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フレドリックが神子に協力しだしてから2週間がたった。
貴族たちの協力のお陰で今まで神殿に貯蔵してあった保存食を食べていたが、新鮮な食材が手に入るようになった。
ずっと神経を尖らせていた神官たちも食事が豪華になったことで余裕がうまれてきたようだ。
カイエンがのらりくらりと国王派からの出陣要請を交わしているらしく、未だに神子殿や神殿を攻めてくる兵士は1人としていなかった。
アルバートは相変わらず起きない神子に付き添い続けていた。
リアムやメアリとも協力はしているがアルバートはほとんど24時間付きっきりだ。
それでも疲れは感じなかった。
最近はレティシアが送ってくれた、若い令嬢たちの間で流行っている恋愛小説を毎日神子に読み聞かせている。
アルバートからすれば人の恋愛を見て何が面白いのか分からないが、レティシアが絶対に気に入るはずだから神子に読み聞かせろ、というのだから仕方ない。
今日も神子を足の間に入れて抱きかかえ後ろから支えながら、昨日の続きから読んでやっていた。
「殿下、何でそんないいシーンだけ飛ばして読むんですか?
ちゃんと全部読んであげてくださいよ。」
言いづらいセリフを飛ばして適当に読んでいたらメアリに苦言を呈された。
アルバートは渋い顔になる。
「喧嘩してるときに『怒ったお前もきれいだ』なんて言わないだろ。
あと『最後の恋にしてやる』とか『お前に涙は似合わない』とか、とにかくセリフがくさすぎるんだよ。」
「俺からすれば殿下が普段、姫様に言っていることのほうがくさいし恥ずかしいですけどね。」
鼻で笑いながら言ってくるリアムにアルバートは腹が立ったが、反論出来ずにもう一度本に目線を落とした。
現実的ではないセリフだからこそ人気が出るのかもしれないが、音読させられる身になるとこれほど痛々しい話もない。
メアリとリアムのことは無視して、またくさいセリフを適当に飛ばしながら読み進めると、男役が夜這いをかけるシーンになった。
アルバートは流石に気持ち悪くなって、適当にページをめくって次のシーンを読み出す。
「ねぇアル、いいシーンなんだから飛ばさないでくださいよ。」
自分の腕の中からずっと聞きたかった声が聞こえて、思わずアルバートは固まった。
メアリやリアムも同じ様に目を見開いて固まる。
腕の中で力なくアルバートに寄りかかっていたはずの神子が体制を起こして、くるりとアルバートの方に振り返った。
――夢じゃない。
そう思った瞬間、アルバートは強く神子を抱きしめていた。
目から涙が溢れ出し、言葉にならない声が嗚咽として溢れ出す。
この数カ月間、神子が戻ってきたら何を伝えようかずっと考えていた。
そのはずなのに、今は何も頭に浮かばない。
ただただこの腕の中の存在を手放したくなくて、ひたすら強く抱きしめることしか出来なかった。
「アル、痛いですよ。」
神子のくもぐった声が聞こえても、まだアルバートは神子を離すことが出来ない。
今までずっと神子の帰還を待っていたのだから、多少痛みくらい我慢してほしかった。
「姫、愛しています。俺をおいていかないで。」
嗚咽の切れ間にやっと言えたひと言は、神子にしか聞こえない程度の小さな声だった。
神子がそんなアルバートの髪をそっと梳く。
「アル、私も愛しています。
もうあなたを離しませんから。」
耳元で囁かれた声が、アルバートの胸に染み渡る。
25年生きてきて、これほどの喜びを味わったことがアルバートにはなかった。
大粒の涙がまたアルバートの頬を伝った。
――この人さえいれば、あとはもう何もいらない。
アルバートが少しだけ抱きしめた手を緩めると、神子と目があった。
そのまま神子の頭を抑えるようにして、唇にキスを送る。
その場にメアリとリアムがいることを忘れたような長いキスだった。
アルバートが名残惜しそうに唇を離すと、神子が微笑む。
可愛いとかきれいだとかそんな平凡な言葉が似合わないほど、その微笑みは美しかった。
「姫、私ともハグしてください。」
メアリも泣きながら、神子のもとによってくる。
神子もそれに答えるようにアルバートの膝からおり、メアリとしっかり抱き合った。
「メアリ、心配かけてごめんなさい。」
「いいえ、姫が戻ってきてくれただけで私は十分幸せです。」
ゆっくりと身体を離した2人は、顔を見合わせて笑い合う。
メアリも神子も幸せそうな顔をしていた。
その2人の姿がアルバートの心まで暖かくした。
「次は俺の番ですよ。」
リアムがそう言いながら、強引に神子の腰に手を回して持ち上げるように抱きしめた。
急に浮かんだ神子はきゃっと言いながら驚いていたが、抵抗せずリアムの首に抱きつき返す。
その光景にアルバートは今まで満たされていた心の奥が急速に冷えていくのを感じた。
だが、今くらいは許してやらなければとぐっと自分の気持ちを押し殺す。
「おかえりなさい、姫様。
あなたの犬は寂しがり屋なんで、あんまり長いこと放置しないでくださいね。」
リアムはそう言うと神子の頬にキスする。
そこでアルバートの堪忍袋の緒が切れた。
ずっと流れ落ちていた涙が引き、ぐっと眉間にシワが寄る。
立ち上がりリアムから奪うように神子を抱き寄せようとすると、リアムはからかうように笑ったあと神子の身体を離した。
「残念ながら俺は嫉妬深い男なんです。
たとえ犬だろうと他の男のところには行かないでください。」
「私もアルが思っている何倍も重たい女ですから、覚悟しておいてくださいね。」
神子はクスクスと笑いながら、アルバートのネクタイを引っ張り屈ませると、一生懸命背伸びして頬にキスした。
その姿が愛おしく、また神子をぎゅっと抱きしめる。
「そろそろ離してください。
私、やらなきゃいけないことがあるんです。
リアム、見張り台に連れて行って。」
そう言われてもアルバートは神子を離さなかった。
久しぶりに意識が戻ってきたのに、たかが数分で離すことなどアルバートにとって考えられないことだ。
「突然何をおっしゃっているのですか?
見張り台に姫様をお連れすることは出来ません。」
リアムが声のトーンを落として、叱るような口調で神子に言った。
先程まで楽しそうに笑っていたリアムの表情が険しいものに変わっている。
見張り台は外から1番狙われやすい場所だ。
そんなところに神子が現れれば、国王派は弓で射殺そうとするだろう。
そんな危ない場所に今意識が戻ったばかりの神子を連れて行く選択肢などあり得ないことだった。
「絶対に行く、誰が反対しても絶対に行かなきゃいけないの。
これは、勅命です。私を見張り台まで連れていきなさい。」
アルバートとリアムは、随分前にした神子との約束を思い返していた。
神子の勅命は絶対に逆らってはいけないもの。
神託と等しいものだ。
2人は険しい顔をしたまま、ただ御意と言い頭を垂れた。
部屋を出ると、何故か神官長のニコラスと神官たちが集まってきていた。
まるで神子に意識が戻ったことをすでに知っていたかのように、誰も自分の足で歩く神子を見ても驚かない。
神子の通る道をあけ、次々とその場に膝を折っていく姿は壮観な眺めだった。
その真ん中を堂々とした足取りで歩く神子。
数ヶ月前まで、他人を使うことに慣れておらず跪かれるたびに恐縮していた人間とは思えない足取りだ。
神子もこの数ヶ月、神の世界で過ごすうちに何か変わったのかもしれないとアルバートは思った。




