四話
二人はお互いに無言のまま、それから三時間がたった。西に沈みつつある太陽が、橙色に街を染めている。家の中も例外ではなくて、僅かな数の窓から入る陽光は血のように赤く、黄昏時を見事に演出していた。
古来より、魔物、魔獣は洛陽の赤い光を浴びた影から発生するものとして伝わっている。そのため、この時間帯になると外に出ている人間は少ない。加えて、大抵の店を商う者は、この時間より店を閉め、また明日への諸々の準備を済ませておく、と行った次第なので、外に出たとしても、できることがあるとすれば食事くらいなのである。そして、ツイはアニーが外食をせず、自炊にこだわる一面を持つことを知っていた。つまりは帰りが遅かったのだ。
無論、この都市に住む、いわゆる、世間一般の無辜の市民と、右道に左道にと股にかけ、時として己の肉体すらも実験の材料としてしまうような狂気を持つ魔術師とは生活様式があまりに違う。深夜にあっても素材収集のために深山幽谷に出掛ける場合もある。がしかし、アニーはわざわざ呼び出した弟子を待たせてまでそれに類する行為をするような人間ではなかった。
「ひゃあ!?」
その時、突如としてサフィールが甲高い声を上げた。ツイは驚いて、彼女を見やると、何かを見て震えている姿があった。視線を追った先には、黒く、粘性のある液体が蠢いていた。一見するとこの生物、おぞましい不気味さだが、ツイはこの者の正体を知っていた。
「液体ネコか。師匠の飼っていたやつ」
「え、液体ネコ?」
「うん。魔力は主に六つに分けられる。そのうちの一つ、水の性質を持つ魔力は水的魔力質と言うんだが、それをなんらかの理由で多分に含んだ状態で受胎すると、稀にこうして肉体が変形して生まれてくる。それが液体ネコだ。今は見事に不定形なもんだが、ネコとしての自覚を持たせることで、ネコの輪郭を形作ることができる」
彼はそう言って台所から干し肉を探し、それを手にすると液状のネコの前にしゃがみ、挑発するように振った。すると、黒い水は指向性を持って振動をし始め、波紋が大きくなりつつも上へ密集するような動きを見せ、次第にネコをかたどっていった。
足元は未だ液体のようではあるものの、もはや通常のネコとまるで見分けのつかない姿形で等直線上運動をし、干し肉へと向かっていった。
干し肉を殆ど噛まずに飲み下した液体ネコは満足げに愛らしい声で鳴いた。サフィールは少し怯えが残っていたものの、やがて好奇心が勝ったのか液体ネコを熱心に見つめていた。ネコと美女は相性が良い。ツイは思いがけず口元が緩んだ。