第20話「なんでも『冗談だよ』で済ませる友人」
大学の友人・遼は、なんでも「冗談だよ」で済ませる。
「お前さ、また太った? その服パツパツじゃん」
「……うるさい」
「冗談だよ、そんな真顔になるなって」
「その企画、ちょっと“センス昭和”じゃね?」
「え、マジでそう思う?」
「冗談だって。気にすんなって」
言葉はいつも、一歩だけ踏み込みすぎている。
こっちが「ん?」と思うところまで刺してきて、
こわごわ反応した瞬間に、「冗談」で全部リセットする。
(いや、冗談って言えば何でも許されるわけじゃないからな)
そう心の中でツッコミながらも、
その場の空気を壊したくなくて、結局笑って飲み込んでしまう。
社会人になっても、関係は続いていた。
飲みに行けば、「お前ほんと仕事似合わないよな」と笑い、
恋バナになれば、「お前と付き合う人、忍耐力すごそう」と笑う。
どれも、冗談のつもりなのだろう。
実際、一緒にいて楽しい瞬間も多い。
でも帰りの電車でふとスマホを眺めていると、
さっき言われた言葉だけが、心の中でやたら反芻される。
(あんたの心がわかったらどんだけ楽か)
なんでそこまで踏み込んで言えるのか。
なんでそんなふうに笑えるのか。
わからないまま、「冗談だから」で片づけられていく。
◇
決定的にしんどくなったのは、
私の転職が決まったときだった。
「来月から、デザイン事務所に移ることになった」
いつもの居酒屋でそう言うと、
遼はメニューをめくりながら「まじ?」とだけ返した。
「今の会社、ブラックだったしさ。
前から言ってた事務所、たまたま募集出てて」
「ふーん」
そこまで話して、しばらく間があいてから、
遼はぽつりと言った。
「よく受かったな」
「……は?」
「いや、デザイン事務所ってさ。
もっと“センス尖ってます!”みたいな人じゃないと無理だと思ってたから」
「どういう意味」
「そのまんま。
真帆(私)って、“普通に感じいい”系じゃん。
なんか、そういうとこのイメージなかった」
胸の奥が、きゅっとなる。
「一応、ポートフォリオもちゃんと作ったんだけど」
「はいはい、怒るなって。冗談だよ」
遼は、すぐに笑って言う。
「すげーよ。うん、おめでとう。……生中二つで」
話題は、そのまま流された。
でも、「よく受かったな」の一言は、
帰り道までずっと胸に刺さったままだった。
◇
それからしばらく、私は遼から少し距離を置いた。
LINEが来ても、返事を遅らせる。
「飲みに行こうぜ」と誘われても、「最近忙しくて」でかわした。
(めんどくさいやつだな、私)
自分でわかってはいるけれど、
会ってまた何か言われたら、今度こそ笑えない自信があった。
結局、転職して一ヶ月ほど経ったころ、
遼から長めのメッセージが届いた。
『最近、避けてる?』
『なんかやらかしたなら言って』
画面を見つめながら、しばらく悩む。
(言わなくてもいい。
このままフェードアウトすれば楽かもしれない)
でも、それをやるには、
私たちは長く付き合いすぎていた。
『この前の「よく受かったな」ってやつ、
正直、結構グサッときてた』
そう打ち込んで、送信ボタンを押した。
◇
返事はすぐに来た。
『あー……あれか』
『悪かった。冗談のつもりだった』
やっぱり「冗談」が出てくる。
『その“冗談”で、けっこう傷ついてることある』
と追い打ちで送ると、
しばらく既読のまま止まった。
数分後、短い一行が届く。
『会って話していい?』
◇
日曜の夕方、
駅前のファミレスで向かい合った。
「でかい顔して来たな」
「お互い様でしょ」
そんな軽口で始まったのに、
空気はすぐに重くなった。
「この前のやつさ」
遼が、ストローをいじりながら言う。
「“よく受かったな”って言ったのは、ほんとに冗談のつもりだった」
「うん、メッセージでもそう言ってた」
「“意外だな”って意味で言った。
悪い意味じゃなくて、“思ってたよりすげーな”ってやつ」
「それ、本気でそう思ってたとしてもさ」
私は、冷めかけたドリアを見ながら言った。
「“よく受かったな”って言葉だけ切り取られると、
“お前にそんな実力ないだろ”って聞こえるよ」
「……だよな」
「今までのもそう。
“太った?”とか“センス昭和”とか。
フォローで“冗談だよ”って言われても、
最初の一発が痛すぎると、全然中和されない」
遼は、黙って聞いていた。
「“冗談だよ”って言えば笑ってもらえるの、
高校までだよ」
「きついな」
「大人になってまでやられると、素で距離置きたくなる」
言葉にしてしまうと、思っていた以上に鋭い。
自分でも少し言い過ぎたかと思った。
でも、遼は反論しなかった。
「……それ、前にも言われた」
「誰に?」
「元カノに」
不意に出てきた単語に、私は顔を上げた。
◇
「大学のとき付き合ってた子、いたじゃん」
「ああ、いたね。
“優等生っぽい子”」
「そう、その優等生っぽい子」
遼は、少し苦笑する。
「最後の方、だんだんケンカ増えてさ。
別れるときに、“遼くん、なんでも“冗談だよ”って逃げるよね”って言われた」
「“逃げる”?」
「“冗談にしてる間は、本当の話しなくていいと思ってるでしょ”って」
その言葉は、妙に胸に残る響きがあった。
「そのときは、“は? なにそれ”って思ってたけど」
遼は、テーブルに視線を落とした。
「今は、半分くらいわかる気がする」
「半分?」
「半分は、“相手を試してた”んだと思う」
そう言って、自分で顔をしかめる。
「うざいでしょ」
「まあ、うざいね」
「はっきり言うじゃん」
でも、遼も笑った。
◇
「試すって、どういうこと」
私は、少し声を落として聞いた。
「本気の本音言うの、怖いんだよ」
「本音?」
「“すげーじゃん”“うらやましい”“置いていかれそうで怖い”とかさ」
不意を突かれたような感覚がした。
「真帆さ、行動力あるじゃん。
思い立ったら、ちゃんと動く感じ」
「そうでもないよ」
「そういうとこ、昔からちょっと眩しかった」
そんなふうに言われたのは初めてで、戸惑う。
「でも、“眩しい”とか“うらやましい”って素直に言うの、
なんか負けた気がしてさ」
「……負け?」
「“かっこいいな”って認めたら、
自分のダサさ全部バレる気がする」
遼は、ストローの氷をカラカラ鳴らした。
「だから、“太った?”とか“センス昭和”とか、
ちょっと下げること言って、“それでも一緒に笑ってくれるか”試してたんだと思う」
「そんな理由?」
「うん。
クソみたいな理由」
自虐っぽく笑う顔に、
高校のときの遼が少し重なった。
◇
思い出したのは、文化祭の打ち上げの夜だ。
あの頃から遼は、少し場をいじる役をしていた。
誰かの失敗をネタにして笑いを取ったり、
教師のモノマネで盛り上げたり。
でも、その打ち上げが終わったあと。
帰り道の暗い校舎裏で、
遼が一人で座っているのを、私は見つけてしまった。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
そう言って笑った顔が、
どこか苦しそうだったのを覚えている。
でもそのとき、私は「なんでもない」の向こうを聞こうとしなかった。
遼も、「冗談だよ」で全部流してきた。
積もり積もってきたものの行き先が、
ようやく今、こちらに流れ込んできている。
◇
「もう半分は?」
私は聞いた。
「さっき“半分は試してた”って言ってたけど。
もう半分は?」
「……もう半分は、“うちの家の感じ”だな」
「家?」
「うちはさ。
親父が、ガチで怒るタイプなんだよ」
遼は、少し表情を硬くした。
「“お前は何やっても中途半端だ”とか、
“そんなことしても意味ない”とか。
そういうの、普通に面と向かって言われる家庭」
私の胸の奥で、何かがカチッと噛み合った。
「でも、そのくせ、最後に必ず言うんだよ。
“冗談だよ。お前のこと、一番期待してるから”って」
「……」
「それ聞いて、“ああ、冗談だったんだ”って思おうとするんだけど。
先に刺さった方が、抜けないんだよな」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
そう何度も思ってきたけれど。
今、遼の「冗談だよ」が、
別の言葉のコピーに見えてしまう。
「“冗談だよ”って言えば、
きついこと言っても許されるって、どっかで覚えちゃったんだと思う」
「親父さんの真似?」
「多分な」
遼は、しょっぱいものを噛みしめるみたいな顔をした。
◇
「……それ、さ」
私は、少しだけ息を吸って言った。
「“親父さんと同じことしてる”って、気づいてた?」
「うっすら」
「うっすらじゃなくて、がっつりだよ」
「だよな」
遼は、額を指で押さえた。
「真帆には、言われたくなかったな、それ」
「でも、私が言わなかったら、多分ずっと気づかないでしょ」
「否定できない」
二人で、乾いた笑いを漏らした。
◇
「じゃあさ」
私は、テーブルの上の紙ナプキンをいじりながら言った。
「“冗談だよ”禁止にしない?」
「いきなり?」
「いきなり」
「無理じゃね?」
「“冗談だよ”って言う代わりに、
“今の、言い過ぎたかも”って言って」
「余計きつくない?」
「いや、“言い過ぎた”って自覚してるだけ、だいぶマシ」
遼は、しばらく考えてから肩をすくめた。
「……やってみる」
「それと」
「まだあるの?」
「“思ってるよりすげーな”って思ったときは、
素直に“すげーな”って言って」
「それ、一番むずいな」
「“負け”とかじゃないから。
勝ち負けじゃないとこで仲良くしたいんだけど」
そう言うと、遼は苦笑した。
「なにそれ。
今まで、“勝てそうなライン”探しながら友達やってたみたいじゃん」
「そう聞こえるよ」
「……耳痛い」
でも、遼の顔はどこかすっきりしていた。
◇
「じゃあ、試しに今、言ってみてよ」
「なにを」
「私の転職。
どう思ってたか」
「めんどくさいテストするな」
「さっき“試されてた”って言ったのお互い様だからね」
遼は、大きくため息をついてから、こちらを見た。
「……正直に言うと」
「うん」
「ほんとに、すげーなと思った」
まっすぐな言葉だった。
「俺、怖くて動けなかったからさ。
“いつかそういうとこ行けたらな”って言ってるだけで。
だから、真帆が先に行っちゃう気がして、
ちょっとだけ置いてかれたくなかった」
「“ちょっとだけ”かな?」
「だいぶかも」
二人で笑う。
「でも、本当は、
“それでも友達でいてくれるかな”っていうのを、
“太った?”とか“よく受かったな”とかで、
変なふうに試してたんだと思う」
「面倒くさい男だな」
「自覚はある」
◇
ファミレスを出るころには、
空はすっかり暗くなっていた。
駅までの道を並んで歩きながら、
遼がぽつりと言った。
「これからも、たまに言っちゃうかもしれない」
「なにを」
「“冗談だよ”」
「そのときは?」
「“今の、本気で傷ついた?”って聞くから、
ちゃんと“傷ついた”って言ってくれ」
「めんどくさいな」
「それぐらい付き合えよ。
こっちも、“すげーな”ってたまには素直に言うから」
「たまには、ね」
そんなやりとりをしながら、
改札の前で別れた。
◇
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
ずっとそう思っていたけれど。
“なんでも『冗談だよ』で済ませる友人”の正体は、
「本音を言うのが怖くて、
“試すための冗談”に逃げていた人」であり、
「親から受け取った癖を、無意識にトレースしていた人」だった。
全部を理解することは、多分できない。
でも、「なんでそんな冗談の形を選んでしまうのか」を知ったことで、
刺さっていた言葉のトゲは、少し丸くなった。
これからもきっと、
遼はたまに、余計な一言を言うだろう。
そのたびに私は、
「今の、冗談でも笑えないやつ」と、ちゃんと返してやろうと思う。
“あんたの心”と“自分の心”、
どちらもごまかさないでいられる関係を、
少しずつ練習していくつもりだ。




