第2話「既読を強要する女」
付き合って半年になる彼女・遥は、いい人だ。
ちょっと心配性で、おせっかいで、でも基本的には優しい。
ただ、一つだけ、本当にめんどくさいところがある。
『家に着いたら絶対ラインして』
『電車乗ったら教えて』
『会社出るときも、できれば一言ほしい』
とにかく「連絡、連絡、連絡」だ。
ある夜、飲み会の帰り、終電に揺られながらスマホを見ると、遥からメッセージが十件以上溜まっていた。
『まだ起きてる?』
『終電には乗れた?』
『駅着いたら教えてね』
『心配だから既読だけでもつけて』
画面の時間表示は、全部ここ一時間の間だ。
「……重くない?」
思わず、電車の窓に映る自分に向かってつぶやいた。
返事が面倒だったわけじゃない。
ただ、会社の人といるときに何度もスマホを見たくないし、酔った勢いで変なことを送るのも怖い。
それなのに、彼女はちょっと既読がつかないだけで、すぐに心配メッセージの嵐だ。
『あんたの心がわかったらどんだけ楽かって、ほんとに思うよ』
遥がよく口にする言葉。
俺からしたら、「そっちこそ、俺を信用してないだけじゃん」としか思えない。
その夜も、駅に着いてから、しぶしぶ短い文を打った。
『今着いた。これから歩いて帰る』
送信して数秒もたたないうちに、電話が鳴る。
「もしもし? 今どこ?」
遥の声は、少し息が上がっていた。
「駅出たとこ。そんなに心配する?」
「するでしょ。飲み会って言ってたし、電車逃したらどうしようとかさ」
「大人だよ? 終電くらい自分で気をつけるって」
「……わかってるけど」
電話の向こうで、小さく息を吐く音が聞こえた。
「じゃあ、家着いたらまた電話して」
「え、ラインじゃダメ?」
「声、聞きたい」
その一言に、少しだけ罪悪感を覚える。
けれど、疲れているのも本当だった。
「……わかったよ」
結局その夜は、家に着いてから五分だけ通話して、「ちゃんと鍵閉めた?」「水飲んだ?」と小学生みたいな確認をされてから寝た。
そんなことが、何度も続いた。
◇
ある日曜日。
俺はとうとう我慢できなくなって、カフェで遥に言った。
「なぁ、ちょっとさ」
「ん?」
「連絡の件。正直、しんどい」
遥の手が、マグカップの上で止まる。
「“今から出る”“電車乗った”“駅着いた”“家着いた”って、いちいち報告するの、なんか監視されてるみたいだよ」
「監視なんてしてないよ」
「してるでしょ。既読つかなかったら“なんで?”って聞いてくるし」
「心配だから……」
「信じてないからでしょ、俺のこと」
思っていたよりも、きつい言い方になった。
言ってしまってから、しまったと思ったけど、もう遅い。
遥は俯いて、黙り込む。
カフェのざわめきが、変に遠く聞こえた。
「……信じてるよ」
小さな声が返ってくる。
「じゃあなんで、そんなに連絡させるの」
「だって、わかんないじゃん。今どこにいるのか、無事なのか。
あんたの心がわかったらどんだけ楽かって、いつも思ってる」
「心の話じゃなくてさ。位置情報でしょ、それ」
乾いた笑い声が、自分の口から漏れた。
遥は顔を上げないまま、しばらく黙っていたけど、やがて決意したみたいに口を開いた。
「……一回だけ、ちゃんと話してもいい?」
「なにを?」
「連絡のこと。なんで、そこまで気にしちゃうのか」
そう言って、彼女はマグカップを両手で包んだ。
「高三のときね」
ゆっくりとした声だった。
「当時付き合ってた人がいて。
その人、バイトの帰りに事故にあったの」
俺は思わず息を呑んだ。
「その日の夜、ラインが来たんだ。
“今日はありがと、また明日な”って。
ちょうど受験勉強のことで悩んでて、返信しようか迷ってるうちに寝落ちしちゃって」
遥の指先が、小さく震えている。
「朝起きたら、“未読のまま”のそのトークが、一番上にあってさ。
『昨日返信できなくてごめん』って送ろうとしたときに、電話が鳴った。
バイト先の人からで、“昨日の帰りに事故にあって、そのまま”って」
そこまで言って、一度言葉が途切れる。
「最後のメッセージ、読まれないままなんだよ。
あっちからしたら、“既読にならないまま”」
――既読を、強要する女。
そう思っていた自分が、急にものすごく小さく感じられる。
「それから、怖くなっちゃった。
未読のまま寝るのも嫌だし、誰かのメッセージに返さないまま時間がたつのも怖い。
逆に、自分の送ったメッセージがいつまでも既読にならないのも、すごく怖い」
「遥……」
「もちろん、悠斗を疑ってるわけじゃないよ。
浮気してるんじゃないか、とか、嘘ついてるんじゃないか、とか。
そういうのじゃなくて」
遥は、ようやく俺を見た。
少し赤くなった目で、まっすぐに。
「“今もちゃんと、生きてる?”って、確認したいだけなんだ」
その一言で、胸の中のモヤモヤが、音を立てて形を変えるのがわかった。
監視されていると思っていた、細かい連絡の数々。
「家着いたよ」「今から帰るね」「電車間に合った」の短いメッセージ。
全部、「生きてる?」っていう不器用な言葉だったのか。
「……なんで、今まで言わなかったの」
絞り出すように聞くと、遥は困ったように笑った。
「言ってほしかった? こんな重い話」
「少なくとも、“監視されてる”って思うよりマシ」
「だよね。でもさ」
遥は、テーブルの木目を指でなぞる。
「“前の彼氏が事故で死んじゃってさー”って、笑いながら話せることでもないし。
だから、私もあんたの心がわかったら楽なのになって、ずっと思ってた。
“どこまで話していいのか”“どこから重すぎるのか”」
ああ、この人もこの人で、ずっと迷ってたんだ。
「ごめん」
気づけば、その言葉が口からこぼれていた。
「俺、自分のことばっかりで。
束縛だとか、重いとかしか思ってなかった」
「ううん。普通そう思うよ。
だから、ちゃんと“しんどい”って言ってくれて良かった」
遥は、ふっと笑った。
さっきまでより、ずっと柔らかい笑顔だった。
「じゃあさ、交渉しよ」
「交渉?」
「“全部報告”は、確かにやりすぎだったと思う。
だから、最低限これだけって決めない? お互いに」
「最低限?」
「例えば、“今日も生きてるよ”ってわかる合図。
毎晩寝る前に一個だけスタンプ送るとか」
そんな子どもみたいな提案に、思わず笑ってしまう。
「それで安心できる?」
「うん。たぶん」
遥は、少し照れくさそうにうなずいた。
◇
その夜、ベッドに寝転びながら、約束通りスタンプを一個送った。
何の変哲もない、眠そうなキャラクターのスタンプ。
すぐに、“おつかれさま”の返信が返ってくる。
『今日も生きててえらいね』
シンプルな一言。
でも、妙にじんときてしまう。
俺は枕元のスマホを見つめながら、ふと考えた。
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――そう思ってたのは、俺も同じだ。
でも、意味のわからない行動の裏にある気持ちを、ちゃんと聞いてみたら。
「意味がわからない彼女」じゃなくて、
「理由がわかる彼女」になった。
連絡が多いのは、やっぱり少しだけめんどくさい。
でも、その一つ一つが、「生きててほしい」という念押しだと思えば。
前より、ずっと軽く感じられた。




