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壁に打ち付けられ倒れ込む神子に全員が駆け寄る。
部屋の前にいたジェイたち使用人や近衛の騎士たちまでもが集まってきた。
「姫、大丈夫ですか!誰か医者を!」
「大丈夫、大丈夫ですから。」
どうにか立ち上がって笑う神子。
大したことなさそうな様子に全員がほっと胸を撫で下ろした。
「申し訳ございませんでした。」
神子の足元にカイエンが跪いた。エリオットもそれに続く。
――でかいおっさん2人に頭下げられても逆に怖いだろ。
アルバートの心中と同じように神子も戸惑っているようだ。
さっきリアムに食って掛かっていたのはなんだったのかと思うほど、オドオドしだす。
「あ、あの、頭をあげてください。なんともないですから。」
「お怪我がなければいいという問題ではありません。
リアムはすぐに捕らえます。
今回の戦には他の隊に行かせればいい話ですから。」
――当たり前だろ。
カイエンの言葉に心の中で毒づく。
スタンは暴言だけでも捕まった。
暴言を吐いて、暴力まで振るったリアムを捕まえないわけにはいかない。
スタンが公開処刑ならリアムも公開処刑に決まりだろう。
リアムの首を落とす役はぜひとも自分にやらせてほしいと思うほど、アルバートの頭には血が登っていた。
「だめです!リアム大隊長を現地に向かわせてください。
戦が終わったら彼の首をもらうと約束しましたから。
帰ってきても殺さず、必ず生きたまま私の前に連れてきてください。」
こちらからすれば当たり前の処遇が神子は気に入らないらしい。
アルバートは神子のやりたいことの意味がわからなかった。
首なんてものは武勲をあげるために必要なだけで、首そのものを欲しがる人間なんて見たことがない。
しかも生きたまま連れてこいということは、神子自身が首を落とすということだろうか。
今日の神子はいつもの神子とは別人のようだ。
エリオットもカイエンも驚いてはいたが、聞き返すことも反論することもなく、御意、とさらに頭を下げるだけだった。
「姫、もう帰りましょう。」
ふと、神子を見ていた視線を部屋に向けるとたくさんの騎士が集まってきている。
先程の件で気が立っているのか、信用できるか分からない人間に囲まれているようでアルバートはストレスだった。
神子に危害を加えない人間しかいない場所で休ませたい、と神子を連れて司令室を出た。
司令室のある王宮から神子殿までは庭に通した渡り廊下で繋がっている。
神子が来るまでは雪で覆われていた庭も今は新緑が芽吹き、花が咲いて美しい光景が広がっていた。
その廊下を渡っている最中に男女が言い合う声が庭の方から聞こえてきた。
――こんなところであいつら何やってるんだ。
声を聞いただけで、アルバートの脳裏に見知った顔が浮かぶ。
早く神子殿に入ってしまおうと強く神子の手を引いた。
「アル、待ってください。」
神子も声の主に気がついたのか足をとめて声を潜める。
声のする方を見ているとどんどんこちらに声が近づいてきた。
お互い鉢合わせるのは気まずいだろうと揉めている2人に気が付かれる前に見つからないように、神子と廊下の柱の影に隠れた。
「だから、なんで別れるなんて話になるんだ!」
「だから、これ以上は無理って言ってるの!」
大きな声で怒鳴り合う声の主はフレドリックとメアリだった。
2人がずっと前から付き合っていることを知っているのはアルバートと極小数の使用人だけだ。
次期国王の恋人が平民のメイドだなんて受け入れられるわけがなく、反対されないために周りには隠していた。
それを知っているだけにこんな人が通るところで別れ話なんてするな、とアルバートは呆れてしまう。
「俺たちが夫婦になるにはこれしかないんだよ。
俺ももう28だ。これ以上引き延ばせない。
神子もお前に懐いてるんだろ?あともう少しじゃないか。」
痴話喧嘩の内容が最悪だ。
アルバートがこれ以上この会話を聞かせないために神子の手を引いてその場を離れようとするが、神子は動かない。
無理やり移動することも出来るが、自分に聞かせたくない話だと分かった以上神子はこの場を離れることに納得しないだろう。
アルバートはこの後に続く話が神子を傷つけることを分かってはいたが、もうどうすることも出来なかった。
「神子を懐柔して、結婚の承認を貰えば陛下にも反対されない。
神子を後ろ盾につければ後宮での立場だって盤石だってメアリも言ってたじゃないか。」
予想以上にストレートなフレドリックの言い方にアルバートは罪悪感で神子の顔を見ることすら出来なかった。
メアリもフレドリックになにか言い返していたが、神子への罪悪感でひと言も頭には入ってこない。
ぽたぽたと大粒の雨が降り始める。
急な雨に驚いたのだろう、話していた2人も渡り廊下に向かって来る音が聞こえた。
――もう隠れられないな。
神子も鉢合わせることを理解しているのだろう。
何も言わず、柱の影から神子殿に向かって歩き出した。
「…姫様!」
神子に気がついたフレドリックが目を見開き声を上げる。
まずい話をしていた自覚もあるのだろう。
その少し後ろにいたメアリも言葉を無くして、立ち尽くす。
神子はゆっくりと覚悟を決めたように息を吐き、2人に笑顔で向き直った。
「こんにちは、フレドリック殿下、メアリ。
結婚のお話しはご自身で陛下に頼んでくださいね。
私はあなたたちの都合のいい道具じゃありませんので。」
それだけ言って、場の雰囲気に耐えられなかったのか返事を聞くことなく真っ直ぐ自分の部屋へ歩き出した。
アルバートも慌ててその後を追いかける。
言葉をなくしたのか2人が何か言ってくることはなかった。
部屋に入ると神子は自分で水差しからグラスに水を汲みぐっと飲み干した。
息を切らしながらグラスを机に叩きつける様に置く神子。
空には黒い雲がかかっていたが、雨は静かに降るだけ。
必死に天候を荒らさないよう神子が自分を保とうとしているのが分かった。
「アル、鍵かけといてください。」
神子の刺々しい雰囲気にアルバートは無言で部屋の鍵をかけた。
同時に隣の控え室に誰かが入ってきた気配がしたが、気が付かないフリをした。
「フレドリック殿下とメアリって付き合ってたんですね。
アルも知ってたんですよね?
メアリが私のメイドになった理由も。」
言いながらソファーに投げやりに座り、そのまま肘掛けに持たれた。
アルバートは神子の前に目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「…申し訳ございません、知ってました。」
いろいろな思いがアルバートの頭の中を駆け巡ったが、結局謝ることしか出来ない。
神子は大きくため息をつく。
「わざわざ言うタイミングなんてなかったですよね。
みんな魔素のために動いていただけ。
メアリもフレドリック殿下もアルも悪くないんです。」
自分自身に言い聞かせているような言い方だった。
アルバートはただ話を聞くことしか出来ない自分が不甲斐なかった。
「この間の夜会の次の日、
『私があなたの友になります。孤独にはさせません。
でも、友ですから魔素を降らせるためのご機嫌取りもしません。
叱ったりもしますから覚悟してください。』
ってメアリ言ったんです。
だから、メアリは私のこと人間として見てくれると思ってました。
聞いてしまった私も悪いけど、思惑があったならちゃんと巧妙に隠し通してほしかった。
みんなが私を利用したいだけにしか見えなくなる。」
メアリのその言葉に嘘はない、そのせいで別れ話になったのだろう、とアルバートは思った。
だがそれを自分の口から伝えたところで神子が信用するとは思えず黙って下を向く。
「にしても、今日は感情が忙しすぎます。
でかい男に投げ飛ばされるし、人に結婚の道具にされそうになるし、抑えるのが大変です。
私に天候を荒らすなって言うなら嫌なことは1日1回って決めてほしいですよ。」
何がおかしいのかくすくすと笑い出す神子。
その顔は笑っているのに悲しげな不思議な表情だった。
本当は泣き喚きたいのをぐっと抑えて、天候を保ってくれているのだろう。
外もほんの少しの雨が降っているだけだった。
そんな神子を見てアルバートは胸が締め付けられる。
「アルは私に何かお願いとかあります?
この際だから正直に話してほしいです。」
笑顔のまま、アルバートと目を合わせる神子。
その言葉からこれ以上傷つきたくないという思いが見え隠れしていた。
「ありません。隠していることもありません。
…ただあなたを愛しています。
要望があるとすれば、あなたに愛されたい。」
ただ、真っ直ぐに神子の目を見つめて愛を伝えるアルバート。
この場限りの慰めの言葉より、この世界にもちゃんと神子の味方がいることをアルバートは知ってほしかった。
神子は目線を反らし、大きく息をついた。
「アル、ごめんなさい。
従者の病、まだ治してあげられない、治したくない。
もうちょっとだけだから、その優しさに漬け込ませてください。」




