2 神殿が出来ました
それからは早かった。
アービドは大変裕福な家の貴公子だったようで、その潤沢な資産を余すことなく使った。沢山の人がやってきて神殿を作り始め、あっという間に半分ほどが完成したのだった。
クラリスは何もしないわけにはいかず、労働者に水を配ったり、いたわりの言葉をかける。気になったのは、労働者の殆どが哀れなほどに痩せこけていたことだ。
「あのう、アービド様」
「クラリス様! どうぞ私の事はアービドとお呼びください。どうかされましたか?」
「では、アービドさん。ここで働いている皆さんは、どうしてあんなに瘦せてらっしゃるのでしょうか」
「それは‥‥‥」
アービドが顔を曇らせる。まるで、誰かに叱られているかのような表情だ。そして、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「この砂漠の地エルファラでは、思う様に作物が育ちません。水は、王族が使える力により配分されますが‥‥‥。見返りに、民は重課税を強いられております。故に、民たちは常に飢えているのです」
「なるほど、そうでしたか。では、皆さんを今からお腹いっぱいにいたしましょう」
「クラリス様?」
多くの労働者が森を行き交いする中、突如として、甘やかで美しい声が森全体へ広がった。
人々は手を止め、その歌声に聴き入る。木々が嬉しそうにざわめき、クラリスの周りに様々な果物を実らせた立派な果樹が生えていく。
近くに居たアービドは後ずさりし、驚嘆の息をこぼした。
(やはり、美しい‥‥‥)
砂漠には今まで何もなかった。
渇き飢えた地は長い年月をかけ、その地に住んでいる民の心さえも乾かした。
エルファラの第2王子、アービド・アル=ジュハイラも例外ではない。宮殿では熾烈な継承権争いに巻き込まれ、生き残るのに必死な日々。しかし彼は、誰もが権力を欲する中、1人、民を思い彼らを助けていたのである。
その道は険しく、彼もまた渇いていた。
だがどうだろう、ある日、天から贈り物が授けられた。今まで見たこともない瑞々しい緑。それを司る美しい歌声の女神に、誰もが心奪われずにいられない。
アービド含め、砂漠の民たちは涙を流し、クラリスに平伏した。
「女神様、万歳‥‥‥!」
「お恵みに感謝いたします!」
クラリスは歌い終わると、辺りを見渡し、その顔に優しい微笑を浮かべた。但し、この笑みは平伏されてる状況を飲み込めなかったためである。
「ええと。果物や木の実もありますので、皆さんで食べてくださいね」
「おお! なんと慈悲深い」
「一生御身にお仕えいたします!」
「はあ‥‥‥」
大げさだなあと彼女は半眼になる。
周りは関係なしに、クラリスの起こした『奇跡』を讃えた。
月日がたち、英気を養えた人々によって神殿はあっという間に完成した。
そして、『エルファラの緑の神殿に行けば、食べ物を得られる』という噂がまことしやかに囁かれ、その緑の神殿にはより沢山の砂漠の民が集まるようになったのだった。
本来であれば、樹齢1000年以上は経っているように見える大樹。
根元の空ろに入り込む形で、神殿は大樹と一体になっている。外壁は無垢な白。周りには様々な花が咲き乱れ、この場所の豊かさを象徴していた。
大樹の中は空洞になっていて、神殿と続く2階部分が、クラリスの住居となった。こんなに良い所に住まわせていただいてもいいのでしょうか? とクラリスがアービドに聞いてしまうほど、造りは立派だ。
窓を開き森を見渡すと、沢山の人が神殿と少し離れた位置でテントを張り、そこで寝泊まりしている様子がうかがえた。
「私だけ木造の家に住むのは、気が引けるわ」
クラリスがため息を吐くと、ノックの音が聞こえた。
「はい」
「クラリス様、あの件ですが」
「どうぞ、お入りになってください」
「かしこまりました」
入室を促すと、アービドが遠慮がちに部屋に入ってくる。
「お許しさえいただければ、私の力とクラリス様の力で、民たちの家を作らせていただきたいのです」
「許しなどいりませんわ。私の力は、人を助けるときに使うものです」
「‥‥‥貴女様がこの地に降りて下さって、本当に良かった」
(だって、衣食住すべて与えていただいてるし、少しは働いて恩返ししないと)
そう、ボロボロだったドレスは、神話の女神が身に纏うかのような純白のドレスに代わっていた。ビーズ等を使用し、細かく刺繍されている。艶を取り戻した春色の髪は、編み込みになっていて花がさしてある。その出で立ちは、クラリスの神々しさを強く増していた。
(いくら食糧係とは言え、貢がれすぎよね)
クラリスが考えに耽っていると、それまで話していたアービドに問いかけられた。
「クラリス様?」
(やばい、話の内容聞いてなかった)
ここはやり過ごそう、とクラリスが曖昧に微笑む。
その笑みを見て、アービドは頬を染める。そして、クラリスに跪いた。
「我が花よ、私の命、剣、英知を全て貴女様にお捧げいたします。どうぞこの、新エルファラをお導きくださいませ――」
「‥‥‥‥‥‥んん?」