ちょっとでも肩の荷軽くしたいんだろうなーって、私思ってたよ」


 ——そんなこと、一言も聞いてない。


「なんで、今まで教えてくれなかったの」


「だって、本人から聞けよ、それは」


「……」


「“あんたの心がわかったらどんだけ楽か”って思ってるときってさ」


 麻衣は笑いながら言う。


「だいたい、自分から聞くのをサボってるときでもあるよ」


 図星すぎて、何も言えなかった。



 その夜。

 私はわざとリビングのテーブルでESを書いた。


 テレビを見ていた兄が、ちらっとこっちを見てくる。


「お、また自己PRタイム?」


「……うん」


「“特技:お菓子の早食い”って書いとけ。インパクト大」


「お菓子早食いとか一行も書かないから」


 いつも通りの適当なやり取り。

 でも、今日はそこで一歩踏み込んだ。


「ねぇ、お兄ちゃん」


「ん?」


「なんで、そんなに軽く扱うの」


「んー? 何を」


「私の大事なやつ。

 受験のときもそうだったし、就活もそうだし。

 ちゃんと真面目に考えてほしいのに」


 言いながら、自分でも少しドキドキしていた。


 兄はリモコンでテレビの音を小さくして、ソファに座り直した。


「……真面目に考えてないように見える?」


「見える」


 即答すると、兄は「そっか」と呟いて、少し黙った。


「じゃあ、正直に言うと」


 ちらっと、こちらを見る。


「真面目に考えすぎてる」


「は?」


「お前が、な」


 思っていた方向と違う答えだった。


「高三んときからそうだけどさ。

 “これダメだったら人生終わる”みたいな顔して勉強するじゃん」


「そんなこと……」


「してたよ。

 模試で一個成績落ちるたびに、帰ってきて机に突っ伏してたろ」


 たしかに、何度かそんな夜はあった。


「でさ、“大丈夫だよ”とか“頑張れ”とか言うと、

 お前、ちょっと安心して泣くじゃん」


 ぐっ……と変なところを突かれた。


「泣いたあと、“よしやるぞ!”ってなるタイプならいいんだけどさ。

 お前、一回泣くと、その日はもう終了コースなんだよ」


 それも、図星だった。


 緊張が切れると、そのまま布団に潜って現実逃避してしまう。


「だから、受験んときは、あえて何も真面目なこと言わないって決めてた。

 “兄貴が適当にしてる分、自分はちゃんとしなきゃ”って思ってる方が、

 お前、ちゃんと机座るからさ」


 そんな打算めいたこと、考えてたの?


 口には出さなかったけれど、顔に出ていたのかもしれない。

 兄は少しだけ照れたように笑った。


「別に、そんな大層なもんじゃないけど。

 “母ちゃんと一緒に全力で励ます係”やると、お前、潰れそうだったからな」


「……そんな風に思ってたの」


「思ってたよ。

 だから今回も、わざと軽く言ってた。

 “就活で死ぬとかないから。どこも拾わなきゃ、俺んちでしばらくニートしてろ”って、

 本気半分で考えてたし」


「ニートは嫌なんだけど」


「俺も嫌だけど」


 二人で、少しだけ笑った。



「でもさ」


 笑いが落ち着いたあと、私は聞いてみた。


「私が、“真面目に相談したい”って言ったら、ちゃんと聞いてくれる?」


「それは……まぁ、聞くけど」


 兄は頭をかきながら言った。


「ただ、“泣きそうになったらいったん茶化す”のは、たぶん直らない」


「なんで」


「俺が耐えられないから。

 里奈が目の前で“人生どうしよう”って本気で落ち込んでるの見るの、多分、母ちゃんよりしんどい」


 その言葉が、変なところに刺さった。


「……そんな風に思ってたんだ」


「思ってたよ。

 自分のことならともかく、妹の“人生終わるかも”顔なんて、見たくねぇよ」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か——。

 そう思っていたけれど。


 兄の心の中には、

 「ふざけた態度」とセットで、「面倒くさいくらいの心配」がちゃんとあった。



「じゃあさ」


 私は、ノートPCをくるっと兄の方に向けた。


「茶化していいから、ES一緒に見て」


「茶化していいの?」


「泣きそうになったら、ちょっとだけね。

 その代わり、ちゃんと“ここはいい”とか“ここは変”とか言って」


 兄は画面をのぞき込むと、すぐに笑った。


「“人の気持ちに寄り添うことが得意です”ねぇ……」


「なに、その“ねぇ”は」


「寄り添うのが得意なやつは、“寄り添うことが得意です”って言わねぇんだよ」


「じゃあなんて書けばいいの」


「具体例。

 ほら、麻衣がレポートで泣いてたとき、一緒に徹夜した話とかあるだろ」


「なんでそれ知ってるの」


「廊下で電話してたじゃん。丸聞こえ」


 恥ずかしさと同時に、

 兄が思ったよりもずっと、こっちのことを見ていたんだと気づかされる。


「その話を、“寄り添うことが得意です”って言葉の代わりに書け。

 その方がまだ信用される」


「……それ、ちょっとカッコいいかも」


「だろ。俺、実は有能なんだよ」


「自分で言わないで」


 そんなふうにツッコミを入れながら、

 二人でESを直していく時間は、思っていたよりもずっと楽しかった。



 夜、部屋に戻ってから、私はノートに一行メモを書いた。


『お兄ちゃんは、なんでも茶化すけど、ちゃんと見てる』


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か。

 でも、本当は——。


 「わからない」で終わらせずに、「なんで?」と聞いてみることで、

 見えてくるものもある。


 茶化す兄貴の正体は、

 思っていたよりずっと、姉バカ……じゃなくて、妹バカだった。


 そう気づけただけで、

 明日のES修正も、少しだけ頑張れそうな気がした。

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