第19話「なんでも録音する上司」
うちの課長・佐久間さんは、なんでも録音する。
「じゃあ、この件、ちょっと打ち合わせしようか」
会議室に入るなり、ノートPCの横にスマホを置き、
ボタンを押す。
「はい、録音開始。……じゃあ話そうか」
課内ミーティングも、他部署とのすり合わせも、
ときには、ただの「ちょっといい?」みたいな雑談ですら。
とにかく、まずは録音。
(信用されてない感じがすごい)
最初にそう思ったのは、入社してすぐの頃だった。
◇
ある日、私と先輩の二人だけで、
クライアントとの打ち合わせに行ったときのこと。
「今日はうちからは、私と新人の高梨が伺います」
席に着くなり、佐久間課長は、
例のスマホをテーブルに置いた。
「失礼します、念のため記録用に音声だけ回させていただきます。
不都合あればすぐ止めますので」
クライアントは一瞬きょとんとしたあと、「あ、構いませんよ」と笑った。
打ち合わせはごく普通に進み、
特にトラブルもなく終わった。
帰り道。
エレベーターを待ちながら、先輩が小声でぼやく。
「いやー、毎回あれ、緊張するんだよな……」
「録音ですか?」
「そう。なんかさ、“一言一句間違えられません”みたいな空気出ない?」
「わかります」
「“念のため”って言ってるけどさ。
“お前らの発言、全部記録してるからな”って言われてる気がして」
「それ、ちょっと怖いですね」
私も、心の中では同じことを思っていた。
(あんたの心がわかったらどんだけ楽か)
なんでも録音する上司。
それが、私の中での佐久間課長のラベルになりつつあった。
◇
録音は、社内でも容赦ない。
「高梨、この前の提案書の件、ちょっと話そうか」
「はい」
会議室に入ると同時に、スマホがテーブルに置かれる。
「じゃ、録音開始」
(え、これも……?)
正直、膝が少し震えた。
ミスのフィードバックをされる場面で、
全部録られると思うと、
言葉を選ぶのにも慎重になってしまう。
「この数値の根拠、もう少しわかりやすく書きたいんだよね」
「あ、はい。すみません」
「謝らなくていいよ。
“ここをこう直すともっと良くなる”って話だから」
口調は柔らかい。
内容も、ちゃんと建設的だ。
でも、机の上のスマホが気になって仕方ない。
(これ、後から聞き返してニヤニヤしてたらどうしよう)
そんなくだらない妄想までしてしまう。
◇
飲み会の席でも、その話題はよく出た。
「課長、また録音してたわ〜」
先輩の田村さんが、焼き鳥をつつきながら言う。
「なんかさ、いちいち“証拠残してますよ”って宣言されてる感じがするんだよな」
「でも、コンプラ的には正しいんじゃないですか?」
隣の席の同期が言う。
「“言った/言わない”のトラブル防げるし」
「いや、それはそうなんだけどさ」
田村さんは、ビールをあおってから、少し声をひそめた。
「前の部署でさ。
課長、すげー揉め事になったことあるらしいよ」
「揉め事?」
「詳しくは知らんけど、“発言をねじ曲げられた”とかなんとか。
それから録音魔になったって噂」
「怖……」
噂は噂でしかない。
でも、「言われてみれば納得」してしまう自分もいた。
(結局、自分を守るためか)
そんなふうに決めつけていた。
◇
転機になったのは、
大きめの案件のオンライン会議だった。
相手は本社の偉い人たち。
うちの部署にとっても、かなり重要なプロジェクトだ。
「では、録画と録音を開始します」
事務方の人が宣言し、会議が始まる。
画面の隅には、「REC」の赤い表示。
会社全体のルールとして、
オンライン会議はなるべく録画することになっている。
その会議で、本社の担当部長がこう言った。
「御社側の作業は、“今期中のリリースはマストではない”という認識でお願いします」
私はノートに、「今期中リリース→マストではない」とメモした。
会議後、佐久間課長が言う。
「一応、今の発言のところ、タイムスタンプ控えといて。
“たぶん大丈夫”だけだと、あとで揺れるから」
「はい」
(やっぱり“証拠”なんだな)
そんなことを思いながら、
私はログに時刻を書き込んだ。
◇
数週間後。
その案件は社内でも話題になっていた。
「本社から、“今期リリースが前提だろう”って言われたんだけどさ」
プロジェクトの責任者・山崎さんが、会議室で頭を抱えていた。
「こっちのリソース的に、今期はちょっと厳しいって話だったのに」
「え、本社との会議で、“マストではない”って――」
私は思わず口を挟んだ。
「たしかに言ってましたよね。録画もありますし」
「俺もそう聞いてた」
佐久間課長が頷く。
「じゃあ、録画見返しますか」
事務方に頼んで録画を再生してもらうことになった。
ところが――
「すみません、あの日のデータ、サーバーのトラブルで一部破損してて……」
事務の人が申し訳なさそうな顔をした。
「よりによって、その会議の終盤が飛んでるんです」
「マジかよ」
山崎さんが頭をかかえる。
「録画頼みだったのに……」
そのとき、佐久間課長が言った。
「音声だけなら、俺が持ってます」
全員の視線が、一斉にこちらを向く。
◇
会議室に、スマホからの音声が流れる。
『御社側の作業は、“今期中のリリースはマストではない”という認識でお願いします』
あの日の、本社の部長の声。
その一文だけで、
会議室の空気ががらりと変わった。
「……これ、本社に送っていいですか」
山崎さんが、スマホを見ながら真剣な顔で聞く。
「もちろん。
“言った/言わない”で揉めるより、
“こう言ってましたよね”で調整した方が早いですから」
佐久間課長は、淡々とそう言った。
◇
数日後。
本社から正式に文書が来た。
『先日の会議での発言に混乱を招きかねない表現がありました。
改めて、“今期中のリリースは努力目標でありマストではない”ことを確認いたします』
山崎さんが、ほっとしたように椅子にもたれかかる。
「いやー、佐久間さん、助かりました。
録音してなかったら、今ごろ大変なことになってましたよ」
「いえいえ。
うちのチームが“約束を守らなかった側”にされるのは避けたかったので」
それを聞いていた私は、
胸の奥が少しだけチクッとした。
(“自分を守るため”だけじゃなかったんだ)
頭のどこかで決めつけていた自分に、
軽く自己嫌悪を覚える。
◇
その日の昼休み。
私は思い切って、佐久間課長を屋上に誘った。
「課長、ちょっと聞いてもいいですか」
「なに」
「課長が、なんでも録音するのって……」
「うん」
「やっぱり、“前に何かあったから”なんですか?」
課長は、一瞬だけ目を細めて笑った。
「田村あたりから、何か聞いた?」
「噂レベルで、“発言をねじ曲げられた”とか」
「半分正解」
「半分?」
「半分は、それ。
もう半分は、俺の耳のせい」
「耳?」
佐久間課長は、耳たぶの裏を軽く触った。
よく見ると、小さなベージュの機械がはまっている。
「補聴器?」
「そう。
左耳、ちょっと難聴なんだよ」
言われてみれば、
いつも人の右側に立ちたがるようなところがあった。
「三十代のとき、急に聞こえづらくなってさ。
ちゃんと診てもらったら、“突発性難聴の後遺症かも”って」
「そんなの、初めて聞きました」
「言ってないからね」
あっさり言われて、少し戸惑う。
「聞き返すの、けっこう勇気いるだろ?」
課長は、空を見上げながら続ける。
「“すみません、もう一度いいですか”って、
三回目くらいから、相手の顔がちょっと曇るの、わかるんだよ」
「……」
「だから、会議で一回聞き逃したことが、何度もあった。
それで、“言われた通りにやったつもり”が、実は違ってて」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
そう思っていたけれど。
今、少しずつ、その理由のピースがはまっていく。
◇
「前の部署でさ」
課長は、フェンスにもたれて言った。
「ある案件で、俺が“そこまで急がなくていい”って判断をしたことがあった。
会議でそう言っていた、と思ってた」
「思ってた?」
「でも、実は、ちゃんと聞けてなかった。
“急ぎではない”って言われたのは、一部の作業だけで、
メインの方は、“優先してください”って言われてた」
「そんな重要なところを……」
「聞こえてなかった」
風の音だけがしばらく続く。
「結果的に、その案件は遅れて、大騒ぎ。
“佐久間さんが、優先しなくていいって言った”って部下に責められて。
俺は、“そんなこと言ってない”って言い張った」
「でも、本当は」
「“ちゃんと聞いてなかった”のが、真実だった」
それからだ、と課長は続ける。
「“自分の記憶”と“相手の記憶”だけに頼るのは、危険だなと思ったのは」
◇
「それで録音を?」
「最初は、案件が揉めたときのための“保険”だった。
“ここでこう言ってますよね”って、
誰かを攻撃するためじゃなくて、“誤解をほどくため”に」
あの本社案件のときみたいに。
「でも、耳のこともあってさ。
録音を後から聞き直すと、会議中には拾えなかったニュアンスも聞こえる」
「ニュアンス?」
「“今の言い方、相手ちょっと引っかかってたな”とか、
“この部分、さらっと言われたけど結構重要だな”とか」
そう言って、課長は笑う。
「だから、俺にとって録音は、“証拠”であると同時に、“補聴器の延長”みたいなものなんだよ」
その言い方に、少し救われた気がした。
◇
「それなら、そう言ってくれればよかったのに」
思わず口にすると、課長は肩をすくめた。
「言ったら言ったで、気を遣われるだろ」
「気は、遣いますけど」
「“佐久間さん、聞こえてます?”って、
みんなが顔色伺いながら話すの、俺の方がしんどい」
「……たしかに」
「録音してるってわかってれば、
“あ、あとで確認してくれるんだな”って思ってくれるかもしれないけど」
「いや、正直、“監視されてる”って思ってました」
「だろうな」
二人で笑った。
◇
「じゃあさ」
私は、少しだけ前に乗り出した。
「今度から、“録音します”の前に、
“聞き逃しが怖いので”って一言つけません?」
「聞き逃しが怖いので?」
「はい。
“証拠取ります”じゃなくて、“会話を大事にしたいので”ってニュアンスで」
「そんなふうに伝わるかな」
「少なくとも、私はちょっと安心します。
“私の言葉もちゃんと拾おうとしてくれてるんだ”って」
課長は、少し考えてから言った。
「……じゃあ、試しに高梨の一対一のときからやってみるか」
「いきなり私からですか」
「練習台」
「ひどくないですか」
二人でまた笑った。
◇
それからの課長の「録音宣言」は、少しだけ変わった。
「じゃあ、この打ち合わせ、聞き逃しが怖いので録音しますね」
最初にそれを聞いたとき、
田村さんが小さく目を丸くした。
「なんか、言い方変わりました?」
「そうか?」
「前より、“こっちのためにも録ってる”感じがします」
「まあ、そういう面もあるからな」
私だけが知っている事情が、
少しだけ言葉ににじみ出たような気がした。
◇
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
そう思っていたけれど。
“なんでも録音する上司”の正体は、
「過去の聞き逃しで人を傷つけたことを、
いまだに引きずっている人」であり、
「自分の耳の弱さを、自分なりのやり方で補おうとしている人」だった。
全部を理解することは、多分できない。
でも、「なんでそんなに録音にこだわるのか」を知っただけで、
机の上のスマホの見え方は、ずいぶん変わった。
今も会議のたびに、課長はスマホを置いてこう言う。
「じゃあ、聞き逃しが怖いので、録らせてもらいます」
そのたびに私は、
ノートを開きながら、心の中でそっとつぶやく。
(“あんたの心”も、“あの日の聞き逃し”も、
ここにちゃんと一緒に記録されますように)
意味がわかったことで、
ちょっとだけ世界が優しくなった気がした。




