マニュアル
地球から遠く離れた星との間を結ぶ宇宙船が飛んでいた。これらの宇宙船は、大きく分けると「人の運搬」「資源や資材の運搬」に別れる。その中でごく雑多な資源や資材だけを載せた運搬船はコンピュータプログラムにより無人で運行されている。人を運ぶ船や精密な機械を運んだりする船は、基本の操縦はやはりコンピュータ任せだが、不測の事態を想定して最低2名の人間が乗り込んでいた。
「新型は、ここまで進歩したんですね」
若い副機長が操縦席でしきりに感心してそう言った。彼は長距離星間運搬船の乗務はこれが初めてだった。
「もう、人が乗って運行する星間運搬船は精密機器などの運搬だけだからね。この機体は、操縦席の前にあるモニタに映る指示通りに操作すれば、問題なく飛ばせる。その分だけよく出来ていると言ったところかな……キミも、リラックスして且つ慎重にな」
ベテランの機長はいかにも「私は分かっている」という感じに答えた。
「はい。よろしくお願いします、機長」
機体は離発着、宇宙空間での運行、更にある程度のトラブルにも全てが通常はフルオートだったから、彼らはそれを監視しているに過ぎない。けれど、どんな場合も予期せぬ事は起こりうる。そんな時の為に彼らはこの機体を手動で飛ばす訓練を受け、パイロットであり機体の整備や修理もある程度こなせる。
彼らのようなパイロットは、他の星の開発に欠かせない花形職業であった。企業経営以外に職業として憧れを持たれるようなものは、この時代、このような宇宙船パイロットを含めていくつかしか存在しなかった。
彼ら二人が操縦する船は数ヶ月の長旅の末に資源採掘基地のある星に到着した。
地球からは先方の星に無い物資を載せて行き、着いた星からは資源を載せてまた地球に帰るのだ。特に彼らのような、有人宇宙船での運搬は今は「デリケートな品」しか扱わない。
「積み荷の数量。積み方も完璧です」
副長は手にしたタブレットのチェック画面を見ながら機長に報告した。
「うむ。この荷は、荷室を最適の状態にしたまま運ばないとダメになってしまうから、その点に十分注意をしてくれ」
「はい。機長」
運搬船が地球への帰路について数日が経った。それまで何の問題も無かったのだが、
「機長。機のエンジンに問題があるという警告が出ています。出力が弱まっていて、他の星の引力などの影響で地球への進行が維持できないと……」
副機長は操縦席のモニタにもいろいろ目を通したが、どこがどう悪いのかは判別できないようだった。
「ううん。コンピュータの指示はエンジン自体の目視確認をしろ、か……めんどうなことになったな。私が機関室に行って見てくるので、キミはここで故障箇所が分からないかコンピュータでのチェックを続けてくれ」
「了解しました」
機長は操縦席を離れてドアを開けて出て行った。
その間も、地球への軌道を外れた宇宙船は、どんどん流されてあらぬ方向へと吸い寄せられるように飛んでいた。コンピュータは各種の警告を発していたが、副機長は慣れない操作をしている上に警告サインの頻発で慌てふためき、「とにかく故障箇所の特定だ」とコンピュータのモニタに機体の関連情報を表示させて見入っていた。機長も機関室に着いたが、エンジンの見た目から判断できるような問題は見つからなかった。
二人がそうして、機体が今どういう方向へどのように飛んでいるかから目を離している間に事態は更に悪くなって行った。簡単に言うと、車の運転中に物探しに熱中しているような状態だった。
操縦席に機長が戻ってきたとき、副機長はまだ自分の前のモニタに映るエンジン関連のチェック画面に没頭していた。機長は自分の席の側のモニタに非常に危険な状態を示す警告サインがいくつも出ているのを見て慌ててシートに座った。
「キミ。この警告、いつから出ているんだ?大変だ」
副機長はそう言われて初めてそれに気づいた。エンジン出力低下、機体姿勢不良、航路逸脱、その他もろもろ……そしてコンピュータの音声で、
『衝突警告。軌道を修正してください』というアラートが流れた。このまま進むと、あと数分で小惑星に衝突してしまうという最悪の警告だった。
「いかん。なんと言うことだ……」
機長は呻いた。どうすれば衝突を回避できるか、まるで思いつかなかった。
「私には、どうすればいいか分かりません。何か指示を!……機長!」
彼ら二人は操縦については十分な訓練を受けていたし、機長もベテランだった。けれど、滅多に無いトラブルについては、無知だった。
「この最新型機体のいいところさ。落ち着いて、さっきのようにコンピュータの指示を見てみる」
機長はモニタ画面で緊急時の操作を呼び出した。
「緊急時対応もモニタに出る指示通りにすれば、万全なはずだ」
機長は冷静を装うように落ち着いた声でそう言いながら操作した。するとモニタ画面には、
『発令したトラブルが多すぎます。有効な対処は、「緊急時対応ボックス」を見てください』と表示された。それは機長の足元の奥にある物だった。機長はその赤い「緊急時対応ボックス」と書かれた小さな扉を開けた。中には、
「これが……緊急時対応マニュアルなのか……」
片手で掴むのもやっと位の厚みのある、辞書のような紙製の分厚いマニュアルが入っていた。表紙にはしっかりと「緊急時対応マニュアル」と金文字で刻印されている。
「今からこれを読んで、一つ一つチェックなどしている暇は無い……脱出するにも、もう脱出艇に行く時間が無い」
小惑星は目の前まで迫っていた。機長の姿を見て肩を落とす副機長。機長は、あきらめ顔で緊急時対応マニュアルをめくって見た。最後の方のページに「各種 祈り方」というのを見つけた。機長は言った。
「もうこれしか無い。私はこの方法で祈ってみる。キミもどれか選んでやってみたまえ」
機長は分厚いマニュアルを副機長に手渡した。マニュアルを受け取った副機長は、
「しかたがありませんね。最後の最後ですか……では、私はこの祈り方で……」
二人はそれぞれ違うやり方で祈り出した。熱心に祈った。これほど心から祈ったことは無かっただろう。
機長は祈りの勢い余って立ち上がり天井に頭をぶつけた。副機長は激しく頭を垂れて前の装置に頭をぶつけた。彼ら二人が同時に思いがけず触れたスイッチの操作は、船をギリギリで小惑星への衝突から救ったのだった。
タイトル「マニュアル」