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第22話「なんでもお金で解決しようとする父」



 うちの父は、なんでもお金で解決しようとする。


 中学のとき、部活の大会で負けて泣いて帰った日。

 母が「よく頑張ったじゃない」と背中をさすってくれたあと、

 父が帰ってきて一言。


「そうか。じゃあ、次の大会までに新しいシューズ買っとくか」


 慰めの言葉より先に、財布が出てきた。


 高校受験に失敗したときもそうだ。


「一校落ちちゃった……」


 私が泣きそうな声で言うと、

 母は「大丈夫、受かった学校だっていいとこだよ」と言ってくれたのに、

 父はカレンダーを見ながら、


「この塾、春期講習あるだろ。申し込んでおく」


 それだけ。


 そのくせ、合格したときも、


「おめでとう。……入学金の振込用紙、どこやった」


 嬉しいのかどうかさえ、よくわからない。


(あんたの心がわかったらどんだけ楽か)


 「おめでとう」より「振込」。

 「大丈夫?」より「新しいの買うか」。


 そんな父を、私はずっと心の中でこう呼んでいた。


(結局、“金でなんとかしよう父”なんだよな)



 社会人になって一人暮らしを始めてからも、その感じは変わらなかった。


 初めての冬。

 ボーナスもまだ少なくて、光熱費の高さにびっくりしていた頃。


『最近どうだ』


 父から珍しくLINEが来たので、


『まぁなんとか。エアコン代高くてビビってる』


 と返すと、

 数時間後に、突然「振込がありました」の通知が来た。


 見慣れない金額。

 通帳を確認すると、父の名前。


『今月分の電気代くらいにはなるだろ』


 それだけのメッセージ。


(いや、助かるけどさ……)


 「寒くないか」とか「無理するなよ」とか、

 そういう言葉が一つもないのが、逆にモヤモヤする。


 誕生日もそうだ。


 ケーキを囲んで、母と二人で歌ってくれるのは嬉しい。

 でも父は、「おめでとう」と言う前に、

 封筒をすっと差し出してくる。


「今年はこれな」


 中身は、現金か、商品券か。

 笑顔も、特にない。


(気持ちはわかるけどさ。

 “好きなもの買え”ってことなんだろうけどさ)


 それでも、どこかで思っていた。


(“お金渡しておけば父親の役目は果たしてる”って思ってるんだろうな)



 ある年の春。

 私は、転職することにした。


 仕事内容は好きだったけれど、

 残業続きと人間関係のストレスで、

 朝起きるたびに胃が痛むようになっていた。


 慎重に準備をして、

 新しい会社から内定をもらったとき、

 母にはすぐに電話をした。


「よかったじゃない。

 どんな仕事なの?」


「あれこれでね……」


 一通り話したあと、

 母が言う。


「お父さんにも、ちゃんと言っておきなさいよ」


「うん、あとでLINEしとく」


 その晩、父にメッセージを送った。


『仕事、転職することにした。

 今の会社は今月いっぱいで、新しい会社には来月から』


 五分後に、返事が来る。


『そうか。

 身体壊すよりいい』


 それだけ。


(もうちょっと、なんかない?)


 自分でも子どもっぽいと思いつつ、

 画面に向かって小さくため息をついた。



 数日後。

 実家に顔を出したときのことだ。


 父は、珍しくダイニングテーブルの上に紙を広げていた。


「お、来たか」


「ただいま」


 靴を脱ぎながらリビングに入ると、

 テーブルの上に、私のざっくりした家計簿と、

 見慣れない一覧表が並んでいた。


「なにこれ」


「お前の去年の収支。

 母さんから聞いた大体の額で、ざっくり書いてみた」


「え、なに勝手に」


「いや、“転職するなら、最初の年はボーナス少ないだろう”と思ってな」


 そう言って、父はボールペンで紙をとんとんと叩く。


「今の家賃と、光熱費と、食費と。

 もし今のままの生活レベルを維持するなら、

 来年の今頃の貯金がこのくらいになる」


 書かれている数字は、

 私が頭の中でなんとなく想像していたより、少なかった。


「で、もし家賃五千円下げたら、このくらい。

 携帯プラン見直したら、このくらい。

 定期代込みの交通費で、このくらい」


「……」


「心配だから、見た」


 父は、あっさりと言った。


「別に、“転職反対”とかじゃない。

 むしろ、よく決めたなと思ってる」


「ならそう言えばいいのに」


「言ってるだろ」


「“身体壊すよりいい”だけじゃ、わかんないって」


 つい、少し強い口調になってしまう。


「お前な」


 父は、少し苦笑した。


「“身体壊すよりいい”ってのは、

 俺の中では最大級の“賛成”なんだよ」


「……不親切な言語仕様だね」


「仕様って言うな」


 二人で、少し笑った。



「で、だ」


 父が、テーブルの上の一覧表をくるっと回す。


「転職して最初の一年は、何かと出費も多い。

 慣れない環境で、倒れるかもしれない」


「倒れないよ」


「“倒れるかもしれない”前提で考えるのが大人だ」


 そう言われてしまうと、何も言えない。


「だから、ここ。」


 父は、家計簿の「家賃」の欄を指さした。


「一年間だけ、ここを俺が半分持つ」


「……は?」


「月にこれくらい。

 お前の手取りと見比べればわかるだろうけど、

 固定費を少しでも軽くした方が、

 心も楽になる」


「いやいや、そんなの」


「“そんなの”も何も、もう振り込むように手続きしてある」


 あっさり言う。


「なんでそうなるの」


「お前が、“仕事のストレスがやばい”って言ったとき、

 俺は何もできなかったからな」


 その一言で、

 頭の中にあの日の記憶が蘇った。



 去年の冬。

 雪が降る日曜の夜。


 私は、珍しく父に電話をした。


『……しんどい。

 会社行くの、正直つらい』


 電話口の向こうで、

 少しの沈黙があったあと、

 父が言った。


『そうか』


 それから数秒。


『まぁ、どこの会社行っても大変だぞ』


 その言葉に、

 私は苛立ちと絶望がごちゃ混ぜになって、

 「もういい」と電話を切ってしまった。


 あのときの、

 父の短い返事。


(やっぱりこの人、何もわかってない)


 そう思っていた。



「この前、母さんに怒られた」


 父は、ぽつりと言った。


「“あのとき、あんたなんであんな言い方しかできなかったの”って」


「……」


「“どこの会社も大変だ”って言ったのは、

 “どこ行っても頑張れ”って意味だったんだがな」


「そうは聞こえなかった」


「知ってる」


 父は、苦く笑った。


「だから、“口で励ます”のは、俺には向いてないんだろうと思った」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 と思っていたけれど。


 今は、父が父なりに、

 自分の不器用さを自覚していることの方が、

 胸に響いた。


「俺はな」


 父が、湯のみを手に取る。


「お前が小さい頃、風邪ひいて高い熱出したときにさ。

 夜中じゅう起きててやれなかったんだよ」


「え?」


「母さんから聞かなかったか」


「知らない」


「仕事で夜勤が多くてな。

 昼間も寝てないと身体がもたなくて。

 “看病くらいしてやれ”って母さんには何回も言われたが、

 どうしても起き続ける体力がなかった」


 父は、窓の外を見た。


「“父親なのに”って、

 かなり責められた。

 自分でも、そう思った」


「……」


「そのときに、“俺にできることは、

 せめてこの家の生活を守ることだけだ”って思い込んだんだと思う」


 給与明細。

 振込用紙。

 ボーナスの金額。


 父の頭の中では、

 「家族を守る」=「金を切らさない」になっていたのだろう。



「だから、

 何かあったとき、まず“金の段取り”を考える癖がついた」


 父は、淡々と続ける。


「学校で必要なものがあれば、

 “買えるようにしておく”。

 塾が必要なら、“払えるようにしておく”。

 就職したら、“急な出費にも困らないようにしておく”」


「……」


「それしか、思いつかなかった」


 その言葉に、

 今までの光景が全部つながっていく。


 大会で負けたときの新しいシューズ。

 受験に落ちたときの春期講習。

 誕生日の封筒。

 冬の電気代。


 全部、「父なりの“看病”」だったのかもしれない。



「でもさ」


 私は、少しだけ笑った。


「“全部お金で解決しようとする父”って、

 ちょっと寂しいんだよね」


「だろうな」


 父も笑った。


「気づいてた?」


「なんとなく」


「じゃあさ」


 私は、テーブルの上の紙を指でつついた。


「“金を出す”のと一緒に、

 “口だけのやつ”も、少し練習してくれない?」


「口だけのやつ?」


「“よく決めたな”とか、

 “心配だけど応援してる”とか」


「そんな、ドラマみたいなセリフ……」


「言えない?」


「練習してから」


「練習するんだ」


 二人で笑った。



 転職初日。

 緊張で早く目が覚めて、

 準備を整えていたとき。


 スマホが震えた。


 父からだった。


『初日、行ってこい。

 困ったら、金と愚痴くらいはいつでも出す』


 変なメッセージだと思いつつ、

 読んでいるうちに、

 じわっと目の奥が熱くなった。


(“金と愚痴くらい”って)


 たぶん、父にとっての、

 最大限の「励まし」だ。


 出かける前に、

 ふと通帳のアプリを開くと、

 あの日言っていた金額が、ちゃんと振り込まれていた。


 金額の数字と、

 短いメッセージ。


 どちらも、

 不器用な父の「大丈夫」の言い方なんだと思う。



 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 ずっとそう思っていた。


 “なんでもお金で解決しようとする父”の正体は、

 「言葉や時間で寄り添うことに何度も失敗して、

  せめて金だけは切らさないと決めた人」であり、

 「それでも本当は、“お前のこと、ちゃんと応援してる”と

  うまく言えないでいる人」だった。


 全部を理解することは、多分できない。

 でも、「なぜまず財布が出てくるのか」を少しだけ知ったことで、

 封筒を受け取るときの気持ちは、前よりずっと違っている。


 次に実家に帰ったら、

 父の財布が出てくる前に、

 こちらからこう言ってみようと思う。


「お金もありがたいけど、

 “よくやってるよ”って一言つけてくれたら、

 もっと頑張れるかも」


 そのとき、父がどんな顔をするのか。

 少し怖くて、でもちょっと楽しみでもある。

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