二
夜のラジオ体操だ。
昼間、柳瀬が話していた都市伝説だ。
本当だったのか。
という事は、あそこで体操をしているのは、この世ならざる者たち……なのだろうか。
僕はフラフラと惹かれるように近づいて行った。
——いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち。
集まっている人達は、僕には目もくれず皆一心に身体を動かしている。
十人ぐらいだろうか。
半分は老人だが、若者や子どもまでいた。
軽快な音楽に合わせて、体操する彼らの姿は、とても幽霊のようには思えない。
しばらく考えて、その理由に思い当たった。
(表情、だな)
皆、一生懸命なのだ。
幽霊が集まってラジオ体操をしている……そんな話を聞いた時、なんとなく無表情な亡霊が、ゆらゆらと不気味に揺れているような想像をしていた。
それが、目の前の集団は、真剣な表情で機敏とまでは行かないまでも懸命に身体を動かしている。
なんだか自分も一緒にやらないといけないような、でないと申し訳ないような気持ちになって来た。
集団の一番後ろに付くと、僕は恐る恐る、腕を動かした。
——足を横に出して、胸の運動。
ラジオ体操など何年ぶりだろうか。
こんな夜中に幽霊に囲まれて、音楽に合わせて身体を動かすなんて。
そもそも、幽霊が集まって、夜中にラジオ体操をするなんて随分と滑稽な話だ。
僕はだんだんと愉快な気持ちになってきた。
より大きく、より真剣に身体を動かした。
音楽が終わり「今日も一日、どうぞお元気にお過ごし下さい」というナレーションがかかった頃、僕は軽く息が上がっていた。
普段の運動不足がたたったのだろう。
ふと顔を上げると、参加者は皆、ラジオの置かれたベンチ前で列を作り始めている。
のそのそと近づいて、前の方を覗き込んでみた。
何のことはない。
スタンプカードだ。
列に並んでいる人たちは皆、小さな二つ折りのカードを持ち、それにスタンプを押してもらっているのだ。
参加すると押してもらえるシステムなんだろう。
僕は、列の一番後ろに並んでいた男の子に声をかけてみた。
「君、毎日来てるの?」
彼は、くるりと振り返り、得意げにスタンプカードを見せてきた。
「そうだよ。もうすぐ俺、全部貯まるんだ」
貯まって何になるのか聞きたかったが、やめておいた。
スタンプを押しているのは、白い髭を綺麗に整えた老人だった。手際よくスタンプを押していくので、あっという間に少年の番まで回ってきた。
「やったー! あと一つだ!」
喜ぶ彼をぼんやり眺めていると、老人から声をかけられた。
「ほい、あんたの番。カードはどうした?」
「え? あ、僕カード持っていなくて……」
「持っていない? そんなわけはない。ちゃんと探しなさい」
そんな事言われてもないものはない。
僕が困っていると、老人は「カバンの中もちゃんと見たのか」とぼくの持っていたエコバッグをぐいと引っ張った。
コンビニで何か買うつもりで持ってきた帆布のバッグだ。結局何も買えなかったので、中には何も入ってない。だらりと僕の肩にぶら下がっている。
「いやいや、中には何もありませんよ。ほら——」
——あった。
「あるじゃないか。ほら、見せなさい」
画用紙で作ったような真新しい二つ折のスタンプカード。
それが、バッグの中にいつの間にか入っていた。
開くと、スタンプを押せるようにマス目が書き込まれているが、まだ一つも押されていない。
僕は首を傾げながら老人にカードを渡した。持っていたバインダーを下敷き代わりにして、老人は赤いスタンプをポン、と押してくれた。
僕はしげしげとカードを眺めた。
こんなものいつの間にバッグに入っていたのだろう。
「じゃ、また明日」
老人に声をかけられ、僕は慌てて顔を上げた。
しかし、そこには誰もいなかった。
スタンプを押してくれた老人も、自慢げにカードを見せてきた少年も、誰一人としていなかった。
都市伝説の通り、ラジオ体操が終わると、人々は皆姿を消してしまったのだ。