5
部屋に戻った神子は暖炉の正面のソファーに座ってぼーっと火を眺めていた。
1度は病んでいた吹雪がまた神子が来る前と同じように吹き荒れているのが窓から見える。
この世界の天候は神子の心そのものだ。
神殿から帰ってきた神子の心が穏やかではないことだけは確かだった。
「姫様、そろそろ夕餉の時間にございますが召し上がれそうですか?」
メアリが気を使うようにそっと話しかける。
神子は静かに首を横に振った。
「でしたら、いつでもつまめるものをご用意いたしますね。
姫様のお好きなときにお召し上がりください。」
神子が頷きありがとうと返したことを確認してからメアリは静かに部屋を出ていった。
部屋にはアルバートと神子のふたりきり。
少しだけでも神子に心を開いてほしくて、アルバートは神子の座るソファーに近づいた。
「姫様、隣に座っても?」
神子は2人掛けのソファーの真ん中に座っていたが横によってアルバートが座る場所をあけた。
神子に軽く触れるくらいの近さにアルバートは座る。
「あの、こちらでは人と人の距離感が近いんですね。
ベッドで一緒に添い寝するのも特別なことじゃないってことですよね。」
今日あったことを神子は自分に納得させようとしているようだった。
――そんなわけねえだろ。
神子は天然なのか純粋なのか、人のことを疑わないたちなのか、ただ自分を納得させたいだけなのか。
まず、こんな距離感で隣に座ってくる男はただ行為がしたいか、好意があって行為がしたいかの2択だ。
たまたまアルバートが後者だからまだ襲っていないだけ。
アルバートはいままで数多くの女性とベッドを共にしてきたが、添い寝だけなんてむしろ初めての経験だった。
しかし、現時点でこんな下心を知られれば神子に引かれてしまう。
そうなれば従者として近くにいることも難しくなるだろう。
「俺は神の啓示で姫様の従者に選ばれた、1番近くにいるように義務付けられた人間なんです。
他の男がこんな距離感で座ってきたら確実に下心がありますから絶対に逃げてくださいね。」
アルバートは微笑みながらも苦しい言い訳を並べ立てた。
もちろん従者にそんな義務はない。
ただアルバートがそうしたいからしているだけだ。
たとえ、そんな義務があったとしても物理的な距離感の話ではないだろう。
この場にメアリがいなくてよかった。
絶対に否定されている。
「そう…ですか。従者さんも大変ですね。
私は義務とか分かりませんけど、嫌なときは離れていて構いませんから。」
アルバートの下心には気づいていないようだ。
とりあえず、それで十分だ。
「お気遣いありがとうございます。
ですが、姫様のここでの生活が落ち着くまででもお側においてください。」
本当はずっともっと側においてくれと懇願したいが、そんなわけにはいかない。
神子はその言葉を聞いて何故かため息をついた。
何かを諦めたような表情をしている。
「本当にここに落ち着かなきゃいけないみたいですね。
さっき神様に会ってきたとき、帰れるか聞いてみたんです。」
――そういえば帰りたいって話しで神殿まで行ったんだった。
今更ながら魔法陣を見に行った経緯をアルバートは思い返していた。
いろいろと起こりすぎて本来の目的を忘れていた。
神子の表情を見るに神も帰れない現実を伝えたようだ。
「帰る方法はありました。でも帰る場所がありませんでした。」
想像とは違う言葉にアルバートは顔をしかめた。
どういう意味かよく分からなかった。
返答に困るアルバートを気にせずに神子は続ける。
「私って、元の私の魂を影響のない範囲で何分の1か切り取って、魔法陣を使って培養しただけの存在なんですって。
だから、向こうの世界で私は問題なく生きていて、誰も私がいなくなったことに気づいてもいない。
もし今、私を帰したら私が2人になっちゃうから帰せないそうです。
私、もし帰れなかったとしても家族とか友達にね、
『さよなら、元気にしてるから心配しないで』
って伝えたかったんです。
でも現実はさよならもしてなければ心配もされてない。
あちらの私しかみんな知らない、私の存在すら誰も認識していない。
…私の存在って何なんでしょうね。」
最後の言葉と同時に涙が溢れ出す。
アルバートが思っていたより召喚の現実は残酷で言葉を無くす。
肩を抱き寄せて慰めようかとも思ったが、泣いている神子があまりにも痛々しく触れることもはばかられた。
「心配しないで、とか言いながら私、みんなに悲しんでほしかったし、心配されたかったんです。
せめてみんなの記憶に私って存在があってほしいかった。
私にはみんなの記憶があって思い出があって、こんなにも会えなくなって寂しいのに。
なのにいなくなったこと、誰も認識できないってあんまりじゃないですか。」
嗚咽混じりに神子が話す。
アルバートは異世界に召喚されるということを軽んじていたことに気がついた。
召喚で何が行われていて、向こうの世界はどうなっているのかなんて考えたこともなかった。
かける言葉が見つからず、どうしようか戸惑っているとメアリが部屋に軽食ののったワゴンを押して入ってきた。
「姫様!どうなさったんですか!」
泣いている神子に気がついたメアリがワゴンをおいてかけよってきた。
神子の前に膝をついて目線を合わせ背中をさする。
「この男に何かされましたか?
あぁ、こんなケダモノと2人になんてするんじゃなかった。」
アルバートを容赦なくケダモノと呼び捨て睨みつけるメアリ。
ケダモノであることは否定しないが、まだ何もしてないし、そもそも神子が首を横に振っているのは目に入らないのか。
そもそも、王位継承権がないとはいえ王子にたいしてどんな態度をとっているんだとアルバートは問いただしたくなった。
「姫様が望むなら今すぐこの男の首を切ります!」
「なんでそうなるんだよ。何もしてないって」
短刀に手をかけるメアリに思わず身構えてしまった。
なにかアルバートに恨みでもあるのだろうか、と思ってしまう。
「ち、違うんです。何もされてないです。
ただ、今日はいろんなことがありすぎて、いっぱいいっぱいになっちゃって。
それだけなんです、すみません。」
メアリの気迫で逆に神子は落ち着いたようで、慌ててメアリをとめてくれた。
「そうですか…。
ですが、もし他に人がいないときにアルバート殿下に襲われそうになった等ためらいなく大声で叫んでくださいね。
すぐに警備のものがかけつけますから。」
何故かアルバートが襲う前提で話すメアリ。
神子も頷き返しながら少しだけ隣のアルバートと距離をとった。
思わずメアリを睨んだが、素知らぬ顔で持ってきたワゴンを取りに行ってしまった。
メアリはソファーの横にあるコーヒーテーブルにいつでもつまめるようにと持ってきたナッツ類やクッキーを並べていく。
神子はそれを見ながらもなかなか食べる気分にはならないようだった。
「姫様、今お風呂の用意も出来ています。
すぐに召し上がらなくてもいいものばかりですから、気分転換に先にお風呂に入られますか?」
メアリは神子が食べないことも想定していたのだろう。
風呂の準備まで整えていたらしい。
神子も頷いて、メアリと一緒に風呂に向かっていった。
その背中を見送りながらなんと神子に声をかけるべきかアルバートは頭の中で考え続けていた。