三
次の日の夜、僕は同じ時間帯に公園へ足を運んだ。
夏の夜風が僕の脇を通り抜ける。
身体がふわふわとして、なんとなく夢の中にいるような不思議な感覚だった。
公園には、もう人が集まっていた。
老人が、ベンチに置かれているラジオをいじると、聞き慣れた音楽が流れた。
曲に合わせて身体を動かしながら、改めて周りを見回してみる。
昨日の少年もいた。一生懸命身体を動かしている。
そのままぐるりと公園の入り口の方に目をやり、僕はそこで思わず動きを止めてしまった。
奈々美がいた。
公園の入り口で立ち尽くすようにして、奈々美がこちらをじっと見ている。
その顔が、まるで見てはいけないものを見てしまったような、驚愕と恐怖の混ざったような表情だったので、僕は思わず目を逸らした。
(確かに真夜中にラジオ体操してるなんておかしいけど、何もあんな顔で見なくたって)
もう一度、入り口の方に目をやると、奈々美の姿は消えていた。
僕はため息をついて、体操に集中する事にした。
ラジオ体操が終わり、スタンプの列に並んでいると、昨日の少年が声をかけてきた。
「俺、全部貯まったからさ。今日で終わり。じゃあね」
「ああ、じゃあ……」
元気で、と言うのも変な気がして、そのまま手を振った。
白い髭の老人に、スタンプカードを渡しながら、僕は「これって貯まるとどうなるんですか?」
と聞いてみた。
老人は、「決まってるだろ」と軽い口調で返す。
「成仏できるんだよ」
不思議と、僕はその言葉をすんなりと受け入れていれた。
「……じゃあやっぱり、みなさんは幽霊なんですね」
老人は、肩をすくめて「自覚がない奴もいるけどな」と言った。
「未練を残して死んだ奴らがな、ここに集まってくるんだ」
老人はラジオを置いたベンチに腰掛けた。
「突然、日常を断たれてしまって、やりきれない気持ちを抱えたまま彷徨っている奴ら……そいつらが、どうしたら成仏出来るかなって考えてな。それでラジオ体操を思いついたんだよ」
「え? じゃあ、このラジオ体操、あなたが始めたんですか?」
僕は驚いていると、老人は頭をボリボリとかいて言った。
「未練を解消するためには、何が必要だと思う?」
老人の質問に、僕は答えられなかった。
彼はお構いなしに言葉を続ける。
「達成感だよ」
白い髭をさすりながら、老人は僕をじっと見つめた。
「何かをやり遂げた。毎日続けた。そういう達成感を与えてやるんだ。日にちをかけて、ゆっくり死んだ事に慣らしてやる。そうやって成仏を促すんだ」
「あなたは、なんでそんな事を……」
僕の質問に、老人は「まあ、色々あってな」と答えた。
僕は思わず抱いていた疑問を口にする。
「あなたは幽霊じゃないんですか?」
「どうだろうな」
ラジオをポンポンと叩いて、彼は立ち上がった。
「自覚がないだけで、俺もあいつらの仲間かもなぁ」
なんとなく、寂しげな口調だった。
次の日も、またその次の日も、それからずっと僕は深夜のラジオ体操に通った。
少年はあれ以来姿を見せなかった。
そのかわり新顔の青年が現れるようになった。
コンビニの前の交差点で起こった事故に巻き込まれてしまったらしい。
「しばらくは病院で生死を彷徨ってたんですけどね、ダメでした」
そう言って、少し悲しそうに笑った。
その事故の事なら僕はよく知っていた。
先月起こった事故だ。意識不明の人もいると聞いていたが、彼の事だったのか。
僕は、沸き起こる感情を抑えるのに必死で、彼になんと声をかけていいかわからなかった。
ラジオ体操の帰り、コンビニに寄ってみた。
また誰もいないんじゃないかとヒヤヒヤしたが、予想に反して、今日は店員が二人いた。
「店長、キムラの奴クビになったって本当っすか」
「そうだよ。本当参っちゃったよ」
僕の存在など気がついてないかのように、二人はそこそこ大きな声で会話をしている。
「キムラ君さ、幽霊が見えるとか言って、夜中にバックヤードこもりっきりだったみたいでさ。困るよねぇ」
「幽霊っすか」
「そう。毎日幽霊が、買い物しに来るんだって。同じ時間に。それが怖いんだってさ」
「キムラさん、見える系の人だったんすか」
「知らないよぉ。そんな事言われてもさ。深夜に店員がいないってクレームも来ちゃったんだから」
「えぇ。俺も幽霊とか苦手なんすけど」
「得意な人なんていないでしょ」
なんとなく居づらくなって、僕はコンビニを後にした。
頭が痛く、身体がフラフラした。
早く帰ろう。それしか考えられなかった。
次の日の夜、ラジオ体操が終わり、いつものように列の最後尾に並んだ。
スタンプカードも残すところ、あと一枠だ。
なんとなく、周りの人たちとも顔見知りになれた。
日常を失ったもの同士、連帯感のようなものが生まれているのを感じた。
昼間の僕は、ふわふわと浮遊しているようで、最近は何をしても記憶に残らない。
誰にも見えず、誰にも聞こえない。
そんな毎日を過ごしていた。
この夜の時間だけが、誰かと繋がっていられる、そんな気がした。
まるで思春期に聴いていたラジオのようだ。
昼間の学校に疲弊し、夜中に聴くラジオに縋っていた毎日。
どこかで誰かが自分と同じラジオを聴いている。
見えないけど隣にいるような繋がりは、幽霊同士の連帯感に似ている。
スタンプの順番が回ってきた。
白髭の老人にカードを差し出した、その瞬間、思いがけない声がした。
「ちょっと、それ私のなんだけど」
奈々美の声だった。
振り向くと、僕を睨みつけるようにして、奈々美が立っている。
久しぶりに彼女の声を聞いたというのに、奈々美の怒っている様子に僕は思わず動揺してしまった。
「あ……え、奈々美。ごめん。あ、帽子の事? それともシャツ? これ奈々美のだっけ?」
奈々美はグイッと僕に近づき、手に持っていたスタンプカードを取り上げた。
そしてもう一度言った。
「これ私のなんだけど」