4
神殿までつき、大きな扉を開くと神官たちが奥にある神の像に祈りを捧げているところだった。
扉に背を向けているためアルバートたちに気がついていないのか、10人ほどいるにも関わらず誰もこちらを見ない。
召喚の儀式のときと違って暖炉に火が入り少しだけ暖かいことがありがたかった。
「祈りの最中に悪いが、魔法陣を見せてくれ。姫様のご要望じゃ。」
神官たちは神官長の言葉を最初は無視して祈りを続けていたが、神子の要望と気がついた瞬間、全員が振り返る。
本当はアルバートたちが入ってきたときから気がついていただろう、と言いたくなる。
「申し訳ございません、姫様がいらっしゃっているとは気づかず…」
誰ともなく謝罪の言葉を言いながら神子に向かって跪き頭を垂れる。
――相変わらずすごい信仰心だな。
昔から神官というものは王族の言うことすら聞かない、神の言葉にしか興味のない人々の集まりだ。
ここに王族が2人もいるのに全く興味を示さない様子にアルバートは関心していた。
「あの、そんなふうに頭を下げないで…。
私はただ、魔法陣を見に来ただけなんです。」
神官たちの態度はさすがに気が引けたのか、神子は困ったような顔をしていた。
神官たちは魔法陣の上で祈りを捧げていたので、すぐに立ち上がり神子に場所をあけた。
ゆっくりと神子が魔法陣に近づく。
端の方から眺めながら魔法陣の真ん中まで進んだとき、魔法陣が召喚の儀式と同じように光り輝き出した。
「姫様!!」
神子を呼ぶ叫び声が一斉にあがった。
アルバートも叫びながら、魔法陣に駆け寄る。
しかし、光が壁のようになっていて神子を連れ戻すことどころか、魔法陣に入ることさえ出来なかった。
光の壁をどうにか破れないかと神子を呼びながら力を込めてドンドンと叩く。
光の中にかろうじて見える神子には聞こえていないようだ。
こちらに反応せず、ただ正面の神の像を見つめているように見えた。
――まさか、本当に元の世界に戻るのか?
最悪の結果が頭の中をよぎる。
1度呼び出した神子が帰ってしまうなんて前代未聞だ。
フレドリックも神官たちも焦った様子で光の壁を殴りつけていた。
ニコラスにいたっては腰を抜かしたように座り込み、あんぐり口を開けてと光の壁を見つめている。
「姫様!お願いします、戻ってきてください!」
その声はぎりぎり言葉になっているだけの叫びだった。
アルバートの中で数時間前に影として現れたあの瞬間から、神子は何者にも代えがたい愛しい人になっていた。
――頼む、俺をおいて行かないで。
もうアルバートは魔素やこの世界の行く末のことなんて何も考えていなかった。
とにかくもう一度、神子を抱きしめたい一心で力を込めて光の壁を叩く。
その瞬間、アルバートたちを拒むように立ちはだかっていた光の壁が突然消えた。
アルバートは魔法陣の真ん中にいる神子の腕をぐっと引き、魔法陣から引きずり出すようにして抱きしめた。
「姫様、俺をおいて行かないで。」
言うのと同時に安堵の涙が溢れ出す。神子を抱きしめた手は震えていた。
神子の無事を確認したフレドリックや神官たちも腰を抜かしたようにその場にへたり込む。
「えっと……ごめん、なさい。」
神子は何が起きているのか分かっていない様子で、ただ雰囲気に飲まれたように謝っていた。
そっとアルバートから離れ、座り込んでいるニコラスに向かって話しかける。
「あ、あの大丈夫ですか?
信じてもらえないと思うんですけど、神様とお話してきました。
神官長に伝言を預かってきたのですが…」
遠慮がちに話しかけられ、ニコラスもあんぐりと開けていた口を閉じて居住まいを正した。
アルバートも溢れ出た涙を拭い、手の震えを隠すために腕を組んだ。
神子は光の壁のことを知らないのだろう。
あんな光景を見たあとに神と話したことを疑うものなどいない。
「もちろん、信じます、信じますとも。神はわしになんと?」
神託は神官たちにとって、何よりも大切で従うべきものである。
1言も聞き漏らさぬようにと全員が神子の方を向いた。
「えっと、召喚の魔法陣が壊れているから直してほしいそうです。
私の髪とか皮膚の色が変わっちゃったのは色素を構成する部分が壊れているから。
他もいろいろと古くなっているせいで儀式の成功率が下がっていると言われました。
あと、次の魔法陣を作るときは床に掘ると踏まれて劣化が早くなるから、踏まない床に掘るか何か移動できるものにするか工夫してほしいと。
このことを神官長とエリオット・エヴァレットさんに伝えてほしいって言われたんですけど、エリオットさんって誰かわかります?神様は魔法陣の作成に関しての予算を組める方だって言ってました。」
神官の1人が慌ててメモをとる。
今までも神から啓示を授かる神子はいた。
ただ、こんなにも具体的な啓示は初めてのことではないだろうか。
今まで読んできた歴史書が仰々しく、分かりにくい啓示に書き換えたのかもしれないが。
何人もの神官が床に這いつくばって魔法陣を調べだしていた。
魔法陣の破損など誰も思っても見なかったのだろう。
同時にアルバートはエリオットの名前が出たことに驚いていた。
神子はエリオットの名前なんて知らないはずだ。
――まさか神は陛下のことを予算を組む人としか思っていなかったのか。
アルバートは笑いそうだった。
神からすれば国王さえ特別な人間ではなかったということだ。
「かしこまりました、すぐに新しい魔法陣を作る手配をいたします。
エリオット様は国王陛下にございます。
フレドリック殿下、陛下にこのことをお伝え願えますかな?」
はい、直ちにとフレドリックはニコラスに返事を返して、そのまま足早に神殿から出ていった。
エリオットが国王だと気がついた神子は驚いていた。
「すいません!国王様のことだとは知らず、さん付けなんかで呼んでしまって…」
「この世界に尊きお方は神と神子のみ。
姫様が国王陛下のことをたとえ本人の目の前で呼び捨てにしても何ら問題ございませんよ。
他に神殿で気になるところはございますかな?
なんでもご覧になっていってください。」
すっかり普段の様子を取り戻したニコラスは穏やかに語りかけた。
神子は少しうつむいて首を横にふる。
「なんか、疲れました。ちょっと休ませてもらってもいいですか?」
お部屋に戻りましょう、とメアリが神子に声をかけた。
――疲れたなら抱き上げて連れて行こうか、なんて提案したら断られるだろうか。
アルバートの頭の中でそんな考えがかけめぐる。
神子に少しでも触れていたいという願望からエスコートするときのように神子の手をとった。
少し驚いた顔をされたが、振り払われたりはしなかったためそのまま手を引いて神殿を出た。
ニコラスと神官たちは神殿の外まで出てきて全員で跪いて神子を見送っていた。