7
次の日、アルバートが窓の外を見ると昨日の吹雪が降り止んでいた。
魔素こそ降ってはいないが神子の精神状態が落ち着いているということだ。
泣き暮らすことになることを心配していたアルバートはほっと胸を撫で下ろす。
メアリにはゆっくりと来いと言われていたが、自室でぼーっとしている時間が辛く、結局早めに神子の部屋に向かった。
「おはようございます、姫様。」
神子の部屋に入ると身支度を整えた神子が朝食を食べているところだった。
メアリはまだきていないようで、夜の番を担当していたメイドが神子の世話をしている。
給仕を変わることを手で合図してメイドを下がらせた。
これでしばらくは神子とふたりきりだ。
「おはようございます。
アルバート殿下、朝食は召し上がりました?」
――俺の名前を覚えてくれてたなんて。
神子に初めて名前を呼ばれて、アルバートは勝手ににやけそうになる頬にぐっと力を込めていつも通りに微笑む。
「ええ、もういただきましたよ。」
「そうですか…。
こんなにたくさん用意してもらっても食べきれなくて。」
神子は戸惑ったようにテーブルいっぱいに並べられた料理を見ていた。
王族のアルバートからしたらこのくらいの料理は特別ではなかったが、神子にとっては驚くようなことだったのだろう。
――朝食食べてこなかったら、一緒に食べれていたってことか?
アルバートは自分がいつも通りに支度してしまったことを後悔する。
「全部食べきる必要はありません、残った分は厨房の者が食べたりしますから。
今日は姫様の好みが分からず、いろいろと作ってみたのでしょう。
少しずつ食べてお好きなものを教えてください、明日からはそれに合わせてご用意いたします。」
「元々、朝食は食べていなかったんです。
温かいお茶か白湯だけあれば十分です。
いろいろとよくして頂いているのにすみません。」
申し訳なさそうに神子は頭をさげた。
今日、用意した朝食も麦のミルク粥に少し手をつけた程度でほとんど食べていなかった。
――昨日の夜はあれから少し何か口にできたのだろうか?
ガラス細工のように折れそうな神子の腕をみて心配になる。
心なしか顔色も悪いように思えた。
「姫様、もう少し召し上がりませんか?
その…あまりにも細すぎて心配になります。」
こちらでも女性は痩せたがるが、神子ほど細い女性はなかなかいない。
朝食も食べれないほどの貧困層だったのか、この細さが向こうの世界の標準なのか分からないが、健康的ではないことは確かだった。
「おはようございます、姫様。
お早かったのですね、アルバート殿下。」
部屋の入り口から嫌味な口調が聞こえてアルバートは一気にうんざりした顔になった。
――もうメアリが来たのか。
神子と2人の時間が一瞬で壊されてしまったことに苛つきを隠せない。
「女性の体型のことに触れるなんて、どんな神経なさってるんですか。」
さっきの会話を聞かれていたようで近くによってきて小声で注意してくる。
体型のことといってもそこまで悪いことを言ったとアルバートは思っていなかったが頷いておく。
相変わらずメアリは細かいところにうるさい。
「おはようございます、メアリ。」
うんざりした表情のアルバートに反して神子は先ほどの困った顔から笑顔になっていた。
勝ち誇ったように微笑むメアリを思わず睨みつける。
――呼び捨てって昨日の夜だけでどうやって懐柔したんだよ。
今朝、吹雪が降り止んでいたから神子を落ち着けたのは察していたが、何があったら一晩でここまで懐かせることができるのか分からなかった。
神子と何か話していたメアリが朝食の片付けを始めたので、アルバートも手伝う。
ほとんどの料理は手をつけられていなかったが、メアリに言われて果物だけは少し食べたらしい。
アルバートはメアリの言うことに素直に従う神子をみて嫉妬心が湧き上がるのを感じていた。
とりあえず、どうにかしてメアリと同じように懐かれたかった。
「あの、お時間があれば少しお話してもいいですか?」
一通り片付け終わったあと、部屋の隅で待機しているアルバートたちに神子が話しかけてくる。
その控えめな態度に抱きしめたい衝動をぐっと抑えながら、もちろんですと返した。
メアリも誘われたことだけが少し不服だったが仕方ない。
神子が座るソファーの向かい側のスツールにアルバートとメアリは座った。
昨日のように神子の隣に座りたかったがたぶんメアリが許さないだろう。
「あの、アルバート殿下、昨日はいろいろとすみませんでした。
落ち着いて考えてみたら凍えそうなところを助けていただいたのに、起きた瞬間突き飛ばしたりして。
あと、夜はみっともなく泣いたりしてご迷惑おかけしました。」
アルバートに向かって頭を下げる神子。
昨日のことを気にしていたらしい。
下心で添い寝したり隣に座ったりしていた罪悪感がアルバートを襲った。
「いえ、姫様が悪いところは全くございません。謝ることなんて何もないですよ。
凍えそうなところを助けたというか、凍え死にそうな状況にしたのはこちらですから。
それに、姫様の精神面を支えるのも俺たちの仕事です。」
「そうですよ、ベッドの上の見知らぬ男性を突き飛ばさない方が心配になりますからあれでよかったんです。」
メアリも若干トゲがある言葉ではあったが神子のフォローをしてくれた。
だが実際、メアリの言う通りだ。
アルバート以外の男がベッドにいるときはもっと抵抗してもらわないと困る。
神子はすみません、と何に謝っているのかまた頭を下げた。
「姫様、俺もメアリと同じように敬称付けず呼んでください。
この国の王子ではありますが、姫様に対してはメアリと同じく仕える立場ですので敬称は不要です。」
神子が申し訳ないとアルバートに思っているうちに要望を通すことにした。
困った顔をしながらも神子はうなずいた。
「アルバートって呼べばいいですか?王子様にそんな態度とっても大丈夫でしょうか?」
「親しい者は愛称で呼びますからぜひ姫様にもアルと愛称で呼んでいただきたい。
昨日、神官長が言っていた通り、この世に尊きお方は神と神子のみでございます。
俺のことを呼び捨てにしても誰も咎めませんよ。」
メアリもアルバートの言葉にうんうんと頷いた。
――お前はもうちょっと敬えよ。
頭の中でメアリに悪態をつく。
神子の前で言い合うわけにいかないのが辛い。
だが、神子はメアリの態度で納得したようで、小さく分かりましたとつぶやいていた。
「じゃあ私からもいいですか。その姫様って呼ぶのやめて欲しくって。」
「では、何とお呼びしましょうか?」
「本当は名前がいいんですけど、昨日から自分の名前思い出せないんです。
こっちに来てから誰にも名前聞かれないし、これって召喚された方みんな名前覚えてないってことですよね。」
寂しそうに神子が言った。神子の言うことは当たっている。
なぜかは分からないが過去の神子たち全員自分の元の名前を言うことは出来なかった。
新たな名前をつける神子もいるが、基本的には神子様、姫様と呼ぶのが通例だ。
「だから、その姫様っていうのから様をとって姫って呼ぶのはだめですか?
姫って名前なら向こうの世界にもありましたし、2人以外の人も私のことだって認識できると思います。」
「かしこまりました、これからは姫ですね。」
メアリが笑顔で答えた。神子も嬉しそうに微笑む。
メアリも一緒なのは気に食わないが、特別な呼び方を与えられたようでアルバートは嬉しかった。