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冒頭  独白

    

 ペンを持つ、引き出しを開く、ご飯を食べる、本を読む、勉強をする、電車に乗る、お金を稼ぐ、ゲームを買う…

————これらの行動には目的があり、意味がある。

 人間というのは、行動に意味を求める生き物だ。

 自分がしたいから、得をするから、あるいはただ楽しいから、といった理由が、人間が自分の意志で行う行動には付随する。


 人間は、意味のない行動をしたがらない生き物だとも言える。


 ところで、人間は皆生きている。

 自分の意志で死ぬことができる以上、自分の意志で生きることを選んでいると言えるだろう。

 この「生きる」という行動には、何か意味があるだろうか。

 全員に共通する生きる目的というものが、地球には無い。

 皆で力を合わせて戦わなければいけないような敵はおらず、人間の敵は結局の所人間以外にはいなかった。

 科学技術の発展に皆が寄与する必要は無く、皆に守るべき人がいるわけでも無い。

 長生きしようが早死にしようが、身の回りの人間の感情に影響を及ぼす程度で、何か大きな意味があるわけでは無いのだ。


 人間が生きるのは、幸福を求めるからだという人もいる。

 確かに、生きていれば良いことはあるだろう。

 しかし同様に悪いこともある。生きる理由が幸福なら、不幸は死ぬ理由になる。

 幸福を求めて生きるのであれば、この先不幸が幸福を上回る人も確実にいるだろうに、皆が生きることを選ぶのはおかしいだろう。

 もし仮に誰かが、残りの人生の1割が幸福であり、残りの9割が不幸であることが確定していると知ったとして、その人はそのわずかな幸福のために生き続けることを選ぶだろうか。

 いやあ、そこまでの価値は幸福には無いだろう。

 幸福が生きる理由であるのなら、その場で死ぬべきだ。

 無論、この先の不幸が幸福を上回るという確証を得ることは出来ないが、これまでの経験に基づいて予想することくらいはできるだろう。

 皆が幸福を求めて生きているのであれば、不幸な未来を予想し、死を選ぶ人間が少なすぎるのではなかろうか。

 少なくとも、全人類に共通する生きる目的が幸福であるということはないだろう。


 こんなふうに長々と連ねることで、ようやっと

 「人間が確かな生きる意味というものを持たずに生きていることは不自然だ」ということを言えたであろう。


 しかし、たった一つ、とある仮定をするだけで、この問題は解決できる。


 

 その仮定は、『神が存在する』ということ。

 

 ここでの神とは、

 「人類の『生きる』という行動によって得をする、人類の生存に意味を持たせてくれる存在」

 のことだ。

 あまりに都合のいい存在であり、それを神と言っていいのかという話ではあるが、もとより神とは、

 「不幸な境遇は神の意志によってもたらされるものだからそれは喜ぶべきことなのだ」

 という考えから生まれたものである。

 何もおかしくはないだろう。

 

 とにかく人間よりも高次な存在があって、人間の全ての行動はその存在の意志によって発生している、とでも考えてしまえば、何をしたって良いという考えに至る。

 流石に好き勝手にされては困るので、

 「神は他人を思いやるような行動を好む」

 といった特性を神に付与し、人民の統制をおこなってきたという歴史がある。


 そも、先の議論は「人間には」人間に共通する生きる意味が見つけられないことに起因しており、人間に認識できない存在がいるとしてしまえば、それこそ何の意味も持たないものとなる。

 そして認識不可であるため神の存在を証明することはできないが、同様に神の非存在を証明することもできないのだ。

 



———さて、なぜ僕はこんなことを考えているのだろうか?

 ちなみに僕は、これまでの人生経験に基づいて、普通に生きているだけでは不幸が幸福を上回ると考えて、目一杯の幸せを感じた直後に自分の意志で死ぬことを選んだ。

 それが一番いい気がしたんだ。後悔がないわけじゃないし、死んだ後に後悔する時間があることを知ってたらもっと色々と後腐れのないようにしてから死んださ。まあ仕方ない。


 そう、僕は死んだはずなんだ。なのにこんなふうに考えることができてる。まるで異世界転生ものみたいじゃないか。まあ、僕も今からその系列に仲間入りすることになるんだけれども。実はさっき、神様に会ってさ、君が元いた世界とは違う世界に神を生まれ変わらせるって言われたんだよね。ほんとにあるんだ。こういうの。


———そう、神に会ったんだよ。びっくりだよね。うまく言えないんだけど、あれは確かに僕が知るところの神だった。生きている限り認識できないって点でも一致してる。だから、この後僕が行く世界には、神がいるってことになる。普通は証明できないんだけど、直接この目で見て確信したから、間違いないんだよ。それで、神様がいるってことは、その世界で生きることに意味があって、僕がその世界に行くことにも意味があるってことになる。


 生きる意味を探したけど、見つけられなくって死んだ僕に、神様が「生きる意味は存在する」ってことを教えてくれたんだよね。じゃあ、今度こそ見つけるしかないでしょう。

 ただ、よくある話では、前世の記憶を次の世界に引き継げるってことが多いんだけど、僕がそうなるとは限らないんだよね。だってあれは神様だから、僕の記憶を消すことなんて容易いんだよ。ひょっとしたら、元の世界で死んだ人間はみんなこんな感じで別の世界に飛ばされて、元の世界にいた人間も記憶を消されて生まれ変わった別の世界の生き物なのかも。 


 今の僕は、どこにいるのかも、実体があるのかも、時間が経っているのかも分からないんだけど、とりあえずこれくらいのことを考えることはできてる。これは誰に向けてのものでもない、ただの独白。地球にいた僕としての、最後の思考。

 

 お父さん、お母さん、兄貴、その他親戚や友達へ。なるべく迷惑のかからないような死に方をしたし、あんまり悲しませても申し訳ないから僕のことを大好きにならないように振る舞ってたけど、僕はみんなのこと、結構好きだったぜ。割と死んだ後に色々考えれるから、身構えといたほうがいいかもね。後悔も、なるべくないようにするのがいいと思う。

 


 多分、そろそろこの思考も終わりだ。

 じゃあ、次の世界で、僕が神様と出会って、こんなことを考えていた記憶を持っていることを願って。




 神がいて、そのことを『僕』が知っている世界へ

 ——いざ行かん。

 




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