表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/26

第10話「マウントを取るママ友」



 幼稚園のママ友グループLINEには、いつも綾香さんがいる。


『今日の健太、また自分でお着替えできました。

 「ママ、もう手伝わなくていいよ」だって。親離れ早すぎ〜』


 写真:きちんと畳まれたパジャマと、ニコニコの男の子。


『この前の発表会の動画、先生に褒められちゃって。

 「お家で練習いっぱいしてるんですね」って。

 私なんて何もしてないのに〜』


(いや、絶対してるでしょ)


 私はスマホの画面を消して、ため息をついた。


 グループの別のママがすぐに返信する。


『さすが健太くん!!』

『綾香さん、ほんとえらい〜』


 その流れの中で、「うちは昨日も寝る前にギャン泣きでした」とは書きづらい。


(なんか、いつも「私は何もしてないのに〜」とか言いながら、

 実績だけしっかり報告してくるんだよな……)


 いわゆる“謙遜マウント”。

 そう名付けてから、余計に気になり始めた。


「……あんたの心がわかったらどんだけ楽か、って感じだよ」


 キッチンで洗い物をしながら、思わずつぶやく。


 こっちは仕事に家事に育児でいっぱいいっぱい。

 毎晩「お風呂入るのやだー!」と逃げ回る息子の悠斗を追いかけるので精一杯なのに。


 「自分で着替える」とか「自分で片づける」とか、

 他人の“できた報告”を見せられると、

 こちらの「できてない」が、くっきり浮き上がる気がする。



 ある日、幼稚園の参観日。


 教室の端っこに立って子どもたちを見ていると、

 隣に綾香さんが立った。


「遥さん、おつかれさまです」


「あ、どうも」


 ぎこちなく頭を下げる。


 綾香さんは、きちんとメイクされていて、

 淡い色のワンピースがよく似合っている。


(こっちは朝ギリギリまで息子にパン食べさせて、

 マスカラ片側だけ塗って飛び出してきたのに……)


 比較したって意味がないとわかってはいる。

 でも、同じ空間に並ぶと、どうしても目についてしまう。


 授業が終わり、解散になったあと、

 園庭で子どもたちを遊ばせながら、ママたちで立ち話になった。


「あのシャボン玉の遊び、可愛かったね」


「うちの子、全然前に出ないから心配になっちゃった」


 私がそう言うと、綾香さんが笑いながら言った。


「うちは逆に出すぎて困っちゃって。

 なんでも『僕が僕が』なんですよ。誰に似たんだか」


(はい出た、“うちは大変なんですアピール”)


 心の中で毒づきつつも、口には出さない。


「でも、ちゃんと発表できててすごいなって思いましたよ」


 別のママが言うと、綾香さんはまた、

 「私なんて何もしてないんですけどね」と笑った。


(何もしてない人の笑い方じゃないんだよな……)


 モヤモヤが、じわじわと溜まっていく。



 その数日後。

 幼稚園から「クラス係のお手伝い募集」のお知らせが来た。


 仕事との兼ね合いを考えながら悩んでいると、

 グループLINEに綾香さんからのメッセージが届く。


『クラス係、私やりますね。

 仕事もあるんでちゃんとできるか不安ですけど、

 誰か一緒にやってくれる方いますか?』


 すぐに返信が続く。


『綾香さん助かる〜!』

『私は下の子がぐずるから難しいかも』

『私もフルタイムで…ごめんなさい』


(……だよね。

 誰も手を挙げないやつ)


 スタンプだけがぽこぽこと飛ぶ中、

 私はスマホを握りしめたまま迷った。


(仕事あるのに、係もやって、

 あの完璧な育児もして、

 あの身だしなみも維持してるとしたら……)


 イラっとする気持ちと同時に、

 自分が何もしていないような劣等感が押し寄せる。


 結局、「忙しいので…」と無難にスタンプだけ押して、

 スマホを裏返した。



 その週末。

 幼稚園の行事の準備で、

 数人のママが集まることになった。


 たまたま仕事の休みが合い、

 「少しだけなら」と私も顔を出すことにした。


 園のホールで、飾りつけ用の画用紙を切っていると、

 隣のテーブルで綾香さんが、

 大きな模造紙に文字を書いているのが見えた。


 その手が、わずかに震えていた。


「……あれ?」


 思わず、声が漏れる。


「どうかしました?」


 同じテーブルのママが首をかしげる。


「いえ、なんでもないです」


 ごまかしながらも、

 気になって視線が何度もそちらに向かう。


 綾香さんは、几帳面に文字の輪郭を下書きして、

 ゆっくりとペンを動かしている。


 でも、線はまっすぐではなく、

 ときどき細かく揺れていた。



 準備が一段落したあと、

 他のママたちが先に帰り、

たまたま私と綾香さんだけが残った。


「すみません、これだけ貼ったら帰りますね」


「私もです」


 ホールの片づけをしながら、

 私はずっと迷っていた。


(聞くか、聞かないか)


 でも、このままモヤモヤを抱えたままなのは、

 もう少しだけしんどかった。


「あの……」


 声をかけると、綾香さんが振り向く。


「さっき、文字書いてたとき。

 手、震えてましたよね」


 一瞬で、綾香さんの表情が固まる。


「……見えてました?」


「いや、なんか、たまたま目に入って」


 しまった、言い方が直球すぎたかもしれない。

 取り繕おうとする前に、

 綾香さんが小さく笑った。


「恥ずかしいですね、これ」


 そして、両手をぎゅっと握って見せた。


「私、人前で字書くの、めちゃくちゃ緊張するんです」


「え?」


「小学校のとき、字が汚いって先生にすごい言われてて。

 みんなの前で『もっと丁寧に書きなさい』って、何回も板書をやり直しさせられて」


 意外な話だった。


「それ以来、人に見られながら書くの、すごく怖くて。

 でも、係やってると、“書記”とか“ポスター係”とか回ってくるじゃないですか」


「……うん」


「逃げたいんですけど、逃げたら逃げたで、

 『あのママ、何もしないよね』って思われそうで」


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 今、綾香さんは、自分でそれを説明してくれている。


「LINEでも、よく“できたこと”報告してるじゃないですか、私」


 綾香さんは、申し訳なさそうに笑った。


「うん……正直、すごいなぁとは思ってた」


「“すごいなぁ”って思われてるなら、まだいいんですけど」


「他になんかあるんですか?」


「……“ちゃんとしてる人”って思われてないと、

 怖いんです」


 その言葉は、思っていたよりずっと重かった。


「うち、夫が仕事で家にいないこと多くて。

 両親も遠くて、頼れる人いなくて。

 だから、“ちゃんとしたママ”でいないと、

 “ダメな親”って思われるんじゃないかって、

 ずっとびくびくしてるんです」


「ダメな親って……」


「昔、近所のおばさんに言われたことがあって。

 公園で健太が泣き叫んでたときに、

 『お母さん、しっかりしなきゃだめよ』って」


 綾香さんは、視線を下げた。


「それがずっと刺さってて。

 “しっかりしてる風”に見せることで、

 自分を守ろうとしてるのかもしれないです」


 胸の奥で、何かがカチッと噛み合う。


 グループLINEでの“できた報告”。

 謙遜しながらも、ちゃんと成果を並べるあの文章。


(あれって、“マウント”というより……

 “確認”だったのかもしれない)


 「私、大丈夫ですよね?」

 「ちゃんとやってますよね?」


 そう言っているようにも、今なら聞こえる。


「でもさ」


 気づけば、口が勝手に動いていた。


「私、ちょっと羨ましかったですよ。

 あんなにちゃんと報告できて、

 ちゃんと係まで引き受けて」


「羨ましい、ですか?」


「うん。

 私は逆に、“ダメなママだってバレたらどうしよう”って思って、

 “何もしてない風”で生きてますから」


 自嘲気味に笑うと、綾香さんも吹き出した。


「何もしてない風……わかります」


「LINEで、『今日は疲れたから冷凍からあげ』とか書こうとしても、

 『ちゃんとご飯作ってない親』って思われる気がして、消しちゃうし」


「私も、『怒ってばっかりになっちゃった』とか書きたいのに、

 『あの人いつも余裕ないのね』って思われそうで、やめちゃいます」


「結果、“できたこと”だけが並ぶ」


「そうなんですよね……」


 二人でため息をついて、同時に笑った。



「じゃあさ」


 私は、思い切って提案した。


「今度から、たまに“できなかった報告”もしません?」


「できなかった、報告……」


「今日も、『悠斗、お風呂前にポテチ食べてて、

 歯みがき大戦争でした』とか」


「うちも、『寝かしつけ三回失敗しました』って書けるかも」


「“ちゃんとしてる風”やめたら、

 ちょっと楽になる気がする」


 綾香さんは、少しだけ考えてから、

 ふっと笑った。


「……遥さんって、思ってたよりずっと怖くないですね」


「え、私、怖く見えてました?」


「見えてました。

 “グループの中で一番落ち着いてて、

 心の中でみんなのこと冷静にジャッジしてそうな人”」


「ひどくないですか」


「ほめてるんですよ」


 お互いの「思い込み」が、ぽろぽろ剝がれていく感じがした。



 その日の夜。

 グループLINEに、綾香さんからメッセージが届いた。


『今日、係の準備ありがとうございました。

 実は、字を書くのめっちゃ緊張して手震えてました。

 次からちょっと崩れてても見逃してください』


 続けて、私も送る。


『私も、こっそり画用紙を斜めに切ってました。

 几帳面キャラじゃないのバレそうなので、

 「斜め上手」ってことにしてください』


 すぐに、他のママたちからも返信が来る。


『わかります! 私も人前で字書くの苦手です』

『斜め上手、いいですね』

『じゃあ私は「のりつけ雑担当」ってことで』


 タイムラインには、

 それまで見えなかった “できない” の笑い話が、少しずつ増えていった。


 あんたの心がわかったらどんだけ楽か――

 そう思っていたけれど。


 “マウントを取るママ友”の正体は、

 「ちゃんとしてない自分がバレるのが怖い人」で、

 “何もしてないふりをする私”もまた、

 同じ怖さを抱えていただけだった。


 全部をわかり合うことは、多分できない。

 それでも、「できたこと」だけじゃなく「できなかったこと」も、

 少しだけ見せ合えるようになっただけで――


 幼稚園のママ友グループの景色は、

 前よりずいぶん、息がしやすくなった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ