第23話「なんでも締め切りギリギリに出す同僚」
うちのチームには、なんでも締め切りギリギリに出す男がいる。
同じ部署の同僚、斎藤さん。
月曜提出の資料を、月曜の 16:59 に出す。
“今週中”と言われた仕事は、金曜の 19:59 に出す。
“今日中で”のメールは、23:55 に送られることもある。
どれも、一応「守って」はいる。
でも、あまりにもギリギリすぎて、見ているこっちが落ち着かない。
「斎藤さん、今回の資料って、
金曜の午前中に一回見せてもらうことってできます?」
ある日、私がお願いしてみると、
「うーん、無理だなぁ。
月曜の提出時間には間に合わせるけど」
あっさり断られた。
(その“間に合わせるけど”が一番怖いんだよ)
あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と思う。
私の中で、斎藤さんはすっかりこういうラベルになっていた。
(“ギリギリまで手をつけない人”)
◇
次の大きな仕事は、
新サービスの提案資料だった。
クライアントとの打ち合わせまで、あと二週間。
スライド構成をチームで分担することになった。
「じゃあ、
真央さんは市場分析パート、
俺が企画案パートをやるね」
斎藤さんが、いつもの調子で言う。
「全体は僕が一回まとめるから、
真央さんのパート、締め切りは――
そうだな、前日の 18 時でいい?」
「前日!?」
思わず声が裏返った。
「だって、クライアントとの打ち合わせ、月曜の 10 時からですよね」
「そう」
「前日 18 時提出って、
修正する時間ほぼないじゃないですか」
「だいじょうぶ。
“一晩あればなんとかなる量”にするから」
いや、そういう問題じゃない。
「できれば、一週間前くらいにドラフト出し合って、
そこからブラッシュアップしていった方が……」
「真央さん」
斎藤さんは、にこっと笑って言った。
「うちの課長と本社の部長が、“ブラッシュアップ”って言うときって、
“追加で仕事増やしたい”とほぼイコールだからね」
「え」
「一週間前に出したら、一週間分“口出しする時間”が生まれちゃうよ」
そのときは、ピンと来なかった。
(仕事増やしたくない、って話?)
でも私はまだ、
「早めに出して、何度も直して、完成度を上げる」のが正義だと信じていた。
◇
私は予定通り、一週間前に自分のパートのドラフトを作り、
課長に共有した。
「お、もうできたの? 早いね」
「はい。まだラフなんですけど、
早めに方向性見てもらえたらと思って」
「助かるよ。
じゃあ本社の部長にも回しておくね」
(よし。これでじっくりブラッシュアップできる)
そう思っていた。
その日の夕方、さっそく部長からメールが来た。
『市場分析のパート、以下の点を追加でお願いします』
箇条書きで、びっしり。
・類似サービス3社との比較表
・5年前からの市場推移グラフ
・ユーザー調査のサンプルコメント
・海外事例の引用 ……などなど。
(え、これ全部!?)
“ブラッシュアップ”という言葉の重さを、
初めて真正面から食らった気がした。
◇
その一週間は、地獄だった。
日中の通常業務をこなしつつ、
早朝と深夜を使って市場分析パートを膨らませ続けた。
グラフは増え、
比較表は細かくなり、
スライド枚数もじわじわ増えていく。
(もう、どこまでやればいいの……)
疲労で頭がぼんやりする中、
ふと気づいたことがある。
(そういえば、斎藤さんの企画案パート、
一週間前に出したはずだけど――)
課長から、何の追加依頼も飛んできていない。
不思議に思って、廊下で斎藤さんをつかまえた。
「企画案のパートって、課長にもう見せました?」
「うん、“前日の 18 時”にね」
「えっ、もう?」
「“前日の”って、打ち合わせの“前日”とは言ってないよ。
“課長に出す前日”」
サラッと言う。
「それって、つまり……」
「課長には、昨日の 18 時に出した」
「部長には?」
「今朝」
「え、今朝?」
「本社の部長、今日一日だけ出張でしょ。
メール見る暇ないから、口出しもできない」
その瞬間、
私の中で何かがカチッと音を立ててはまった。
(そうか――)
◇
「でもさ」
私は、思わず口にしていた。
「それって、“ブラッシュアップの余地を潰してる”ってことでもありますよね」
「そうだね」
斎藤さんは、あっさり認める。
「でも、“ブラッシュアップ”って名目で、
ただでどんどん仕事を増やされるのって、
真央さん、どう思う?」
「……正直、きついです」
「でしょ」
斎藤さんは、笑いながら自販機でコーヒーを買った。
「昔、別の会社でね」
歩きながら話し始める。
「俺、何でも早め早めに出すタイプだったのよ。
“締め切りの一週間前にはドラフト出します!”って」
「意外です」
「そこで素直に驚くのやめて」
二人で笑う。
「で、ドラフト出すたびに、“ここ直して”“これも足して”“このデータもほしい”って、
毎回毎回、仕事が増えていった」
「うわぁ……」
「締め切りの三日前には“もう完成だな”って思ってても、
誰かが一言“ここ気になる”って言うたびに、
また一からやり直し」
その光景が、目に浮かぶようだった。
「で、分かったんだよ」
斎藤さんは、コーヒーを一口飲む。
「“早めに出せば出すほど、■タダで仕事増やされるんだな”って」
その言い方は、冗談めいているのに、
どこか本気だった。
◇
「だから、
“締め切りを守った上で、時間は全部自分たちのために使おう”って決めた」
「“自分たちのため”?」
「企画ってさ、考える時間がいちばん大事じゃん」
斎藤さんは、指折り数える。
「自分でアイデア練る時間、
チームでディスカッションする時間、
“何もしないでぼーっとしてる時間”」
「最後の必要です?」
「いちばん必要だよ」
二人で笑ったあと、
斎藤さんは真顔に戻る。
「“偉い人に見せてからの一週間”を、
“偉い人のための時間”にするか、
“自分たちのための時間”にするか、
俺は後者を選びたいだけ」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
そう思っていたが。
今、少しずつ見えてきた気がした。
◇
「でも、
“ギリギリまで何もしてない”って思われません?」
「思われてるだろうね」
あっさり言う。
「もちろん、
何もしてないわけじゃないんだけど」
「じゃあ、何してるんですか」
「“ここまでなら締め切りまでに出せる線”を、
ずっと計算してる」
斎藤さんは、手帳を開いて見せた。
びっしり書き込まれたスケジュール。
そこには、タスクだけでなく、
『考える』
『寝かせる』
『誰かに話してみる』
という時間も、細かくブロックされていた。
「“ギリギリに出す人”って思われるのは、正直ラクじゃないけどね」
「ラクじゃない?」
「何かあったとき、
“また斎藤か”って言われるから」
自分で言って、苦笑する。
「でも、“チーム全体がすり減らない”ためには、
誰かが“嫌われ役”やらなきゃいけないときもあるからさ」
その言い方に、
私の胸の奥が、ちくりと痛んだ。
(“仕事増やさないようにするためのギリギリ”だったんだ)
◇
クライアントとの打ち合わせ当日。
私は、膨れ上がった市場分析パートのスライドを抱えながら、
会議室に入った。
「すごい資料量だね」
クライアントの担当者が驚く。
部長も課長も、「よくここまで集めたね」と言ってくれた。
それは素直に嬉しかったけれど、
同時に、どこか燃え尽きた気持ちもあった。
一方、斎藤さんの企画案パートは、
驚くほどシンプルだった。
スライド枚数も、そこまで多くない。
でも、話を聞いているうちに、
クライアントの顔がどんどん変わっていくのが分かった。
「そこ、いいですね」
「それ、うちがやりたかった方向です」
会議の終盤、クライアントの部長が言った。
「市場分析、非常に詳しくて助かりました。
でも、正直“全部は追いきれない”のも本音です」
胸が、ちくっとする。
「今回のプレゼンで、
“芯になっていたのは企画の方”でした。
あれだけポイントが絞られていると、
社内にもそのまま持って帰りやすい」
その言葉で、
私がやった「盛り盛り市場分析」が、
悪いわけではないにせよ、“芯”ではなかったことを思い知らされた。
◇
会議が終わったあと。
帰り道のエレベーターで、私は斎藤さんに言った。
「……正直、ちょっと負けた気分です」
「負け?」
「量で攻めたのは私なのに、“芯を作った”のは斎藤さんだったなって」
「いやいや、
こっちは分析パートがしっかりしてたからこそまとめられただけだし」
「でも」
「それに」
斎藤さんは、エレベーターの鏡越しにちらっと私を見た。
「真央さん、
一週間前からずっと残業してただろ」
「見られてました?」
「見ればわかる」
二人で笑う。
「俺、あの一週間、
毎日定時で帰ってジム行ってた」
「知ってましたよ。
“また筋トレか”って思ってました」
「で、
シャワー浴びながらずっと企画のこと考えてた」
「ジムで考えてたんですか」
「うん。
“何枚スライド増やすか”じゃなくて、
“どうすればこのクライアントが楽になるか”を」
その一言で、
私の中の何かが、またカチッと音を立てた。
(そうか)
◇
「真央さんの分析、
“自分たちのための深堀り”になってたでしょ?」
「え?」
「資料作りながら、
“この市場、こうなってたんだ”って、
自分たちも発見多かったじゃん」
「……たしかに」
「それはそれで、
超大事な仕事だよ。
ただ、“偉い人のためのブラッシュアップ”に時間使い過ぎると、
自分たちの“芯”を考える時間がなくなる」
斎藤さんは、
エレベーターの階数表示をぼんやり見つめながら言った。
「だから俺は、
“提出のギリギリまで、考える時間を確保したい”ってだけ」
「“何もしてない”わけじゃなくて」
「むしろ、“ギリギリまで考えていたい”人」
その言葉に、ようやく納得がいった。
◇
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
ずっとそう思っていた。
“なんでも締め切りギリギリに出す同僚”の正体は、
「昔、“早めに出した分だけタダで仕事が増える地獄”を経験して、
“自分たちのための時間”を守るために、
あえてギリギリを選んでいる人」であり、
「締め切りまでの時間を、
“上司のためのブラッシュアップ”じゃなく、
“自分たちの芯を考える時間”に使いたいと思っている人」だった。
もちろん、
すべての仕事をギリギリにするのが正しいとは思わない。
でも、次に斎藤さんが「前日の 18 時でいい?」と言ったら、
私はこう返してみようと思う。
「“私が早めに出すパート”と、
“ギリギリまで考えるパート”、
バランス見ながら決めません?」
“あんたの心”だけじゃなく、
“自分の働き方”も少しずつ調整しながら――
締め切りという線の上で、
お互いにとっていちばん納得のいく立ち位置を、
探していけたらいいなと思った。




