第25話「なんでも『わかってるよ』と言う私」
私は、人の心がだいたいわかる方だと思っていた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そう言いながら笑っている同僚の顔を見れば、
本当は大丈夫じゃないことくらいわかる。
「無理しないでね」
そう言ってあげると、
たいがいの人はほっとしたように笑う。
(ほらね、やっぱり気づいてほしかったんじゃん)
心の中で、小さくガッツポーズをする。
そのたびに私は思う。
(あんたの心がわかったらどんだけ楽か――って、
私は結構、わかってる方なんだよな)
◇
最近、気になっているのは、隣の席の篠田さんだ。
毎朝九時きっかりに出社してくるのに、
十時半になると必ず席を立つ。
パソコンをロックして、スマホを持って、
フロアの奥へ消えていく。
十五分ほどして、何事もなかったように戻ってくる。
(ふーん、あれね)
私は、心の中で勝手にストーリーをつくる。
(きっと“休憩を取らないとパニックになる”とか、
そういうやつだ。
あるいは、家族か恋人に毎日電話してるとか)
仕事の話をしているときも、
どこか“距離を測ってる”感じがするのも気になる。
「この案件、進み具合どうですか?」
「まぁ、ぼちぼちですね」
どこか、ふわっとした答え。
本音を隠しているような。
(はい出ました、“ぼちぼち”って言う人はだいたいぼちぼちじゃない説)
私は、心の中で印をつける。
(この人も、きっと何か抱えてる)
◇
その日、午後のミーティングの人数が足りず、
私は篠田さんと二人だけで客先に行くことになった。
「すみません、急で」
「いえ。
“わかってるつもり”の人が一人いると楽ですから」
エレベーターの中で、篠田さんが笑う。
「え?」
「いや、いつも“わかってるよ”って顔してるから」
ドキッとした。
「そんな顔、してます?」
「ちょっとね」
軽く言われたのに、
胸の奥がチクっとする。
◇
打ち合わせは、思ったよりスムーズに終わった。
帰りの電車で、
つり革につかまりながら私は聞いてみた。
「あの、篠田さん」
「はい?」
「十時半の“席を立つやつ”、
理由聞いてもいいですか」
「“席を立つやつ”?」
「毎日決まった時間にいなくなるので」
「ああ」
篠田さんは、少しだけ視線を落として笑った。
「やっぱ、気になります?」
「気になります。
なんとなくですけど、
“わかる気”はしてるんですけど」
「へえ。
じゃあ、まずは結城さんの予想から、聞いてみたいな」
「私の予想?」
「はい。
“人の心わかってる方”なんですよね?」
痛いところを突いてくる。
でも、引っ込むのも悔しい。
「……パニック予防の休憩か、
家族か恋人に毎日連絡してる、だと思ってました」
「ほう」
「あるいは、お薬飲む時間とか?」
「なるほど」
篠田さんは、
車内アナウンスを聞くふりをしながら、少し笑った。
「どれもハズレです」
「全部ハズレですか」
「全部ハズレです」
電車がトンネルに入って、
窓の外が真っ暗になる。
「正解は、
“毎日十時半に、自分の勘違いを修正しに行っている”でした」
「……え?」
◇
その答えの意味がわからず、
私は顔を上げた。
「修正?」
「はい。
十時半に、毎日“自分の思い込みノート”を開きに行ってるんです」
「思い込みノート?」
「加奈さん、
人の心“なんとなくわかる”って思うタイプですよね」
「……そうですね」
「実は僕も、昔そうだったんですよ」
篠田さんは、つり革から手を離し、ポケットを探った。
「これ、見ます?」
差し出されたのは、
小さなメモ帳だった。
表紙には、ボールペンでこう書かれている。
『今日の “本当は違ったやつ”』
「なにこれ」
「毎日十時半に、
朝からの“勝手な決めつけ”を振り返るノートです」
ページを開くと、
箇条書きでいろいろ並んでいる。
『・Aさんは怒っていると思った → ただ眉間にシワが寄る体質なだけだった
・Bさんの“忙しいです”は断り文句だと思った → 本当に忙しくて夜に返信きた
・Cさんは自分を嫌ってると思った → ただ人見知りだった』
「……え」
「ここに、“朝の自分の推理”と、
“あとからわかった事実”を全部書いてるんです」
篠田さんは、さらりと言う。
「僕、人の感情の“外側”を読むのは得意なんですけど、
中身をよく間違えるタイプで」
「中身を間違えるタイプ」
「昔、“わかってるつもり”で人と距離を詰めすぎて、
めちゃくちゃ嫌われたことがあって」
思わず、胸がチクリとした。
◇
「だから、十時半に一回、
朝からの自分の“解釈”を点検してるんですよ」
「点検」
「“あの人疲れてるっぽい→本当にそうか?”
“この人自分を避けてるっぽい→証拠は?”
って」
ページの下の方に、こう書いてあった。
『・“結城さんは、僕のこと嫌ってるかも” →
ただ考えごとしてるときの目つきが鋭いだけだった(たぶん)』
「ちょっと待ってください」
「はい」
「私、嫌ってませんけど」
「ですよね。
十時半にそうメモしておきました」
「え、今日のやつですかそれ」
「今日のやつです」
電車が駅に着き、
ガタンと揺れる。
◇
「……ちょっと整理させてください」
「どうぞ」
「十時半に席を立つのは、
“仕事サボり”じゃなくて」
「はい」
「“心の誤字脱字チェック”?」
「だいたいそんな感じです」
篠田さんは、くすっと笑う。
「毎日一回、“自分が勝手に決めつけたこと”を棚卸しして、
“それ、本当にそう?”って書き換える時間」
「なんでわざわざ多目的室で?」
「あそこでやらないと、
“また仕事しながら人のこと勝手に解釈しちゃう”からです」
それを聞いて、
私は言葉をなくした。
私が今までやってきたことを、
そのまま逆側からやっている人が、目の前にいたからだ。
◇
「……さっきの話、ちょっと刺さりました」
駅を降りて、会社に戻る道すがら、私は言った。
「“わかってるつもり”で距離詰めて、
人を傷つけたことあるって」
「あります?」
「あります」
言ってから、自分でも驚いた。
素直に口から出た。
「“大丈夫?”って聞いて“平気”って言われても、
“ほんとは大丈夫じゃないでしょ”って勝手に解釈して、
勝手に踏み込んで」
「それで?」
「“そんなに重く考えてないから”って、
ちょっと引かれたことあります」
「それ、僕とほぼ同じパターンですね」
二人で、同時に苦笑した。
◇
「じゃあさ」
会社のビルが見えてきたところで、篠田さんが言った。
「結城さんも、十時半グループに入ります?」
「十時半グループ?」
「“今日の本当は違ったやつノートクラブ”」
「クラブだったんですか、あれ」
「今のところ部員は一人ですが」
「増えましたね」
「増えました」
あまりにもあっさり言われて、
私はふっと笑った。
「でも、
“本当は違ったやつ”、
そんなに毎日ありますかね」
「ありますよ」
篠田さんは、エントランスのドアを押しながら言った。
「“あの人、こうなんだろうな”って、
心の中で決めつけた回数だけ」
心当たりがありすぎて、
返す言葉がなかった。
◇
その日の十時半。
私は、自分の席で立ち上がりかけて、
ふと周りを見回した。
(いつもなら、“篠田さんまたいなくなった”って思ってた時間だ)
代わりに私は、デスクの引き出しから小さなメモ帳を取り出した。
表紙を開いて、一行目に書く。
『今日の “本当は違ったやつ” 』
ペン先を止めて、
少し考えてから、最初の項目を足した。
『・“私は人の心がだいたいわかる方だ” →
実は“わかったつもりになりがちな方”だった』
書き終えて、
自分で少し笑ってしまう。
(あんたの心がわかったらどんだけ楽か――って、
まずは自分の心からだな)
そう思いながら、
私はノートを閉じた。
十時半のフロアは、
いつもと同じように静かだったけれど、
自分の中の“いつものパターン”だけは、
少しだけ書き換わっていた。




