第21話「なんでも写真に撮りたがる母」
うちの母は、なんでも写真に撮りたがる。
「はい、莉子、こっち向いて〜」
実家に帰省した日の夜。
テーブルの上に並んだ唐揚げとサラダと味噌汁を前に、
母はスマホを構えている。
「ちょっと、食べる前に撮るのやめてよ」
「だって久しぶりの帰省ごはんよ? 記念記念」
パシャ。
「うわ、本当に撮った。
髪ボサボサなんだけど」
「それも“ありのまま”でしょ」
そう言って、すぐに家族LINEに写真を送る。
『莉子 帰省ごはん♡』
父がスタンプで返信してくる前に、
母はもう次のターゲットを探していた。
「そうだ、荷物ほどく前に、
“帰省スーツケース”も撮っとこ」
「なんで?」
「“社会人の娘帰ってきた感”があるじゃない」
「わけわかんない」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と思う。
母のスマホのアルバムは、常にパンパンだ。
料理、洗濯物、ペットの猫、近所の花。
そして、私の写真。
テストの点数も、部活のユニフォーム姿も、
成人式の振袖も、就活スーツも。
小さい頃からずっと、
私はレンズの向こうにいることが多かった。
それ自体は、嫌ではなかった。
ただ――
「せめてSNSに上げるのやめてって言ったじゃん」
「ちゃんと鍵つきにしてるわよ?
“ママ友たち”と“親戚”しか見てないから大丈夫大丈夫」
「その“ママ友たち”が嫌なんだってば」
何度言っても、母の「写真スイッチ」は止まらない。
◇
その極めつけが、今年の正月だった。
親戚一同が集まるタイミングで、
祖母の米寿祝いをすることになった。
久しぶりに会ういとこたちと、
ごちそうを囲んでワイワイしていると、案の定、始まる。
「はいみんな、こっち向いて〜!
“米寿おめでとう集合写真”いくわよ〜」
母が立ち上がって、スマホとタブレットを両手に構えた。
「おばさん、プロカメラマンみたい」
いとこが笑う。
「だって、こんな機会そうそうないんだからね」
パシャ、パシャ、パシャ。
何枚も何枚も撮りながら、
母はずっと笑っていた。
その姿は、たしかに楽しそうだった――のだが、
問題はそのあとだった。
◇
翌日。
私は、大学時代の友達からLINEをもらった。
『あれ? 莉子、なんか親戚の写真に写ってる?』
一緒に送られてきたスクショには、
母のSNSアカウントが映っていた。
『母の実家で米寿祝い〜
大きくなった娘と、祖母と、親戚たち♡』
そこには、
昨日撮った私の写真が、でかでかと載っていた。
(最悪……)
服はパーカーにスウェット。
髪もぼさっとひとつ結び。
とてもじゃないけど、人に見せたい状態じゃない。
『やば、完全にパジャマじゃん笑』
『これ、就活のときと同一人物?』
友達からのコメントに、
私は枕に顔を埋めて唸った。
(あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
なんでこんな写真、全世界(鍵垢だけど)に発信できるの?)
夜、我慢できなくなって、
リビングでテレビを見ている母に言った。
「ねぇ、あのSNSの写真、消してほしい」
「え、どれ?」
「これ」
スマホの画面を見せると、
母は「あぁ〜」と声を上げた。
「いいじゃない、親戚との写真なんだから」
「“いいじゃない”じゃないよ。
私、友達に見られて恥ずかしいんだけど」
「友達も、“あ、家族仲いいんだな〜”って思うだけよ」
「そういう問題じゃないんだって!」
声が大きくなってしまう。
「勝手に載せないでって、前にも言ったよね」
「“勝手に”って……
別に悪い意味で載せてるわけじゃないのに」
「意味の問題じゃないよ。
私の写真は、私のものだから!
お母さんのアルバムのページじゃない!」
母の表情が、すっと固まる。
「……アルバムくらい、作らせてよ」
そう一言だけ言って、
母は台所に行ってしまった。
その背中を見送りながら、
私は罪悪感と怒りの両方を持て余した。
◇
その夜。
トイレに起きたとき、
リビングの明かりがついていることに気づいた。
(消し忘れ?)
そう思って覗くと、
ソファに座った母が、ぼんやりとスマホを見つめていた。
画面には、写真アプリ。
アルバムのサムネイルがずらりと並んでいる。
「……消しちゃおっかな」
母が、小さな声でつぶやいた。
「え?」
思わず声が出てしまう。
母がびくっとして振り向いた。
「莉子、起きてたの?」
「今、なんて言った?」
「な、なんでもないわよ」
「“消しちゃおっかな”って言ってたじゃん」
「ああ、それは……」
母はスマホを見下ろしたまま、
少し考えてから言った。
「写真、増えすぎたから。
そろそろ整理しなきゃと思って」
「へぇ」
そう言いながら、
私は母の手元を見た。
画面には、
私が小学生のときの運動会の写真が映っていた。
小さな私が、
リレーのバトンを受け取って走り出している。
その横に、
“削除”ボタンが赤く光っていた。
「本当に、消すの?」
「……わからない」
母は、ぽつりと言った。
「消さないと、いつか全部消えちゃいそうで怖いから」
意味がわからなくて、
その場ではそれ以上聞けなかった。
◇
次の日の昼。
祖母の家に、
お祝いのお菓子を届けに行った。
「この前はありがとうねぇ。
お写真、たくさん撮ってくれて」
祖母が嬉しそうに言う。
「お母さん、張り切ってましたよね」
「昔からそうよ。
あんたが生まれる前から、
なんでもかんでも写真に撮ってたもの」
「生まれる前?」
「そうそう。
――お兄ちゃんの頃もね」
お兄ちゃん、という言葉に、
私は目を瞬いた。
「お兄ちゃん?」
「え? 聞いてないの?」
祖母が、不思議そうに首をかしげる。
「莉子の、二つ上に、男の子がいたのよ。
生まれてすぐに亡くなってしまったけど」
世界が、一瞬だけ静かになった。
(――え?)
◇
「お母さん、
私にお兄ちゃんがいたの?」
家に帰るなり、
私は母に問い詰めた。
母は、一瞬だけ目を見開いて、
すぐに視線をそらした。
「おばあちゃん、言っちゃったのね」
「“言っちゃった”ってなに。
なんで教えてくれなかったの」
「別に、
隠すつもりじゃなかったけど……」
母は、テーブルの上のマグカップを両手で包んだ。
「どう話していいかわからなかったのよ。
“あなたには、会えなかったお兄ちゃんがいるのよ”って」
声が、少し震えていた。
「生まれてすぐに、
心臓の病気でね。
数日一緒にいただけで、行ってしまったの」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か。
その言葉が、
今は自分の方に戻ってくる。
「写真、
ほとんど残ってないのよ」
母は、ぽつりと言った。
「生まれてすぐで、
バタバタしてて。
“落ち着いたらちゃんと撮ろう”って思ってる間に、
本当に、あっという間で」
マグカップを持つ手が、
かすかに震えている。
「一枚だけ、
病室で撮った写真があったんだけどね」
「……あった?」
「引っ越しのとき、
荷物を整理してて、
なくしちゃったの」
その一言で、
私の背筋にも冷たいものが走った。
「いくら探しても見つからなくて。
アルバムも全部ひっくり返して、
押し入れも全部開けて」
「見つからなかったんだ」
「ええ」
母は、ゆっくりとうなずいた。
「“消えちゃった”って思ったら、
頭の中まで真っ白になった」
そう言って、少し笑おうとする顔が、
かえって痛々しかった。
◇
「だからね」
母は、私の方を見た。
「あなたが生まれたときは、
とにかく写真を撮ろうって決めたの。
“いつ何があっても、
この子の姿をちゃんと残しておこう”って」
意味がわかると、
胸の奥で何かがカチッと噛み合う音がした。
運動会も。
参観日も。
テストの点も。
たかが夕飯のハンバーグも。
何度も何度も、
「もういいよ」って言うくらい撮られてきた写真の列。
その全部が、
「二度と撮れなかった一枚」の裏返しだった。
「SNSに載せるのは、
正直、調子に乗りすぎちゃったなって思ってる」
母は、苦笑いをした。
「“見て見て、うちの子こんなふうに大きくなったのよ”って、
誰かに言いたかったんだと思う。
――お兄ちゃんのときに言えなかった分も含めて」
その言葉に、
喉の奥が熱くなる。
◇
「ねぇ、お母さん」
「なに?」
「“消しちゃおっかな”って、
昨日の夜言ってたよね」
「聞いてたのね」
「聞いてた」
母は、少し照れくさそうに笑った。
「たまに怖くなるのよ。
“こんなに撮って、
また全部消えちゃったらどうしよう”って」
「消えないよ。
クラウドもあるし」
「クラウドもねぇ……
“雲に預ける”って言葉が、逆に怖いのよ」
「発想が昭和」
二人で、少し笑った。
◇
「じゃあさ」
私は言った。
「“消しちゃおっかな”って思ったら、
私にも声かけて」
「なんで?」
「一緒に“残したい写真”選ぼうよ。
全部は残せないかもしれないけど、
“これだけは絶対残すフォルダ”作ろう」
「絶対残すフォルダ?」
「そう。
“莉子の恥ずかしいパジャマ写真”は消してもいいけど」
「え〜、あれ可愛いのに」
「可愛くない」
「じゃあ、ちょっとだけ残す」
「ちょっとだけってなに」
二人で笑いながら、
スマホの画面を一緒に覗き込んだ。
幼稚園の運動会。
ランドセルを背負った入学式。
中学の部活のユニフォーム。
高校の文化祭。
成人式の振袖。
そして、祖母の米寿祝いの集合写真。
「これは、絶対残そうね」
「うん」
母の指が震えないように、
そっと自分の指を添えた。
◇
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
ずっとそう思っていたけれど。
“なんでも写真に撮りたがる母”の正体は、
「一度、取り返しのつかない“消えてしまった一枚”を経験した人」であり、
「二度と同じ後悔をしたくなくて、
今ある瞬間を必死に“保存”しようとしている人」だった。
もちろん、
無断でSNSに載せられるのは、これからも困る。
でも、「やめてよ!」と怒鳴りつける前に、
こう言える気がする。
「それ、アルバム用の一枚にしよ。
ネットじゃなくて、“うちの絶対残すフォルダ”に」
意味がわかったことで、
スマホのレンズ越しに見られる自分の姿も、
少しだけ違って見え始めた。
レンズの向こうにいるのは、
“デジタルの被写体”じゃなくて――
「もう二度と失いたくない“今”を、
一枚でも多く残したい」と願っている人の、
大事な大事な被写体なのだと。




