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神子の意識がなくなってから、2ヶ月がたった。
相変わらずアルバート、リアム、メアリの3人で神子の面倒を見ていたが、神子の意識は戻ってこない。
それでも、メアリは着替えや風呂の手伝い、アルバートは本の読み聞かせと食事、リアムは散歩と毎日神子に意識があったときと同じ日々を過ごせるように心がけていた。
アルバートの部屋で過ごすこと以外、神子の生活に変わったことはない。
毎日、神子と添い寝出来るアルバートは自分の部屋を使われていることに不満はなかった。
カリーナとレティシアに神子の状況を報告したところ、巷で流行っている小説や可愛らしい小物を送ってくれ、2人もまた神子のことを心配してくれているようだ。
「なんでこんな可愛いんだろうな。」
哺乳瓶を一生懸命吸う神子の愛らしさにアルバートは緩む頬を抑えきれず、にやけた顔のまま頬ずりをする。
最近、神子に茶を飲ませる時間が楽しみだった。
結局、リアムの言った通り哺乳瓶で飲ませているのだが、そのときの神子が幼児のようで本当に可愛らしい。
アルバートは一生、神子がこのまま意識が戻らなくても面倒を見続ける自信すらあった。
「もし、戻ってきた神子に今の記憶があったら嫌われそうなくらい気持ち悪い顔してますよ。」
アルバートに冷たい目線を向けながら言うメアリに反論は出来ないくらい、自分でも頬が緩みきっているのを感じる。
嫌われると言われても顔を戻せそうにない。
「殿下、そろそろ定期報告の時間です。」
リアムに言われて、アルバートは仕方なく神子をリアムに渡し席を立つ。
神子に意識がなくなってから数日に1回エリオットに神子の様子を報告することになっていた。
とくに変わったこともないので、アルバートは必要性を感じていなかったが、この報告だけすれば神子を誰にも合わせなくてもいい約束になっている。
他の人間を神子に近づけるよりも、エリオットにひと言言いに行くだけのほうがアルバートにとっては楽だった。
エリオットの執務室の前に付き、ノックしようと手をあげたときフレドリックとエリオットが揉める声が聞こえてきた。
アルバートは一旦ノックをする手を止め、耳を澄ます。
「フレドリック、現実を考えろ。
神子はもう2ヶ月魔素を降らせていない。
神殿は気候を保てる魔素はあと半年分しかないと言っているんだ。」
「今代の神子を殺して、次代の神子が魔素を降らせると?
その神子が天候を荒らせばまた殺すのですか?
今代の神子を幸せに出来ない国が、次代の神子に魔素を降らせられるとお思いか!」
「…今代の神子は人を殺す。力が強すぎる。」
そこまで聞いて、アルバートは踵を返し神子の元に走った。
エリオットは神子を殺すつもりだ。
アルバートにとっての神子は今の神子しかいない。
絶対に殺させるわけにはいかなかった。
考えてみれば、おかしなことは今までもあった。
今だに神子の部屋の家具が揃わずアルバートの部屋に間借りしていることも、数日前から貴族たちからの手紙が一斉に届かなくなったこともおかしいと気づくべきだった。
普段から走ることのないアルバートが息を切らしながら神子のいる部屋に飛び込むと、リアムとメアリは驚いた顔でこちらを見た。
「リアムすぐに姫を連れて神殿に逃げるぞ、急げ。」
「何がありました?」
神子の身体を支えていたリアムが、その身体を抱き上げながらアルバートに尋ねる。
「説明は後だ。急いでくれ。
メアリ、当面の神子の生活に必要なものだけ準備して、お前も神殿に来てくれ。」
アルバートが定期報告に来ないとなれば、すぐに神子を殺す計画が漏れたことをエリオットは察するだろう。
その前に敵がいない場所に神子だけでも逃がしたかった。
アルバートのその剣幕に押されたのか、リアムとメアリは何も聞かずに神子を連れて部屋を出た。
「神官長、姫を匿ってくれ。」
神殿に駆け込むと、祈りを捧げていた神官長のニコラスにアルバートは迫った。
ニコラスは鬼気迫る表情のアルバートに何も聞かずに頷く。
周りにいた神官たちも何かを察したのか、神殿の入り口を締め出した。
この神殿は城が外から攻められた際に最後の要塞としての役割を持たせてある。
神官たち以外が知っている出入り口は正面の1箇所だけで余計な窓もなく、保存食や生活用品が常に備蓄されている。
今、神子にとって安全に過ごせる場所は神殿の中しかないとアルバートは思った。
神殿の奥の部屋にアルバートたちは案内された。
要人用の部屋なのか質素ながらも清潔に保たれた部屋のベッドに神子を寝かせた。
窓がなく昼間でも暗い室内がアルバートの気持ちをも暗くさせる。
「で、何がありました?」
神官長は丁寧に部屋のドアを施錠してから、アルバートに尋ねた。
「陛下は姫を殺して、次の神子を呼ぶつもりだ。
貴族どもも賛同しているようだ。
それ以上は俺も知らない。」
その場にいた2人が息を呑み、お互いの顔を見合わせた。
神子を殺すのは重罪だ。
神の怒りに触れれば、次の神子を神が与えるかも怪しい。
「神官たちには、神官以外の人間の出入りを禁じるように言いましょう。
にしても、新しい魔法陣が出来上がった瞬間にこれですか。
陛下は、神をかるんじておられるようだ。」
そう苦い顔で言って、ニコラスは部屋を出ていった。
リアムがベッドに横になっている神子の直ぐ側で跪く。
「この命に変えてでも必ずお守りいたします。」
神子の手を取りそう誓うリアムの目は、死線をくぐり抜けてきた兵士の目をしていた。
本当はこの城から逃げ出し、どこか違う国に支援を求めたい。
だが、神子を意識のない状態で馬に乗せることはできない。
馬車で逃げればすぐに追いつかれてしまうだろう。
神殿にある食糧が尽きる前に神子が目覚めて魔素を降らせなければ、神子にも自分たちにも待っているのは死だけだ。
アルバートは祈るような気持ちで神子を見た。
すぐにメアリも合流したが、3人とも何も話さず、ただ時間だけが過ぎていく。
沈黙に満ちた部屋の中で、アルバートは自分の母親のことを思い出していた。
アルバートの母は、元々隣国の王女でエリオットとは完全に愛のない政略結婚だったらしい。
わがままで王妃としての公務を行わず、ひたすら自分を着飾ることにだけ時間を費やす人だった。
実子であるフレドリックやアルバートにたいしても全く愛情がなく、周りからちやほやされる対象が自分から子どもたちにうつったという理由で殺そうとしたことまであった。
そのせいもあって幼いころから母と離れて暮らしていたアルバートは、母の顔も名前も思い出すことが出来ない。
アルバートが記憶にある中で、神子の召喚には4回成功している。
最初の神子は城から逃げ出してクマに殺され、2回目の神子はアルバートの母によって殺された。
アルバートが10歳のときのことだ。
神子がきて半年ほどがたち、そろそろ魔素が降り出すのではないかと周りが期待しだした頃、母は突然神子の首を自らの手で斬り落とした。
殺した理由は自分より優遇されるのが気に食わなかったかららしい。
王妃のご乱心だと周りは騒いでいたが、アルバートから見た母はずっと狂った人間だった。
当然のように母の首も落とされることになったが、他の罪人と違い、最後の最後まで暴れ無理やり押さえつけられて死んでいった様子はとても王族とは思えない最期だった。
今は、その母とエリオットが重なって見える。
母が神子を殺してから神殿は神子の召喚を10年間拒んだ。
当時の神官長いわく、神のご意思でもあったそうだ。
神託で召喚をするなと言われれば、神官たちは王族や貴族に命令されても召喚に手を貸すことはない。
同じことが起こるとはエリオットは考えないのだろうか、とアルバートは思う。
この世界は結局、神と神子の力でしか存続することが出来ない脆い世界だ。
その2人の機嫌を損ねることがあれば簡単に、人類なんて滅んでしまうことが分からないエリオットが馬鹿に思えてくる。
それと同時に、フレドリックが反対していたことが意外でもあった。
神子によってメアリとの仲を引き裂かれたと逆恨みしているかと思ったが、しっかり国というものに向き合うようになったらしい。
だが、フレドリックにエリオットをとめるほどの力はないだろう。
アルバートは絶望的な気持ちで、現実から目を背けるようにそっと目を閉じた。




