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第12話「自分を下げてばかりの後輩」



 新卒で入ってきた後輩・斎藤は、とにかく自分を下げる。


「この資料、作ってもらえる?」

「僕なんかでよければ、やらせてもらいます」


「この前の見積もり、助かったよ」

「いえいえ、たまたまです。僕なんて、ほんと大したことしてないんで」


 会議で意見を求められても、


「いや、自分の意見なんて、全然参考にならないと思うんですけど……」


 と前置きしてから、申し訳なさそうに喋る。


 最初は「謙虚なやつだな」と思っていた。

 でも、毎日それを聞かされていると、だんだんイラっとしてくる。


(こっちが頼むたびに“僕なんかで”って…

 じゃあ誰ならいいんだよ)


 しかも、斎藤は仕事ができる。

 依頼した資料はきっちり出してくるし、数字も細かいところまでちゃんと見ている。

 なのに、自分の評価になるようなことは、絶対に自分の口から言わない。


「この案件、助かったよ。斎藤がちゃんと事前にリスク書いといてくれたおかげで、

 先方の変更にも対応できたし」


 そう言っても、


「いえいえ、自分なんて、たまたま気づいただけで……」


 と、いつものテンプレ。


(“たまたま”で済ませるには、ちょっと出来すぎなんだよ)


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と何度思ったか知れない。



 ある日、チーム飲み会の帰り道。

 終電に揺られながら、隣に座る斎藤の横顔をちらっと見る。


「今日のプレゼン、よかったよ」


 昼間の社内発表会で、斎藤は初めて人前で自分の企画を話した。

 声は震えていたけれど、内容はしっかりしていた。


「いえ、全然ダメでした。途中で噛んじゃいましたし」


「噛むくらい誰でもあるだろ。

 資料の構成とか、質疑の返しとか、かなり良かったよ」


「……小野さん(俺)がフォローしてくれたからですよ」


 自分の功績は、すべて誰かのおかげに変換される。


 酔いもあって、つい言ってしまった。


「なぁ、お前さ」


「はい?」


「その“僕なんか”“自分なんて”って口癖、やめてみたら?」


 斎藤の肩が、びくっと動いた。


「いや、なんかさ。

 聞いてる方も、だんだんしんどくなんだよ」


「……すみません」


「ほら、またそれ」


「……」


 気まずい沈黙が、数駅ぶん続いた。


(やりすぎたか)


 心の中で舌打ちしながらも、引っ込めるタイミングを逃した。



 翌週から、斎藤はますます「自分を下げる」ようになった。


「この数字、よく気づいたね」と言えば、


「いえ、自分なんかが口出ししてすみません」


 「ここ直してもらっていい?」と言えば、


「こんなミスして、本当に無能ですよね、自分」


 いや、そこまで言ってない。


 さすがに気になって、ランチのあとに声をかけた。


「斎藤、ちょっと散歩でも行く?」


「えっ、はい」


 会社近くの小さな公園のベンチに座る。


「この前は、ごめんな」


「え?」


「“口癖やめろ”って、酔った勢いで言いすぎた」


「ああ、いえ。

 僕がそういう言い方してたのは本当ですし」


 斎藤は笑おうとして、うまく笑えていない顔をした。


「でもさ」


 俺は続けた。


「“僕なんかで”“自分なんて”ってやつ、癖っていうより、

 なんか“守り”に聞こえんだよ」


「守り、ですか」


「そう。

 先に自分を下げとけば、他人から本気で批判されない、みたいな」


 斎藤は、少しだけ目を伏せた。


「……鋭いですね」


「図星?」


「図星です」


 あっさり認められて、逆に言葉に詰まる。



「高校のときの担任に、よく言われてたんです」


 斎藤は、静かな声で話し始めた。


「“お前は調子に乗るから、もっと謙虚になれ”って」


「調子に、乗る?」


「中学のとき、たまたまテストでいい点取ったら、

 ちょっと天狗になってた時期があって。

 クラスで『俺、頭いいから』みたいなこと言ったりして」


 想像がつく。

 今の斎藤とは真逆だ。


「で、高校入ってから、そのこと知ってる中学の同級生が数人いて。

 “お前、また偉そうになるんじゃね?”って冗談っぽく言われて。

 担任もそれを面白がったのか、何かあるたびに

 “はい出た、斎藤の調子乗り”って」


「……」


「それがだんだん、本気で言われてる気がしてきて。

 何か発言しても、“またこいつ目立とうとしてる”って思われるんじゃないかって」


 胸の奥が、少し痛くなる。


「だから、自分の意見言う前に、“いやまぁ大したことないんですけど”って付けないと、

 怖くなっちゃって」


「今も?」


「今もです」


 斎藤は、ベンチの足元を見つめた。


「新卒のとき、別の部署で、ちょっとだけ張り切りすぎたことがあって」


「別の部署?」


「あ、僕、最初は営業配属だったんですよ。

 で、“自分、数字取ります!”って言って回ってたら、

 最初の四半期はたまたま成績良くて。

 でもそのあと全然ダメになって」


 そのときも、「調子に乗ったやつが落ちた」と陰で言われたらしい。


「上司に呼び出されて、“期待してたのに残念だ”って言われて。

 自分でも、“ああ、またやっちゃったな”って」


 だから、それからは、極力自分を低く見せるようになった。


「“僕なんか”って言っておけば、

 失敗しても、“ほらな”って自分で納得できる気がして」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 と思っていたけれど。


 斎藤自身も、自分の心の中の声に縛られているのが、痛いほどわかった。



「でもさ」


 俺は言った。


「それ、しんどくない?」


「しんどいです」


 即答だった。


「本当は、“やりました”って言いたいときもあるんです。

 褒められたら、“ありがとうございます、もっと頑張ります”って言いたい。

 でも、言った瞬間、“あ、こいつまた調子乗ってる”って誰かが思う気がして」


「誰かって、誰よ」


「正直に言うと……“昔の担任”とか“前の上司”とか、“幻の誰か”ですね」


 自分で言いながら、斎藤が苦笑する。


「今の小野さんや課長が、そう思うとは限らないって、頭ではわかってるんですけど」


「頭では、な」


 俺も笑った。


「じゃあさ」


「はい」


「ちょっとだけ、実験してみない?」


「実験?」


「俺の前だけ、“自分下げ禁止”。

 “僕なんか”“自分なんて”って言いそうになったら、

 代わりに“ありがとうございます”か“やってみます”って言う」


「……それ、ハードル高いですね」


「外では、今まで通りでもいいからさ。

 まずは、安全な場所で練習しようぜ」


「安全な場所、ですか」


「俺は、少なくとも“お前調子乗ってるな”とは思わない。

 もし思ったら、そのときは正直に言う」


「それ、ちょっと怖いですけど」


「怖いか」


「でも……やってみたいです」


 斎藤は、ほんの少しだけ、きちんと笑った。



 それからしばらく、

 俺の前だけの「実験」は続いた。


「斎藤、この資料助かったよ」


「いえ、自分なん――

 ……ありがとうございます。役に立てて良かったです」


「おお」


「今、“なんて”って言いそうになりました」


「わかってた」


 ぎこちないけれど、

 そのたびに少しずつ、「自分を認める言葉」が増えていく。



 数ヶ月後。

 全体会議で、斎藤がまた発表の機会をもらった。


 資料を作る段階から、一緒に何度も練習した。


「最後のまとめの一文、“自分なりに考えた”って入れちゃえば?」


「そんな、偉そうな……」


「偉そうじゃないだろ。事実だ」


 当日。

 斎藤は、緊張しながらも、しっかりと自分の企画を話し切った。


「以上が、自分なりに考えた改善案です。

 ご清聴、ありがとうございました」


 最後の一言だけ、ほんの少し声が大きくなった。


 会議後、部長が俺の席に来て言った。


「斎藤くん、いいね。

 前は自信なさそうだったけど、今日はちゃんと“自分の案”として話してた」


「そうですね」


「小野くん、何かやってくれてた?」


「いえ、“ちょっと実験を”くらいです」


 部長は首をかしげて去っていった。


 夕方、斎藤のところに行って声をかける。


「おつかれ。よかったよ」


「ありがとうございます。

 ……ちょっと、気持ち悪くないですか?」


「なにが」


「自分で“自分なりに考えた”とか言っちゃって」


「全然」


 俺は笑った。


「むしろ、“自分なんか”より、よっぽど似合ってた」


 斎藤は、少しだけ照れくさそうに笑った。


「小野さん」


「ん?」


「いつか、“実験”じゃなくて、

 どこでも普通に“ありがとうございます”って言えるようになりたいです」


「そのときは、“調子乗るな”って言ってやるよ」


「え、まさかの」


「冗談だ」


 二人で笑った。



 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 そう思っていたけれど。


 “自分を下げてばかりの後輩”の正体は、

 「本気で期待されて、失敗した自分」を、

 もう一度見るのが怖い人だった。


 全部わかる必要なんて、きっとない。

 でも、「なんでそうしちゃうのか」を少しだけ聞いてみたら。


 イラっとしていた口癖は、

 ただの「弱さを守るためのクセ」に変わった。


 それを知ってからは、

 斎藤の「ありがとうございます」が一つ増えるたびに、

 自分の中の何かも、少しだけ軽くなる気がしている。

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