表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/26

第19話「なんでも録音する上司」



 うちの課長・佐久間さんは、なんでも録音する。


「じゃあ、この件、ちょっと打ち合わせしようか」


 会議室に入るなり、ノートPCの横にスマホを置き、

 ボタンを押す。


「はい、録音開始。……じゃあ話そうか」


 課内ミーティングも、他部署とのすり合わせも、

 ときには、ただの「ちょっといい?」みたいな雑談ですら。


 とにかく、まずは録音。


(信用されてない感じがすごい)


 最初にそう思ったのは、入社してすぐの頃だった。



 ある日、私と先輩の二人だけで、

 クライアントとの打ち合わせに行ったときのこと。


「今日はうちからは、私と新人の高梨が伺います」


 席に着くなり、佐久間課長は、

 例のスマホをテーブルに置いた。


「失礼します、念のため記録用に音声だけ回させていただきます。

 不都合あればすぐ止めますので」


 クライアントは一瞬きょとんとしたあと、「あ、構いませんよ」と笑った。


 打ち合わせはごく普通に進み、

 特にトラブルもなく終わった。


 帰り道。

 エレベーターを待ちながら、先輩が小声でぼやく。


「いやー、毎回あれ、緊張するんだよな……」


「録音ですか?」


「そう。なんかさ、“一言一句間違えられません”みたいな空気出ない?」


「わかります」


「“念のため”って言ってるけどさ。

 “お前らの発言、全部記録してるからな”って言われてる気がして」


「それ、ちょっと怖いですね」


 私も、心の中では同じことを思っていた。


(あんたの心がわかったらどんだけ楽か)


 なんでも録音する上司。

 それが、私の中での佐久間課長のラベルになりつつあった。



 録音は、社内でも容赦ない。


「高梨、この前の提案書の件、ちょっと話そうか」


「はい」


 会議室に入ると同時に、スマホがテーブルに置かれる。


「じゃ、録音開始」


(え、これも……?)


 正直、膝が少し震えた。


 ミスのフィードバックをされる場面で、

 全部録られると思うと、

 言葉を選ぶのにも慎重になってしまう。


「この数値の根拠、もう少しわかりやすく書きたいんだよね」


「あ、はい。すみません」


「謝らなくていいよ。

 “ここをこう直すともっと良くなる”って話だから」


 口調は柔らかい。

 内容も、ちゃんと建設的だ。


 でも、机の上のスマホが気になって仕方ない。


(これ、後から聞き返してニヤニヤしてたらどうしよう)


 そんなくだらない妄想までしてしまう。



 飲み会の席でも、その話題はよく出た。


「課長、また録音してたわ〜」


 先輩の田村さんが、焼き鳥をつつきながら言う。


「なんかさ、いちいち“証拠残してますよ”って宣言されてる感じがするんだよな」


「でも、コンプラ的には正しいんじゃないですか?」


 隣の席の同期が言う。


「“言った/言わない”のトラブル防げるし」


「いや、それはそうなんだけどさ」


 田村さんは、ビールをあおってから、少し声をひそめた。


「前の部署でさ。

 課長、すげー揉め事になったことあるらしいよ」


「揉め事?」


「詳しくは知らんけど、“発言をねじ曲げられた”とかなんとか。

 それから録音魔になったって噂」


「怖……」


 噂は噂でしかない。

 でも、「言われてみれば納得」してしまう自分もいた。


(結局、自分を守るためか)


 そんなふうに決めつけていた。



 転機になったのは、

 大きめの案件のオンライン会議だった。


 相手は本社の偉い人たち。

 うちの部署にとっても、かなり重要なプロジェクトだ。


「では、録画と録音を開始します」


 事務方の人が宣言し、会議が始まる。


 画面の隅には、「REC」の赤い表示。

 会社全体のルールとして、

 オンライン会議はなるべく録画することになっている。


 その会議で、本社の担当部長がこう言った。


「御社側の作業は、“今期中のリリースはマストではない”という認識でお願いします」


 私はノートに、「今期中リリース→マストではない」とメモした。


 会議後、佐久間課長が言う。


「一応、今の発言のところ、タイムスタンプ控えといて。

 “たぶん大丈夫”だけだと、あとで揺れるから」


「はい」


(やっぱり“証拠”なんだな)


 そんなことを思いながら、

 私はログに時刻を書き込んだ。



 数週間後。

 その案件は社内でも話題になっていた。


「本社から、“今期リリースが前提だろう”って言われたんだけどさ」


 プロジェクトの責任者・山崎さんが、会議室で頭を抱えていた。


「こっちのリソース的に、今期はちょっと厳しいって話だったのに」


「え、本社との会議で、“マストではない”って――」


 私は思わず口を挟んだ。


「たしかに言ってましたよね。録画もありますし」


「俺もそう聞いてた」


 佐久間課長が頷く。


「じゃあ、録画見返しますか」


 事務方に頼んで録画を再生してもらうことになった。


 ところが――


「すみません、あの日のデータ、サーバーのトラブルで一部破損してて……」


 事務の人が申し訳なさそうな顔をした。


「よりによって、その会議の終盤が飛んでるんです」


「マジかよ」


 山崎さんが頭をかかえる。


「録画頼みだったのに……」


 そのとき、佐久間課長が言った。


「音声だけなら、俺が持ってます」


 全員の視線が、一斉にこちらを向く。



 会議室に、スマホからの音声が流れる。


『御社側の作業は、“今期中のリリースはマストではない”という認識でお願いします』


 あの日の、本社の部長の声。


 その一文だけで、

 会議室の空気ががらりと変わった。


「……これ、本社に送っていいですか」


 山崎さんが、スマホを見ながら真剣な顔で聞く。


「もちろん。

 “言った/言わない”で揉めるより、

 “こう言ってましたよね”で調整した方が早いですから」


 佐久間課長は、淡々とそう言った。



 数日後。

 本社から正式に文書が来た。


『先日の会議での発言に混乱を招きかねない表現がありました。

 改めて、“今期中のリリースは努力目標でありマストではない”ことを確認いたします』


 山崎さんが、ほっとしたように椅子にもたれかかる。


「いやー、佐久間さん、助かりました。

 録音してなかったら、今ごろ大変なことになってましたよ」


「いえいえ。

 うちのチームが“約束を守らなかった側”にされるのは避けたかったので」


 それを聞いていた私は、

 胸の奥が少しだけチクッとした。


(“自分を守るため”だけじゃなかったんだ)


 頭のどこかで決めつけていた自分に、

 軽く自己嫌悪を覚える。



 その日の昼休み。

 私は思い切って、佐久間課長を屋上に誘った。


「課長、ちょっと聞いてもいいですか」


「なに」


「課長が、なんでも録音するのって……」


「うん」


「やっぱり、“前に何かあったから”なんですか?」


 課長は、一瞬だけ目を細めて笑った。


「田村あたりから、何か聞いた?」


「噂レベルで、“発言をねじ曲げられた”とか」


「半分正解」


「半分?」


「半分は、それ。

 もう半分は、俺の耳のせい」


「耳?」


 佐久間課長は、耳たぶの裏を軽く触った。


 よく見ると、小さなベージュの機械がはまっている。


「補聴器?」


「そう。

 左耳、ちょっと難聴なんだよ」


 言われてみれば、

 いつも人の右側に立ちたがるようなところがあった。


「三十代のとき、急に聞こえづらくなってさ。

 ちゃんと診てもらったら、“突発性難聴の後遺症かも”って」


「そんなの、初めて聞きました」


「言ってないからね」


 あっさり言われて、少し戸惑う。


「聞き返すの、けっこう勇気いるだろ?」


 課長は、空を見上げながら続ける。


「“すみません、もう一度いいですか”って、

 三回目くらいから、相手の顔がちょっと曇るの、わかるんだよ」


「……」


「だから、会議で一回聞き逃したことが、何度もあった。

 それで、“言われた通りにやったつもり”が、実は違ってて」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 そう思っていたけれど。


 今、少しずつ、その理由のピースがはまっていく。



「前の部署でさ」


 課長は、フェンスにもたれて言った。


「ある案件で、俺が“そこまで急がなくていい”って判断をしたことがあった。

 会議でそう言っていた、と思ってた」


「思ってた?」


「でも、実は、ちゃんと聞けてなかった。

 “急ぎではない”って言われたのは、一部の作業だけで、

 メインの方は、“優先してください”って言われてた」


「そんな重要なところを……」


「聞こえてなかった」


 風の音だけがしばらく続く。


「結果的に、その案件は遅れて、大騒ぎ。

 “佐久間さんが、優先しなくていいって言った”って部下に責められて。

 俺は、“そんなこと言ってない”って言い張った」


「でも、本当は」


「“ちゃんと聞いてなかった”のが、真実だった」


 それからだ、と課長は続ける。


「“自分の記憶”と“相手の記憶”だけに頼るのは、危険だなと思ったのは」



「それで録音を?」


「最初は、案件が揉めたときのための“保険”だった。

 “ここでこう言ってますよね”って、

 誰かを攻撃するためじゃなくて、“誤解をほどくため”に」


 あの本社案件のときみたいに。


「でも、耳のこともあってさ。

 録音を後から聞き直すと、会議中には拾えなかったニュアンスも聞こえる」


「ニュアンス?」


「“今の言い方、相手ちょっと引っかかってたな”とか、

 “この部分、さらっと言われたけど結構重要だな”とか」


 そう言って、課長は笑う。


「だから、俺にとって録音は、“証拠”であると同時に、“補聴器の延長”みたいなものなんだよ」


 その言い方に、少し救われた気がした。



「それなら、そう言ってくれればよかったのに」


 思わず口にすると、課長は肩をすくめた。


「言ったら言ったで、気を遣われるだろ」


「気は、遣いますけど」


「“佐久間さん、聞こえてます?”って、

 みんなが顔色伺いながら話すの、俺の方がしんどい」


「……たしかに」


「録音してるってわかってれば、

 “あ、あとで確認してくれるんだな”って思ってくれるかもしれないけど」


「いや、正直、“監視されてる”って思ってました」


「だろうな」


 二人で笑った。



「じゃあさ」


 私は、少しだけ前に乗り出した。


「今度から、“録音します”の前に、

 “聞き逃しが怖いので”って一言つけません?」


「聞き逃しが怖いので?」


「はい。

 “証拠取ります”じゃなくて、“会話を大事にしたいので”ってニュアンスで」


「そんなふうに伝わるかな」


「少なくとも、私はちょっと安心します。

 “私の言葉もちゃんと拾おうとしてくれてるんだ”って」


 課長は、少し考えてから言った。


「……じゃあ、試しに高梨の一対一のときからやってみるか」


「いきなり私からですか」


「練習台」


「ひどくないですか」


 二人でまた笑った。



 それからの課長の「録音宣言」は、少しだけ変わった。


「じゃあ、この打ち合わせ、聞き逃しが怖いので録音しますね」


 最初にそれを聞いたとき、

 田村さんが小さく目を丸くした。


「なんか、言い方変わりました?」


「そうか?」


「前より、“こっちのためにも録ってる”感じがします」


「まあ、そういう面もあるからな」


 私だけが知っている事情が、

 少しだけ言葉ににじみ出たような気がした。



 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 そう思っていたけれど。


 “なんでも録音する上司”の正体は、

 「過去の聞き逃しで人を傷つけたことを、

  いまだに引きずっている人」であり、

 「自分の耳の弱さを、自分なりのやり方で補おうとしている人」だった。


 全部を理解することは、多分できない。

 でも、「なんでそんなに録音にこだわるのか」を知っただけで、

 机の上のスマホの見え方は、ずいぶん変わった。


 今も会議のたびに、課長はスマホを置いてこう言う。


「じゃあ、聞き逃しが怖いので、録らせてもらいます」


 そのたびに私は、

 ノートを開きながら、心の中でそっとつぶやく。


(“あんたの心”も、“あの日の聞き逃し”も、

 ここにちゃんと一緒に記録されますように)


 意味がわかったことで、

 ちょっとだけ世界が優しくなった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ