それぞれの思惑と武田
「一向衆か」
冬そして春に聞こえてくるのは一向衆の動きであり長島からの尾張への動き、加賀が能登へそして恐れていた三河での一向衆が今川と手を組んだのか長篠方面に対する動きを見せており松平元康と名乗って反今川派を義元の力を借りて粛清しようとしており、一向宗でない家臣達は次々と岡崎から逃げると徳川家康の元へと走った。
「救い様の無い、人は逆境をかてに成長すると言うが阿戸(元康)は」
長篠に雪の中出陣して今川と松平の動きを制する。
「愚かとしか、当主とはいえみさかいなくとは」
酒井忠次も苦悶の表情を浮かべており次々と入城してくる松平の家臣に同情をしてしまう、
「手痛い一撃を与えるが覚悟は良いか」
私は左に控えている徳川の家臣に聞くと皆一斉に頷き同意する。
「この状況が直ぐに好転するとは思えない、信濃や甲斐に一時的にせよ領地を与えるが」
「いや、我らはこのまま家康様についていきます。この地で苦労したとしても」
相変わらずの頑固さに頷き出陣を命令した。
「我らに先鋒を、非常に嬉しいですが」
捨てゴマにされるのではと勘ぐる徳川の家臣団に私は、
「正当な当主に対してどれ程弓を引く者がおるかな、それを期待している」
信照時代に三河で経験した一向一揆で家臣同士だと死力を尽くして戦うが家康が出てくると逃げ出したことを手に取ろうと、家臣どうしも親戚もおり家康出陣の知らせは良いも悪いも伝わるだろうからと、雪を掻き分け奥三河から押し出した。
「相変わらずの短絡的、義元も押さえられなかったか」
出陣前に2通書状を元康と義元に送る。
元康には正当性もない重臣もあきれて逃げ出す小物よ今下るなら岡崎は残しておいてやると、義元にはこんなので苦労しても仕方がないではないか、現状のままで和を結びお互いが支配すれば良かろうと、ただし元康には最後に義元にも提案はしていると書いて、まああの元康だから義元にも色々考えることはあるのは当然で返事はなかったが、合流したあと元康は動かぬ義元に三河を一向衆を味方につけたければと正直に叫び仕方無しにと言うことで場所もわざわざ書いておいたのでばか正直に向かっているということだった。
「敵は今川1万2千、松平勢一向衆を合わせ8千」
予想よりも多く一向一揆の農民が集まっているようでこの場にいる武田1万2千と徳川の3千よりも多く展開をしている。
前衛軍に松平と徳川がそれぞれかまえており徳川の後ろには秋山率いる南信濃勢と美濃勢が展開を終えており、両翼には諏訪勢の信繁と北信濃勢の昌豊がおり私の甲斐勢が中軍としてひかえる。
「まだ動くな」
元康なら勝手に戦端を開いただろうが家康は苦労してきたのだろう我慢ができており相手が動くのを待っている。
「義父の瀬名が元康を必死に押さえておる」
少し前に指名買いで堺から取り寄せた遠眼鏡で何度も立つ元康を座らせているのが遠眼鏡で見とれる。
「もうそろそろ頃合いかと」
私は座ったまま手をあげておろした。
陣太鼓が鳴り響き動き始めるが徳川勢は動かず昌豊と信繁が動き始める。
「松平勢動きましたぞ」
武田が動いたことに我慢していた元康が動き始めるが未だ距離があり軽い坂の松平勢は喚声をあげるが徳川勢は動かずにいる
松平勢が動いてしまい仕方無しに義元は全軍を進めていくが隊列を整えて進む今川勢と幼い当主が先陣を切る松平勢には差が広がっていき突出してしまい私は好機と秋山に徳川勢の左を抜けて進むように合図をした。
松平勢は息切れを徐々にだが生じて声もだが走る速度も衰え延びきろうとした時に徳川勢が動き始めた。
秋山少し先行して松平勢の横を抜けていく、松平勢は勢いがなくなるのと自分達の右側から抜けていく秋山に対応できずに陣形が崩れ去りそこへ徳川勢が襲いかかる。
「松平家当主である徳川家康様が先陣を切る」
そう叫び金色に塗られた鎧をまとった家康が旗本と後で呼ばれる家臣団に守られて倍以上の松平勢に切り込んでいった。
私は念のため中軍を進め徳川勢を援護しようとしたが、家康が前に出ると松平の家臣に動揺がはしりまわれ右をしておりその後ろの一向衆である農民は秋山の動きに隊列を崩したところに前が崩れたので後ろへ逃げ出しており私は陣太鼓のテンポを変えると信繁と今川勢との戦いに本来松平勢の後ろを遮断するため進軍していた秋山勢が左に進路をかえると襲いかかった。
「赤備えが現れました」
これは昌豊とぶつかる今川勢に襲いかかる。
「かまわん中軍を押し出し追い落とせ」
信春(馬場)に率いられた甲斐勢は一気に下り崩れた松平勢を槍で押し返して体制をたて直そうとしている義元の軍に襲いかかる。
「早馬が、やはり氏康が動き津久井城を攻めるそぶりを、幸隆が援軍に向かったと言うことです」
当然今川が動けば同盟している北条も動くのはわかっているので警戒もさせておりさらに、
「上杉勢は予定通り上野から南下して国府台を攻め落としたと」
流石は輝虎であり大雪にとざされた能登は今すぐにと言うわけでもいかぬので助かっていた。
「敵の増援、長島の一向衆」
我々の右側、尾張方面から南下をしてきておりこれを義元が待っていたのだとわかる。
「2刻(一時間)程と思われその数4万」
「半刻で殲滅をして備える」
ここで引けば義元なら反撃をしてくるので焦れるのを表に出さぬように見続けた。
「両翼は突破」
手を横からあげて前に二度振り下ろすと陣太鼓の音が鳴り響き昌景の赤備えと信繁が義元の中軍に信春の中軍が襲いかかる。
「元康を捨てたか」
崩れる要因である三河勢をそのまま槍衾で押し返しており私でもそうするなと思い小太郎を呼ぶ、
「義元と休戦を結ぶこれを本陣へ」
短い書状をしたため走らせた。
義元の中軍は両翼から攻められるが崩れる気配はなく時間が過ぎていくとようやく戦場に似合わぬ花火が次々と上がった。
「撤退させよ」
陣太鼓が撤退の単発の大きな音を何度も繰り返すと義元の中軍と戦っていた武田勢が引き今川勢も追撃をせず一向衆が見えた頃には双方とも再編を終えており元康の三河勢だけが長島一向衆に合流して構えた。
「義元と一向衆は元康の一向衆と繋がっていただけか」
先程の戦いで三河勢を捨てた今川勢に一向衆も態度を変えたのか3すくみで動きはとまる。
「義元からの使者にございます」
鵜殿長持が現れる。
「今川は一時的に組んで一向衆と戦いたいと言うことにございます」
「何を言うておる。引き寄せたのは今川であろう」
「先程戦っていたのはどこの誰か」
「負けたのはその方だろうそれを虫の良い」
家臣が怒るのを手をあげて静まらせ、
「わかった一向衆とは共通の敵としてくつわを並べよう、ただしそこの野田城をもらうぞ」
何を言い含められたが知らぬが同意すると城主菅沼に開城を命令して戻り私は秋山を入れて備えた。
今川勢は直ぐに動きだし我々に合流を行うと義元と共に野田城へ入った。
「困ったことだなお互いに」
義元もさすがに疲れた顔を隠せずにおり酒をのみ暖をとる。
「元康の愚かしいふるまい、逃げ出して代わりに徳川家康殿が来てくれ安堵したくらいですからな」
横にひかえる二郎三郎こと家康は少しだけ頭を下げる。
「で、どうするつもりかな武田は」
戦っても良いがあのイナゴのような一向衆を思い出し、
「ここを拠点に様子を見ようと」
「そうすると加賀のようになるのでは」
そうなれば再度占領してもいままでのようには治められぬと義元が言いたいのを、
「一枚岩なら、特に本願寺の僧に長島の一向衆そして三河の一向衆と坊主そして元康」
義元は口を歪め、
「表面上は元康の独立を認めると言うことか」
「武田も今川にならいます」
一時的にせよ織田が東西から挟まれるがそれは信秀に頑張ってもらうしかで方針は決まった。
直ぐに連盟の書状が元康の元へと送られ三河とは独立と不戦を結ぶむねを伝えた。
一週間たっても返事が来ず小太郎からの情報では、
「元康は喜んでと言うことですが本願寺の坊主が納得せずもめており三河の一向衆の坊主もそれに拍車を」
予想以上に統制がとれぬ状況に今川はすぐ東の吉田城を押さえとして撤退を開始し、私も野田城を目の前に関係なく縄張りを大きくして春先には撤退を開始した。
「三河はしばらくは火だねとなりましょう」
義兄弟である信春の言葉に頷きながら秋山に野田城を任せると甲斐へと戻り田植えの準備に入った。
その春、知っていたが知らせを受けた。
「織田信秀殿亡くなったとのこと」
冥福を祈りながら書状としたため信長に送り、秋山には野田城のおさえを信繁には織田からの援軍依頼があれば自分の判断で出るように伝える。
「尾張の小大名にそんなに気をかける必要がありましょうや」
幸隆が総合の評定に半年ぶりに顔を出しており織田に対する対応に代表で聞いてくる。
「確かに小大名だが信長はおおうつけと呼ばれるほどわしは買っておる」
現状の一向衆に対するくさびにもなり一向衆が存在感を示せば示すほど重要なと言うことに皆は納得する。
「田植えが尾張次第尾張に出兵する。狙うは犬山と清洲」
この頃は信長は名古屋城を拠点とした尾張半国の小大名であり今回の出兵は早々に尾張を統一してもらうためあえて悪役になるための出兵で今川とも一時的にせよ同盟を結んだので気兼ねなく美濃の蝮にも知らせた出来レースである。
甲斐を出発して岩村経由で尾張へと出ると北上して犬山城へと向かい織田信清が城主の城を包囲した。
木曽川のすぐ横に建てられた城で昌景の赤備えに命じて攻めさせると一刻もせずに落城してしまい慈悲をと言う城主一門の首をはねた。
そのまま清洲へと木曽川沿いに下り前世で裏切った坂井に清洲城で内応を口頭のみで打診して包囲をすると夜半に火の手が上がり城の半分が燃え尽きて混乱をしていると信長が兵を率いてこちらの1割の兵で朝方襲いかかってきた。
「撤退せよ」
知らせていたとはいえ損害をなるべく出さずに撤退を行い犬山城へと戻る。
「誠にこの作戦は心痛みますぞ」
「すまぬな、これで尾張も安定しよう」
そう言い織田との停戦を結ぶと犬山を明け渡し私の次男である諏訪姫の子にお市をもらい受けることを決めて撤退をした。
信長はすぐに清洲に本拠地を移して体制を固めようとしていたが美濃の蝮の力を借りても5年はかかったのだった。
今年は台風の被害も押さえられ久方振りの豊作に領地は喜び出陣に備えている。
三河は相変わらずもめており3者でもめているのはいつ終わるかもわからずまとめ役として可能性があった正信(本多)は先の戦いで怪我で動けなかったのを救い出して私の側近として取り立てていた。
「信輝様は一向衆の事よう知っておられますがこのままと言うわけには」
長島に本拠地があり三河での支配権を強固にするため石山本願寺から坊主が派遣されてきて長島は強固となりつつある。
「だが三河はそうもいくまい、元康の強欲と坊主の強欲が終わりを見せぬからな」
どう転ぶかはわからないが最悪は本願寺と婚姻関係を結んでだが、それも今川との戦いになると考えるが、今のところは対北条であり今川の援軍は三河を口実に大軍は送れずにいる。
秋口に関東に管領となった上杉輝虎が出陣を行い次々と合流してその数13万を越えて小田原を包囲することになった。
我々はそのまま箱根へ韮山城を落とすべく進む、城主は氏康の兄弟である幻庵であり下る途中にあるこの頃は未だ小さい山中城を一気に落として伊豆へとなだれ込んだ。
「降伏を呼び掛けよ」
兵は足りておらず小田原に送り農民を合わせても2000にも足りず今川の援軍4000は川向こうで様子を見ている。
初代後北条が奪い改修を重ねた堅城だが兵力は少ない、だが早雲からの善政で士気は高く気勢をあげてこちらが攻撃するのを待っていた。
「流石は幻庵、降伏せぬか」
使者が戻り返答を聞いて昌景にはじめよとつたえた。
「鉄砲隊で正面を制圧せよ」
楯に守られた鉄砲隊を正面に展開させ射程に入ると続けざま発砲し鉄砲がよくわからぬ農民が次々と悲鳴をあげ混乱する。
弓を放とうとする者が立ち上がればたちまち弾丸に射ぬかれ悲鳴と共に消えていき大手門は蜂の巣となりつつある。
「破城槌を」
昌景が命令と共に組み上げられた攻城兵器が押し出されて門前に到着すると鉄で先端をカバーされた丸太を太縄で引いて放した。
先端が門に食い込み裂け目をつける。
城内では悲鳴が大きくなり何とか破壊しようと門の上に立ち上がり石やお湯等を落とそうとしたが立ち上がった瞬間鉄砲に狙われ瞬殺されていきその間に門は閂が破壊され赤備えが城内へ突入する。
最初の曲輪を制圧し終えたのか昌景が鉄砲隊を城内へ入れ次の門の攻撃準備を行っていると降伏を申し出てきた。
「幻庵は捕虜、それ以外は放て」
そう伝えると直ぐに開城を行い疲れきった幻庵が私の元に連れてこられた。
「氏康殿に降伏を伝えてくれぬか」
韮山城が落ちたと知れば北条の士気はかなり下がると思われ移動しながら話をする。
「氏康を含め一族の扱いを」
「管領殿に願い出るがどうなるかは約束できぬ」
輝虎は許すと言うが佐竹や里見等煮え湯を飲まされていた諸侯が納得するとは思えず後々尾をひく事態にならなければと思いながら昌豊を伊豆の押さえとして今川に対峙させて箱根の山を越えると小田原に戻った。
「見事、この短期間に落とされたな信輝殿それでどうされたい」
丁寧に聞いてきてくれるので、
「幻庵殿を降伏の使者に、一族は私が預かると言うことでは小田原はお任せします」
そう言うとやはり佐竹や里見が異論を唱え収集がつかなくなっており輝虎は目を閉じてしばらく聞いていたがいつまでも終わらぬ状況に、
「北条は武田預かりとする良いな」
これが輝虎の一番の欠点であり説明をしないのは家臣でさえ不満を持つが家臣でない各当主の不満は大きく席を立って幻庵を城内へ送り出した。
「信輝殿は良いが我らは何のために」
義昭(佐竹)が声を荒らげつながりのある那須や小田の諸侯が同じ様に言う、
「兄上、もう一度話してはくれませんか」
宇都宮へ養子に出した当主である信廉が言うのを少しだけ考え、
「落城してから再度輝虎殿に話し合いを持つように頼む」
義堯(里見)が、
「領土の配分も決め手もらわねばなるまい」
私が江戸城を取ると里見との領地や佐竹や小田と接する事になるので面倒を抱えてしまう事に、
「いずれにせよ勝利したあとの評定でと言うこと」
共通の敵がいなくなった後の方が面倒と思いながら待ち続けた。
「どれだけかかるのだ」
師走となり輝虎と氏康と幻庵が話をつめているようだが中々結果が出ずにおり私は伊豆の普請と北条の水軍を配下にしながら苛立つ諸侯の話を聞きながら待っていた。
「上杉殿それはどう言うことですかな」
降伏が決まったが内容は驚きべき物で、
1、現状の状況を受け入れる(占領地の事)
2、氏康は隠居して氏政に家督を譲る。
3、各兄弟は人質として上杉と武田や里見と佐竹に入れる。
4、小田原城及び玉縄城と三崎城と江戸城を北条の領地として管領として保証する。
伊豆の港を得たとはいえ江戸を開発しようとしていた私もだがそこに接する里見等は怒りを通りすぎ呆気にとられておりここでも輝虎の説明不足があり不満が次々と出ており抗議しているが輝虎は、
「異論があるなら兵を率いよ是非もなし」
短絡的だと言いたいがそれ以上に周りが怒っていたので冷静になりながら次々と席を立つのを見送った。
「輝虎殿、そこに一つ港は武田が管理をすると小田原と江戸、水軍は武田がもち北条は持たぬと、後は主要の道に関をおかぬと」
「その位なら氏康も納得しよう」
また説明不足にと思いながらももめるわけにいかないので受け入れざる終えなかった。
「幻庵殿やってくれたな、次はないぞ」
幻庵は輝虎についていく事になり挨拶に来て一礼して越後に輝虎と戻っていき、私は今川に人質に出ている氏規を求め今川との引き渡しを手配して戻った。
「皆ご苦労、思った通りにいかぬのも世の常だが今は拡大した領地をしっかりとおさめていくことが大事、三河の事は徳川家康に任せる」
奥三河は長篠と野田城とその周辺の城を徳川に譲り秋山に与力として動くように言い、宇都宮信廉となった弟は領地を接する金山城城主である道及(山上)に何かあれば動くようにと頼んだ。
伊豆の金山は小太郎に再度開発を命令して富士川より西の支配を進め吉原城を拡大して昌豊に伊豆と共に任せた。
「信春(馬場)は武蔵を川越城と共に任せる。上野は長野業正以外の領地と佐久を幸隆(真田)に、北信濃は諏訪と共に信繁に、南信濃及び飛騨と美濃は信虎(秋山)に任せる。私は甲斐と金山及び商業を港を管理とする」
吉原城に隣接する田子の浦港を拡大して行くことにより初期から輸送力増強の為の伝馬制を拡大して甲斐及び信濃方面の商業を拡大させていき甲府とは思えない活気が起こり躑躅ヶ崎では商業の発展は難しいので現在と同じ甲府城を麓に普請していくことになった。