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メアリは風呂に神子を案内だけしてすぐに部屋に戻ってきた。
「アルバート殿下、姫様はどうしてあんなに泣いていらっしゃったんですか?」
神子から聞き出しはしなかったが気になっていたのだろう。
アルバートは神子から聞いたことをかいつまんで説明した。
「そんな…なんてお可哀想に。」
メアリの顔はなんとも言えない悲しげな表情を浮かべていた。
帰れないわけではなく、帰る場所すらなくなってしまっただなんて。
自分たちが生きるために犠牲にしているものが何なのかメアリも具体的に考えたことなどなかったのだろう。
黙り込んでしまった。
どれだけ考えても慰めの言葉も見つからないのはアルバートもメアリも同じだった。
重い空気が2人を包む。その居心地が悪くて、アルバートは口を開いた。
「なぁ、メアリ、俺って姫様にたいしてやっぱり変?」
「もしかして、先ほど殿下に襲われてないか疑ったこと気にしておられます?
私には、今すぐ姫様を襲いたいって考えているように見えてますよ。」
言葉尻だけ丁寧な全く遠慮のない言葉がアルバートに突き刺さる。
メアリはアルバートの死んだ母親のメイドの子供で幼少期はよく一緒に過ごしていた友人のような存在だ。
嘘もつかないが、ストレートな物言いで心をえぐってくる。
「魔法陣の中に影が見えた瞬間から姫様のこと愛しく思ってるのは認める。
神官長曰く、従者の病だろうと。
出来るだけ神子の側にいるように言われた。
でも、姫様を襲うほど俺は下衆じゃない。」
「そんな愛しいなんてお上品な言葉、ご存知だったんですね。
本音を教えてくださいません?」
メアリは何もかも見通したような口調だった。
アルバートも諦めたようにため息をつく。
「…めちゃくちゃやりたい。」
「…シンプルに最低。
ってか、何が下衆じゃないですか、十分下衆です!
だいたい私から見ていると殿下の行動ひとつひとつにその欲望がにじみ出ているんですよ。
私がこの短刀であなたの首を落とす日も近そうですね。」
自分で言うように煽っておきながら軽蔑した目でアルバートを見るメアリ。
「今日は、お風呂から姫様が戻ってくる前にお帰りくださいね。
淑女が休む姿のときに居座るのは紳士のすることではありませんよ。
明日も姫様が身支度を整えた時間を見計らって、ゆっくりときてください。」
アルバートが神子が寝付くまで居座ろうとしていたこと、朝神子が目覚める前に寝顔でも見たいと思っていたことはメアリにはお見通しだったらしい。
分かっていると返しながらも目線をそらした。
1秒たりとも神子と離れたくないのにそれが認められない現実が歯がゆかった。
「どうやったら姫様に好意をもってもらえる思う?」
従者に選ばれた瞬間から伴侶を持つことも出来ないアルバートを相手にする女性は一夜だけの関係か商売女くらいしかいなかった。
ベッドの上での経験は豊富でも恋愛経験なんてゼロに等しい。
1から女性を口説こうと考えたこと自体初めてだった。
「…今のままのお優しい態度を続けて、下心は隠して、他の男を近づけなければ吊り橋効果で殿下のものになるかもしれませんね。
にしても、ベッドの中では右に出るものはいないと有名な殿下からそんなお言葉な聞けるなんて、メアリ、感激しております。」
「その腐った噂、絶対に姫様の耳に入れるなよ。」
神子に遊び人と思われるわけにはいかないので、メアリに口止めするが肩をすくめて笑われてしまった。
アルバートが誠実な対応をしなければすぐに神子に悪い噂を吹き込まれそうだ。
神から啓示を受けた従者といえども神子が嫌がればそばにいることは出来ない。
たった半日程度の時間で嫌われたくない相手ができるとは思ってもみなかった。
――とりあえず女関係は綺麗にして、商売女と遊ぶのもやめよう。
それがいまアルバートにできる精一杯だ。
しばらく大人しくしていれば噂も下火になるだろう。
「さぁ、そろそろ姫様が戻ってくる時間ですから出ていってください。」
神子に嫌われるわけにはいかないので、メアリに言われたとおり大人しく部屋を出て自室に帰ることにした。
アルバートは神子の部屋の目の前にある神子の従者専用の部屋をあてがわれている。
出来るだけ近い部屋を用意されているのはわかっているが、どうせなら部屋同士を繋げてくれればよかったのにと思いながら自室のドアをあけた。
「お帰りなさいませ、殿下。」
アルバートの従者であるジェイに出迎える。
10数歳上のジェイはアルバートにとっては従者であり兄のような頼りになる存在だ。
ジェイは脱いだジャケットを受け取りながらアルバートの様子を伺っていた。
「殿下が従者の病にかかっているから夜帰ってこなかったら過ちを犯す前に引き取りに行け、とフレドリック殿下から仰せつかっていたのですが心配なかったようですね。」
フレドリックからみてもアルバートは異常だったらしい。
少し癪に障るが、メアリにも指摘され認めざるえなかった。
「メアリがいなかったら、たぶん朝まで帰ってこなかった。
明日の朝は姫様の支度が終わった頃にゆっくり来いって釘までさされたよ。」
今まで女性に困ったことも、固執したこともないアルバートがそんなに執着していること、それを素直に認めていることにジェイは驚いた。
前回の神子のときは出来るだけ神子と過ごさないようにしていた人間がたった1日でそんなことを言うなんて。
「従者の病は迷信ではなかったということですか。
…殿下の華の顔で姫様を口説くのは結構ですが、お噂のベッドでの手腕を披露することだけはやめてくださいね。」
「俺は無理やり女を襲ったことは1度もない。
…メアリにもそれ言われたんだが、その腐った噂どこから流れてるんだよ。」
ジェイは内緒です、と笑いながら返した。
アルバートは不服だったが、問い詰めたところで答えてくれるとは思わなかったのでそれ以上は聞かなかった。
「姫様はどんなご様子でしたか?
今日、魔素が降ったせいで明日からは国内外から色々な人間が押しかけるでしょう。
陛下は近いうちに姫様をお披露目したいご様子でしたよ。」
それを聞いたアルバートは頭が痛かった。
神子に会いにくる相手は少なからず野心がある人間だ。
自分の子息を神子のお気に入りにしようと押してくる人間も山のように居るだろう。
アルバートじゃない誰かを神子が気に入ってしまうことだけは避けなければならない。
「姫様はまだ謁見できるような精神状態じゃない。
お披露目なんてして精神的に負担をかけて、また自殺でもされたらどうする。
せめてもう少し魔素を降らせられる精神状態になるまで待ってくれと明日、陛下に伝えてくれ。」
とりあえず時間稼ぎをしておく。
その間に吊り橋効果でも雛の刷り込みでもなんでもいいから神子に好かれようと頭の中では考えていた。
――絶対に他の奴らなんかに渡すわけにはいかない。
他の男に神子を見せるだけでもぞっとするのに、もし恋愛関係になったらと考えると吐き気がした。
それに、今日の様子を見るに明日から前の神子のように泣き暮らす可能性が高い。
そんな精神状態のときに貴族共からの魔素を降らせろというプレッシャーにさらすのは酷だろう。
しばらくは出来るだけ特別なことをおこなわず、こちらの暮らしに慣れてもらうことを優先しなければ。
アルバートは明日からのことを考えながら、早めに休むことにした。