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第25話「なんでも『わかってるよ』と言う私」



 私は、人の心がだいたいわかる方だと思っていた。


「大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 そう言いながら笑っている同僚の顔を見れば、

 本当は大丈夫じゃないことくらいわかる。


「無理しないでね」


 そう言ってあげると、

 たいがいの人はほっとしたように笑う。


(ほらね、やっぱり気づいてほしかったんじゃん)


 心の中で、小さくガッツポーズをする。

 そのたびに私は思う。


(あんたの心がわかったらどんだけ楽か――って、

 私は結構、わかってる方なんだよな)



 最近、気になっているのは、隣の席の篠田さんだ。


 毎朝九時きっかりに出社してくるのに、

 十時半になると必ず席を立つ。


 パソコンをロックして、スマホを持って、

 フロアの奥へ消えていく。

 十五分ほどして、何事もなかったように戻ってくる。


(ふーん、あれね)


 私は、心の中で勝手にストーリーをつくる。


(きっと“休憩を取らないとパニックになる”とか、

 そういうやつだ。

 あるいは、家族か恋人に毎日電話してるとか)


 仕事の話をしているときも、

 どこか“距離を測ってる”感じがするのも気になる。


「この案件、進み具合どうですか?」


「まぁ、ぼちぼちですね」


 どこか、ふわっとした答え。

 本音を隠しているような。


(はい出ました、“ぼちぼち”って言う人はだいたいぼちぼちじゃない説)


 私は、心の中で印をつける。


(この人も、きっと何か抱えてる)



 その日、午後のミーティングの人数が足りず、

 私は篠田さんと二人だけで客先に行くことになった。


「すみません、急で」


「いえ。

 “わかってるつもり”の人が一人いると楽ですから」


 エレベーターの中で、篠田さんが笑う。


「え?」


「いや、いつも“わかってるよ”って顔してるから」


 ドキッとした。


「そんな顔、してます?」


「ちょっとね」


 軽く言われたのに、

 胸の奥がチクっとする。



 打ち合わせは、思ったよりスムーズに終わった。


 帰りの電車で、

 つり革につかまりながら私は聞いてみた。


「あの、篠田さん」


「はい?」


「十時半の“席を立つやつ”、

 理由聞いてもいいですか」


「“席を立つやつ”?」


「毎日決まった時間にいなくなるので」


「ああ」


 篠田さんは、少しだけ視線を落として笑った。


「やっぱ、気になります?」


「気になります。

 なんとなくですけど、

 “わかる気”はしてるんですけど」


「へえ。

 じゃあ、まずは結城さんの予想から、聞いてみたいな」


「私の予想?」


「はい。

 “人の心わかってる方”なんですよね?」


 痛いところを突いてくる。


 でも、引っ込むのも悔しい。


「……パニック予防の休憩か、

 家族か恋人に毎日連絡してる、だと思ってました」


「ほう」


「あるいは、お薬飲む時間とか?」


「なるほど」


 篠田さんは、

 車内アナウンスを聞くふりをしながら、少し笑った。


「どれもハズレです」


「全部ハズレですか」


「全部ハズレです」


 電車がトンネルに入って、

 窓の外が真っ暗になる。


「正解は、

 “毎日十時半に、自分の勘違いを修正しに行っている”でした」


「……え?」



 その答えの意味がわからず、

 私は顔を上げた。


「修正?」


「はい。

 十時半に、毎日“自分の思い込みノート”を開きに行ってるんです」


「思い込みノート?」


「加奈さん、

 人の心“なんとなくわかる”って思うタイプですよね」


「……そうですね」


「実は僕も、昔そうだったんですよ」


 篠田さんは、つり革から手を離し、ポケットを探った。


「これ、見ます?」


 差し出されたのは、

 小さなメモ帳だった。


 表紙には、ボールペンでこう書かれている。


『今日の “本当は違ったやつ”』


「なにこれ」


「毎日十時半に、

 朝からの“勝手な決めつけ”を振り返るノートです」


 ページを開くと、

 箇条書きでいろいろ並んでいる。


『・Aさんは怒っていると思った → ただ眉間にシワが寄る体質なだけだった

 ・Bさんの“忙しいです”は断り文句だと思った → 本当に忙しくて夜に返信きた

 ・Cさんは自分を嫌ってると思った → ただ人見知りだった』


「……え」


「ここに、“朝の自分の推理”と、

 “あとからわかった事実”を全部書いてるんです」


 篠田さんは、さらりと言う。


「僕、人の感情の“外側”を読むのは得意なんですけど、

 中身をよく間違えるタイプで」


「中身を間違えるタイプ」


「昔、“わかってるつもり”で人と距離を詰めすぎて、

 めちゃくちゃ嫌われたことがあって」


 思わず、胸がチクリとした。



「だから、十時半に一回、

 朝からの自分の“解釈”を点検してるんですよ」


「点検」


「“あの人疲れてるっぽい→本当にそうか?”

 “この人自分を避けてるっぽい→証拠は?”

 って」


 ページの下の方に、こう書いてあった。


『・“結城さんは、僕のこと嫌ってるかも” →

  ただ考えごとしてるときの目つきが鋭いだけだった(たぶん)』


「ちょっと待ってください」


「はい」


「私、嫌ってませんけど」


「ですよね。

 十時半にそうメモしておきました」


「え、今日のやつですかそれ」


「今日のやつです」


 電車が駅に着き、

 ガタンと揺れる。



「……ちょっと整理させてください」


「どうぞ」


「十時半に席を立つのは、

 “仕事サボり”じゃなくて」


「はい」


「“心の誤字脱字チェック”?」


「だいたいそんな感じです」


 篠田さんは、くすっと笑う。


「毎日一回、“自分が勝手に決めつけたこと”を棚卸しして、

 “それ、本当にそう?”って書き換える時間」


「なんでわざわざ多目的室で?」


「あそこでやらないと、

 “また仕事しながら人のこと勝手に解釈しちゃう”からです」


 それを聞いて、

 私は言葉をなくした。


 私が今までやってきたことを、

 そのまま逆側からやっている人が、目の前にいたからだ。



「……さっきの話、ちょっと刺さりました」


 駅を降りて、会社に戻る道すがら、私は言った。


「“わかってるつもり”で距離詰めて、

 人を傷つけたことあるって」


「あります?」


「あります」


 言ってから、自分でも驚いた。

 素直に口から出た。


「“大丈夫?”って聞いて“平気”って言われても、

 “ほんとは大丈夫じゃないでしょ”って勝手に解釈して、

 勝手に踏み込んで」


「それで?」


「“そんなに重く考えてないから”って、

 ちょっと引かれたことあります」


「それ、僕とほぼ同じパターンですね」


 二人で、同時に苦笑した。



「じゃあさ」


 会社のビルが見えてきたところで、篠田さんが言った。


「結城さんも、十時半グループに入ります?」


「十時半グループ?」


「“今日の本当は違ったやつノートクラブ”」


「クラブだったんですか、あれ」


「今のところ部員は一人ですが」


「増えましたね」


「増えました」


 あまりにもあっさり言われて、

 私はふっと笑った。


「でも、

 “本当は違ったやつ”、

 そんなに毎日ありますかね」


「ありますよ」


 篠田さんは、エントランスのドアを押しながら言った。


「“あの人、こうなんだろうな”って、

 心の中で決めつけた回数だけ」


 心当たりがありすぎて、

 返す言葉がなかった。



 その日の十時半。


 私は、自分の席で立ち上がりかけて、

 ふと周りを見回した。


(いつもなら、“篠田さんまたいなくなった”って思ってた時間だ)


 代わりに私は、デスクの引き出しから小さなメモ帳を取り出した。


 表紙を開いて、一行目に書く。


『今日の “本当は違ったやつ” 』


 ペン先を止めて、

 少し考えてから、最初の項目を足した。


『・“私は人の心がだいたいわかる方だ” →

  実は“わかったつもりになりがちな方”だった』


 書き終えて、

 自分で少し笑ってしまう。


(あんたの心がわかったらどんだけ楽か――って、

 まずは自分の心からだな)


 そう思いながら、

 私はノートを閉じた。


 十時半のフロアは、

 いつもと同じように静かだったけれど、

 自分の中の“いつものパターン”だけは、

 少しだけ書き換わっていた。



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