第12話「自分を下げてばかりの後輩」
新卒で入ってきた後輩・斎藤は、とにかく自分を下げる。
「この資料、作ってもらえる?」
「僕なんかでよければ、やらせてもらいます」
「この前の見積もり、助かったよ」
「いえいえ、たまたまです。僕なんて、ほんと大したことしてないんで」
会議で意見を求められても、
「いや、自分の意見なんて、全然参考にならないと思うんですけど……」
と前置きしてから、申し訳なさそうに喋る。
最初は「謙虚なやつだな」と思っていた。
でも、毎日それを聞かされていると、だんだんイラっとしてくる。
(こっちが頼むたびに“僕なんかで”って…
じゃあ誰ならいいんだよ)
しかも、斎藤は仕事ができる。
依頼した資料はきっちり出してくるし、数字も細かいところまでちゃんと見ている。
なのに、自分の評価になるようなことは、絶対に自分の口から言わない。
「この案件、助かったよ。斎藤がちゃんと事前にリスク書いといてくれたおかげで、
先方の変更にも対応できたし」
そう言っても、
「いえいえ、自分なんて、たまたま気づいただけで……」
と、いつものテンプレ。
(“たまたま”で済ませるには、ちょっと出来すぎなんだよ)
あんたの心がわかったらどんだけ楽か、と何度思ったか知れない。
◇
ある日、チーム飲み会の帰り道。
終電に揺られながら、隣に座る斎藤の横顔をちらっと見る。
「今日のプレゼン、よかったよ」
昼間の社内発表会で、斎藤は初めて人前で自分の企画を話した。
声は震えていたけれど、内容はしっかりしていた。
「いえ、全然ダメでした。途中で噛んじゃいましたし」
「噛むくらい誰でもあるだろ。
資料の構成とか、質疑の返しとか、かなり良かったよ」
「……小野さん(俺)がフォローしてくれたからですよ」
自分の功績は、すべて誰かのおかげに変換される。
酔いもあって、つい言ってしまった。
「なぁ、お前さ」
「はい?」
「その“僕なんか”“自分なんて”って口癖、やめてみたら?」
斎藤の肩が、びくっと動いた。
「いや、なんかさ。
聞いてる方も、だんだんしんどくなんだよ」
「……すみません」
「ほら、またそれ」
「……」
気まずい沈黙が、数駅ぶん続いた。
(やりすぎたか)
心の中で舌打ちしながらも、引っ込めるタイミングを逃した。
◇
翌週から、斎藤はますます「自分を下げる」ようになった。
「この数字、よく気づいたね」と言えば、
「いえ、自分なんかが口出ししてすみません」
「ここ直してもらっていい?」と言えば、
「こんなミスして、本当に無能ですよね、自分」
いや、そこまで言ってない。
さすがに気になって、ランチのあとに声をかけた。
「斎藤、ちょっと散歩でも行く?」
「えっ、はい」
会社近くの小さな公園のベンチに座る。
「この前は、ごめんな」
「え?」
「“口癖やめろ”って、酔った勢いで言いすぎた」
「ああ、いえ。
僕がそういう言い方してたのは本当ですし」
斎藤は笑おうとして、うまく笑えていない顔をした。
「でもさ」
俺は続けた。
「“僕なんかで”“自分なんて”ってやつ、癖っていうより、
なんか“守り”に聞こえんだよ」
「守り、ですか」
「そう。
先に自分を下げとけば、他人から本気で批判されない、みたいな」
斎藤は、少しだけ目を伏せた。
「……鋭いですね」
「図星?」
「図星です」
あっさり認められて、逆に言葉に詰まる。
◇
「高校のときの担任に、よく言われてたんです」
斎藤は、静かな声で話し始めた。
「“お前は調子に乗るから、もっと謙虚になれ”って」
「調子に、乗る?」
「中学のとき、たまたまテストでいい点取ったら、
ちょっと天狗になってた時期があって。
クラスで『俺、頭いいから』みたいなこと言ったりして」
想像がつく。
今の斎藤とは真逆だ。
「で、高校入ってから、そのこと知ってる中学の同級生が数人いて。
“お前、また偉そうになるんじゃね?”って冗談っぽく言われて。
担任もそれを面白がったのか、何かあるたびに
“はい出た、斎藤の調子乗り”って」
「……」
「それがだんだん、本気で言われてる気がしてきて。
何か発言しても、“またこいつ目立とうとしてる”って思われるんじゃないかって」
胸の奥が、少し痛くなる。
「だから、自分の意見言う前に、“いやまぁ大したことないんですけど”って付けないと、
怖くなっちゃって」
「今も?」
「今もです」
斎藤は、ベンチの足元を見つめた。
「新卒のとき、別の部署で、ちょっとだけ張り切りすぎたことがあって」
「別の部署?」
「あ、僕、最初は営業配属だったんですよ。
で、“自分、数字取ります!”って言って回ってたら、
最初の四半期はたまたま成績良くて。
でもそのあと全然ダメになって」
そのときも、「調子に乗ったやつが落ちた」と陰で言われたらしい。
「上司に呼び出されて、“期待してたのに残念だ”って言われて。
自分でも、“ああ、またやっちゃったな”って」
だから、それからは、極力自分を低く見せるようになった。
「“僕なんか”って言っておけば、
失敗しても、“ほらな”って自分で納得できる気がして」
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
と思っていたけれど。
斎藤自身も、自分の心の中の声に縛られているのが、痛いほどわかった。
◇
「でもさ」
俺は言った。
「それ、しんどくない?」
「しんどいです」
即答だった。
「本当は、“やりました”って言いたいときもあるんです。
褒められたら、“ありがとうございます、もっと頑張ります”って言いたい。
でも、言った瞬間、“あ、こいつまた調子乗ってる”って誰かが思う気がして」
「誰かって、誰よ」
「正直に言うと……“昔の担任”とか“前の上司”とか、“幻の誰か”ですね」
自分で言いながら、斎藤が苦笑する。
「今の小野さんや課長が、そう思うとは限らないって、頭ではわかってるんですけど」
「頭では、な」
俺も笑った。
「じゃあさ」
「はい」
「ちょっとだけ、実験してみない?」
「実験?」
「俺の前だけ、“自分下げ禁止”。
“僕なんか”“自分なんて”って言いそうになったら、
代わりに“ありがとうございます”か“やってみます”って言う」
「……それ、ハードル高いですね」
「外では、今まで通りでもいいからさ。
まずは、安全な場所で練習しようぜ」
「安全な場所、ですか」
「俺は、少なくとも“お前調子乗ってるな”とは思わない。
もし思ったら、そのときは正直に言う」
「それ、ちょっと怖いですけど」
「怖いか」
「でも……やってみたいです」
斎藤は、ほんの少しだけ、きちんと笑った。
◇
それからしばらく、
俺の前だけの「実験」は続いた。
「斎藤、この資料助かったよ」
「いえ、自分なん――
……ありがとうございます。役に立てて良かったです」
「おお」
「今、“なんて”って言いそうになりました」
「わかってた」
ぎこちないけれど、
そのたびに少しずつ、「自分を認める言葉」が増えていく。
◇
数ヶ月後。
全体会議で、斎藤がまた発表の機会をもらった。
資料を作る段階から、一緒に何度も練習した。
「最後のまとめの一文、“自分なりに考えた”って入れちゃえば?」
「そんな、偉そうな……」
「偉そうじゃないだろ。事実だ」
当日。
斎藤は、緊張しながらも、しっかりと自分の企画を話し切った。
「以上が、自分なりに考えた改善案です。
ご清聴、ありがとうございました」
最後の一言だけ、ほんの少し声が大きくなった。
会議後、部長が俺の席に来て言った。
「斎藤くん、いいね。
前は自信なさそうだったけど、今日はちゃんと“自分の案”として話してた」
「そうですね」
「小野くん、何かやってくれてた?」
「いえ、“ちょっと実験を”くらいです」
部長は首をかしげて去っていった。
夕方、斎藤のところに行って声をかける。
「おつかれ。よかったよ」
「ありがとうございます。
……ちょっと、気持ち悪くないですか?」
「なにが」
「自分で“自分なりに考えた”とか言っちゃって」
「全然」
俺は笑った。
「むしろ、“自分なんか”より、よっぽど似合ってた」
斎藤は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「小野さん」
「ん?」
「いつか、“実験”じゃなくて、
どこでも普通に“ありがとうございます”って言えるようになりたいです」
「そのときは、“調子乗るな”って言ってやるよ」
「え、まさかの」
「冗談だ」
二人で笑った。
◇
あんたの心がわかったらどんだけ楽か――
そう思っていたけれど。
“自分を下げてばかりの後輩”の正体は、
「本気で期待されて、失敗した自分」を、
もう一度見るのが怖い人だった。
全部わかる必要なんて、きっとない。
でも、「なんでそうしちゃうのか」を少しだけ聞いてみたら。
イラっとしていた口癖は、
ただの「弱さを守るためのクセ」に変わった。
それを知ってからは、
斎藤の「ありがとうございます」が一つ増えるたびに、
自分の中の何かも、少しだけ軽くなる気がしている。




