000 プロローグ
フォレスタ王国は内陸にある小さな国だ。山々に囲まれており幾度も他国の侵略を防いできた。
それは山の加護があるからだと言われている。そう言われる理由は単純だ。
天高い山の一つには鷲のような頭と大きな翼を持ち馬の体を持つグリフォンが生息している。
ドラゴンに匹敵すると言われる強大な力を持つ魔獣が敵の侵入を防いでいるのだと考えられていたのだ。
そのため、多くのフォレスタ王国の民はグリフォンを神の使いのように崇めている。
王家の紋章がグリフォンを模した印であることも相まってフォレスタ王国はグリフォンに守られた地とも言われている。
そのフォレスタ王国の北の端にある一つの領地。レスター辺境伯爵家が治める領地にエバンスホルムと呼ばれる町がある。
レスター辺境伯爵家の屋敷もあることからこの町が辺境における中心地であることが分かる。
フォレスタ王国の端でもあり山に挟まれすぐ隣は他国という軍事的にも意味を持つ領地を治めているレスター辺境伯爵は、武に長けた人物のようなイメージを持ちやすいが現当主であるアルフォンス・レスターは武官というよりも文官と言われた方がしっくりくるような優男で、領地の為に書類と奮闘していることが多い。
だが、彼が頭を悩ませているのは領地運営の事ではない。
アルフォンスと妻のフレアの間には一人娘のリズレットがいる。
幼い頃から手のかからない子であったはずのリズレットは今やレスター辺境伯爵家きっての問題児となっていた。
使用人たちが随分と手を焼いている。
勉強もろくにせず、教師の指導を遮り関係のない話をしたり、行儀作法のレッスンでは失敗ばかりでろくに学ぼうとしなかったり、ダンスもまるで上達しない。
あまりの出来なさに教師たちは頭を抱えているという。
それに加えてとんでもないお転婆で泥まみれになって遊んだり、高いところに登ったりと令嬢にあるまじき行動に屋敷中の人間が困り果てている。
わがままいっぱいのお嬢さま。しかし愛らしい笑顔でどこか憎めないそんな存在だ。
12にもなるのに未だに婚約者が決まっていないのもそういった問題行動が社交界でも噂になっているからだろう。
いつも通り書類を片付けていた手がふと止まる。
アルフォンスの普段は柔らかな緑の瞳が厳しいものへと変わる。
一枚の手紙はアルフォンスの手によってぐしゃりと握り潰された。
フォレスタ王国の中央にある王城の一角で数人の男たちが何やらこそこそと話をしている。
部屋の扉は開かれており、別段悪いことをしている風ではないがその者たちが話している内容は些か不穏なものも含まれている。
その話を扉の陰で聞いている姿があった。
まだ12になったばかりの少年だ。金の髪に薄い紫の瞳の少年は縫い付けられたようにその場から動かなかった。
「聞きましたか?北の辺境伯アルフォンス殿の領地がまた随分と盛り上がっているそうで。」
「あぁ、平民の為に妙な設備を整えたという話か?」
「平民の為?馬鹿らしい。そのようなことをして何になるというのだ。」
「それが、アルフォンス殿が行ったことではないそうですぞ?」
「どういう事だ?」
「それが調べてもさっぱり分からないのですよ。ただ、問題はレスター辺境伯爵領の隣でして。」
「隣国…アリアナ王国か。それがどうしたのだ。」
「いえ、冬に流行り病が流行したのを覚えておいでですか?」
「あぁ、あの時は我が領地もかなりの死者を出してしまった。忘れるはずがない。」
「あの流行り病ですが、レスター辺境伯爵領ではほとんど流行せずに死者もかなり少なかったとか。」
「なんと。それは…。」
「えぇ、喜ばしい事ではあるのですが、問題はなぜレスター辺境伯爵領で流行しなかったのかという事なのです。」
「その理由をアリアナ王国から問われているのか。」
「えぇ。ですが、それに対する答えを出せるものがおらず。」
「それでは国の威信に関わるではないか。我が国が自国の事さえ把握していないなど。」
「まさに大問題なのですよ。周辺の領地の者や中央からも間者を向かわせましたが、まともな情報がまるで掴めないのです。」
「全く、誰か真実を突き止めることが出来るものが居ればいいのだが。」
ふと何かが動いた気がして男が扉の外へと視線を向けたが、何も見当たらなかった。
気のせいかと男は再び会話に戻っていった。
その日、一人の少年が城から姿を消した。
少年とはこの国の第二王子であるレオナード・フォレスタ・トーレンスだ。
すぐに捜索を開始しレオナードはあっという間に見つけられたが、戻ることは無かった。
レオナードの意志は固く、目的を達するまでは戻らないと頑なに帰るのを拒んだのだ。
結果、数人の護衛が付いたままレオナードはレスター辺境伯爵領を目指して移動していった。
「よろしいのですかな陛下。」
国王の執務室で宰相であるグレドリック・カスタンバールが尋ねた。
「何がだ?」
国王は目を通していた書類から手を放して顔を上げた。その表情は未だ何かを決めかねているように迷いが見える。
リチャード・フォレスタ・アレイン。
先代国王が早くに亡くなり何も分からないままに王位に就いた為グレドリックはリチャードにとって親代わりに等しい相手だ。
様々なことを学んで国を支えてきたリチャードだったが、一つだけ彼の反対を押し切って決断したことがある。
それはすでに亡くなった妻の事だ。
リチャードは愛する者を王妃にすることに成功はしたが、身分の低い彼女を結局守れなかった。
その失敗がリチャードを今悩ませている原因にもなっている。
「お分かりのはずです。なぜ第二王子をあのまま行かせたのですか。」
「レオナードがもし何かを掴んだとしても、あれにその気はない。」
「本人にその気がなくとも、どうなるかはお分かりのはず。」
「しかし、あれほど調べても分からないのだ。レオナードが見つけられるはずもあるまい。」
「見つけるかどうかなどどうでもよい事。問題はそれを求め、行動したことにあるのです。」
グレドリックは大きく息を吐いてリチャードを見つめた。
「このままでは、以前の二の舞になりますよ?」
「それだけは、もうさせぬ。愛する彼女の残した唯一の子だ。」
「陛下がどうおっしゃられても、すでに事態は動き出しているのです。このままだといずれ第一王子派と第二王子派で国が割れることになるでしょう。」
第二王子の母であるアネットは侯爵家の出。当然第一王子を廃そうと働きかけを始めるに決まっている。
子爵家であったリチャードの愛する彼女はかの侯爵家によって葬られたに違いないが証拠はまるで見つからなかった。
アネット自身は純粋な貴族令嬢そのものでその件に関わってはいないことは分かっている。
だからこの話をリチャードも今まで持ち出すことは無かった。
アネットは第一王子であるフリードも息子同然に愛しているし、その弟であるレオナードも兄のフリードを慕っている。
レオナードが兄を追い落とし王位を目指すなどあり得ないのだ。
だが、周囲がそうは思わないだろうことも分かっている。
それと同時にレスター辺境伯爵領の急激な発展について興味も当然あるし、隣国であるアリアナ王国もそれを知りたがっていることはよく理解していた。
アリアナ王国はフォレスタ王国と同じような境遇にある。
そしてその環境はフォレスタ王国よりもずっと過酷だ。
その過酷な地のすぐ傍であるはずのレスター辺境伯爵領での目覚ましい発展。気にならないはずがない。
だが、国をあげて調べても何も出て来ない謎。それを行っている者の真意はまるで読むことが出来ない。
何の利があるというのか。
平民の暮らしは確かに豊かになったようだが、税としての収入がそれほど増えている訳ではない事がそれを際立たせている。
病を防いだものが何であるのかさえ掴めない。
レオナードがそれを掴むことを望まない反面、それを求める国としての顔がリチャードを悩ませていた。




