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紫音の約束   作者: 吉田和司


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「結婚したてのあなたに、こんなことを言うのもなんですが、女にとって結婚というものはいったい何なんでしょうか?私は今もってそれが何なのかさっぱり分らないでいるんです。おかしいでしょう?この歳になってまだこんなこと言ってるなんて」

「いいえ、そんなことありませんよ、お義母さん。それは誰にでも一度は思うことですから。先程も言いましたが、男は女によってずいぶんと影響を受けますが、その逆ももちろんあるわけで、むしろ女の方がその影響は大きいかもしれませんからね。まあ人によって違うでしょうが」

「そこがまた不思議なところで、そこに何か見えない糸のようなものがあるのでしょかね。いえ、だってどうしてこんな男と結婚したんだろうなんて時々思うからです」

「確かに、それはあるかもしれませんね。自分が好きで選んだ男が、結婚したとたんとんだ食わせ物だったことが分って、がっかりしたなんてことはざらにありますからね。でも、そんなことを言えば女だって偉そうなことは言えませんけどね。どうやら、そういうことを繰り返すのが人間のようで、それは昔からちっとも変わってないみたいですね」

「まあ、人生というのはみんな初めてのことですから、結局自分が何をしているのかよく分かってないのかも知れません。私の人生もまったく支離滅裂で、とても褒められたものではありませんが、でも、ここに来てようやく自分の人生に光りが見えて来たのではないかと思えるようになったんです。それもこれも、あなたがこの家に嫁として来てくれたからです。私はね、あなたという人にとても期待しているんです」

「お義母さん。どうかあたしのことなら何の心配もいりませんから、どうか安心してご自分の人生を生きて下さいね」

「私はね、この歳になってようやく自分の人生をかえりみられるようになって来たんです。今までは何かこう自分でありながら自分ではないような、誰のために生きているのか何のために生きているのか、よく分らないまま生きて来たのかも知れないって思ったんです。それが、おばあさんにとって、とても気に食わないことだってことはよく分かっているんですが、でも、これからは私がしっかりしなければいけないことも確かなんです。だって、いつまでもおばあさんを当てにして生きていては自分のためにもよくないし、もしもの時にどうしていいのやら混乱するだけですからね。ですから、ある時おばあさんに言ったんです。これからはこの私にすべてを任せて頂きたいのですがって。そうしたら、えらく怒りましてね。まるでこの私に任せたらこの柏木家が崩壊するみたいなおっしゃりようで、その時ばかりは私も頭に血が上ってしまい、今まで口答えなど一度だってしなかったこの私が、初めておばあさんに逆らうようなことを言ってしまったというわけなんです。それからなんですよ。おばあさんの行動がおかしくなったのは。でもこうなってしまった以上もう後戻りは出来ませんので、どうかあなたもそのことだけはよく承知しておいて欲しいのです。それじゃ紫音の件は私が何とかいたしますから、どうかご心配せずにしばらく待っていて頂けますか」こうして、思いがけずも自分の心情を語り、おまけに事の真相まで吐露したと言うことは、恐らく禮子に対して持っていたわだかまりのようなものが少し解けてきたのかも知れない。

 というわけで、本人たちも予期しなかった不思議な絆が二人の間にどうやら結ばれたようで、とにもかくにも義母にとっては一時はどうなるかと思ったが、これで二人の関係も今まで以上にいい方向に向かってくれるのではないかと期待するのだった。

 一方のおばあさんではあるが、今回の嫁の反乱が思いのほか身に応えていたようで、あれほど頑健だった身体も一時は動く気力もなくなるほど意気消沈してしまったのだ。しかし、紫音が身の回りの世話をしてくれたお陰で、何とか普通の生活だけは維持できていたのである。とはいえ今回のことでおばあさんは、もはや自分の力だけではあの禮子を手なずけることはとても出来ないと悟ったのだ。すると、ここはやはり紫音の力を借りるしかないと思ったのである。そこで考えたのだが、これからは紫音に禮子の見張り役をやってもらうしかないと思ったのだ。しかし、それは以前から何となく考えていたことではあったのだが、紫音のような女にはそんなことは無理だと最初から諦めていたのである。しかし自分がこんな状態になってしまった以上、あの女の暴走を止められるのは、もはや彼女しかいないと思ったわけなのだ。すると、おばあさんはさっそく紫音を自分の部屋に呼んで、彼女に今この柏木家がどんな事態に陥っているかを説明し、最後に結論としてこう言ったのである。

「これから言うことは、ひょっとして私の遺言になるかも知れませんので、心して聞いて下さいね。あの禮子という女は、私の経験から言っても油断のならない女だってことはよく分っているんです。ですから私も最初はとても迷いました。卓と結婚させて果たしていいのだろうかととても悩んだのです。でも、私が生きている間に何とか彼女をこの家にふさわしい嫁に変えられるのではないかと思って二人の結婚を許したわけです。ところが、ここにきて律子が何を血迷ったか突然私に逆らい出し、今まで決して見せなかった態度をこの私に向かって取ってくるようになったのです。そんなことは今まで一度だってありませんでした。この態度の変化にどういう意味があるのだろうかと、私はしばらく何も言わずに彼女の様子をじっと窺っていたましたら、あることに気が付いたのです。彼女はどうやら禮子を懐柔しようとしていたんです。要するに禮子を手なずけてしまえばもはや私の言うことを聞かずにすむと考えたのでしょう。しかし、そんなことが律子に出来るわけがないのです。そんなことをすればどうなるかもう分かり切ったことですよ。そんな無謀なことをすれば、この柏木家は禮子の手に落ちて好き勝手に変えられてしまうことだけは確実なんですから。でも、もはやこうなった以上こっちも黙っているわけにはいかなくなりました。この危機的状況をどうにかしなければ、この家の存在そのものに大きな影響が出てしまうからです。そこであなたに一つ頼みがあるんです。あなたに禮子の監視役をやって頂きたいのです。いえ監視といっても何もスパイのようなまねをしろと言っているのではありません。ただ、これからはあなたもこの家の一員として、この柏木家をよくするという自覚を持って頂かなければならないと言うことなんです。でなければ、この家はあの女に乗っ取られていいようにされてしまうに決まってるからです。ですから、そうさせないためにも何とかあなたの力をお借りしなければならないのです」

 さすがの紫音も、これには驚いたのだ。いくら何でもそんな役目など自分には出来ないと思ったからである。

「でも、おばあさま。私にはとてもそんなことは出来ませんわ。それに彼女を監視するとは、いったいどういうことなんでしょか?」

「何も道義に反するようなことをしろと言ってるわけではありません。いいですかよくお聞きなさい。あなたは私に代わって禮子とうまく付き合う必要が出来たということなんですよ。私はどうやら今回のことで自分の限界を感じました。いや限界といってもそれは体力的なもので気力の方はまだあるのです。ですから、あなたが私の代わりに頑張って働いてもらわなくてはならなくなったのです。あなただけが頼りなんですから。あなたには出来ますよ。だって、あなたはご自分の夫をみんなのいる前で叱って見せたんですからね。ああいうことはなかなか出来ることではありません。いいですか女はただやさしいだけではダメですよ。もっとも男は時々思い出したように、女らしさを問題にしてさも女はやさしくなければ女ではないなんて言ったりしますが、それは本能的に女は恐いものだと思っているからなんです。これは男の実感だと思いますが、ただ女はそういう男の心がよく分かっていないのです。女はやさしくなければいけないという思い込みがある意味女を縛っているからです。正直に言ってしまえば、女はちっともやさしくなんかありませんからね。それどころか実際はそんなやさしいなんて次元で生きてやしないからです。いいですか紫音さん。あなたも禮子さんに負けないくらいどうか強い人間になって下さいね。もちろんやさしさも忘れずに。ですがあなたにはそんなやさしさなど有り余るほどあるじゃありませんか。あなたに必要なのはやさしさではありません。そのやさしさを確かなものにするための強さです。強さのないやさしさなど何の価値もありません。ただ迷惑なだけです。いいですか。あなたもそういう自覚を持って頂きたいのです。どうかご自分の殻を破って頂きたいのです」

 禮子とうまく付き合うことだけならそれほど難しくはないとは思うのだが、もちろん紫音もそれを普通の意味に取ってしまったら間違うことくらいはよく分かっていたのだ。しかし、だからって今すぐ自分が禮子に負けないような強い女になれるわけでもなく、彼女としてもいったいこの要請を、いや命令を素直に聞き入れるということは正直とても出来ないってこともよく分っていたのである。とはいえ、そんなことはとても出来ませんと、はっきり断るだけの強さが自分にあるのだろうかと思うと、それはまったくと言っていいほど自信がなかったのだ。ところが、いきなりではあるが、それとはまったく別にあることを思い付き、それを条件として何とかその解消を図れないだろうかと思ったのである。

「おばあさまのお気持ちは大変よく分りました。私のような人間にそんなことが出来るのかどうかよく分かりませんが、おばあさまのためにも何とか頑張ってみたいと思います。ですがその前に一つお願いがあるんです。これはおばあさまのおっしゃることを実現させるためにも必要だと思うのですが、今この家は二つに別れてしまっています。そこでなんですが食事をもとの状態に戻して頂けないでしょうか。同じ食堂で以前のようにみんなと一緒に食事をさせて頂きたいのです。でないと禮子さんと今まで通り普通にお喋りすることも出来ないからです。もちろんおばあさまは、そんなことは出来ないとおっしゃるでしょうが、でも、これだけはぜひ聞き入れて頂きたいと思っているのですが、いかがでしょう」

「そうですか。よく分かりました。いいでしょう。あなたがそこまでおっしゃるのなら、私も腹をくくることにしましょう。それでは律子に、明日の夕食からもとの食堂で食事を取ることにしますからとあなたから伝えておいて下さい。理由は私がその時に言います」最初は、彼女の提案を断固拒否すると言いたかったのだが、なぜか彼女の交渉のうまさに感心して、ここは一つグッと我慢して彼女の提案を受け入れようと思ったのである。

 こうして紫音の機転により急転直下事態が動いたわけで、彼女としてもこれで何とかこの家を危機から救えるのではないかと少しだが胸をなで下ろしたわけなのだ。しかし、その代わりに彼女にとって想像だにしなかった重苦しい嫌な仕事が彼女の肩にのし掛かって来ることになったのである。

 その夜、おばあさんが知り合いの業者に急遽造らせた離れの食堂で、夫の亮と三人で最後の晩餐を取ることになったのだが、その時、おばあさんからの思いも寄らない発言が二人を驚かすことになったのである。

 珍しく会社から早く帰ってきた亮は、何があったのか知らないがあまり機嫌がよくなかったのだ。

「ところで、いつまでこんな状態が続くんです?疲れて帰って来てこれじゃホッとするどころか、かえって神経が参ってしまいますよ。ここは換気の状態がよくありませんからね。まるで穴蔵で食事しているみたいだ」こう言って、おばあさんの目の前であからさまに不満をぶちまけるのだった。

「いったい何をそんなにカリカリしてるんです?最初はあんなに面白がっていたくせに。お前はこの家で何が起こっているのかよく分っているんですか?お前の母親が謀反を起こしたのです。こともあろうにこの私から実権を奪おうとしたんですよ。まあ、それはいいですよ。今すぐではないにしろ、いずれ律子の天下となるのは分っているんですからね」

「それじゃ、何でこんな無駄な抵抗をするんです?意味が分りませんね」

「お前だっていずれ天下を取りたいのでしょう?それなら何で私がこういうことをするのか、それくらいのことは分ってくれなければとても天下など取れませんよ。いいですか、人の上に立ちたいと思うなら、もう少し人の心というものを分っていなければなりません。その点で、お前は不十分です」

「いや、ぼくだってそのくらいのことは心得ているつもりですよ。でも、お袋とあなたの間にどんな確執が起こったのか知りませんが、そんなことはまったく大した問題ではないじゃありませんか。とてもじゃないが何の参考にもならないと思いますよ」

「だからお前は、まだ半人前だって言うのです。お前には女の心というものがまったく分っていないんです。いや、そもそも興味がないのかも知れませんね」

「それがいったい何だと言うんですか?意味がよく分かりませんが。女心を知らなければ天下は取れないとでもおっしゃりたいのですか?」

「少なくとも知らないより知っていたほうがお前のためにはなると思いますがね」

「どういう意味でそんなことを言っているのかよく分りませんが、ぼくは今とても疲れているんです。あまり意味のないことを言って、これ以上ぼくを困らせないでくれませんか」

 まったく、どこまでこの男を信じていいのかよく分らないが、それでももう迷ってる時間などないおばあさんとしては、もはやこの男に賭けるしかないと腹を括るのだった。

「それじゃ、お前にとって少し意味のあることを話しましょうかね。この穴蔵は今夜をもって閉鎖しますから。よかったですねこんな穴蔵から解放されて。それもこれも紫音さんのお陰ですからね。彼女に感謝しなさいよ」

「いえ、私のお陰だなんて、そんなことはまったくないんですよ」と言って、紫音はいきなり自分が原因にされたことで、彼がまた変な憶測をしたら嫌だなと思ったのだ。

「ああ、またそうやって女同士結託して何やら企んでるってわけですね。大体この家はおやじが死んでからというもの、女の立場がどうも強くなって来たように思うのですがね。とくに禮子さんが来てからというもの、それは一段と強くなったように感じますね」

「それは当然でしょうね。第一男は、家のことなど女に任せて自分達はただ家に寝に帰って来るだけなんだから、そうなって当たり前ですよ。おまえ達男は、家庭というものをまったく省みることもしませんからね。女たちは表向き男を立てていますが、その裏では着々とその勢力を拡大して行ってるわけです。いわば自業自得ってことですよ。そんなことより、いいですか。二人ともよく聞きなさい。私はね、この家を守るためにある重大な決心をすることにしました。いいですか、とくに亮あなたには心して聞いてもらいたいのです。私はね、あなたが次期社長になることに賛成することにします。まあ、表立っての応援はしませんが反対もしません。もちろん、このことはあちらの人達には内緒ですよ。いいですね」


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