8 メギルの策略
交易国家イスヴァンの真珠宮は、クラリスとアービドの予想を遥かに超えて、立派なものだった。
やや無骨な石造りの城塞にある、白亜の城は、まるで囚われの姫君の様だ。2人は、真珠宮に繋がる、大理石の階段を上っていく。
普段閉じられているであろう、大きな城門が、舞踏会の客を招き入れるために開かれている。
左右には、磨き上げられた鎧を身に着けた衛兵が立ち、「誰でも入れるわけではない」という雰囲気を醸し出していた。
「私、作法に疎くて……。アービドさんにご迷惑をお掛けしてしまうかもしれません」
「問題ありませんよ。私にお任せください」
アービドの声は溌剌としていて、クラリスは、心から安心した。
幾らか柔らかくなった彼女に、アービドも破顔する。
「クラリス様でも、緊張されることがあるのですね」
「ええ、何分、初めてのことで」
ばつが悪そうに頬を染めるクラリスに、アービドが見惚れていると、真珠宮の中から声が掛けられた。
「やあ! 貴方がたが、ヤシュムの国王とその女神様ですね。お待ちしておりました、どうぞ中へ!」
声につられて2人が中に入ると、そこには華やかな世界が広がっていた。
ガラス細工のシャンデリア、舞踏会を演出するオーケストラたち。今宵のために仕立てたのであろう、美しいドレスを纏ってダンスをする貴婦人――。
クラリスが気を取られていると、再び声が掛けられた。
『私はイスヴァンの王子メギルと申します』
未知な言語。
クラリスは目を瞬かせる。すると、アービドが口を開いた。
『メギル王子。お目に書かれて光栄です。ヤシュムの国王アービドと申します。こちらは、ヤシュムの母であり民たちの花、クラリス様です』
「!」
メギル王子が目を見開く。
「驚いたな。古代語を嗜んでおられるとは。改めて、私はイスヴァンの王子メギルです。お見知りおきを」
「クラリスと申します」
「……!」
アービドの影から、クラリスが現れる。メギルは、彼女の姿を一目見た途端、言葉を失った。彼の周りで踊っていた者たちも、目を奪われて足を躓かせる。
教養もない田舎者と、2人を今宵の笑いの種にしようと目論んでいたのであろう。見誤ったメギルに、周囲の嘲笑を帯びた視線が投げかけられた。彼はわなわなと身を震わせる。暫くした後、再び笑顔を取り繕った。
「そうだ、お噂はかねがね聞いております。何でも、魔物を歌によって鎮められるとか……。そして、色とりどりの花を咲かせられるのでしょう? どうぞ、この会場も彩って頂きたい!」
大声で仰々しく、メギルが両手を広げて周りの視線を集める。
来たばかりだというのに、厄介な者に絡まれてしまった、とアービドはため息を吐いた。
「王子。恐れながら、クラリス様の歌はそのような娯楽に使って良いものではありません」
「しかし、歌と言うのは本来娯楽ですよ?」
「ただの歌ではございませんので」
普段は穏やかなアービドが、鋭い雰囲気でメギルを睨みつけた。
「女神様はどう思われます?」
アービドでは話にならないと、メギルがクラリスに話を振る。しかし、既に彼女の意識はメギルにはなかった。
(あの料理、見たことがないわ)
3人がいる場所から遠い場所にある、料理の数々を、クラリスは必死に見つめる。その表情は真剣で、お馴染みの半眼が剣呑な光を帯びた。美人が怒ると怖いというが、彼女はとびきりの美人。クラリスの顔を見て、メギルはひっと声を上げた。
それまで、メギルの大げさな台詞を聞いて、「では私のお庭にも――」と噂していた貴族たちも、息を潜めている。
アービドが感心した様子で、僅かに目を開いた。
(クラリス様の表情一つで、このように空気が変わるとは。私が、ごちゃごちゃと喋るまでもない)
「そこまで拒否されると、却って気になりますなあ! そこの者、あれを持ってこい」
メギルは、どうしても2人に絡みたいらしい。
近くの城仕えに命令を下し、なにやら大きな四角いものが運ばれてきた。布が覆ってあり、中を見ることは出来ない。
「これならいかがですか……!?」
バサリ、と覆っていた布が外され、四角い物体の正体が明らかとなった。
それを見た貴婦人たちが、大きな悲鳴を上げる。
「魔物!?」
アービドがクラリスを庇い、前に出る。
「ご安心を。檻に入れてあります。しかし脅威であることは確かです。さあ、女神様」
「……無礼なっ! クラリス様、帰りましょう」
アービドが大声を上げ、踵を返そうとしたその時、狼の姿をした魔物がけたたましく暴れ出した。メギルが音に驚き、尻餅をつく。
「あはは……驚かせやがって。後でまた調教してやる」
無様にメギルが自らを取り繕うと、魔物が彼を睨みつけた。そして、再び激しく檻に突進し、その檻が壊れてしまう。優雅な舞踏会は、あっという間に絶叫の渦へ投げ込まれた。
(まずい、ここで王子が死ねば、責が我らに来るやもしれない)
アービドは、周囲がパニック状態の中、冷静を保っていた。魔物は、今にもメギルを食い殺しかねない勢いだ。
「クラリス様、お逃げください!」
クラリスと、怯えて動けないでいるメギルを庇うように、アービドが魔物の前へと躍り出る。それを見て、クラリスは自分の体から血が抜けていく心地がした。
その時、彼女は思った。アービドを失ったら、どうしよう。絶対に、傷ついてほしくないと。
(どうなってもいい、彼を助けたい)
その激しい感情が、心の中に燻って、彼女にある思いを自覚させる。
(彼が、大切だから)
見つめる先、追いつめられた状況の中でも、アービドは凛としている。
彼は、自分が傷つくより、クラリスに降りかかってしまうかもしれない、一つの可能性を危惧していた。アービドは憎々しい表情で、この場に来たことを後悔した。
会場の2階に、キラリと矢じりが反射するのが目に入る。予めこの事態を想定していたかのように。メギルが、にやりと笑う。
――まさか。
(謀られたか。ここまでするとは、この男……。歌わなければ、御伽噺の女神様。歌って場を収めれば、王子を助けた女神と、イスヴァンに力を利用されてしまうお膳立てになる)
このメギルは、一見軽薄そうだが悪知恵が働くらしい。檻が外れたのは計算づく。魔物はいつでも殺せるのだろう。なるほど、彼の生み出したこの惨状は、2人を困らせるのに十分だった。
そして、逃げろと言われて、クラリスが逃げたことは一度もない。罠だと気づくにはもう遅く――。
阿鼻叫喚の舞踏会。闇に一筋の光が射すように、柔らかな歌声が広がり始める。その声を聞いて、興奮した魔物が次第に落ち着きを取り戻していく。
そして、黒く染まった身を、真っ白な毛に染め上げた。
「クラリス様……」
アービドが力なく、短剣を鞘に戻した。
「……ハハハ、素晴らしい! 貴女の力は、ヤシュムで燻るにはもったいない。私と手を取り合い、大陸を統一しましょう!」
狂った笑い。水を得た魚の如く、生き生きとメギルが喜びの声を上げる。そこに、静かな声が響いた。
「やめなさい、メギル」




