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『 悪魔が笑う日 』


 先日のことがあってから、針のむしろの上での生活が続く。

 って、そんなの見たことも触ったこともないんだけどさ。

 外はとってもいい天気なんだけど、わたしの心は暴風雨波浪警報発令でちょー土砂降り。It rains cats and dogs !!

 こんな日は、実際の天気も大荒れの方が落ち着けるのにな...。

 がんばれ...って自分を励ましてみても、2日目が百万回押し寄せてきたって感じで、からだもこころも泥沼のどろどろ...。

 って、泥沼ってのも見たことないけど...。


 そんな状態でも仕事はしないといけないわけで...。

 カルテを見ると、継続の子。

 FIVの末期。

 脾臓のMassは徐々に大きくなり、黄疸が強くなってきている。

 肝臓も脾臓と同じような状態なんだろうな。

 今日は少し神経症状も出てきてるようだね。

 皮下補液をしたあと、飼い主さんに聞く。

 「明日、どうします? 希望されれば時間を決めて病院開けますけど」

 明日は、臨時休診日だった。

 別に先日のことがあったから休むわけじゃなくって、祝日とかに働くことが多いから1ヶ月前から適当に決めていた休みだった。

 この子、ひょっとしたら、もう長くないかもしれないからなぁ...。

 「お願いします」

 飼い主さんは言った。

 12時に約束した。


 午前の診療時間が終わる頃、電話が鳴った。

 「プードルの森田さんですけど、明日しっぽ切ってもらえないかって」

 森田さんからは、数日前に子供が生まれたって連絡をもらっていた。明日が休みだってこと知ってるはずなのに...。

 舞ちゃんから子機をもらう。

 「もしもし、お電話代わりました」

 「先生、申し訳ないんですけど、明日無理言えないでしょうか? 主人がどうしても明日じゃないと休みがとれないみたいで...」

 確か1匹だったな...。

 仕方ない。手伝ってね、と言う条件で受けることにした。

 約束の時間は午後6時。

 なんだか、落ち着けない日になりそ...。

 せっかくの休みだったのに。

 どーして、こーなるんだろ。

 さらに気持ちはどんより濁ってしまった。

 そして、そんな気持ちのまま...。

 よりによって、午後手術。

 もう、逃げ出したいよ。


 シーズー、15歳。

 胸に手を当てただけで分かるほどのすごい心雑音...。

 肛門横の5センチほどの腫瘍は自壊して悪臭を放つ。

 血液検査で何か大きな異常があったら、手術やらなくて済むかなぁ...なんて期待したけど、異常なし。

 まぁ、こんな変なのおしりに付けてたらかわいそうだものね。

 やってあげなきゃ...。

 がんばれ! わたしも、きみも...。


 さて、麻酔、どーしよう。

 心不全はプロポフォールを使わない方がいいって言ってたなぁ。

 でも、ケタだっていいこと書いてないし...。

 まぁ、絶対安全な麻酔なんてないってことなんだけどさ。

 それでも、万が一何かあれば、すぐ悪者だものな...。


 短頭種だから、一気に寝てくれた方がいいからケタでいこう。

 まず、セルシンをいつもよりゆっくり入れる。

 異常なし。じゃぁ、次ケタ。

 念のため、まず2/3。

 そして、全量入れる。

 寝た。

 よし、挿管。

 ...。

 あれ?

 開口器を入れようと口を開けるけど、2センチも開かない。

 筋肉の弛緩がまだ十分じゃないのかな?

 呼吸と心拍を確認しながら少し待ってみる。

 ダメだ、開かない。

 どーして?

 あ...。

 そーいえば、最近食べる時に散らかすって、飼い主さん言ってたなぁ。

 すぐに状況が理解できた。

 こりゃ、まずいぞ、口開かないんだ。

 ひょっとして、挿管できない?!

 背筋に冷たいものが突き刺さる。


 悪魔は、ちょっとしたところに潜んでいるものだ...。


 「呼吸出来てる?」

 短頭種だ。こんな時、ただでさえ呼吸しづらいのに。

 わずかな隙間から舌を引っ張り出し舌鉗子をかける。

 顎に指をかけ、力任せに上下に引っ張る...って、万が一骨折したらもっと厄介なことになるぞ。

 ところが、力を込めても、全く開こうとしない。

 なんで、こんなことになってるの!

 でも、

 開かないんじゃ、この状態でやるしかないよ。

 「頭持って!」

 舞ちゃんに頭を固定してもらい、舌を引っ張り、わずかに開いた口の隙間に喉頭鏡を滑らせる。

 両目じゃ見えないくらいの狭さ。

 でも、なんとか見えるぞ。

 気管チューブを持ち、口に入れる...と、口の中がいっぱいになって奥が見えないじゃない!

 落ち着け...。

 短頭種で、すぐ咽頭だから。

 きっと、この距離ならこの角度で入るはず。

 入れ!

 チューブを押し込むと同時に反射の咳が出た。

 胸を数回圧迫して、チューブの端からの空気の出入りを確認する。

 入った...。

 呼吸、大丈夫だね...。


 あ~、どーなるかと思った。

 チューブを固定して、バイトブロックを噛ませる。

 おいおい、バイトブロックも入らないよ...。



 そんなでどたばた慌てまくって始まった手術だったけど、そのあと悪魔さんは鳴りを潜め、麻酔も安定して問題なく終わってくれた。


 そして夜、元気よく退院した。

 口は原因不明。

 いつからおかしいのかも分かんないし...。

 これ以上悪化しなきゃいいけど...。



 8時。

 さぁ、やっと終わりだ。

 なんだか長い1日だったな。

 舞ちゃんが帰ったあと、診察室に貼ってあった臨時休診のお知らせの紙を剥がし、外から見えるように玄関のガラスに貼付けた。

 診察室に戻るとホルマリンに入った組織が目に入った。

 昼にとった肛門の腫瘍。

 それにしても、無事に済んで良かった...。



 ほんとに、

 手術って、こわいなぁ...。

 気を抜くと、必ずしっぺ返しがくる。

 抜いてなくても、くることがあるぞ。

 そして、やればやるほど、恐怖心が増してゆく。

 何かあったらどうしようって、いつもおびえながらやるようになる。

 無我夢中で、恐怖の綱渡り...。

 落ちたら最後、ミスは許されない。

 まぁ、命預かってるんだから、ミスしたらいけないんだけど...。

 でも、ずっと、ずっとミスしないなんて出来るのかな?


 人間だから、絶対にミスしないなんてあり得ないよね。

 1回くらいミスしたって...。

 でも...、

 わたしにとっては、たまたまの1億分の1のミスでも、相手にしてみたら1分の1だものね。

 いつだって、100点満点とってなきゃいけないんだ。

 相手もそれが当たり前だと思ってる。


 絶対にミスしたらいけない。

 いや、そんなことあり得ない。

 いつかミスしてしまうかもしれない...、

 こんなこと考えると、緊張し、さらに恐怖心が増す...。

 そしてそれは徐々に、絶えず緊張していないとミスを犯してしまうという、強迫観念に変わる...。


 


 「いったい、いつまでこんな緊張感の中に居続けなきゃいけないんだろうって思うと、もう、おかしくなっちゃいそう...」

 携帯を持つ手が少し震えた。


 「まともな神経してる獣医は、みんなそうだよ。だから、壊れちゃったり、変なものに手を出しちゃったり...。収入、休み、仕事の内容とか、そのバランスが悪いんだろうな。ま、獣医に限ったことじゃないだろうけど」

 電話の声は、いつもと変わらない。


 頼りたい...。

 でも、一度頼っちゃうと、何も出来なくなりそうで...。

 楽したら、絶対流されちゃう。


 「あのさ...」

 「うん...」

 「時には、どば~っと吐き出しちゃうことも必要だよ」

 ああ、この距離があって良かった。

 冷静でいられる。

 そうだよね、吐き出してもいいんだ。

 いつでも吐き出せる。

 そう思ったら、ちょっと楽になった。


 だから、がんばる...。




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