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我が家にお手伝いさんがやってきた

1959年(昭和34年)4月10日『皇太子明仁親王(現:上皇陛下)と正田美智子さま(現:上皇后陛下)の結婚の儀』が執り行われた。

今から60年以上も前のこと。はがきが5円のころ、切手は幾らしたのか記憶にない。


お母さんへ

 これが私が東京から差し出すお母さんへの記念すべき第一報です。高崎駅まで見送りに来てくれてありがとう。雄介と耕太郎も来てくれてありがとう。

 上野駅に着くと、「歓迎 相場美千代様 中西印刷」と言う温泉場のような幟を持って立っている男の人がいたので、迷うことなくその幟の下へ行きました。

「どうだい、疲れていないかい。私は中西印刷工場の社長の中西です。よろしくお願いしますね」

 と言うので、

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 その人は作業着姿でしたが、社長さんでした。

社長さんが運転する小型トラックに乗って品川の印刷工場へ向かいました。途中には大きなビルや百貨店もありました。そこには間もなく結婚される皇太子さまと美智子様の写真が飾られ華やかでした。

 それに比べて、私が働く工場は平屋建てのバラックのような感じで、いささか華やかさに欠けていました。それでもここで働けばお給料を頂けることを思えば文句は言えません。

 工場に着くと、さっそく先輩の女性工員に案内されて、裏の寮に案内されました。8畳間の3人部屋で、その先輩と同室でした。

「私はあなたの1年先輩で田中美智子と言います。よろしくね」

「えっ、美智子様と同じ名前ですね」

「そうよ、今はミッチーブーム、私の名前の天下と言ったところかな、と言ってもご令嬢と印刷工場の娘では、えらい違いだけどね」

 と言って笑っていました。その美智子さんは、私と同じように山形から昨年集団就職で上京したそうです。

「お休みは毎週日曜日、あとは8時から5時まで働きづめだけど、まあ、文句は言えないよね。来月10日は皇太子さまと美智子様の結婚式、その日は臨時休業で工員一緒にテレビで見るんだって、楽しみだね。お酒やお菓子が出るんだって」

と言うことで、楽しみにしています。

3月20日

  美千代より


美千代へ

 元気にやっていますか。私も雄介、耕太郎ともに元気です。美千代が集団就職で東京へ行ってから半年が経ちましたね。先日は恒例の中学校の秋の大運動会が開かれました。

 雄介も耕太郎もこれが中学校最後の運動会でした。雄介と耕太郎は双子ながら紅組と白組に分かれて競い合っていました。

 私も父母の借り物競争に駆り出されて、テントに座わっている校長先生からハンカチを借りて走りました。ビリだったけどね。あとで校長先生に返しに行くと、借り物競争用に準備したものですからお母さんに差し上げます、とおっしゃったので、記念として有難く頂きました。そのハンカチは、仏壇のお父さんの写真の横にかけてあります。

 そう言えば、亡くなったお父さんは校長先生の昔の教え子だったんですよね。思いだしました。校長先生は、「御主人、幸男君の遺骨はまだ帰りませんか」とおっしゃるので、まだです、と答えました。「それは残念ですがいつまでも我々を見守ってくれていますよ」とおっしゃっていました。

 お父さんは、いつでもどこでも私達を見守ってくれているからね。安心してください。お父さんが出征したときは、美千代は1歳になったばかり、雄介たちを身籠っていたとき、さぞかし後ろ髪を引かれる思いだったでしょう。

 雄介たちは二人とも来年から、高校へは行かずに美千代と同じように集団就職をするんだ、と言っています。美千代には申し訳ないが、雄介たちは男の子なので夜間高校に通いながらも地元で働けないかと思っていましたが、「姉ちゃんが中学出て働いているのに、僕たちだけ高校へ行くわけにはいかないよ。稼いで母ちゃんを楽にしてあげるよ」 と言うのです。嬉しいような悲しいような。

 ところで印刷工場はどうですか。美千代の手紙では、社長さんも奥様も優しい方で、同僚の皆さんもいい人ばかりとは、ちょっと出来過ぎで私を心配させまいとする美千代の優しいところですね。

 本当は美千代には高校へ行かせてやりたかったけど、今の私の洋裁の稼ぎでは無理なことを承知して集団就職に希望したのでしょう。それから、毎月の仕送りありがとう、だけど来年からは無理しないでいいよ。雄介、耕太郎も働くことになったからね。

 最後に大切なことを書きます。この前、大宮のおばさんが久しぶりに遊びに来てね。美千代ちゃんはどう、って言うから、今は品川の印刷工場で働いていますよ、って言ったら、私の知り合いがお手伝いさんを探しているんだけど、美千代ちゃんは掃除洗濯料理、なんでもできるし、気心もいいし、どうかなと思ってね、と言うんだよ。どうだろうか。大森近くのお宅で住み込みでお願いしたいと言うのよ。ちょっと考えてみてください。お母さんとしては、工員さんよりも女中さんの方が美千代には合っているとは思うんだけどね。

  10月10日

           母より


お母さんへ

 別にお母さんに心配をかけまいとしてではなく、社長も先輩方もいい人ばかりですから本当にご心配なく。仕事にも慣れてきました。休みの日には、先輩方に映画を見に連れて行ってもらうこともあります。

 この前は、石原裕次郎と北原三枝と芦川いづみの「陽のあたる坂道」を見に行きました。階段を昇って芝生の庭を通って玄関まで行く、あんなお屋敷で生活したいなと思ったところです。あんなお屋敷にお手伝いさんでもいいから住んでみたいな、と思ったのは私一人ではなかったでしょう。

 今の印刷工場も悪いところではないと思いますが、寮は3人部屋で、休日ものんびりとは行かないところです。私としては、先輩方と映画やデパートに行くのもいいのですが、本当は、たまの休日は、ひとりで本を読んだりラジオを聞いたりしてのんびり過ごしたい、と思うのが本音です。

 お手伝いさんなら、たぶん一人部屋でのんびりと自分らしく過ごせるのではないかな、と思います。これも甘い考えかもしれませんが。お母さん、この話を進めてもらってもいいですか。秋はあっという間に過ぎ去ってしまいそうです。

 10月15日

        美千代


美千代へ

 美千代がその気ならと思って、早速、大宮のおばさんに連絡しました。近い内に、おばさんが美千代へ手紙を書くそうです。おばさんの話では、そのお宅は大森駅から近いところで、小説家の御主人と小学生の息子さんの二人暮らしということです。住み込みで女中部屋もあるし、いい話みたいです。でも気にかかるのは、御主人が小説家ということです。小説家は変な人が多いいから、その辺がちょっと心配です。

 10月20日

       母より


 美千代さん、お元気で働いていらっしゃるとのこと、安心しております。

 お母さまからお手伝いさんの話は聞いていると思いますが、先方に連絡したところ、一度我が家へ来て見てほしい、とのことでした。要するに採用面接ですね。あなたのお母さんが心配していましたが、そこの主人は決して変わり者ではありませんから心配ご無用です。ちょっと変わっていなくもないかな、と思う程度ですからご心配なく。

 私の遠縁にあたる方の息子さんで、ご両親は戦災で亡くなられたそうですが、商事会社の社長だったお父様が建てたお屋敷だけは戦災からまぬがれ、今はそこに小学生の息子さんとの2人暮らしだそうです。奥様は息子さんを生むと産後の肥立ちが悪くて亡くなったそうです。ちかく戦前からいた婆やが辞めて田舎に帰るとのことで後釜を探していたところだそうです。

 住所番地は大田区馬込東1丁目・・・、大森駅西口から荏原町行のバスに乗って臼田坂下で下車、バス通りをバスが走って行く方向に5分ほど歩くと、右側に公衆電話ボックスがあるので、そこを右に曲がり坂道を上って行くと、右側に見えるお屋敷だそうです。もし迷ったら、公衆電話から電話してください、とのことでした。

10月30日

     大宮のおせっかいなおばさんより



 気づいてみれば秋はいつの間にか終わったらしく、群馬生まれの美千代には懐かしい赤城おろしのようなからっ風が、ここ東京の町にも吹き始め、最後の落ち葉をあちこちに吹き散らしていました。

 時は昼下がり。小学生の低学年の子供たちがランドセルをガチャガチャと言わせながら下校を始めたところです。じゃんけんをしながら、グリコ、チョコレート、パイナップルと言いながら、口に合わせて歩を進めています。

明るく晴れた空の向こう遠くに見える風呂屋の煙突からは早くも煙が出ています。その煙は青く晴れた空へ竜のように力強く登り、この町の公園や原っぱや瓦屋根に我が物顔にくねった影を映しています。

 下町と山の手のどちらとも言えない宙ぶらりんな所にあるこの町は、ひとつ坂を上れば豪華な洋館や有名な文豪のうら寂しい邸宅、ひとつ坂を下れば昔ながらの蠅取り紙をぶら下げた魚屋や店の前には子供たちが集まる駄菓子屋もあるといったところです。

「もはや戦後ではない」と言う言葉が流行していますが、ひょっと目を凝らせば防空壕の名残も見え、数は少なくなってきましたが駅前に行けばアコーデオンを弾く傷痍軍人の姿もあります。その脇には、石原裕次郎のカラー刷りの映画ポスターがなびいています。この町に限らず、今の日本は戦中と戦後が共存しているような雰囲気がありました。どこがという訳でありませんが、美千代はそんなことを考えながら坂道を歩いていました。

 美千代は群馬の片田舎で敗戦前の昭和18年に生まれました。父は南方で戦死したとのことですが、遺骨は帰ってこないし、本当に戦死したかどうかさえ定かではありません。そんな父のことを思えば、もはや戦後ではない、どころか今は戦中がそのまま続いているんじゃないだろうか、とは美千代が時々思うことです。


 美千代は貸本屋から石坂洋二郎などの本を借りてよく読む文学少女を気取ることもあれば、映画雑誌を読み散らす映画好きの女性を気取ることもあります。同時に工場の食堂にある新聞も小まめに読んでいました。美千代は、とにかく活字を読むことが好きなのです。

 新聞によれば今は政治の季節だそうです。あちこちの工場で工員が赤ハチマキをしてストライキが盛んでしたが、中西印刷工場では何人かの男性社員が食堂で安保反対の話をするくらいで、ほとんどの工員は政治とは無縁でした。


 坂道を上って来る女性、と言うか少女の姿を2階の窓から見ている少年がいました。メモを見ながら坂道を上って来る少女は、落ち葉と一緒に風に吹かれるようにのんびりと、それでいて力強く歩いているようにも見えました。

 序に言えば、その服装も枯れ葉色に見えました。もっと明るい色にすればいのにと思いましたが、それとも単に田舎者なのだろうか、とは泰輔の思いでした。

 その泰輔は、昨日も明日もない今日だけが何の不安もなく静かに息づき、悩むことも心配することもなく、もちろん世間のことなど知らずに、我が家の前の一本道がどこまでも静かに続いていると信じていた9歳の少年でした。泰輔からみれば、その少女は立派な女性でした。

 泰輔は、萬城目泰輔と言う自分の名前にいつも不満でした。聞いてみればいい響きでしたが、いざこれを書こうとすると字画がやたら多くて、書くのに他の人の2倍はかかりました。今日は、熱が少しあるからということで学校は休んでいました。泰輔は生まれながらに心臓病で入退院を繰り返している子供でした。

 幼稚園にも行かずじまいでした。それでも小学校は行かないわけにはいかないだろうということで、入院の隙間を見つけるように通学を始めましたが、幼稚園の経験もない少年は集団生活に馴染めずに、病弱を水戸黄門様のご印籠の代わりにして、行ったり行かなかったりが続いていました。それでも小学校生活もなんとか3年が過ぎようとしていました。


 萬城目家の日課は、朝6時起床、6時半から庭で父と息子でNHKのラジオ体操、これは病弱な息子を思って父が始めたものです。それが済むとTBSラジオ「歌のない歌謡曲」を聞きながら婆やを含めて3人で朝食。泰輔は8時頃学校へ出発。9時きっかりに父、雄一は小説家としての勤務時間が始まります。

 雄一は小説家としては珍しく、サラリーマンのように勤務時間を9時から5時までとしっかり決めていました。夕方は5時半から親子で近くを散歩。これも病弱な息子を思ってのこと。

 6時から風呂に入り7時から夕食。父はビール1本は必ず飲む。あとはウイスキーや日本酒、父の口癖は、どんなに貧乏になっても酒だけは飲みたい。どんなに病気になろうとも酒無くして何が人生だ、とよく言います。そう言えば、昨夜の夕食の時、

「明日はお手伝いさんが顔見せに来る日だから、頼むね」

と言っていましたから、この女性はもしかして我が家のお手伝いさんになる人なのかな、と泰輔が思っていると、その女性は我が家の前で立ち止まり表札を確認すると同時に2階から首を出している泰輔に気づきました。

「こんにちは、お手伝いの面接で来ました。相場美千代と言います」

 見上げた顔を見ると、女優の芦川いづみに似ているなと泰輔は思いました。先日、父と婆やと3人で見た映画が「陽のあたる坂道」、それに出ていたのが女優の芦川いづみでした。帰って来てから婆やが、「あの女優の芦川いづみと言う人は亡くなられた奥様に似ていますね、奥様には気品と言うものがありましたからね、あの女優さんも美人と言うよりも気品がありますね」と話していたのを思いだしました。父は「そうかな」と言ったが、まんざらでもなさそうでした。

 母は泰輔を出産すると産後の肥立ちが悪かったのか1年後に病死したから、泰輔は母の顔は写真で見るばかりでしたが、そう言えば何となく似ている。

「ちょっと待ってください」

 泰輔は、物干し場でシーツを干していた婆やに知らせに行く。

「新しいお手伝いさんが来たよ」

 婆やはシーツを両手でパンパンと叩くと、かっぽうぎで手を拭きながら玄関に降りてきました。女性は婆やにも同じように挨拶をすると、婆やは女性を応接間に案内して、隣の書斎に声をかけました。

「旦那様、新しいお手伝いさんが見えましたよ」

 婆やが紅茶をもって応接間に入りました。廊下で聞き耳を立てていた泰輔は、出て来た婆やに「どんな人」と聞くと、

「にこやかに旦那様と話していますよ。第一印象は、よさそうな娘さんだね」

 泰輔は、メモを書いて、

「お父さんにこれを渡してくれない」

 と婆やに頼んだ。

「なんですかこれは、中へ入って一緒にお話しされたらいいじゃないですか」

「大人の話に子供が割り込んじゃまずいでしょう、頼むよ」

「そうですか、わかりました、何んのメモか存じ上げませんが」

 父はメモを見て笑った。

「息子があなたは芦川いづみに似ていると言うんだ。あなたは芦川いづみを知っていますか」

「はい、日活の女優さんですね。私が芦川いずみ、そんなこと、今までに一度も言われたことありません」

「悪いけど、美千代さん、そこの窓のカーテンの前に立ってくれない」

 窓の向こうには、こじんまりとした庭園がありました。小さいながらも池もありました。噴水まである。美千代はそんな陽のあたる庭を見ると、ワクワクしてきました。

「ちょっと悪いね、庭の方を向いたままで顔だけこっちを見てくれる、女優さんが良くやるように」

 美千代は、ここのご主人は、母が言うようにちょっと変わり者なのだろうか、と思いながらも、そのポーズを取りました。

 父は、煙草をペンの代わりにして、画家がよくやるようにペン代わりの煙草を立てて片目で美千代を見て、

「美千代さん、確かに芦川いづみに似ているな。お手伝いさん面接合格です。いつから来てくれます」


ドア越に聞き耳をたてていた泰輔と婆やは、小さく拍手をした。婆やが、

「坊ちゃま、何てメモに書いたんですか」

「この前映画で見た芦川いづみに似ているね。と言うことは、亡くなったお母さまに似ていると言うこと、僕は嬉しいです、と書いたんだ」


お母さんへ

 先日、お手伝いさん募集のお宅へ行ってきました。大宮のおばさんの言う通り、大森駅からバスに乗りました。すぐに車掌さんに、

「このバスは白田坂下に行きますか」

 と尋ねると、私よりも2つか3つ上らしい車掌さんは、

臼田(うすた)坂下ですね、そこなら行きますよ」

 おばさんの字が達筆だったので、白と臼を見間違えていたのです。車掌さんは、

「間違えるのはあなた一人じゃありませんから大丈夫ですよ」

 と言って笑っていました。どことなく訛っていたので、この車掌さんも私と同じような集団就職組なのかもしれません。バスは駅前の商店街を通り、間もなく坂に差し掛かろうとすると、

「次は、白田坂下ではなくて、臼田(うすた)坂下です、お降りの方、ハイ・・・次、願いまーす」

と案内すると、私にウインクしました。面白い車掌さんもいるものです。おばさんの手紙の通りに、右側に公衆電話ボックスがありました。そこを右に曲がり坂を上って行きました。

 2階の窓から顔を出して私を見ている男の子がいました。表札を見れば「萬城目」とありました。「陽のあたる坂道」に出ていたほどの大きなお屋敷ではありませんでしたが、門扉を開けて4,5段の階段を上ってから玄関がある立派なお屋敷でした。

 すぐに婆やさんが玄関が開けてくれました。玄関に入るとうす暗い中にも、品がある空気が漂っていました。応接間に案内されると婆やさんが紅茶を持ってきてくれました。飲もうかどうしようかと思っていると、すぐにご主人様が入って来ました。

 普通の勤め人のような感じで、小説家のだらけたスタイルではないことに安心しました。しばらく今の工場のことや、休みは何をしているのなどと聞かれて話していました。すると、婆やさんが入ってきてご主人様に何かメモを渡しました。

 ご主人様はそのメモを見て、次に私をまじまじと見て、窓のカーテンのところに立ってくれますか、とおっしゃるのです。なんだろう、身体検査でもないだろうにと思いながらも、素直に立ちました。すると、ご主人様は

「まさに深窓の令嬢だな、芦川いづみに似ている」

 と言って笑っていました。坊ちゃんは、小学生3年生だそうでこのお宅が好きになりそうです。

 11月10日

      美千代より


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