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神子の部屋は神殿のすぐ隣の神子殿という宮殿の中にある。
抱き上げた神子を落とさないように走る廊下が今日はやけに長く感じた。
アルバートは神子の部屋につくとすぐに暖炉の前の椅子に座った。
アルバートに続いてメアリやニコラス、フレドリックも部屋に入ってきた。
神子をメアリが持ってきた毛布に包み直し抱きかかえて温める。
紫になった唇、震える身体をみてアルバートは心臓が締め付けられる思いだった。
神子は召喚された瞬間から特殊な力で老いることも、病むこともない身体になる。
神子は魔素を降らせきるか、外傷を負うかしないと死ぬことはない。
たった1ヶ月で死んでしまった前の神子の死因は自殺だった。
あのとき、首を吊った彼女を下ろしながら、解放された気分になった。
元の世界に帰りたいと毎日泣いて訴える神子と過ごす時間はアルバートにとって苦痛で思い出したくない時間だ。
もうあの泣き言に付き合わなくていいと思うほっとしている自分と、そんなことを考えている自分への罪悪感は2年たった今でもまだ消えることはない。
――次は死なせられない。
なぜだか分からないが、前の神子よりも今来たばかりの神子が愛おしくてたまらない。
この神子を失ったら自分はもう立ち直れないのではないかと、思うほどだった。
同時に自殺するほど追い詰めてしまった前の神子への罪悪感を強く感じた。
しばらくすると、神子の震えが収まり、血色もよくなってきた。
あんなに凍えていたのに、すぐにおさまったのは神子の特殊な力のおかげだろうか。
本当は召喚された理由や神子の立場を説明したかったのだが、神子はそのまま眠ってしまったようだった。
アルバートはそんな様子を見てほっと胸を撫で下ろす。
失わなかった。今はそれだけで充分だった。
「ま、魔素が…。この目で魔素が降る光景をみることが出来るなんて…。」
ニコラスが窓の外をみて涙を浮かべて言った。
その場にいた全員一斉に窓の外を見る。
外は吹雪が落ち着き、雪が少しだけ降っている。
その雪に混じって、光のような魔素がキラキラと降り注いでいた。
魔素は神子を呼び出したからといって必ず降るものではない。
少なくとも最後に魔素が降ったのはもう100年も前になる。
当時の神子が大量に降らせた魔素のお陰で今まで人類は生き長らえてこれたのだ。
その後にも何人もの神子が召喚されているが、誰1人として魔素を降らせることはなかった。
魔素は神子が幸福を感じている間のみ降ると言われている。
しかし、ほとんどの神子は前の神子のように自殺したり、宮殿から脱走して人や獣に殺されるかで死んでいた。
そうでない神子も魔素を降らせるまでは数ヶ月かかるのが普通だった。
召喚された初日に魔素を降らせるなんて前代未聞の出来事だ。
この事態にアルバートとフレドリックは驚いた表情で窓の外を見つめる。
メアリにいたってはすすり泣きながらその光景を見ていた。
きっとこの世界は大丈夫だ、と皆の心に希望が満ちた。
「アル、姫様をベッドに移動させたらどうだ。
召喚で疲れているのだろうし、そのほうが休まるだろう。
魔素も降りやすいかもしれない。」
アルバートの腕の中で眠っている神子をみたフレドリックの提案にアルバートは怪訝な顔をした。
もう抱きしめている必要がないと分かっていても離したいとは微塵も思えない。
どうしてこんなにも神子に執着してるのか自分でも理解できなかったが、とにかく一時も話したくなかった。
だが、フレドリックの提案を断る理由が見つからずしぶしぶ神子を抱き上げ立ち上がった。
「姫様、ベッドに移動しますよ。」
アルバートが甘い口調で声をかけながら衝立の奥にあるベッドにそっと神子を置いて手を離すと、寝ぼけたのか神子が服の袖を掴んでアルバートを引き止めた。
アルバートの顔が喜びを隠しきれないようにほころぶ。
「俺はどこにも行きませんよ、ちょっとまっててくださいね。」
また抱きしめてほしいのだろうと勝手に解釈したアルバートは、神子から離れると急いでジャケットを脱いで、ネクタイを外す。
ついでに大きなバックルがついたベルトも寝るのには邪魔だろうと外そうとすると、フレドリックが慌てて止めてきた。
「変な気起こしてるわけじゃないよな。お前さっきからおかしいぞ。」
アルバートが神子を襲おうとしているような言い方だ。
「添い寝するだけだ。心配なら見張っていれば?」
そう言いながらベルトを外し、ベッドから離れるようにフレドリックを押す。
「神子が添い寝してほしいか分からないだろ。
余計なことはしないほうが…」
「まぁまぁ、我々はこちらで姫様が起きるのを待ちましょう、フレドリック殿下。
メアリ、悪いがお茶でも入れてくれるかな?」
フレドリックは不服そうだったが、神官長にそう諭されてアルバートを見張るためにベッドから少し離れたところのテーブルセットに座った。
それを確認したアルバートはベッドに潜り込み、神子をそっと抱き寄せると神子が頭を擦り寄せてきた。
――ほら、姫様も望んでいたんだ。
擦り寄せてきた頭を愛おしそうに撫でる。
とにかく腕の中の存在が可愛くて仕方がなかった。
外はまだ雪が振っていて薄暗いが、時刻は昼だ。
全く眠くないアルバートは神子の抱きしめたり、撫でたり、頬ずりしたりと向こう側にいるフレドリックに咎められない程度に神子との時間を堪能することにした。
――これは、リックを部屋に入れておいて正解だったな。
フレドリックには下心がないように振る舞ったが、実際のアルバートの頭の中は理性と欲望がせめぎ合っていた。
見張られているという現状が何とか理性を勝たせてくれているようなものだ。
それでも、この時間がずっと続いてほしかった。
1時間程経ったとき神子がアルバートの腕の中でもぞもぞと動き出した。
顔を少しあげた神子の眠そうな目とアルバートの目が合った瞬間、ドンと思いっ切り突き飛ばされた。
「え?え?だ、誰??」
神子が混乱した声をあげた。
ベッドの端に移動してアルバートと出来るだけ距離を取りながら、室内を見回し必死に記憶を辿っている。
「すみません、昨日の飲み会、途中から記憶がないんです。
ここって、ラブホ?ってか、私たちやっちゃったとか…?
いや、でもこんな金髪のイケメンホスト飲み会にいなかったような…。
え?てか、何この腕、真っ白!髪も!わ、私、どうなっちゃってます??」
相当混乱しているようで、アルバートに口を挟ませることなく話し続ける。
こちらの人間には良く分からない言葉を使い、自分の容姿にまで驚いているようだ。
「姫様、落ち着いてください。やっちゃっていませんし、俺は姫様に危害を加えるつもりはありません。
ちゃんとゆっくり説明いたしますから。」
突き飛ばされたことは多少ショックだったが、とにかく神子を落ち着かせなければと話しかける。
「え?姫様って私のこと?いや、意味分かんない。
とりあえず鏡ありますか?」
神子は容姿が変わっていることを1番気にしているらしい。
まだ異世界に来たとも思ってなさそうだった。
「姫様、鏡はこちらに。」
神子が起きたことを知ったメアリが手鏡を持って現れる。
神子はメアリがいたことにもびくっと身体を震わせて驚いていたが、女性がいたことに安心したのか大人しく手鏡を受け取った。
「顔は私だ。でも、肌も目も髪も色が…。アルビノになったの?」
鏡を覗き込みながらぶつぶつとつぶやく神子。
召喚の影響で見た目が変わってしまったようだ。
「いろいろと混乱なさっていると思いますが、その格好ではお寒いでしょう。
とりあえず暖かい服に着替えませんか?
お話はその後、ゆっくりといたしましょうね。」
メアリの有無を言わせぬ言葉に神子も大人しく頷いた。
召喚されたときに着ていた袖のない薄いワンピースのままだったから、本当に寒かったのもあるだろう。
「出ていってください、殿下。」
メアリがそのまま動こうとしないアルバートを笑顔のまま睨みつけ、先ほど脱いだジャケットやベルトを押し付けるように渡してきた。
周りを見回せばニコラスとフレドリックは空気を呼んだのかすでに部屋にいなかった。
本当は神子が見える範囲にいたかったが、さすがに嫌われる気がしたため一旦部屋を出ることにした。






