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真っ赤なビキニに着替えたら

作者: 三島 修二
















  「真っ赤なビキニに着替えたら」


            作・三島 修二

















 レンブラントの光と影とか言う展覧会に連れて行かれたが、光と影というのだから、どこかの国の画家の人生の浮き沈みを展示しているのかと思ったら、同じ様な絵が並べられた部屋が続くだけで、面白いとは思わなかった。これなら僕が今日体験した事の方が、よっぽど光と影に満ち溢れている。

朝からそうだ。彼女(だった子)に告白されて最初のデート。今まで女子と付き合った事も無く、初めて告白されて悪い気はしないなと思ってから次の週、体育祭の振替休日の月曜日。自転車通勤の僕にとって、朝のラッシュは過酷だった。何度となく倒れそうになり、その度彼女(だった子)に支えて貰った。

彼女(だった子)は光と影を、光の反対側には影が出来るからそれが言いたいんじゃないのと言うけど、当たり前過ぎて、それが美術部員の言うセリフかと逆の意味で感心した。

美術館の近くの公園で、彼女(だった子)の作った弁当を食べた。手作りに当然期待していたが、ササミフライ、ササミとキュウリのマヨネーズあえ、ササミオムレツ、ササミチーズ。そう言えば、彼女(だった子)の友人が名前を日向あさみとは呼ばず「ひゅうがささみ」と言っていたのを、それから思い出した。

冷蔵庫の有りものでという言い訳で謝られたけど、そんな所には腹が立ってはいない。自分だけのササミ料理とプロテインを飲み、この弁当を一緒に食べる事が無かった事が、デート初日で別れた一因には違いない。そうして、僕の初恋は終わった。

詳しくはもう憶えていないが、些細な事で簡単な議題に当たった口喧嘩になった。人はみんな簡単に出来やしない事を平気で言う。どうしてそんなに簡単にウソがつけるのか、全くもって理解出来ない。

僕自身もなぜあんな事を言ったのか、今となっては憶えていない。「ささみ」のやっているボディービルを悪く言ってしまったのは憶えている。苦し紛れか何か知らないが、高校でボディービル部を作ると明言されたのも憶えている。

ただ、どうやらささみは本気でボディービル部を作るようで、所属している美術部の顧問に相談した様だ。ある日の職員会議で議題に挙がった。


教頭「他に何かありませんか?」

美術部顧問「ちょっといいですか。私の部の生徒なのですが、新たにクラブを立ち上げたいと言う生徒がいまして。」

教頭「ほう、珍しい生徒さんですね。で、何クラブなんですか?」

美術部顧問「ボディービル部なんですが、」

「ほう、」「ひ弱い男子が多いのに心強いですな、」「全くです。」

美術部顧問「私的には、彼女の夢みたいなものだそうで、出来る事であれば叶えてあげたいと思っています。」

教頭「彼女って、その生徒は女子ですか?」

美術部顧問「2年C組の日向あさみです。」

C組担任「日向ならご両親がフィットネスジムを経営されていまして、確か、そういう大会にも参加経験があったと思います。」

教頭「そういう大会って、あの小さな水着で出る大会の事ですよね。男子ならともかく、女子と聞けば、それは、とても許可が出せる話じゃないですよね。」

美術部顧問「私は美術教師として、肉体美を競う競技だからと言って、特別視的な問題は無いと思っています。」

教頭「新しいクラブを作るとなると、そう簡単な事ではないのですよ。クラブとなると顧問となる先生も必要ですし。」

C組担任「沖田先生は、確か以前ボディービルをされていたとかありませんでしたっけ。」

沖田は、体育教師である。

沖田「いや、え、確かに。」

教頭「フィットネスジムとかであれば簡単でしょうが、あの競技を学内でするというのは、金銭的にも物理的にも、何より女子学生的に無理が有り過ぎます。」

沖田「いや、確かに器具を揃えるだけでも無理が有ると思います。教頭先生のご心配のように、女子にあのコスチュームをさせるのにも、親御さんから何を言われるか分かりません。ただ、体育教師の立場からすれば、教えられないなんて言いたくありませんし、立派な品格と歴史を持ったれっきとしたスポーツなんです。」

静かに聞いていた校長が口を開く。

校長「ちょっと良いですか。皆さんご承知のように、私は教育畑出身ではありません。かと言って、次々とお金を生み出して皆さんが望む設備を用意できる程の才能を持て余している訳でもありません。

一年強、校長として、この学校を見てきましたが、活き活きとした生徒を見れる機会は無いと言っても過言ではないと思っておりました。

その状況で日向さん、でしたか?彼女の挑戦、これこそ私の待っていた自主性の教育です。やってみなはれの精神で応援しようと思うのですが、教頭先生のこの学校での経験を踏まえて、いかがお思いでしょうか。」

教頭「校長がそこまでおっしゃるのであれば、反対する理由はありませんが、何事もそんなに簡単な事では無い事はお解りですよね。」

校長「それでは、設立準備委員会を校長室内に設置しましょう。」

教頭「クラブを立ち上げるのに準備委員会は必要ありません。必要なのは顧問と生徒五人です。」

校長「顧問は良しとして、」沖田先生を見つめる。

沖田「あ、はい。僕でよければ、喜んで。」

教頭「…」

校長「五人集めるのも苦労すると思いますが、沖田先生、なんとか手助け、宜しくお願い致します。」

美術部顧問「私たちも出来る限り協力致します。」

校長「教頭先生。私はこれを聴き、当の学生より新たな展開を考えてワクワクしているのかもしれません。是非、ボディービル部、でしたか?この学び舎から大きく羽ばたかそうではありませんか。」

こうして「ささみ」いや「日向あさみ」は、自らの蒔いた種の世話で必死になる事になる。僕も原因になるスイッチを押したという自覚はあるが、後に巻き込まれる事態は予測不可能であった。







































小説 「真っ赤なビキニに着替えたら」 作・三島 修二



















1・まっ赤な女の子


星野昴はかれこれ十五分も大笑いしているだろうか。落ち着いたかと思えば突然思い出し笑いが込み上げるように、大笑いが止まらない。彼女はあさみの幼馴染で、数少ない親友の一人で、ボーイッシュな見た目ながら男前女子で、後輩女子にもファンクラブが出来ているほどでもある。

昴「ごめん、でも、ちょー笑ける。」

あさみ「…」

昴「この前、初めてのデートで彼氏に逃げられたかと思ったら、こんなことはなんで順調にいくのぉ。(笑)目玉焼きを作らせたら必ず黄身は潰れてるし、傘を忘れずに持ち歩いてる日は、雨が降らないし(笑)。

小学校の時に自由研究で教室から見える塀に壁画を描くとか言って、夏休みなのに学校に一週間通った完成間近の絵が一晩の雨で絵の具が流れてさぁ、めっちゃシュールな絵になった事もあったよねぇ。

でさぁ、続きをペンキで描く事にしたけど、おこずかいで買えたのが赤と青の二色でさぁ、これまたシュールな絵になっちゃって(笑)。

で、誰から聞いたのか、あと黄色のペンキがあればどんな色でも出来るとか言い始めて、頑張って黄色のペンキを貰って色の配合したんだけど、白が無いから暗い色ばっかりになってさぁ。

あげく、先生に見つかって「消せ!」って言われて、でもブラシで擦れば擦るほど、消えるどころか、最高シュールな絵になっちゃってさぁ(笑)、」

あさみ「昴…」

昴「で?」

あさみ「……」

昴「で、どうすんのさ。ボディービル部。」

あさみ「私も今回みたいにトントン拍子に進んでいった経験が無いから、戸惑ってる。」

昴「やりたいの?やりたくないのっ?」

あさみ「そりゃ、折角のチャンスだしさぁ。やりたい気持ちはあるんだけど。」

昴「私は、あさみが本気でないと協力しないよ。」

あさみ「とりあえず五人集まったらクラブとして認めて貰えるの。だから、」

昴「だから、とりあえず協力してって言うの?私は協力しません!」

あさみ「……」

昴「じゃあ、ボディービル部を作りたい理由を聞かせて。」

あさみ「…え?」

昴「なんとなく進んでいる流れを止めると、あさみのメンツが立たないから?」

あさみ「…いや、」

昴「あさみがどれだけボディービルに打ち込んでるか知らないけど、自信はあるの?」

あさみ「だから、はっきり言えば自信は無いけど、でもやってみたいの。」

昴「…、あぁ、だんだん腹立ってきた。私はあさみの本気が見えない限り協力しません!」

あさみ「昴…、」


とある地下アイドルのステージ。ショボいステージにショボい客席。


♪君の待つテーブルに届けるブッシュドノエル〜

♪約束は無いけれ〜ど

♪勇気出して進むよ

♪扉を開けて〜

……

「今日は来てくれて有難う。週末アカペラアイドル、おもしろブリザードォ」

全員「K!」

「夢見るアリスは甘えん坊の気まぐれ子猫。にゃーちゃんこと、有栖川祢子です。」

……

楽屋で話しているあさみと祢子。

祢子「ムリムリムリ。私って運動おんちだしぃ。事務所の社長さんにスカウトされた時もダンスとか無理って言ったら、アイドルはアイドルでもアカペラアイドルなんだから本格的なダンスは必要無いしって言われて、仕方なく断れなかったのに、いくらあさみちゃんのお願いって言われたって、体育会系は無理。」

あさみ「昴ねえちゃんも誘ってるしさぁ。」

袮子「昴ねぇちゃんも柔道部忙しいでしょ。」

あさみ「で、でも、アイドルには体力が必要でしょ。」

祢子「だから、アイドルはアイドルでも、あんまり動かないアイドルなんだって。それに、どう見ても私のキャラはボディービルって合わないでしょ。」

あさみ「そんなこと無いって、……まぁそんな堅いこと言わずに。ボディービルって健康的だから祢子ちゃんにはぴったりだって。」

祢子「結構、無理やり感はいなめませんが…」

あさみ「シャノワールのケーキ買ってあげるから」

祢子「そんなので買収されないから。」

あさみ「祢子ちゃんオリジナルのネコイラスト描いてあげる。」

祢子「シュールなネコなら要らないし。」

あさみ「コンサート、毎回友達連れて見に来るから。」

祢子「そんなにいっぱい、友達いないでしょ。」

あさみ「あのさ、何か欲しいモノとか、して欲しいコトって無いの?」

祢子「…どうして上から?別に良いけど。ボディービル部に入るとか、関係無しでなら、無い事は無いけど。」

あさみ「なになに?」

祢子「ホントに入部とは関係無しね。」

あさみ「この際、関係無くても良いから、何でも言ってみて。」

祢子「ホント関係無しね。同じ高校の3年生なんだけど、」

祢子が耳打ちをする。


昭和の佇まいが薫る外観。「マッスルスポーツクラブ」と書かれた看板。ロードランナーやバーベルを持ち上げる様々な形状の機器が見える大きなガラス窓に貼られたセピアの写真。水着の男女が筋肉を見せている。その横に幾つかのトロフィーを隠すように貼られたポスターには、その写真に似せているのかシュールな筋肉質の人型のエッチング画の前に踊る「入会金無料キャンペーン中」の文字。あさみが中へと入る。

あさみ「おとうちゃん、私の絵を勝手に使わないでよ!しかも中学生の時の!」

唯一機械を使っている男性が答える。

父「おかえり。別にいいじゃん。美術館に展示されたぐらいなんだから、今さら恥かしがる事も無いって。」

あさみ「そんな問題じゃないって。」

父「最近遅いけど、彼氏でも出来たの?」

あさみ「……」

父「彼氏はボディービルやらない?今なら入会金無料だよ。」

あさみ「……」

父「別に本格的までしなくても良いけど、ちょっと筋肉付けるのどう?本格的にやるって言うのなら、あさみの彼氏だったら月々の利用料もまけて上げるよ。」

あさみ「いないってば。」

父「ダイエットしたい女子とかもいないかなぁ。最近はスポーツ女子が増えてるって聞くけど、うちも増やしたいんだけど、どう?」

あさみ「それなら、まず店の名前変えたら。」

女子シャワールームに入って行くあさみ。

あさみの声「あと、この壁も替えたら。綺麗な今時のやつに。あっ、リンスインシャンプーにしたの?こんなところでケチってたら、ますます女子客減っちゃうよ!」

聞いているのか聞こえないのか、黙々とバーベルを持ち上げるあさみの父。


美術準備室。

美術部顧問「コーヒー入れようか?」

あさみ「有難うございます。」

美術部顧問「砂糖は?」

あさみ「お願いします。本当は身体作りには良く無いのですが。苦いのが苦手で。」

美術部顧問「かき混ぜるのはこれ使って。」

あさみ「この……筆、ですか?」

美術部顧問「マドラー代わりの専用に使ってるから大丈夫。」

あさみ「……。」

美術部顧問「あっ、筆の方でかき混ぜるんじゃなくて、棒の方でかき混ぜて。早く言えば良かったね。ごめんね。……でも、専用に使ってるやつだから、大丈夫大丈夫。」

あさみ「い、いえ。」

美術部顧問「……さて、どういった作戦で行きましょうかね。」

あさみ「とりあえず、ポスターとチラシを作ってみたいのですが。」

美術部顧問「そうね。日向さんなら訴求効果のありそうな、インパクトのある絵が載せられそうね。」

あさみ「やっぱり、絵があった方が良いですか?」

美術部顧問「えっ?。……あ、ま、まぁ、どちらかと言うと、文字ばっかりよりはねぇ…。それにしても、うちの学校で筋肉自慢って言えば、バレー部のヒナタ君、バスケット部のクロコ君、テニス部のエチゼン君でしょ。あとサイクリング部のオノダ君も良い太腿してるんだけど。

でも、みんな自分のクラブで頑張ってる子ばかりだし。」

あさみ「そうですよねぇ。普通。」

美術部顧問「ところで、沖田先生って、筋肉凄いの?」

あさみ「直接授業を受けた事は無いので何とも言えませんが、脱いだら結構、凄そうかもしれませんね。」

美術部顧問「やっぱねぇ。」

あさみ「先生はどうなんですか?」

美術部顧問「え?私?私もこう見えて脱いだら凄いのよ。って嘘。そんな訳ないでしょ。」

あさみ「そう言えば、先生のその白衣を脱いだところって、余り記憶に無いですね。」

美術部顧問「そう。私はこの白衣がトレードマーク。」

あさみ「その…お尻の部分に青いのが付いてるのがですか?」

美術部顧問「昔にペンキが乾いていないのに、ちょっと座っちゃって。それ以来、逆に気に入ってずっと着てるの。それより、少しでも進める為に、クラブに入ってる子にも声をかけてあげるから、その子らの前でプレゼンしてみない?」

あさみ「…プレゼン、ですか?」

美術部顧問「駄目元でさぁ、やってみたら?ひょっとして、一人でも掛け持ちで入ってくれる子がいないとも限らないし、日向さんの自信にも繋がるかもよ。」

あさみ「私、……人前、苦手なんです。」

美術部顧問「……。」

あさみ「……。」

美術部顧問「筋肉鍛えるのって、楽しい?」

あさみ「楽しいかどうかで言えば、余り良く分からないのですが。私の実家がスポーツジムでして、物心が付いた時からオモチャ代わりに遊んでたので。

でも、身体を鍛えるってスッキリしますよ。先生もどうですか?今なら利用料無料キャンペーンやってるみたいだし。」

美術部顧問「ちょっと遠慮しておく。」

あさみ「やっぱり…。」

美術部顧問「それより、チラシ出来たらコピーして、駄目元クン達に持って行って、声をかけてあげるから。……どう?」

あさみ「やっぱり、絵が無いと駄目ですか?」

美術部顧問「え?」


「ボディービル部設立します!」

水泳部の先輩から回って来たチラシに、設立の為の説明会の日時が書いてあった。これを先輩達に配っている美術の先生は、昔から面倒見が良いのが有名で、頼まれたら嫌と言えない先輩が多いようだ。

美術教室なのに、体格の良い先輩達が集められた。

あさみ「ほ、本日はご多忙の中、万障繰り上げて、ボディービル部設立説明会に、か、かような多くの方々にお越し下さり、誠に有難うございます。わ、わたくし、2年C組の、ひゅ、日向あさみというもも、者です。」

まったく見てられない。聞いているだけなのだが。

あさみ「み、みなさんも耳にされた事はあるでしょうが、ボディービルの歴史は古く、古代ギリシャ時代にさかのぼります。」

そんな事を耳にした人がいるのだろうか?

あさみ「そして、この彫刻を見られた方も多いのではと思います。」

テレビ番組でフリップを出す様に1枚の絵を見せる。世界史の教科書で見たことのある、全裸の若い男の彫刻の絵だ。下着も履いていない下半身は、男性の局部があらわになっているのだが、そこまで忠実に描いてある。これを女子高生が描く事に抵抗は無いのだろうかと心配するところだが、写真を使わず、なぜ絵なのかが疑問だ。

あさみ「ミケランジェロの作ったダビデ像です。昔の人々はギリシャ神話に出て来る神々のような、筋肉隆々な身体に憧れを抱いていた訳です。」

美術部顧問「それを言うなら『筋骨隆々』。」


股間に目がいってしまうこともさることながら、ムンクの叫びをイメージさせるような背景の模様も気になる。もはや、この絵の筋肉を見ている人がいるのかが気になる。

あさみ「そして現在、世界中の多くの人にボディービルは支持されています。日本でもこの人など、色々な有名人がボディービルを行なっています。」

次に出して来たのが、四角い顔をした中年と思われる男性。相変わらず背景も気になる。

あさみ「この人は国土交通省の大臣もした事もある、主民党の間淵純夫さんですが、このように色々な職業や立場の人もボディービルダーであります。」

誰だか分からないが、有名人を出すのなら、何とかきんに君とか、レイザーラモン何とかやら、何とかの春日なんぞを出した方が分かると思うのだが。

あさみ「ボディービルの基本はバランスの良い筋肉を付けること。これに関しては、本日お集まりの皆さんにとっても重要な事と思います。」

周囲を見渡すと、ポカンと口を開けている人、笑いをこらえている人、時計を気にしている人、それに、部屋の外から日向の親友の星野さんも心配そうに覗いている。

あさみ「ここにお集まりの皆さんは、ご自分のクラブ活動でお忙しいと思います。そこで、入部されても毎日とは言いません。お時間の空いた時や、ご自分のクラブの前の身体を温める代わりにご参加頂ければ幸いです。一人でも多くの方にご参加頂きたいと思います!」

3枚目のフリップには、右手を出し握手を求めている筋肉質の男の絵と『来たれボディービル部!』の文字が描かれている。もはや見慣れた背景よりも気になるのが、右手がその状態にも関わらず、左手は真横から上向きに肘を曲げ、腕の筋肉を出していて、背景と相まって、まるで握手をした途端に殴りかかられるかもしれないと心配してしまうような雰囲気を醸し出している。

さらに大きくポカンと口を開ける者、こらえきれずに吹き出す者、帰り支度を始め出す者、だが、先にガタッと音を立てて椅子から立ち上がったのは日向だった。

あさみ「ご、ごめんなさい!」

日向に本日最初の視線が集まった。

あさみ「分かってたんです。…なんとなく、こうなること。

皆さん、ご自分の活動で大変でしょうし、別にボディービルの方法で鍛えなくても、皆さんのやり方で充実しているんだって。

どなたかを紹介して頂けるだけでも結構です。こんな馬鹿がいるんだって、他の人に話して頂けるだけでも結構です。何とかお願いします!お願いします!」

見てられない。


マッスルスポーツクラブ。室内には常連の男性とあさみの二人。あさみは窓に面したロードランナーでランニング中。

常連客「あさみちゃんがやってるのって久し振りだよね。」

あさみ「……」耳にヘッドホン。

常連客「音楽、聴いてるんだ……。」

ジムの前に昴。外からあさみが首に巻いたタオルで汗を拭いているのをジッと見つめている。そして、汗と共に涙を拭っているのも、しっかりと見ていた。


*    *     *


「昴先輩!頑張って〜!」

「昴せんぱい〜。」

柔道の大会。昴の相手は手脚の長い白人。どちらかというと屁っ放り腰で、昴の技を封じている。道衣を着た昴はとても凛々しく、ショートの髪も助けて後輩女子のファンを集めるのも当然である。それに引き換え、相手側はまた道着の乱れを直すよう注意を受ける。採点的には圧倒的に昴の有利である。

ボーイッシュな美少女と北欧系美女との決勝戦。応援団以外にも多くの人が集まって、嫌が応にも盛り上がっている。

「すばる!すばる!」

「モニカ!ファイトー!」

昴も技を仕掛けようとするが、敵は上手に身体を引いて逃げる。審判が「待て」を言う。積極的に技をかけようとしないモニカに、教育的指導を出す。

「やったー!」

「昴先輩!優勝は直ぐそこですよー!」

「モニカー!頑張れー!」

審判の号令一つ、相手が屁っ放り腰で引いた瞬間に昴は打って出た。足掛けで攻める。ところがバランスを崩し相手の全体重が昴の身体にのしかかる。まともな受身も出来ない状態で、昴が畳の上に叩きつけられる。フラッシュが瞬き続ける中、ゆっくりと昴と相手の身体が倒れていく。

審判「一本!」

「あー!」

「やったー!」


体育館のロビー。ひときわ賑やかなのが、勝利者を囲む女学生と記者らしき人物。

記者「勝因は何ですか?」

モニカ「とにかく勝てるとは思っていなかったので、思いきってやりました。」

ロビーの片隅に昴達も集まっている。

昴「みんな、応援してくれてありがとう。うれしかったけど、期待に応えられなくてごめん。」

「昴先輩。今回はまぐれで負けただけで、次には絶対に勝ちますよ。」

昴「…二つ言ってもいいかな。今回の負けは、まぐれでは無いって事が一つ目。二つ目は次に勝つのは私ではなく、みんなに勝って欲しい。」

「……」

昴「ちょっと訳あって、今回の試合を機会に休部します。暫く柔道とは離れたいと思います。」

「えー!」

賑やかなロビーに、さらに賑やかな黄色い声が響く。もちろん勝者の写真を撮影している記者が見逃す訳が無い。

「辞めないで下さい。」

「私、昴先輩が辞めるのなら私も辞めます。」

「私も昴先輩に憧れて、やった事のない柔道を始めたんです。」

「私もそうです。どうして辞めるんですか?」

昴「辞めはしません。少し離れるだけです。ちょっと理由は今は言えない。そのうちに解ると思う。」

「私は昴先輩に着いて行きます。」

「私も、」

「私も、」

記者「星野さん、柔道辞めるって本当ですか?あ、私、『月刊学生柔道』の水野と言います。今日の決勝は実に見応えのある試合でした。これからの女子柔道会のターニングポイントと言っても差し支えない試合だと思っています。今後が期待出来る星野さんが辞めるって、何故ですか?」

昴「いえ、あの、休部するだけです。」

記者「理由は言えませんか?」

昴「今は言えません。」

記者「今日の試合に不満があるから?」

昴「……、」

「昴先輩は、一回負けたからって、辞める人ではありません!」

昴「ありがとう。そんな訳で暫く柔道からは離れます。また戻って来るまでの間は、みんなが勝って下さい。」

「昴先輩無しに勝てるかどうか…、」

昴「愛梨に欠けているのは、その自信の無さ。しっかり練習すれば自然と自信が付いて来ます。大丈夫、愛梨はきっと出来るから。架純は積極的に技をかけること。たとえそれで負けても良いの。技をかけることが勝ちへの第一歩。」

「はい!」

昴「翼はスピードと正確さを磨けば、どんな相手でも大丈夫。優乃は練習を楽しむこと。」

「はい!」

記者「もう一つ聞かせて下さい。復帰はいつぐらいになりそうですか?」

昴「うーん。この子達が強くなって、団体戦で優勝する時に戻って来ます。」

後輩達「はい!」

記者「……」


気不味いとは言え同じ校舎に通っているのだから、すれ違うぐらいの事はよくある。それに対してやっと意識しなくなったと言うのに、突然向こうから話しかけて来られた。僕の所属する水泳部の先輩の飛鳥さんとの間に入って欲しいと言われた。

飛鳥先輩は日向のお父さんが経営するジムに通っていた事があるらしい。いつも水着姿の先輩を見ているが、筋肉の見本のような身体を持っていて、確かにみんなから羨望の眼差しで注目されている。ボディービル部に引き入れたい気持ちもよく判る。

前のデートの事を反省している自分としても、少からずの下心のある僕としても反対する理由もないので、間に入る事を引き受けた。


ファミリーレストランで飛鳥先輩と日向、星野さんと僕が落ち合った。

あさみ「飛鳥さん、お久しぶりです。」

飛鳥「ちょうど一年前ぐらいかしらね、マッスルスポーツクラブ辞めたのって。」

あさみ「またジムに戻るとかの予定は無いですか?」

飛鳥「それまではジムでのトレーニングも水泳もどっちも趣味だったんだけど、本格的に水泳の大会を目指す事にしたの。それで、筋肉の付けすぎって浮力が減っちゃうのね。水の抵抗も増えるし。で、お父さんには悪いけど退会しちゃった。」

あさみ「うちのジムは女子に避けられている雰囲気が、何となく見えてましたが、そんな理由じゃなかったのですね。」

飛鳥「正直言って、ちょっとはあるかな。でも大丈夫。私、男っぽいって自分でも感じてるし。」

ごまかしているつもりで傷をえぐっている飛鳥先輩の女子力は皆が知っているんだけど、それを指摘出来る人がいないところが男子っぽいのかもしれない。

「飛鳥先輩、実は日向は学校にボディービル部を作ろうとしてるんです。」

あさみ「そうなんです。ボディービル部を作るのに部員を集めているところなんです。」

飛鳥「菊池君も入るの?」

やっぱり回ってきたかと思った。

「いや、僕も水泳部をメインに続けたいので。」

飛鳥「そんな事だから彼女が出来ないのよ。」

今までにどれだけいろんな人にそう言われ続けたか。そう考えると、日向に協力している自分ってどうかと思う。

飛鳥「星野さんも一緒にするの?」

昴「柔道部に休部届け出しました。」

飛鳥「『月刊学生柔道』のネット速報見たけど、これが理由だったのね。女子柔道界のスーパールーキーなのに思い切ったわね。」

昴「飛鳥先輩って何でもご存知なんですね。私は飛鳥先輩の事をほとんど知らないのに、こんな私の事を知って頂いて光栄です。」

飛鳥「昔から星野さんの身体は注目してたから。星野さんも本気みたいね。良いわ。協力する。なんか面白そうだし。」

あさみ「え、あの、水泳部は大丈夫なのですか?」

飛鳥「もう大会は終わってるし、3年生は半分リタイアしてるみたいなもんだし。」

日向も星野さんも次に出す言葉が見当たらないようだ。

「じゃ、じゃあ、僕の役目も終わったようだし。日向、良かったな。飛鳥先輩に協力してもらったら、それこそ水を得た魚ってとこかな。それじゃあ、僕は先に行くから後はゆっくり話してて。」

飛鳥「そのことわざ、使うとこ間違ってるし、そもそも高校生の使う言葉じゃないし。」

何となく居づらい雰囲気になってきたので先に出たが、つくづく女子を理解するのは難しい。それよりも、こんな事を考える男子高校生が珍しいのかも。


あさみ「あ、飛鳥さん、有難うございます。」

飛鳥「あと何人必要なの?」

あさみ「あ、あと二人です。」

飛鳥「あてはあるの?」

あさみ「入れたい娘はいるのですが、今まだ説得中です。」

飛鳥「私は3年生だからそんなにのんびりしていられないの。ペースアップで行きましょう。」

あさみ「その娘は地下アイドルをしているのですが、今晩、その娘のライブがあるので見に行こうと思っています。」

飛鳥「善は急げ。私も一緒にそこへ行くわ。青春にはタイムリミットがあるの。って私も、高校生が使わない死語のヒットパレードね。菊池君のが移ったみたい。」


再び地下アイドルのステージ。入り口には手書きのタイムスケジュールが貼り出されている。祢子が所属する週末アカペラアイドル“おもしろブリザードK”が本日のメインであるが、前座として三組程の名前も書かれている。

あさみ「出番までまだ時間があるようですね。」

飛鳥「ふーん、今までにこんなとこ入ったこと無いのよね〜。星野さんはある?」

昴「私も初体験です。話に聞いた事はあるのですが。」

飛鳥「あれ、ここに書いてある『若島津 忍』って、同じクラスの子かな?そんなに喋った事はないけど、こんな珍しい名前が偶然いるとも思えないし。」

昴「入ってみましょうよ。」

飛鳥「よし、レッツゴー、って死語が抜けないよ。」


やはりしょぼいステージにしょぼい客席。どちらかと言えば小太りの女子が白いギターを弾きながら歌っているのを、一番前で三人のおじさんが聞いている。

♬君の横顔が'さようなら'を 言っている

♬僕は一人 ピエロを繰り返す

♬ペアのマグカップ 一人で入れるアイリッシュコーヒー

♬思い出ばかりが溜まっていく

昴「やっぱり、飛鳥さんの同級生ですか?」

飛鳥「ええ。クラスではおとなしい子なんだけど、まさかこんな活動しているようには見えなかったんだけどね。ふ〜ん。」

♬溜息ひとつ 合鍵ひとつ

♬一人で食べるシャノワール

♬溜息ふたつ ミサンガふたつ

♬恋のラビリンス

♬今朝もデジャブがよみがえる

……

♪君の待つテーブルに届けるブッシュドノエル〜

♪約束は無いけれ〜ど

♪勇気出して進むよ

♪扉を開けて〜

……

「今日は来てくれて有難う。週末アカペラアイドル、おもしろブリザードォ」

全員「K!」

「夢見るアリスは甘えん坊の気まぐれ子猫。にゃーちゃんこと、有栖川祢子です。」

あさみ「あのネコちゃんって言う子、ひとつ下なんですが、家が近所で、小さい時からずっと遊んでいたんです。」

飛鳥「要するにお友達作戦なのね。で、どこまで進んでるの?」

あさみ「頑張って説得してるんだけど、いまいち良い返事が返って来なくて。」

飛鳥「確かにボディービルをさせるにはかなり無理がある体型よね。細身で小柄、まあ、可愛らしいから良いか。」

あさみ、昴「……?」


ライブ終了の客席。スタッフが色々と片付けている中、片隅のカウンターに四人が座っている。

祢子「そーなんですかぁ。若島津さんと同じクラスなんですかぁ。」

飛鳥「まさか彼女をここで見るとは思ってなかったけどね。」

祢子「(あさみに)でさぁ、この前に言った事、ほら、して欲しい事があるかって話をした時に言った事ですけどぉ、」

あさみ「あ、ああ、あの時のね、」

祢子「同じ高校の3年生なんだけどって言った、あの話。」

あさみ「あぁ、あの話ね。で、なんだっけ?」

飛鳥「彼女に関する話?ねぇ、どんな話?」

あさみ「祢子ちゃん、飛鳥先輩と昴ちゃんにも説明してあげて。」

祢子「……。若島津さんって私達がここに立つ前から、このステージに立って歌ってるんだけど、良い歌を歌ってる割には全く伸びなくて。

三人のファンが盛り上げてたとこ見たと思うけど、あの人達も元は私達のファンで、私達の出番の前から盛り上げて行こうって始めたけど、今度はそれから抜けれなくなって。」

あさみ「なんとなく分かる気がする。」

祢子「今度は逆に若島津さんが気を使っちゃって、引退する事にしたんだけど、若島津さんからすれば、たとえ売れなくても、聞いてくれる人が少なくても、音楽を続けたいんじゃないかと思うんです。」

昴「継続は力なりって後輩に言ってるのに、なんか寂しいよね。」

飛鳥「気のせいか、最近の彼女、元気が無いように見える。」

あさみ「なんとかならないの?」

祢子「あさみちゃんもそう思うでしょ。」

あさみ「ひょっとして、して欲しい事ってそれ?」

祢子「何とかしてあげて。今度、ラストステージが決まってるんだけど、みんなで盛り上げたいの。協力して!」

飛鳥「面白そう。」

昴「あさみぃ、みんなで盛り上げようよ。」

あさみ「何とかしたい気分はあるけど、どうすれば良いの?」

祢子「彼女、ラストステージの為に新曲を作ったんだけど、デモテープを貰ったんだけど、聞いたら凄く良くて。今までは失恋やら人生やら暗い曲がほとんどだったのに、今回の曲は未来へ羽ばたこうって感じの曲で、こんな曲も作れるのかって感心しちゃった。それとも何かから吹っ切れたのかもしれないけど、タイトルが『power 』って、未来に羽ばたく力が貰えそうな曲なの。」

飛鳥「ふーん。」

昴「パワーか…」

飛鳥「よし、一肌脱ぐか。」

あさみ「飛鳥先輩、また昭和になってますよ。」

飛鳥「真剣よ。日向さんならコスチュームのお店知ってるよね。」

あさみ「え?何のですか?」

飛鳥「もちろんボディービルのに決まってるじゃないの。お揃いのコスチュームを買いに行くのよ。さっ、ボディービル部初始動よ。」

昴「えー!」

袮子「?」


ボディービルグッズ専門店『キレッティ』。プラスチックのバケツに入ったプロテインが通路に山積みにされ、身体に塗るオイルや家庭用のバーベルなどが整然と並べられている。その一角にあるコスチュームのエリアも、結構充実してそうだ。

店長「わ〜お。」

真っ赤なビキニの昴が試着室から出てくる。

飛鳥「思った通りね。星野ちゃんの柔道着の下がこんな姿だったらって思うだけでいろんな妄想しちゃいそう。」

昴「ちょっと恥ずかしい。」

店長「ソフトマッチョだし手足も長いから、これ程似合っている子は初めてだわ〜。」

同じく真っ赤なビキニのあさみも登場。

飛鳥「日向さんも昔から鍛えてるだけあって、脱いだら凄いのね。」

店長「もう何度も見てるけど、その色も似合ってるわねぇ。」

飛鳥「さ、私も着替えちゃおーと。」

……………

飛鳥「じゃ〜ん!」

店長「わ〜お!さらにわ〜お!こちらのお姉さんも長身の上に大胸筋と三角筋が良いように発達してるから綺麗な逆三角形で、気持ちいいほど似合ってる。」

飛鳥「この色、カーマインって言うのよ。真っ白な肌より、みんなみたいなちょっと褐色がかっている肌にぴったり。」

昴「私はやっぱり恥ずかしいよぉ。あさみは慣れてるとして、飛鳥先輩は恥ずかしくないのですか?」

飛鳥「私は水泳部だからライン丸見えなんてへっちゃら。それに星野ちゃんも美しいものを見せてるんだから、恥ずかしがる事なんてないのヨン。」

店長「こんなの滅多に見れないんだから写メ撮っていい?」

あさみ、昴「ダメです!」

飛鳥「あらそう?私なら良いわよ。」

昴「飛鳥先輩ぃ…」

店長「じゃぁ、バックダブルバイセプスで顔は振り向き気味で宜しく。」

飛鳥「え、バック……?」

あさみ「こんな感じで背中をみせて、ガッツポーズから振り向くの。こんな感じ。」

飛鳥「こ、こう?」

店長「やっぱり絵になるねぇ。じゃぁ次はサイドリラックス。」

あさみ「こう。」

飛鳥「ちょー面白いんじゃないの?」

店長「(カシャ カシャ)いいねいいね。」



2・夢の途中


マッスルスポーツクラブ

あさみ「スリーツースリーフォー、フォーツースリフォー。」

常連客「なぁ、おやっさんよぉ。とうとうダンススタジオまで始めたのか?」

父「この子らが始めただけで、言わば場所を無償で提供してるだけなんだけど。」

常連客「理由はどうであれ、若い女の子が居るっていうのは良いねぇ。」

あさみ「エイトツースリーフォー。」

飛鳥「あさみちゃんさぁ、力強さを前面に出したいのは分かるけど、女の子なんだから、もうちょっと可愛らしさも出した方が良いんじゃない?例えば、ここのポーズを……こうしてみるとか、このポーズも力み過ぎるのをこう変えてみるとか。……あと、新体操みたいな、しなやかな動きとか入れたりするのもありじゃない?」

あさみ「私、どうしてもボディービルのポーズから入っちゃうんですよね。よし、初めから見直してみます。」

飛鳥「いっそのこと、いろんなスポーツのポーズも入れてみるのはどう?」

昴「さすが飛鳥先輩、発想が自由ですね。よし、あさみ頑張ろう。」

常連客「なぁ、おやっさんよぉ。こんな光景だったら毎日来るんだけどなぁ。」

父「……。」


しょぼいステージに手作りの横断幕を前におもしろブリザードKのメンバー達。

『若島津 忍 ラストライブ

〜夢をありがとう、未来へのpower〜』

祢子「良い感じになってない〜?」

菜夏子「なんか、あんまり派手にすると、引退を待ち望んでたって雰囲気出ない?」

詞織「『夢をありがとう』って、歌ってたのってほとんどが失恋ソングだよ。」

彩果「『未来へのpower』ってのも無理矢理感満載だし。」

杏夏「その新曲もアンコールで発表する曲でしょ。ネタばれにならない?」

祢子「頑張って徹夜で作ったんだよ〜。若島津さんのラストステージを盛り上げたくてぇ。」

「い、いや、私達もそうなんだけど。」「祢子ちゃんが頑張ったのは分かるよ。」「人によって受け取り方はさまざまだし。」「他にも盛り上げる方法もあるのかなぁって思ったりして。」

菜夏子「あっ、」

振り返るとハードギターケースを背負った若島津がじっと横断幕を見つめている。

菜夏子「若島津さん、おはようございます。」

若島津「……」

祢子「若島津さん、今日のステージをいっぱい盛り上げたくて、こんなの作ってみたんだけど。」

詞織「こ、こんなの!?」

菜夏子「こ、これはね、祢子ちゃんなりに若島津さんの事を思って作った物なんだけど、気に要らなかったらはっきり言って…」

若島津「祢子ちゃんが作ったの?」

祢子「そ、そう。…どう?」

若島津「祢子ちゃん、有難う!最後のステージも前座止まりだし、誰にも気にもされずに去って行くんだろなぁとか思ってたんだけど、祢子ちゃん、有難う!さっきまでそんな心を歌にして『自然消滅』ってのを作ってたんだけど、こんなことされちゃぁ、最後まで曲書けないよ〜。」

詞織「その歌は最後まで書かない方が…」

若島津「おもしろブリザードKのみなさん!」

「は、はい!」

若島津「私、若島津忍は、本日のステージ、おもしろブリザードKの前座として、完全燃焼する事を誓います。」

「(拍手)」

それを入口の横で一人の男がじっと見ている。


横断幕は増えているが、相変わらずのしょぼいステージにしょぼい客席。でも、しょぼいと言いつつ、いつもよりは観客がいる。

「春咲北商店街が生んだスーパーアイドルユニット!」

全員「はるさきマーケット!」

「私が八百八商店の娘、菜々です。中学2年です。今日は来てくれてありがとう!」

「私は山田フルーツの娘、桃果です。同じく中学2年です。今日は楽しんでってねぇ!」

「紳士服のサンパウロの一人娘、高校2年の絵里です。みんな宜しくね!」

「藤川美容院の見習い美容師、くるみです。クッシーって呼んでね!」

「鮎川鮮魚店のさよりで〜す。活きの良さなら負けないよ!」

「三光仏具店の鈴子です。りんちゃんって呼んでね!」

客「おりんさ〜ん!」

「その名前でお呼びでないよ!」

………

手に手にネギ、バナナ、メジャー、ヘアスプレー、ヒラメ、おりんを持って踊っている。

♪雪が溶けて 春が来たならいらっしゃい 春北商店街

♪良いものいっぱい 楽しみいっぱい 無いもの以外は何でもあるよ

♪みんなの生活応援隊 ここが春北商店街

♪ネットも良いけど よく見て手に取りお買い物 春北商店街

♪当たりはあっても ハズレは無いよ 確実堅実 確かな商品

♪みんなのお財布応援隊 ここが春北商店街


客席の隅で見つめる一人の男

「やっぱ、ダメだな。」

………

くるみ「この後は、後ろにも書いてありますが、毎週欠かさずに二年半、ずっとこのステージに立ち続けてきた、若島津忍さんの卒業ライブがあります!」

絵里「今日で若島津さんの歌が聴けないと思うと、寂しい限りです。」

菜々、桃果「みんなでいっぱい応援してあげて下さいね〜!それでは、」

全員「わかしまづさ〜ん!」

六人が去って行く代わりに、いつもの白いギターを持った若島津がゆっくりと登場。

若島津「今までで一番緊張してます。この後ろの横断幕、この後で出てくる祢子ちゃんが作ってくれたんですよ。さぁ、最期のライブ、頑張ります。」

客三人「ファイトー!しのぶー!」


♬君の横顔が'さようなら'を 言っている

♬僕は一人 ピエロを繰り返す

♬ペアのマグカップ 一人で入れるアイリッシュコーヒー

♬思い出ばかりが溜まっていく


楽屋。スマホで喋っている祢子。

祢子「今、若島津さんステージに行ったわ。……分かった。今開けるね。」

裏口のドアを開ける祢子。

祢子「若島津さんの持ち時間は四十分だから、ゆっくり着替えても間に合うと思う。」

あさみ、昴、飛鳥が入ってくる。

飛鳥「何だかワクワクするわねぇ。」

祢子「このカーテンの向こうで着替えて。」

あさみ「ありがとう。」

祢子「さぁ、早く。アンコール前に一度戻って来るから、こちらには出ずに、何かあったら呼んでちょうだい。」

飛鳥の声「星野ちゃん、何かあったら、私が守ってあげる。」

昴の声「そう言いながら、手を出して来るの止めて下さい。」

飛鳥の声「は〜い。」


客席の隅でじっと聴く男「……、」

若島津「今まで応援してくれた、田中さん、岩ちゃん、モーリー、みんな有難う。」

「こちらこそありがとう!」

若島津「これで全曲歌いました。もし良ければ、アンコールなんてしてくれたら、この日の為の新曲、歌っちゃうかも。みんな有難う。」

すぐ裏にある楽屋で祢子が待ち構えている。

祢子「いつも以上に盛り上がったよね。」

アンコールの声が聞こえる。

祢子「さぁ、みんな呼んでるよ。」

若島津「三人だけだけどね。」

祢子「確かに三人だけだけど、いつもより必死だよ。」

若島津「それを言わないで、涙が出ちゃう。よし、最後、行って来ます!」

舞台に行く若島津。それぞれに声をかける三人の客。

祢子「いよいよ出番です。」

祢子がカーテンをバサッと開ける。

昴「きゃぁ!」

祢子「ごめんなさい。」とカーテンを閉める。

飛鳥「大丈夫よ、もう着替えてるから。」とカーテンを開ける。

真っ赤なビキニの三人に注目するみんな。声が出ない。

祢子「スタンバイお願いします。」

全員「……」

さより「彼女達が浮いてるのか、私達が浮いてるのか、どっちだと思う?」

鈴子「歳をとって思い切った事が出来るようになったのに、若くして思い切られたら勝ち目ないわよね。」

………

客席は今日最高の盛り上がりを三人で作っている。

若島津「アンコール、ありがとうございます。一応、今日の為に新曲を作ったんですが、披露する事なく終わったらって事も考えてたんですが、無事最期の曲も歌える事に感謝しています。ホント、ありがとう!」

「こちらこそありがとう!」「忍ちゃん、頑張れ!」

若島津「最期に新曲を残したいと思います。今まで考えたら、失恋の曲ばかり歌ってきたのですが、この世界から離れるんだと思うと、未来への応援歌になってしまいました。タイトルを『power』て名付けました。これを最後に私のラストステージを終わりたいと思います。」

祢子が割って入る。

祢子「若島津さん、ご卒業おめでとうございます。若島津さんの新曲『power』を一緒に盛り上げるバックダンサーに来て頂きました。春咲高校ボディービル部の日向あさみさん、星野昴さん、飛鳥さんです。どうぞ!」

真っ赤なビキニの三人の登場。それぞれボディービル風のポージング。勿論、飛鳥はバックダブルバイセプス。

客達「……」

若島津「……」

昴「私達…、浮いてる?」

飛鳥「見とれてるのよ。」

昴「やっぱり、むっちゃ恥ずかしいんですけど。」

「おっしゃー!俺達が応援しなくてどうするんだ!」「ごめん、鼻血が出そう。」「鼻血を出しながら応援出来るって何て幸せな奴なんだ!」「そうか、忍ちゃん、幸せをありがとう!」「ファイト!ファイト!しのぶ!」「パワーだパワーだ、しのぶ!」

昴「……」

若島津「みんな、ホントありがとう。田中さん、岩ちゃん、モーリー、どんな感謝の言葉を使っても表現出来ません。本当に有難うございます。それでは最期の最期、精一杯歌います。『power 』!聴いて下さい。


♬ yeah!  yeah!  yeah!

♬思い通りにならないなんて 生まれる前から当たり前

♬道を少し間違えたって 新しい発見をするって事も きっと素晴らしい事だよね

♬朝食が上手く作れなかった 髪を切りすぎた テレビ予約が失敗してた

♬それで落ち込むようなら 僕がpower をあげる

♬ファイト!ファイト!みんな!power だpower だみんな!

♬明日へ向かってみんな! 未来へ繫ぐよ僕たちも!

♬僕たちのpower!


赤いビキニの三人も、時にはボディービル風ポーズ、時には新体操のような動き、他にも様々なスポーツを想像させる振り付けで、曲を盛り上げている。


客席の一番奥で見ていた男が、携帯電話を片手に立ち去って行く。


昴「気持ちいいー!」

楽屋に帰ってきた若島津達を、他のメンバーが取り囲む。

「良かったよー。」「身体が震えた。」「最高のライブだったよ。」

若島津「みんな有難う。祢子ちゃん、みんな、有難う。」

客席から大人数のアンコールの声が響いている。

若島津「ホント、何て言ったら良いか。まさか飛鳥さんがそんなカッコで応援してくれるなんて。」

飛鳥「改まって言われたら恥ずかしいからやめて。」

祢子「ほら、アンコール行かなきゃ。」

若島津「私、もうまともに唄える自信が無い。」

祢子「まともじゃなくったっていいじゃない。ほら、若島津さんの曲を、こんなに待ってくれてる人がいるんだよ。」

若島津「ホント、良いの?私みたいなので。」

飛鳥「あんたが行ってくれなきゃ、私達が出れないでしょ。」

若島津「……、」

昴「行くぞー!」

飛鳥「あっ……。昴ちゃん、あんなカッコで行っちゃった。若島津さん、責任取ってね。」

若島津「……ファイトだ私!」

全員「おー!」

舞台に向かう一行。

響く歓声。


*    *     *


職員室。

校長「沖田先生、以前のボディービル部を作りたいっていう生徒は、どうなりました?」

沖田「クラブに入っていない生徒、いわゆる帰宅部ってやつなんですが、結構片っ端から声を掛けてるんですが、入りたいっていう男子はいないですね。」

校長「そうですか。やはり男子がどんどん弱くなって、女子が積極的に動く時代なのでしょうか。」

沖田「何とかして日向さんの願いを叶えてあげたいのですが、入部員がいないとねぇ。」

校長「いっその事、男子は諦めて女子だけで始めるなんていかがですか?」

沖田「じょ、女子だけですか?」

校長「冗談ですよ。でも、そうなったら、沖田先生、嬉しいんじゃないですか?」

沖田「止めてくださいよぉ。」

校長「私も試しに初めて見ましょうかね。その、ボディービル、でしたっけ?」

沖田「!?」


放課後の学食。

祢子「ホント、今回の事は感謝してます。私も皆さんのお役に立てる事があれば、是非お手伝いしたいと思います。でも、それだけは無理。そもそも私、皆さんみたいにスポーツやってないし、どちらかと言えば幼児体形だし、この前みたいな格好で人前に出たら、マニアックな写真集みたいになっちゃうよ。」と言いながら、スマホの動画を見せる。若島津のバックで踊っている3人が写っている。

昴「もう、その動画、見ないでよ。貰ったファンの人にも絶対拡散しないように言っておいて。」

祢子「もう、みんなに言ってあるから大丈夫。」

飛鳥「それより、やってみたら意外と祢子ちゃんも似合うかもよ。確かにちょっとそっち系エロだけど。」

あさみ「これから筋肉付けていけば良いじゃん。それに、これはクラブ活動であって、別にすぐビキニで競技に出る訳じゃないし。祢子ちゃんにそれなりの筋肉が付いて、出たくなってから出ればいいじゃん。とにかく、五人集めるの、協力して。お願い。」

祢子「う〜ん。協力はしてあげたいけどさぁ。私が運動をするっていうのが、どうも。」

祢子のスマホの呼び出し音。勿論、自分の持ち歌。

祢子「社長からだ。ちょっとごめんね。」

祢子が出て行くのと行き違いに若島津が入って来る。

若島津「みんなここに居たんだ。この前のお礼。はい、手作りなんだけど、プチブッシュドノエル。一人に一つあるからね。」

昴「どうして、この時期にブッシュドノエル?」

あさみ「学校に持って来ていいのですか?」

飛鳥「ま、こういう娘なのね。有難う。遠慮無く貰っておくわ。」

若島津「飛鳥さんは水泳部と思ってたのに、あんな活動もされていたのですね。」

飛鳥「まあね。かれこれ、この前のが第一回。」

若島津「……?」

あさみ「あ、あの、実は今、私達、ボディービル部を作りたいって考えていて、今頑張ってるとこなんです。」

若島津「……うちの高校にボディービル部なんて珍しいクラブがあったら知らない筈ないのに、どおりで記憶が無いなぁって思ってたけど、やっぱり。」

あさみ「部として成立するには五人必要なんですが、まだ、この三人しか居なくて。顧問の先生も決まってるのに。それで祢子ちゃんを口説いていたんです。」

外から祢子の、怒ったような声が聞こえて来る。

若島津「ということは祢子さんが入れば残り一人で、その一人が見つかればボディービル部昇格。」

飛鳥「別に今やってるの、同好会でも無いけどね。」

若島津「私、入ります。入部させて下さい。」

一同「…………。」

昴「一緒に頑張っていきま」

飛鳥「ちょっと待って!若島津さん、そんなに簡単に決めて良いの?」

若島津・昴「……、」

あさみ「……飛鳥先輩も即決だったのにぃ。」

若島津「まあ、音楽は卒業したけど、細々と詩書いて、自己満足で曲付けて、受験勉強して、入れそうな大学入って、七十年代のフォークのような生活が出来れば良いかなって思ってきた。」

飛鳥「私達にはちょっと理解無理かも。」

若島津「♬あなたは もう 忘れたかしら。」

飛鳥「何を?」

若島津「七十年代を代表する曲の一つ、南こうせつの『神田川』。」

ハードケースより白いギターを取り出す。

若島津「♬あなたは もう 忘れたかしら

♬赤い手拭い マフラーにして

♬二人で行った ヨコチョの風呂屋

日本で最初の万博が大阪で開催された時代なのに、家に風呂が無いんだよ。」

飛鳥「それより"ヨコちょ"ってどこ?」

若島津「♬下駄を鳴らして 奴が来る 腰に手拭いぶら下げて

そんなのが闊歩してる所に、下宿屋のおばさんが酒持ってやって来る時代って、みんな今よりもっと自由だし、自分と向き合う時間が有ったんだと思う。」

飛鳥「下宿屋のおばさんって、親戚?」

若島津「学生紛争で安保反対とかベトナム戦争反対とか言っている裏では、

♬僕らの名前を憶えて欲しい

♬戦争知らない子供達さ

って曲が流行って、大学の塔に立て籠もって、放水車に水かけられるような、言わば激流の時代を通り過ぎた若者が

♬そんな時代も あったねと いつか笑って 話せるわ

って思える未来を予想してる。やっぱり、フォークは人生の原点であり教本であり、悪魔でもあるのかな。」

飛鳥「……別に無理して辞めることもないんじゃない?」

若島津「……挫折を味わってこそのフォークなの、人生なの、優しさなの!」

外から祢子の困り果てた声が聞こえて来る。

若島津「音楽の挫折は味わった。だからこそ、今、新しい自分を見つけたいの。

……確かに私の体型じゃあ、先は長いし、みんなの足を引っ張るかもしれない。」

飛鳥「引っ張るって、そこそこは出来るつもりなのね。」

あさみ「飛鳥先輩!」

若島津「だから、今、何でも新しい事に挑戦したい気分なの。新しい自分に生まれ変わりたいの。お願い、私も入部させて。」

飛鳥「……」

若島津「飛鳥さんとこんなに喋ったの初めてだけど、ずっと憧れてたんです。

クラスから一人、生徒会の立候補者を決めなければいけないって時も、成績優秀、スポーツ万能、みんなからうちのクラスの立候補者は飛鳥さんしかいないって、クラスがまとまりかけた時も、『私、協調性無いし。』って一言で全員を納得させたよねぇ。」

飛鳥「そんなこと言ったっけ〜。」

若島津「その姿が、どれだけ格好良かったか。私、飛鳥さんと弥子ちゃんと一緒なら頑張れると思うんです。」

外の祢子がため息を吐きながら電話を切る。

飛鳥「そこんとこなんだけどさぁ。ちょーと勘違いしている所がありそうな」

祢子「あさみちゃん、聞いてよ。」

若島津「祢子ちゃん、私もボディービル部に入る事にしたの。一緒に頑張ろ!」

飛鳥「その事なんだけど、」

祢子「え、若島津さんも……。宜しくお願いします。」

飛鳥、あさみ、昴「え!?」


職員室。

沖田「女子ばかりのボディービル部かぁ。まんざら悪くは無いよなぁ。でも、どう教えれば良いんだろな。いや、女子だからといって区別するのは不純じゃないか。あぁ、でも妄想がぁ。」

一人ニヤつく沖田。それを見て遠くで同僚先生達が、ひそひそ話しをしている。

あさみ「失礼します。」

五人の女子が入って来る。

あさみ「沖田先生。五人揃いました。これで部は成立しますか?」

沖田「え?揃ったのかぁ?やったな。よく頑張った。で、…え?ご、五人って、この五人で……すか?…ちょ、こ、こ、こーちょーせんせー。い、いや、きょーとーせんせー……」

五人「?」

同僚先生も立ち上がって心配している。


廊下ですれ違う日向に唐突にVサインをされた。あっけに振り返る僕に、日向も振り返りガッツポーズ、いや、両手がグーではなく、力強く開いている、ボディービル特有のポーズだ。初恋の女性に興味は残っているが、ますます捕らえようの無い女子と感じる瞬間であった。


*    *     *


沖田「二つある体育館用具室を整理して、無理矢理部室も作った。僕の家から鉄アレイとか、幾つか持って来た。

校長も応援してくれてるけど、新しい器械は申請して、予算を計上して、入札してから納品される。早くても来年の夏ぐらいしか、思っているマシンは入って来ない。しかも一台づつだ。それまで、極力、応援はする。

でも3年の二人は、まともなトレーニングを経験する事無く、卒業することになる。それは分かって欲しい。」

若島津「そんな事気にしてません。すぐ先の未来が分からないという私が好きなんです。」

沖田「?」

飛鳥「私も気にしないのよん。沖田先生は精々この子達の事を気にしてよね。」

沖田「そ、そうか。とりあえず、初めての新しい部であり、前例の無い事ばかりだから、苦労はするけど、僕は僕なりに頑張ってみる。みんなの期待に応えられないかもしれないけど、まずは何でもやって行こう。」

あさみ「祢子ちゃんにしても、若島津さんにしても、ボディービルの一番重要なポイントは運動では無く、じつは食事なんだけど、こればかりは御両親の全面協力無しに出来ない事なんです。

普通は食事制限をして、プロテインとサプリメントがメインになるんだけど、流石にお金もかかる事だし、私お勧めのサプリメントだけ、食事と一緒に摂るようにして。

あと、ボディービル部の活動としては、まずは基礎だけでやって行くしか無いと考えています。」

沖田「そうなんだよなぁ。俺もボディービルの経験もあるし、教える事が出来るって、職員会議で豪語したんだけど、いざ目の前に置かれるとどうすれば良いか、真っ白になっちゃうんだよねぁ。とりあえずルーティンは考えたんだけど……。」

昴「柔道部ではバーベルを使わずに、他の部員を背負ったりして体力を付けるトレーニングをやっていたのですが、そういうのって役に立ちませんか?

その方法であれば私は教えられます。」

飛鳥「流石、昴ちゃん。そういうのであれば、私も呼吸法をお教え出来るわよ。ただしプールでないと教えられないから、みんな水着でね。

昴ちゃんの競泳水着姿なんて、考えるだけでゾクゾクしちゃう。柔道着の下が競泳水」

昴「勝手な妄想は止めて下さい!」

あさみ「とにかく、みんなで意見を出して、出来る事は全部してみましょう。」

若島津「このハングリー精神こそが私の生きる道だと思う。みんな、頑張りましょう。ファイトだみんな!」

沖田「が、頑張ろうな。み、みんなで頑張ろうな。」

飛鳥「先生って、ウブね。」

若島津「飛鳥さん、流石にそのセリフは昭和過ぎてる。」


*    *     *


シュールな筋肉質の人型のエッチング画の前に踊る「入会金無料キャンペーン中」の文字。あさみの父親がポスターを眺めている。静かに手を伸ばし、ポスターを剥がす。綺麗に丸める。


*    *


早朝の公園、どこか昭和漂うエンジ色のトレーニングウエアの若島津。軽く柔軟体操の後、ジョギングを始める。

祢子「若島津さ〜ん!」

若島津「あ、祢子ちゃん。」

祢子「考える事は同じようね。やっぱりみんなと圧倒的に体力が違うから、足引っ張んないようにしなきゃね。」

若島津「私も祢子ちゃんと一緒だと、さらに頑張れる気がする。」

祢子「私も同じですよ。」

若島津「祢子ちゃん、最後まで入部拒否してたっていう話だけど、どうして、こうなったの?」

祢子「若島津さんの引退ライブの時に社長来てたの知ってた?あさみちゃん達のパフォーマンス見ててさぁ、これはいける!って考えたみたいで、私にあの三人との関わりを無くさないようにボディービル部に入れって言われてさぁ。」

若島津「それであの時の会話が出た訳か。」


祢子「とにかくアイドルとして売り出そうとしているの。」

あさみ・昴「えー!」

祢子「こんなの反対だよね!」

飛鳥「別に良いんじゃない。大会に出るより遥かに近い目標だし、何より3年生の私達には時間が無いんだから丁度良いんじゃない?」

祢子「えー!」

あさみ「昴は反対だよね?」

昴「い、いや、そんな活動も良いんじゃないかなって、ちょっとは思ってる。」

祢子「えー!さらに、えー!私、みんなの足を引っ張るだけしか出来ないよ。」

飛鳥「良いんじゃない。祢子ちゃんに引っ張られる程の華奢な足もあいにく持ち合わせてないし。それより祢子ちゃんが入れば、あさみちゃん念願のボディービル部誕生なのでしょ。きっかけにいちいち深い意味を求めてたら、新しい事は出来ないんじゃないかな。せっかくここに、この五人が集まったんだから、そっちを大切にする方が良いんじゃない?運命に集いし五人ってどう?祢子ちゃんも色々あると思うけど、呼ばれるうちが華よ。」

横で唖然とする若島津。

あさみ「祢子ちゃん、一緒に頑張ってもらって良い?」


若島津「祢子ちゃんは、それで良いの?」

祢子「……、」

若島津「私的には、こうして朝早く起きて運動するなんて、フォークの世界ではあり得ない世界だったんだけど、実際に早起きして気持ち良いって感じてさぁ、今、私は新しいステップに踏み出したんだって思うの。以前はこんな感じ。

♬何かを求めて振り返っても

♬そこにはただ風が吹いているだけ

でも今は違う。自分で風を感じられるし、ひょっとすると、風を起こす事も出来るかもしれない。それは祢子ちゃんに教わった。」

祢子「そこまで考えてくれてるのは嬉しいけど、」

若島津「最終的には祢子ちゃんのやりたいようにすれば良いと思う。けど私は、転んだって先が見え無くったって、前へ前へ突っ走って行こうと思う。」

祢子「……」

若島津「とりあえず、先に行くね!♫君は 何を今 見つめているの…」


放課後の部室に外から入って来る五人。全員、息を整えながら入って来る。祢子と若島津が真っ先にへたり込む。

昴「若島津さんも祢子ちゃんも大丈夫?もうちょっとペース落としても良いよ。」

あさみ「一気に無理せず、ゆっくり慣れていったら良いからね。そうだ、せっかく沖田先生の重さを変えられる鉄アレイがあるから、ちょっと真似事でやってみる?そのまま仰向けで寝ててね。これを持って。」

若島津「いきなりその重さって…、お、重い。」

あさみ「さぁ、上げてみて。」

若島津「こ、こんな重いの…、えい!」

あさみ「ほら上がった。じゃぁ次、祢子ちゃん。流石に祢子ちゃんはこの重さは無理でしょうから、ちょっと軽くするね。」

祢子「それでもその量なんですか?」

あさみ「これでやってみて。」

祢子「お、重いです。あが、ん、ない。」

飛鳥「せーので、一気に上げてみて。」

全員「……せーの!」

祢子「う!あ、上がりました!」

昴「凄いよ。祢子ちゃん!」

あさみ「じゃぁ、この重さで、若島津さん。持ってみて。」

若島津「ん!」

あさみ「簡単に上がるけど、今度はゆ〜っくり上げてみて。」

若島津「う!…………、上がんない。」

あさみ「これがゆ〜っくり上げれるようになれば、理想の筋肉が付いて来るの。」

祢子「私にも持たせて。……う!……ふ!」

あさみ「だから、無理しちゃダメだってさ。筋肉は一気に頑張ったら一気に付くとか言うものじゃないの。日々の少しずつの蓄積が大事なの。……私、おとうちゃんに相談してみる。うちのジムのマシンが使えるのが一番の近道と思う。」


唖然とするあさみ。

昴「あさみ、大丈夫?」

あさみの目線の先は、マッスルスポーツクラブの看板を外す高所作業車、マシンを運んで来ては積み込んでいるトラック。恐る恐る中へ入る五人。

あさみ「……、」

父「あぁ、おかえり。ダンスの子も、久しぶりなのにこんな状況でごめんね。隅っこのマシンの外したところで良かったら使っても良いよ。あさみ、箒だけはかけろよ。」

飛鳥「これは、どういう事ですか?」

父「実は…、ここを閉めることにしてね。飛鳥さんにも結構通って貰ったけど、戻る場所を守れなくてゴメンね。」

昴「あさみちゃん、ひょっとして、ボディービル部の事、お伝えして無いの?」

父「ボディービル部?」

あさみ「……」

祢子「あさみさんは、高校でボディービル部を作ったんです。」

父「ほう、そうか。ボディービル部か。最近、ジムのマシンあんまり使って無いな〜って見てて、とうとう離れていく時期なのかなって思ってたけど、そうか。そもそも女子高校生でボディービルやってる奴、いないからね。」

あさみ「……」

父「この前のダンスの練習してる時にも来てた会員さんの原ちゃん、あの人実は引越し屋の社長で、おとうちゃんは原ちゃんの会社で引っ越し屋さんになりました。」

あさみ「分かった。」

みんな無言のまま、淡々と残っているマシンが運び出されるのを見ている。

あさみ「おとうちゃん。ちょっと運び出すのを待って貰っても良い?無くなる前にマシンってこんな感じって部員に触れて欲しいの。」

父「分かった。部員の男の子を連れておいで。」

あさみ「部員はここの五人です。」

父「まじ?」

飛鳥「宜しくお願いしまーす。」

父「え、ホント?え、あ、いや……別に慌てなくても。……その辺の残ってるやつは持ってかれないから。デジタルで計測するやつは、まだ売れるけど、旧式のやつは引き取ってくれないから。……これって、そのボディービル部で使う?高校に持って行くなら、原ちゃんに言って車借りるし。」

あさみ「…ごめん!」奥に走って行く。

祢子「あ!あさみちゃん!」

飛鳥「そっとしておいてあげましょ。」

父「……」


その帰り。

飛鳥「昴ちゃんと日向さんって、ホント、仲が良いのね。嫉妬しちゃうぐらい。」

昴「幼稚園の頃から一緒なんです。」

若島津「ねぇ、星野さんも挫折した事ってあったりする?」

昴「そりゃ、挫折の連続ですよ。」

若島津「へ〜。今まで、最大の挫折ってどんなの?」

袮子「それはですね〜。」

昴「袮子ちゃん、やめてよ!」

飛鳥「私も聞きたいな〜。」

昴「え〜。」

袮子「不良になれなかったことが、一番最初の挫折なんですよね〜。」

昴「勝手に言わないでよ。

中学に入ってすぐの時、大人に憧れて、なぜか大人イコール不良って思ってたんです。で、強い不良になりたくて、不良と言えば格闘技って勝手に考えて。その時にシュートボクシングを知って、これだって思って。」

若島津「シュートボクシング?」

昴「ボクシングに足技や投げ技もOKなスポーツなんですが、つい、はまっちゃって。」

若島津「で、不良にはなれたの?」

昴「強くなりたくて一生懸命練習したんです。で、半年ぐらい経った時、試合に出る事になったんです。相手は1年上の人だったんですけど、ホントいっぱい練習してたから、負ける気がしなくて。……絶対勝てるって信じてたんですけど。」

袮子「ボコボコにされてたよね。」

若島津「ふ〜ん。」

昴「それでシュートボクシングは辞めちゃって、不良になるという夢も諦めたんです。」

若島津「それじゃあ、もし、その試合に勝ってたら、もの凄い強い不良になってたかもね。」

袮子「さすがに、それは無いんじゃないですか?」

昴「そうですね。もし勝ってたとしても、違う挫折を味わっただけだと思います。」

飛鳥「星野さんも、いろんな挫折を経験してるんだぁ。」

若島津「それが、今の星野さんの強さの秘密かもね。」

昴「若島津さんも、毎週末、欠かさずにライブ活動を続けてたって、凄いと思います。」

若島津「挫折の数だけ強くなれるとすれば、私が一番強い自信がある。」

袮子「きっとそうね。」

飛鳥「若島津さん、最強。」

若島津「ねぇ、星野さん。今度、勝負しようよ。」

昴「え?……何の勝負ですか?」

若島津「う〜んと、」

昴、飛鳥、袮子「……。」

若島津「ベンチプレス!」

昴「!。私、本気でやりますよ。」

若島津「もちろん!」

袮子「昴ちゃんも若島津先輩も、良きライバルになっちゃったみたいですね。」

飛鳥「あ〜あ、私の嫉妬するライバルも増えちゃったみたい。」


*    *     *


プロダクション事務所。ライブ会場の男(社長)とメンバー五人。それに沖田先生。

社長「次回ボディービル競技会に出場して下さい。これは、当タツプロモーションと日本ボディービル協会から春咲高校ボディービル部さんへの正式オファーです。契約書も作成してあります。あとは顧問の沖田先生のサインを貰うだけです。ギャラは出せませんが、必要経費は交通費も含めて、全額当社が負担致します。」

沖田「あの、僕、まったく把握出来ていないのですが、この子達は日向さん以外、競技会に出るなんて、まったく有り得ないのですが。」

社長「競技会に出ると言ったって、競技に出ろとは言いません。競技後の審査発表までの時間を使ってのゲスト出演をお願いしたいのです。」

初老の男が入って来る。

「すいません。道に迷ってしまいまして。皆さんお揃いなのですね。これはこれは若島津さんにまで来て頂いて。そちらの背の高いお姉さんも、直接拝見してもボディービルに向いていそうな感じですね。」

若島津、飛鳥「……?」

社長「どうぞ、こちらに。こちら、ボディービル協会の理事をされている小林さんです。」

小林「初めまして。日本ボディービル協会の小林と言います。今回は皆さんが出て頂くと、競技会自体、大層盛り上がると思うので、是非とも良い方向でお考え頂きたい。」

横で唖然とする若島津。

小林「何せこの世界、全体的に出場者の年齢が上がってまして。その、シニアの方が健康になって頂くのは悪い事では無いのですが、どうも、若い方の参加が少なくて。

ジュニア部門として男子高校生の出場は実際にあるのですが、女子高校生の部は色々あって出来ていないというのが現状でして。もし、春咲高校ボディービル部の皆さんにゲスト出演して頂いて、これが起爆剤になって若い女子の人口が増えて、日本ボディービル界の若返りに繋がればいいな〜なんて思っています。」

沖田「わたくし、春咲高校ボディービル部の顧問をしております沖田と言います。あの……、我々春咲高校ボディービル部は出来て間も無いのですが、どこでお知りになったのですか?」

小林「ネットで見たよ。」

沖田「?」

社長「結構ネット社会では、隠れたブームですよ。」

社長がi-Padの動画を沖田に見せる。

社長「この三人は誰なんだって、ネット上では、結構話題をさらってますよ。」

昴「ひ…!」真っ赤になった顔を両手で覆う。

沖田「こ、これは…、お、お前達…!」

飛鳥「well well.」

あさみ「先生、こ、これは…」

沖田「む、」

祢子「うちのファンがアップした訳じゃ無いと思うけど、おそらく、SNSに乗っけて、それを見た別人がアップしたと思う。うちのファンには絶対禁止って言ってるけど、こればっかりは。」

沖田「う、う〜、」

小林「このパフォーマンスはスポーツ全体への応援歌だと思うのです。自分の健康を保持する目的は良いのですが、それ以外に多くの人への応援が出来る、つまりはボディービルが広く社会へ貢献出来る、それを出場者に見せたい、見て頂きたいのですよ。」

やはり横で唖然とする若島津。

沖田「いや、小林さんの熱い想いは承知しましたが、春咲高校ボディービル部顧問として、流石にこれをお受けする事は出来ません。」

大きく頷く祢子。

沖田「こんなものをボディービルダーに見せるなんて滅相も無い。日向は別として、飛鳥さんと星野君はフロントリラックスすらまともに出来ていない!」

祢子「そこですか!気にするのは!」

沖田「リラックスって言っても、全身の筋肉に力を入れている状態を作らなければいけない。」

小林、おもむろに服を脱いで、上半身、裸に。

小林「これが本当のフロントリラックス。ただし七十歳だけどね。」

社長「で、次の競技会には間に合いますか?」

沖田も上半身、裸になる。

沖田「こっちも数年離れてるけど、七十歳には負けませんから。」

小林「フロントダブルバイセプス!」

沖田「む!小林さんも今でも良い筋肉してますね…」

小林「先生も続けてたらよかったのに…」

社長「日向さんと星野さんと飛鳥さん、出演して貰っても良いですか?」

飛鳥「あれ、三人だけなんですか?今は五人で活動しているんですよ。」

社長「若島津さんは、この前と同じでボーカルを担当して貰います。」

小林「サイドチェスト!」

沖田「ふ!」

若島津「私は歌は引退しました。参加するとすれば、飛鳥さんと同じよう、ポーズで参加させて頂きます。」

祢子「!?若島津さんもあの水着で踊るつもり?」

若島津「覚悟は出来てます。」

社長「ちょっと、その、体型を考えると、ちょっとどうかと思うけど。沖田先生のご意見にも、基本が出来ていなければ、とおっしゃいましたよね。」

沖田「え、なんですか?」

若島津「とにかく、歌は卒業したんです。社長にお世話になった事は勿論忘れていません。でも社長の反対無く卒業ライブまでさせて頂きました。それに関しては感謝してます。正直最初は恨んでました。でも、祢子ちゃんや日向さん達によって、私も変わりました。」

祢子「あの、…私は参加しなくても良いですよね?」

社長「うちで一番に力を入れてるのは祢子ちゃんだよ。」

祢子「……。」

小林「お嬢さん!僕が言うのもどうかと思うけど、ボディービルって生き方なんです。自分をストイックに追い詰め、先無き完成へ努力する。決して筋肉の美しさだけが評価されるのでは無く、滲みでて来る内面を見て感動するのです。」

飛鳥「上半身、裸のご老人に言われると説得力があるよね。こんな機会、滅多に無いわよ。」

沖田「有栖川さん!若島津さんもまとめて僕が一から教えるから安心して。五人で一つに向かって突っ走るぞ!」

飛鳥「沖田先生も服を着てたら納得出来るかもね。あさみちゃんも上半身脱いでみる?」

あさみ「脱ぎません!」

沖田「よし、みんなでフロントダブルバイセプスだ!」

小林「うっ!」二人だけがポージング。

あさみ「意味が解らない。」

小林「沖田先生!なかなか理解されない世界というのは分かってますが!一緒に頑張りましょう!」

沖田「勿論ですとも!」

小林「あと、これはシークレットでお願いします。うちの会長、突然、みんなにアッと言わせるような演出が好きなんです。」

若島津が何となくポーズを真似てみる。


ボディービルグッズ専門店、キレッティ。

店長「流石に二人に合う競技用ビキニは無いけど、今、うちにあるやつで、サイズ的にあるのは、これだと思う。」

あさみ「サイズはどう?」

祢子「丁度良いサイズと思うけど、これで良いの?」

ビキニの祢子が出て来る。

飛鳥「ありゃ、意外とエロじゃないわね。なんか普通に見れる。」

店長「祢子さんのは小学生用だから、結構似合ってると思う。ちょっと胸のサイズに違和感は感じるけど。」

祢子「ちょっと複雑な心境。」

若島津「私、こんなの着た事無いけど、これで良いの?」

続いて若島津も出て来る。

飛鳥「わーお。」

店長「若島津さんのは、これからどうサイズが変わっていくかを見極めないといけないから、とりあえず紐タイプで慣れておいて。サイズも自由に変えられるから。」

昴「こういうのもストックしてるのですね〜。」

店長「なにせ、こんな店なんで、ビルダーだけ相手にしてちゃぁ、食ってけないから。」

社長「こりゃ特注だな。」

沖田「いくらぐらいするものなんですか?」

社長「金額は分かりませんが、うちの経費で作らせて頂きますので御心配無く。」

昴「祢子ちゃん、似合ってるよ。パッと見たらどこかの公立児童プールから来たみたいだけど、祢子ちゃんらしさの健康美が滲み出てる。」

飛鳥「若島津さんも、何か変われるんじゃないかっていう力にみなぎってる。」

祢子、若島津、お互いの姿を見つめ「……。」

店長「写メ撮って良い?」

あさみ、昴「ダメです!」

沖田「さあ、競技会までは時間が無い。それまでに飛鳥さんと星野君はポージングの基礎をみっちり教えてやる。若島津さんと有栖川さんは出来る事をするのみ。日向さん、協力してくれよ。」


スイーツ専門店の店頭、どのケーキか悩む美術部顧問。

美術部顧問「これ五つ下さい。」


誰も居ない体育館。どこからか声だけが聞こえて来る。美術部顧問がボディービル部の部屋の扉を開ける。

美術部顧問「……!」

五人のビキニの女子と沖田先生が居る。祢子と若島津はマシンで鍛えている。飛鳥は沖田にポージングを教わっている。あさみと昴は何やらダンスの振り付けを研究中。

美術部顧問「こ、これは……、」

沖田「先生!みんな頑張ってますよ。どうですか、様になってますか?」

美術部顧問「い、いや、その……格好。」

沖田「え?あ、この衣装ですか?やっぱり筋肉が見えなければ指導は難しいですし、少しでも早く慣れて貰いたいというところから、この格好で特訓しています。」

あさみ「あ、先生!これは私達からの提案で、沖田先生に強要されているとかもありませんから。」

沖田「勿論、この子達の自主的な動きです。」

美術部顧問「これ、教頭先生はご存知なのなのですか?」

沖田「ボディービル部の一つの活動として考えているので、別に報告は不要と考えてます。水泳部が水着になるのと同じで、ボディービルはこのユニフォームなのです。」

美術部顧問「そうですか。ところで、男子が入部する予定は無いのですか?」

沖田「今のところ、難しいですねぇ。多方面に渡って声はかけたのですが。」

美術部顧問「男子部員がいれば、美術部のデッサンに協力してもらう事も出来ると考えていたのですが、女子ではモデル依頼をする事が無理ですからねぇ。」

あさみ「先生、うちの美術部は女子ばかりだから、私で良ければ協力しますよ。」

昴「私も!……本当に私で良ければいくらでも協力します!」

沖田「先生がお困りであれば、僕は何時でも一肌脱ぎますよ。」上下のジャージを脱ぐ。その下はビキニパンツ一丁。

祢子「きゃっ!」

沖田「サイドトライセプス!ふ!」

飛鳥「サイドトライセプス!ふ!」

沖田「このポーズは上腕三等筋を強調するポーズだから、もっとこの部分に力を入れて。」

教頭「遅くまで頑張ってるのですね、…………!」

突然、ドアが開き、教頭が入って来る。

無言の中、若島津の使うマシンの音と「う!」と力む声だけが響いている。

教頭「こ、これは、どういう事ですか?」

沖田「これって?」

教頭「そ、その、恰好ですよ。」

あさみ「この格好は私達から提案したのですが、筋肉が見えないと」

教頭「沖田先生!これは一体どういう事ですか!?」

あさみ「ですから、私達から沖田先生に」

教頭「あなたには聞いてません!沖田先生、答えて下さい!」

沖田「こ、これは、ボディービルにとっての必要な状況です。」

教頭「沖田先生の今の格好もですか?」

沖田「どの筋肉に力を入れるかを教える為には必要な事なんです!」

教頭「見た目には、必ずその格好が必要とは思えませんが。とてもこの状況を見逃す事は出来ません!校長に報告します!」

部室を出て行く教頭。真っ先に動いたのは若島津。体育館の外まで追い掛けて行く。

若島津「教頭先生!」

体育館の外、帰って行く生徒がみんな、真っ赤な紐ビキニの若島津と教頭を見て立ち止まる。

若島津「生徒の意見を聞いて貰っても良いですか?」

教頭「そ、それより、その格好で出るのはどうかと。」

若島津「教頭先生が自分の意見を通そうとするから、こんな格好で人前に出されているんです!」

教頭「い、いや。僕はそんな意味は……」

若島津「じゃあ、生徒の意見をまともに聞いて貰って良いですか!」

周囲の生徒達が騒ついている。

教頭「分かりましたから、とりあえず部屋に戻るのでそこで話しましょう。」

若島津「いや、今聞いて下さい。教頭先生は私達生徒の意見をどうお考えですか?」

すでに一周囲まれている。

教頭「…………、」

若島津「教頭先生は、赤い鳥の『翼をください』ってご存じですか?!」

教頭「え?、そ、その」

若島津「音楽の教科書に載った事もあります。今、私の、願い事が、叶うならば、翼が欲しいっていう歌なんですが、歌詞の最初が『今』で始まるんです。翼が欲しいなんて荒唐無稽な事を言い出す前に『今』という現実的な単語を大前提に置いている。それだけ『今』が大切なんです。

♬今 私の 願い事が 叶うならば 翼が欲しい

♬この 」

教頭「ちょ、ちょっと待って。そ、そ、そ、そう、今、私は見回りの最中なので、ここでゆっくりしてられないので、もう行って良いかな?」

ざわつき始める周囲の生徒達。体育館のドアから、あさみが一歩出るのを止める美術部顧問。

教頭「べ、別に、君の意見を無視する訳ではないですよ。私は私の仕事があるので、もう良いですね。」

「それで生徒の意見を聞いてるつもり!?」

「教頭先生がそんなの信じられな〜い。」

「ちゃんと聞いてやれよ!」

さらに騒ぎ出す群衆。

教頭「い、いや、私は私の職務を全うする為に」

輪の中に割って入る美術部顧問。若島津に自分の白衣を羽織らせて、

美術部顧問「教頭先生、私がこの生徒の意見を確認して報告します。彼女のこの姿をずっと晒すのはどうかと思いますので良いですね。」

教頭「勿論、私としても賛成します。ただ、何故、こんな話になるのかが…、」

「まだ、そんな事言ってるのですか!」

「教頭だったら、ちゃんと生徒と向き合えよ!」

美術部顧問「はい、みんなもここまで。教頭先生が見回りで忙しいのも事実なんだし、その恩恵をみんなが受けているのも忘れないように。気を付けて帰るのよ。解散!さ、若島津さん、部室に戻りましょ。春咲高校ボディービル部の部室に。」

一部始終を体育館のドアから見ている一堂。

沖田「僕みたいな理系でも文系でもない教師にとって、同じ立場のあの先生があそこまで言葉で対処出来るって、本当に凄いと思う。」

あさみ「……!」


3・贈る言葉


ゲスト様と書かれた紙が貼られている。長い廊下はトレーニングウエアを着た人達、首からパスを下げた揃いのTシャツの人達、身なりの良いスーツに白い花のリボンを付けた人達が、ひっきりなしに往復している。社長とカメラを下げた男だけが、扉の前で動かずじっとしている。

内側から扉が開く。

女「もう、入って良いわよ。」

二人、部屋の中へ入って行く。

社長「おっ、みんな様になってるね。」

鏡に向かって座っている真っ赤なビキニの五人と、ヘアメイクとスタイリスト。

(スタイリスト)「社長、若島津さんはこんな感じでどう?」

若島津「どう転んだって似合わないでしょうね。」

社長「そんなこと無いって。レスリングの選手っぽくて良いよ。」

カメラマン「社長、この部屋狭くて、個別は撮れても、全体は無理だね。」

社長「後で合成とかで何とかしてよ。村ちゃんのここでさぁ。」

カメラマン「無茶言わないでよ。」

社長「(スタイリストに)パレオでも付けといて。さぁ、メイクが出来た子から写真撮るからね。」

カメラマン「社長、このテーブル動かすから、そっち持って。」

祢子「(若島津に)一曲しかしないのに、社長、かなり本気だね。」

飛鳥「いよいよ私達の本格的始動だから、盛大でなきゃ。」

若島津「祢子ちゃん、ますます離れられなくなっちゃうかも。」

社長「みんな、飲み物とか大丈夫?トイレに行きにくいとか思って、我慢しちゃダメだよ。」

あさみ「有難うございます。私達の為に、こんなにして頂いて。」

社長「大丈夫。気にしないで良いから。その代りに、ちょっとビジネスにも協力してよね。」

あさみ「はっきり言って、ボディービル部の活動とは少し違うかもしれないけど、こんなに最短で大会に参加出来た上に、ボディービル界のお役に立てるって、感謝しなくちゃね。みんな、私のワガママに着いて来てくれて、ホントありがとう。」

飛鳥「あと、ビジネスのお役にも立てて良かったわね。」

社長「相変わらず、飛鳥さんは辛口だねぇ。」

ヘアメイク「社長、まずは星野さんから上がったよ。」

カメラマン「じゃあ、星野さん、こっち立って。」

ヘアメイク「次、日向さんは、こっち座って。」

社長「そうか。全体写真さぁ、五人がギュギュッと集まって、顔メインってどう?」

カメラマン「真剣に言ってる?この身体写さないで、何がボディービルなんだよ。」

祢子「社長、しっかりして。」

カメラマン「じゃあ、星野さん。幾つかポーズ取ってみて。うん、いいよ。その調子。初めてとは思えないね。」

昴「だんだん、ドキドキして来た。」

社長「大丈夫?」

昴「よっしゃー!」ポーズを取る。

カメラマン「その調子!さすが星野さんは元気があって良いね。いいよ。もう一枚!」

ストロボが光った瞬間、ドライヤーの音が消えた。

ヘアメイク「ちょっと、ブレーカー落ちたんじゃない?何とかしてよ。」

飛鳥「社長さん、しっかりね。」

社長「……」


新しい彼女が出来ないのは、別に未練が残っている訳ではないのだが、時々連絡があるというのも困りものだ。今日は初めて本格的なボディービルを見る事になった。

大きなステージに十数人のビキニパンツの男達が横一列に並び、司会の号令に合わせて次々とポーズをとっている。

客席からも『6番でかい!』とか『8番きれてる!』とか、専門用語が飛び交っている。

司会「3番と8番は前へ。サイドチェスト!」

なぜここに呼ばれたのかは詳しく聞いていない。ゲスト出演するから見に来てとだけ言われた。ただ気になるのは春咲高校の生徒は僕一人だけ。でも校長、教頭、体育、美術の教師四人が揃って会場に現れた所を見ると、何かとんでもない事が起きる予感がする。

司会「7番と15番、前へ。アブドミナル・アンド・サイ。」

校長は入って来るやいなや舞台を、ただ、口を開けて凝視している。

沖田「いかがですか?校長先生。」

校長「これがボディービルですか…。」

沖田「そうです。これが、ボディービルです。」

教頭「?」


進行は淡々と進んで行く。女子の部も有ったが自分の母親以上の年齢ばかりである。いつ、その時が来るのか、全く知らされ無いまま、審査の部は終わった。

やがて司会の声が響く。

司会「長らくお待たせ致しました。成績発表の前に、会長お得意のサプライズがございます。春咲高校ボディービル部の皆さんにパフォーマンスをして頂きます。

部長の2年生、日向 あさみさん、3年生の若島津 忍さん、飛鳥さん、2年生の星野 昴さん、1年生の有栖川 祢子さんです。」

報道と書かれた腕章を付け、複数のカメラをぶら下げた男が反応した。

記者「星野昴!?」

ステージ上はスモークが焚かれバックライトと共に五人のシルエットが浮かび上がる。

司会「曲は若島津さんオリジナルの『power 』!」

昴「よっしゃー!」

星野さんの叫びと共に曲が始まり、明かりが入る。あさみどころか飛鳥先輩もいる。星野さんも知らない人ではない。そんな女子五人が露出度の激しい赤いビキニでの登場である。お揃いのブーツに、バラバラのネックレスやブレスレッド、リボンやヘアアクセサリーなどでそれぞれの個性を出している。若島津さんだけはパレオを付けているのだが、まったく意味をなしていない。筋肉とは程遠い小さな女子も一緒に踊っているが、妙にお客を乗せるのが上手で、観衆の盛り上がりを最高潮に持っていっている。


それらを口を開けながら見詰めていた校長が突然叫び出した。

校長「!……何なのですか、これは!どういうことですか?うちの生徒がどうしてあの格好なのですか?」

うろつく教頭。でも、周囲の盛り上がりは相当なものだ。ボディービルのポーズのような振り付けが出る度に、大きな歓声と拍手が鳴り響く。

校長「沖田先生!どういうことですか?説明して下さい!」

沖田「これが、ボディービルです。しっかり見て下さい!あの美しい身体を!」

校長「こ、これがって、あれですよ!あれ!こ、これを直視出来る方がどうかしてると思います!あなたはそれでも教育者なのですか!」

教頭「校長!だから私は反対したのですが!推し進めたのは校長ですよね!」

校長「!」

教頭「まさか校長は、こんな格好でする競技だという事をご存知無かったのでは?」

校長「!……い、いや、そんなこと、ある訳無いじゃないですか。」

沖田「校長!しっかり見て下さい!あの子達の勇姿を!」

美術部顧問「身体の美しさもさる事ながら、内面から輝いている姿が実に美しい!」

校長「………」

………

記者「こんな活き活きとした星野の写真が撮れるなんて編集長賞もんじゃねぇかぁ?」

………

カメラマン「今度こそいい線狙えるかもな。」

社長「もちろんさ。やっと運命の女神が微笑んでくれたんだ。このチャンスは絶対に逃さない!」

カメラマン「真っ赤なビキニの五人の女神か…。やるね。」

社長「頼む!大きく羽ばたいてくれよ!」


曲が終わる。五人、観客に向かって礼。会場に大喝采が響き渡る。初老の男がステージに登場する。

会長「こんな美しくしかもお若い女性に、本日の競技会を盛り上げて頂きまして、実に嬉しく思います。有難う。本当に有難う。」

再び大喝采。

会長「春咲高校は実に素晴らしい高校です。春咲高校ボディービル部は益々栄える事でしょう。皆さん、春咲高校ボディービル部の皆さんに大きな拍手をお願い致します。」

校長「ちょっと待って下さい!」

会長「…あなたは?」

校長「私は春咲高校校長の山根静香と言います。」

会長「え?」

校長「肉体を鍛えたり競技会に出たりするのならスポーツと言えますが、今の彼女達はただの晒しものです。教育者として見過ごすことは出来ません!春咲高校ボディービル部は廃部にします!」

………

社長「ぁへ、ちょ」

………

教頭「校長!廃部の決定権は職員会議にあります!」

校長「私の権限で通します!」

会長「晒しもの?!これを晒しものって言うかぁ。おい、お前!」

校長「私には山根静香と言う名前があります。」

会長「そんな事はどうでもいい!お前はボディービルを馬鹿にするのか!」マイクを捨て校長の元へ寄って行く。多くのスタッフが飛び出して間に入る。

校長「これだから脳味噌まで筋肉で出来てる男は嫌いなのよ!」

言ってはいけない一言を言ってしまったのを聞いてピンと来た。今僕がここに呼ばれているのは、この時の為に違いない。とっさに声が出てしまった。校長!

会長「誰ですか!あんたは!」

僕が答える。春咲高校の一生徒です!僕は日向がボディービル部を言い出す前から、すぐ近くで見ていました!どれだけ苦労してこのボディービル部を作ったのか、校長はご存知ですか!簡単に潰すって言いましたけど、このボディービル部は校長先生のものなんですか!校長が何と言おうと、春咲高校ボディービル部は日向あさみのものです!

三度大歓声。この後も結構喋ったようだが、あまり覚えていない。ただ、みんなの前で初男子部員入部を宣言した事だけは、はっきり覚えている。


*    *     *


若島津「♬悲しい〜 事が〜 ある〜と〜

♬開〜く 皮〜の 表〜紙」

部室。想い出の詰まったマシンに座ったり触れたりしながら、ひとりアカペラで口ずさむ。

若島津「♬卒業写真の あの人は

♬やさしい〜 目〜を してる〜」

若島津・祢子「♬人ごみ〜に 流されて〜

♬変わって〜行く 私を〜」

祢子が入って来て、若島津とハモる。

若島津「♬あなたは」

祢子「♬あなたは」

若島津「♬時々」

祢子「♬時々」

若島津「♬遠くで」

若島津・祢子「♬叱って」

若島津・祢子「あなたは 私の 青春 そのもの~」

若島津「祢子ちゃん、有難う。祢子ちゃんが居てくれたから、今日まで頑張れた。」

祢子「卒業おめでとうございます。若島津先輩。」

若島津「………そ、その、実は、フォークソングの中に、卒業をテーマにした唄っていうのが意外と少なくて。この荒井由美の卒業写真にしても、失恋の曲なんだけどね。」

祢子「うん。」

若島津「卒業っていう映画なら有名なんだけど。サイモン&ガーファンクルが主題歌、唄ってるやつ。1979年11月、70年代の最後の最後に、海援隊が贈る言葉っていう曲を出したのだけど、それまでは、ホント、卒業の歌って無かったんだよ。その贈る言葉っていうのも、3年B組金八先生ってドラマの主題歌なんだけど、ボーカルの武田鉄矢が主役の中学校教師をやっててさぁ。最終話が中3生の卒業式だから、自然と生まれたのかもね。それも毎週金曜8時から放送してるから『金八先生』って、面白くない?」

祢子「うん。」

若島津「……きっと、どっぷりフォークしてた時代に、卒業で盛り上がらなかったのは、卒業って大人に近付く為のステップだと言って、出来れば避けて通りたかったのかも。」

祢子「………、」

若島津「あ、祢子ちゃんだけ渡せてなかったプレゼントがあるんだ。はい、これ。」

祢子「あ、有難うございます。何ですか?」

若島津「プチブッシュドノエル。」

祢子「え?」

若島津「時代が変わってさぁ、尾崎豊が夜の校舎、窓ガラス、壊して回りながら、一体何を卒業したのかって叫び始めて。

きっと卒業して無くすものを怖れ始めてさぁ。

面白いよね。

……私は、卒業して、一体、何を無くすのかなぁ。」

祢子「……。」

二人の様子を、あさみがじっと見つめている。若島津、それに気付き、

若島津「あ、部長。」

あさみ「…若島津さん、……ご卒業おめでとうございます。それしか言えなくてごめんなさい。」

若島津「あ、気にしないで。私が勝手に背負っているだけだから。それより、私と飛鳥さんが抜けて四人になるけど、同好会に逆戻り?」

あさみ「同好会だった時期はありませんけど、4月に新入生を勧誘して五人をキープ出来れば、クラブとして存続出来ます。」

若島津「じゃあ、頑張って勧誘してね。」

祢子「私!若島津さんが卒業しても、頑張ります!頑張って新入部員を勧誘して、ボディービル部を継続させます!」

あさみ「祢子ちゃん……、」

祢子「それと、

若島津さんは卒業しても、何も無くしませんよ。」

若島津「?」

祢子「だって、若島津さんって、フォークな人だから。」

若島津「祢子ちゃん、ありがとう。

ところで、部長。卒業しても、たまにはこれらのマシン、使いに来ても良い?」

あさみ「もちろんですとも。」

飛鳥「あら、若島津さんにしては、弱気な発言ですこと。」

あさみ「飛鳥先輩。」

あさみ・祢子「ご卒業おめでとうございます。」

飛鳥が入って来る。

飛鳥「ありがと。前ばかりを見て突っ走っている最中の人とは思えない発言ですこと。そうね…、♪青春の 後ろ姿は 誰も皆 忘れてしまう」

飛鳥・若島津「♬あの頃の 私に戻って あなたに 会いたい」

飛鳥・若島津・袮子「♬あの日に 帰るわ」

一同の笑い声。つられる様に、沖田先生と美術部顧問が入って来る。

美術部顧問「賑やかな部室ですね。女性ばかりだから、うちの部も同じぐらい賑やかなので、人の部の事はとやかく言えませんが。」

沖田「みんな集まって、どうしたんだ?…あ、いや、ぼ、僕は、今度、美術部にグロッキーのモデルに呼ばれたから、」

あさみ「クロッキーね。」

沖田「そう、そのクロッキーの打ち合わせ帰りなんだけど。」

飛鳥「それで?」

沖田「い、いや。」

祢子「それにしても、自然にみんな集まって来ましたね。あと、昴先輩と菊池先輩が来れば完璧ってとこですけど。」

飛鳥「菊池君は水泳部の送別会に行ってるわ。」

あさみ「飛鳥先輩は、そこに行かなくても良いのですか?」

飛鳥「途中で抜けて来たとこ。どうも見送られるって、苦手なのよね。昴ちゃんの顔も見ておきたかったし。」

あさみ「私達からすれば、ここでも先輩を見送る事には違いないのですけど。」

飛鳥「ここでは、見送られてるっていう感じがしないのよね。」

祢子「どういうことですか?」

飛鳥「そうね。例えるなら、メドレーで、背泳ぎの私から平泳ぎの誰かへとタッチしたところって感じかな。しかもトップで。」

祢子「わぁ、すごいプレッシャー感じちゃう。」

沖田「有栖川さん、よく意味が理解出来るよね…。」

若島津「そうだよね。卒業って、何かを無くす事ではなく、何かを託すってことなんでしょうね。」

祢子「ホント、若島津さんと短かったけど、同じ活動が出来て良かったと思います。若島津さん、飛鳥先輩、ありがとうございました。」

自然と拍手が響く。そして、沈黙。

飛鳥「……それにしても、あさみちゃん、いや、部長。握手して貰っても良い?」

あさみ「もちろんですとも。」

飛鳥「みんなをお願いね。」

若島津「袮子ちゃん、握手して貰って良い?」

袮子「もちろん。」

若島津・袮子「……今までありがと」

袮子「う ございます。」

若島津「被っちゃったね。」

若島津・袮子「……。」

飛鳥「私ね、手を握った人の心を読めるんだ。」

若島津・袮子「!」

飛鳥「部長の心、読んであげようか。」

あさみ「えっ!」

飛鳥「……、」

あさみ「……!」

若島津・袮子「……?」

飛鳥、おもむろにあさみの手を引っ張り寄せ、ハグをする。

若島津・袮子「!」

飛鳥「……大丈夫だよ。部長なら出来る。」

若島津も、袮子の手を引っ張り寄せ、ハグ。

袮子「!」

若島津「……、」

祢子「…でも、やっぱり、寂しい。……、」

あさみ「祢子ちゃん、泣かないで。祢子ちゃんに泣かれると、私まで…、我慢、出来なくなっちゃう…、」

沖田「やっぱり、みんな、美しいよ。うっ」

飛鳥「え、沖田先生まで…。沖田先生、服を脱いだら涙が止まるかもよ。」

沖田「よし!」上半身裸になる。「やっぱり、涙が、止まらない!」

美術部顧問「沖田先生。また教頭先生に見られたら話がややこしくなるので止めて下さい。」

突然、勢い良く扉が開く。

昴「お疲れ様です!…みんな、抱き合って何してんの?」

飛鳥「別に気にしなくて良くてよ。それより遅かったじゃない。」

昴「久し振りに柔道部に行ったんだけど、後輩の子たちからしばらく連絡が無くて。そしたらその子たち、結構強くなってて、驚いてたとこ。きっと闇練してたのね。って、来ること約束してませんけど。」

飛鳥「そう言えば、そうだったわね。」

昴「飛鳥先輩、若島津先輩、ご卒業おめでとうございます!」

飛鳥「昴ちゃんは、いつも元気一杯ね。これからも、その調子でね。」

昴「はいっ!」

祢子「結局、みんな集まっちゃうんだよね。」

飛鳥「卒業しても、みんなのこと、忘れないよ。」

若島津「みんなとした経験や苦労や楽しかった事もね。」

祢子「ファイトだ先輩!」

若島津「ファイトだみんな!」

全員「おー!」

誰もいない体育館に笑い声が響く。


*    *     *


あの時の写真が載った『月刊ボディービルダー』は発刊以来の発行部数を記録したみたいで、水野とかいう記者が挨拶に来た。それもあって有栖川さんの事務所にも問い合わせが殺到していたようだけど、飛鳥さんと若島津さんの受験がきっかけで芸能活動は一度も行なわれたことは無い。

事務所の社長は残念がって、有栖川さんだけでもステージに立たせたいという話は聞くが、さすがに無理があるのは分かっているようだ。

それよりも沖田先生が転勤する事になった。理由は美術部の先生と結婚を決めたからだ。他に教えられる先生もいないので、日向のお父さんが時々来るようになった。

男子部員も十人にまで増えた。全員初心者だけど。聞いた話だと、有栖川さんが声をかけると直ぐに集まったそうだ。


春咲高校ボディービル部が世間からの注目も浴びなくなった頃、校内の話題を独占したのは柔道部であった。

星野さんの抜けた穴を埋めるべく、後輩達はひたすら練習を重ね、決勝戦へと行けるほど強くなっていた。一年前まで星野さんに付いて行くだけのみんなが、自分達の力で星野さんを呼び戻すのに成功した結果であった。

勿論、高校を挙げて応援する事になる。あさみも有栖川さんも、校長も教頭も、飛鳥さんも若島津さんも転勤した沖田先生までもが応援にやって来た。そればかりではない。ボディービル連盟の会長、キレッティの店長、春咲北商店街のメンバーも駆け付けている。

相手校は昨年惜敗したモニカのいる学校だ。一進一退、勝敗は大将戦にまで持ち越された。因縁の対決、モニカ対星野昴の一本勝負。注目を集め無い訳がない。水野とかいう記者も写真を撮りまくっている。なかなか決着が付かない。そんな中、あさみがおもむろに尋ねてきた。「あの時にさぁ、ほら、校長先生に意見したあの時。どうして助けてくれようと思ったの?」

なぜこのタイミングで聞いて来るのか悩んだが、その答えの方がもっと悩んだ。「もめる事が分かってて、僕を呼んだんじゃないの?」

キョトンとするあさみ。間があった後、声を出して笑い出した。「バカみたい。」

助けてやったのになんなんだと思いつつ、バカでも良いやと落ち着いて、あさみの笑顔を見つめていた。


相変わらず乱れた柔道着のモニカが注意を受ける。気をとり直し審判の『初め!』の声。今回先に仕掛けて来たのはモニカであった。昴の身体を押した後に一気に手前に引き寄せる。技をかけようとした時、昴の柔道着が乱れ、モニカから昴の胸元があからさまになる。モニカの目線の先には、柔道着の下の昴の真っ赤なビキニ。

完全にフリーズして見つめ合う真っ赤な顔のモニカと昴。何が起こったのか分からない審判。静まった会場にシャッター音とあさみの笑い声だけが響いている。


END





















参考


「神田川」(1973年)

作詞 喜多 条忠

作曲 南 こうせつ

歌 かぐや姫



「我が良き友よ」(1975年)

作詞 吉田 拓郎

作曲 吉田 拓郎

歌 かまやつ ひろし



「戦争を知らない子供たち」(1970年)

作詞 北山 修

作曲 杉田 二郎

歌 ジローズ



「時代」(1975年)

作詞 中島 みゆき

作曲 中島 みゆき

歌 中島 みゆき



「風」(1969年)

作詞 北山 修

作曲 端田 宣彦

歌 はしだのりひことシューベルツ



「太陽がくれた季節」(1972年)

作詞 山川 啓介

作詞 いずみ たく

歌 青い三角定規



「翼を下さい」(1971年)

作詞 山上 路夫

作曲 村井 邦彦

歌 赤い鳥



「卒業写真」(1975年)

作詞 荒井 由美

作曲 荒井 由美

歌 荒井 由美



「卒業」(1985年)

作詞 尾崎 豊

作曲 尾崎 豊

歌 尾崎 豊



「あの日に帰りたい」(1975年)

作詞 荒井 由美

作曲 荒井 由美

歌 荒井 由美

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